変身

「カフカの短編小説。高校生の頃に読んだことがあるが、今回、再読してみたのだが、我慢できずに中断してしまった、なんというか、この設定は確かにアイデアなわけだが。」

 

断食芸人

「カフカの短編小説、なぜこれを読もうなどと思ったかと言えば、車谷長吉がその名を書いていたからだが、たぶん高校生の頃に読んだことがあったと思う。車谷は、きっとこの登場人物の生き方に惹かれるのだろうね。」

 

浅草葬送譜(***)

「色川武大の短編小説で、短編集『あちゃらかぱいッ』の中の1編で、やはり浅草で活躍した、と言ってもエノケンなどの一流になりそこねた男のことを描いている。」

 

あちゃらかぱいッ(*)

「色川武大の短編小説。恥ずかしながら、色川武大作品を初めて読んだが、これは小説と言うよりエッセイに近い感じがする。なぜ色川武大を読もうなどと思ったかと言えば、車谷長吉がその名を書いていたから。さて本作では、戦前戦中戦後と、多感な時期(中学生のころ?)に、享楽的な演芸などの聖地?浅草に入り浸っていた色川氏が見聞きした芸人達の有様を、さも見てきたかのように描いてはいる。」

 

インフル病みのペトロフ家(****〜***)

「ちょっと、とっ散らかっていて(まあ敢えて)関係が分かりにくくて混乱させられる(まあ敢えて)のだが、不条理劇の一種が生み出される土壌が、やはりロシアにある、と言うことであるが、それを言ったら今の日本にも、それはあるのだが、ほとんどの愚かな大衆は、それを変えようとは思わないんだなあ、愚かだから。それにしてもソ連が崩壊してロシアになったってことは、共産主義が終わったことだと認識していたが、彼の国の中身は変わっていないということか。」

 

キャメラを止めるな

「うーん久しぶりに、観なきゃよかった、と思う映画を観てしまった。これなら元ネタの方を2度、観た方がずっとよかった。」

 

業柱抱き(*)

「車谷長吉の、これは図書館の分類によれば、エッセイ集。914は、評論・エッセイ・ 随筆ということらしいが、まさにそう言って差し支えない、ああ、出版社から書いて、と言われて、金のために簡単な短文を書いたんだなあ、と思わせられる作品もあれば、表現生に優れた、これはもう小説と言ってもよいのでは?という作品まで、ごちゃ混ぜ集。ただ、後半はもう飽きて飽きてしまってすっ飛ばしてしまった、すまん車谷。しかし、本を913にするか914にするかは、誰が決めるのだろうね。」

幸福(*)

「映像文化ライブラリーで、ジョージア(グルジア)映画祭の1本。2009年の作品。ジョージアの田舎からも、ヨーロッパに出稼ぎに行くんだなあ。本当にEUとは、一面的には壮大な理想の実現または実験なわけで、ドイツに大きな果実をもたらしたわけだが、一方では、、、」

 

ブバ(**)

「映像文化ライブラリーで、ジョージア(グルジア)映画祭の1本。1930年の作品。農業に従事する田舎の人々の生活を、やはりどこかプロパガンダ映画っぽさを感じるが、それもまた楽しい。」

 

妖談(**)

「車谷長吉の、各話数ページ程の、本当に短いつまり読み応えの全く無い、まるであらすじでも呼んでいるように感じさせられる短編小説集。いや作品によっては、暇つぶしのエッセイと呼んだ方がふさわしいものもある。題名から、これまでの車谷とは違った趣の作品か?と期待したが、これまで通りのネタであった。いやむしろ、よくぞここまで同じことを繰り返し、書けるよなあ、とさえ思う。」

 

贋世捨人(☆☆☆☆☆)

「車谷長吉の小説。なんと言うか、車谷という 人は、やっぱり太宰治に似ているような気がする。あるいはM性なのかも。自分のダメな部分、恥ずかしい部分を好んで見せつけたいのかも。で、ののしられたり、蔑まされたりすることに、むしろ快感を感じているのではなかろうか。」

 

PLAN 75(****〜***)

「日曜に観に行ったからかもしれないが、まさかの満員御礼状態。早川千絵という若い監督・脚本作品。この監督の能力か、撮影監督の能力かわからないが、映像がとても良い。また音声に関する感覚も優れている。難しいテーマを、感傷的な方向に振ることもせず、一貫して静謐な、悪く言えば退屈な、表現方法で描いている。こんな企画が、よくここまで完成させることができたよね。」

 

パリ13区(****〜***)

「予告編を観た時から、コレは観なければなりませんね、の作品だった。冒頭から気が利いていて映像も強い魅力がある。のっけからトップギアに入れさせられて、もっとゆっくり話が進む作品かと思いきや、グングンとしたスピード映画。まあ、それもいいよね、きっと若い監督なんだろう、と思いながら観ていたところが、話が途中で、まるで第2話みたいに変わって行く頃には、ちょっと、とっ散らかった作品だなあ、ひょっとすると女性監督?近視眼的・直情的な感じからすると、などと感じながら観ていた、性描写も、女側目線だしね。上映前に、いつもはやらないことなんだが、本作のチラシを眺めていた時に、え?原作があるのか、ん?原作が3つ書いてあるなあ、などということが記憶に妙に残っていて、そのことを上映中に思い出したのだが、1本の映画としてのまとまり感がないのは、きっと、そのせいなんだろう、と思いながら観ていた。で、まあ、最終的には収まるところに収まっていくわけだが、なぜ、こんな複数の原作本を組み合わせてしまったのだろうね。でもまあ、きっと若い女性監督なんだろう、と、ジャック・オディアール監督って、70歳!ただし脚本は40歳台の女性だった。悪くない作品なんだけれど、不満が残る作品でもある。そうそう、パリには3週間ほど滞在したと思うけれど、13区って、自分は行ったことがなかったなあ、郊外でもないのに、ああいった高層アパートが立ち並んでいる、しかも中国人が多い街なのかね。」

 

ダムネーション/天罰(****〜***)

「タル・ベーラ監督作品、なので観た。いつもの館で。思わせぶりな映像と長回しで、それっぽい表現をしようとしているのだ。音楽とかダンスのモブシーンがいいなあ。なんであんなに水びたしなんだろう?タルコフスキーの影響か?ただなあ、煙草吸いすぎタル・ベーラ!」


アウトサイダー(***〜****)

「タル・ベーラ監督作品、なので観た。いつもの館で。ちょっとジョン・カサヴェテスっぽいなあと思っていたら、チラシにも書いてあった。題名の通りの人物の葛藤。音楽とかダンスのモブシーンがいいなあ。ただなあ、煙草吸いすぎタル・ベーラ!」

 

赤目四十八瀧心中未遂(☆☆☆☆☆)

「車谷長吉の小説。今まで、直木賞というレッテルが貼られていたため避けてきたのが残念なくらいの魅力作だが、これまでに車谷の私小説的短編を読んできた下敷きがあるから、なお良く感じるのは間違いない。つまり本作は、確かにフィクションという舞台で描くという作業の所為か、車谷の肩の力が良い意味で抜けているということもあるのだろうけれど、車谷の意固地さみたいなものさえ表現に繋がっているような気がする。中盤から後半にかけては、さすがにやや創作的な側面が、車谷にしては、強く感じられもするけれど、一気に読ませる。」

 

一番寒い場所(***)

「車谷長吉の短編で『武蔵丸』という題の短編集の中の1本。これも、どの程度が事実で創作なのか。」

 

武蔵丸(****)

「車谷長吉の短編で『武蔵丸』という題の短編集の中の1本。これはまるで夏休みの昆虫観察日記のよう。車谷が描くと、それさえもこんな嫌らしい感じに描けるのだ。」

 

愚か者(***)

「車谷長吉の短編で『武蔵丸』という題の短編集の中の1本。これは『鹽壷の匙』、『漂流物』と連続して同タイトルで書かれている作品。」

 

功徳(**)

「車谷長吉の短編で『武蔵丸』という題の短編集の中の1本。」

 

狂(***)

「車谷長吉の短編で『武蔵丸』という題の短編集の中の1本。」

 

白痴群(**)

「車谷長吉の短編で『武蔵丸』という題の短編集の中の1本。これは、車谷の少年時代に実際にあったことなのか創作なのか?幻想的な雰囲気で描かれている。」

 

漂流物(☆☆☆☆☆)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。芥川賞の 講評では円谷才一がトンチンカンなことを言ってる。」

 

抜髪(☆☆☆☆☆)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。全て長吉の母の、長吉に向けられたセリフ=その多くは長吉を罵倒する言葉=で構成されている。最初のうちは短いが、だんだんと長口舌になっていき、徹底的に自身をやっつけるのだ、母の言葉を借りて。こんな壮絶な文学表現を初めて読んだよ。」

 

愚か者(****)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。同題名の中に、さらに短い短編(詩に近いくらい短いものもある)が集められて一つとなすような作りで、ジッドなんかが似たようなことをやっていたかも。」

 

めっきり(**)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。ちょっと太宰治っぽい。」

 

物騒(*)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。車谷作品なんだから、それなりの事実に基づいてはいるんだろうけれど、創作的な側面が強い作品か。」

 

木枯らし(*)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。車谷作品なんだから、それなりの事実に基づいてはいるんだろうけれど、創作的な側面が強い作品か。」

 

蟲の息(*)

「車谷長吉の短編で『漂流物』という題の短編集の中の1本。車谷作品なんだから、それなりの事実に基づいてはいるんだろうけれど、創作的な側面が強い作品か。」

 

鹽壷の匙(***)

「車谷長吉の短編で『鹽壷の匙』という題の短編集の中の1本。陰気で凄絶な話。」

 

吃りの父が歌った軍歌(☆☆☆☆☆)

「車谷長吉の短編で『鹽壷の匙』という題の短編集の中の1本。陰気で凄絶な話。」

 

萬蔵の場合(***)

「車谷長吉の短編で『鹽壷の匙』という題の短編集の中の1本。車谷は若い頃、広告代理店に勤めていたようだが、その頃の出来事で、女性に翻弄される話。」

 

愚か者(***)

「車谷長吉の短編で『鹽壷の匙』という題の短編集の中の1本。幾つかの短編を組み合わせて表題作としてまとめたものらしく、詩に近い感覚。」

 

白桃(****)

「車谷長吉の短編で『鹽壷の匙』という題の短編集の中の1本。さて本作だが、、、少年時代の思い出だろうか、これはどこまでが事実でどこまでが創作なんだろうね。もし自分が文学部の学生だったら、絶対に車谷を卒業研究の題材に選ぶと思うな。」

 

なんまんんだあ 絵(*****)

「車谷長吉の短編で『鹽壷の匙』という題の短編集の中の1本。恥ずかしながら、車谷長吉作品を初めて読んだ。図書館で、下調べもせずに、さて次は何にしようか、と書棚を眺めて本書を取ったら、大当たりだった。本人のあとがきなどによれば、車谷の作品は私小説らしい。近頃やっと、自分は私小説が好きなんだと自覚した。それだからこそ壇一男や柳美里や佐野洋子らの作品に強く心惹かれるのだが、ドキュメンタリー映画が好きであることも、同じ感覚からだろう。ただし太宰治は苦手だが。さて本作だが、、、車谷作品は、なんだか泥だらけ垢だらけ汗まみれになって生きている人間の有様が、決して美化されずに描かれている。多くの場合、車谷の少年から青年時代の体験に基づいていることからすれば、言うまでも無く日本がとても貧しかった頃の、いかも田舎の有様なので、余計に、そう感じるのかもしれないが、生活とか生きることが、例えばマンションのようにコンクリートとガラスの中ではなく、またアスファルト舗装された道路でもなく、泥土の地面に近いところで行われており、生きることのいじましさ、のようなものが、方言やジジババの存在も加わって、手塚治虫が描くような明るい未来を全く感じさせない、重苦しいとも違う生々しさで表現されている。自分は短編は好きではないことは、これまでも書いてきたが、この作品は、本当に短いにもかかわらず、長編を読んだと変わらない重たいものを残していく。」

 

ジャンヌ

「いつもの館でブリュノ・デュモン監督作品なので。ジャンヌ・ダルクの物語の、これは後編と言えるもの。しかしコッチはミュージカル仕立てではなかった。ジョン・レノンが歌っている通り、神とは宗教とは人間が作った概念に過ぎない、と考えている現代の自分、人間に貴賎はなく誰も皆平等、と考えている現代の自分にとっては、理解しがたい状況なのだが、ブリュノ・デュモンは何を表現し訴えたかったのだろうか?」

ジャネット(**)

「いつもの館でブリュノ・デュモン監督作品なので。ジャンヌ・ダルクの物語の、これは前編と言えるもの。なんだろうなあ、レオス・カラックスとともにミュージカル風の表現。こっちは、言わば学芸会風の仕立て、なのか?ともかく後編を観てから。」

なれのはて(**)

「いつもの館で。フィリピンで、あわれな余生を送る、いや、そうせざるを得なかった日本人4人に取材したドキュメンタリー。期待して観たのだが、そこまでではなかったのは、何故だろう。」

 

TITANE/チタン(***)

「うーん、最初、痛い系ミヒャエル・ハネケかと思ったら、デビッド・クローンネンバーグだった。いやあ、なんで血じゃなくて黒いオイルなんだよー、まさかなあ、などと思いながら観ていたら、そのまさかだったが、つまり、車とヤッた、ってこと?それもリアシートで?フロントなら、まだ分からなくもないけど、、、、。しかし近頃のカンヌはやっぱりおかしい、いや、強い作品ではあったけれど。この第74回ノミネート作品中で自分が観た中でなら、『アネット』がパルムで、『ニトラム/NITRAM』がそれに続く。『ドライブ・マイ・カー』だってずっと良いのにね。待てよ、ブルノ・デュモン作品もあるじゃないか、まあ、新しい何かを見出したい気持ちは分かるけどね、またあいつか、と言われるのも癪にさわるからなあ、なあスパイク・リー。」

 

ニトラム/NITRAM(*****)

「ジャスティン・カーゼルという監督作品で珍しいオーストラリア映画。NITRAMとは、愚鈍な奴とかノロマという意味らしいが、なるほど、今調べてみたら、MARTINをひっくり返しているのだった。ただしこの題名は、どんなに銃乱射事件が起きようとも、それを決して手放さない人間全体を指してもいるだろう。」


狼(*****)

「新藤兼人監督作品。観ていないかと思っていたが観たことがあった。やっぱり良い。『天国と地獄』なんかよりずっと良い。乙羽信子も菅井きんもノーブラだ。いやこの時代、まだ多くの(ほとんどの貧しい)日本人女性はノーブラだったのだろう。」

 

廃市(*)

「福永武彦の短編小説で、読んだことがなかった気がしたので読んだが読んだことがあった。水郷の町を舞台にした一夏の出来事を幻想的に描いている。しかしなあ、登場人物達の行動や考え方に、どうしても共感できないよね。あと題名も、最も適切とは言えないよね。」

 

アルケミスト夢を旅した少年(***)

「パウロ・コエーリョの小説。薄い本だし楽しく読みやすいから、一気に読めてしまう。まるで神話かアラビアンナイトみたいな話だが、なんと本作は1988年に出版された、ごく新しい作品だった。だからだろうか、できるだけ時代性を感じさせないないように描写されており、自動車などは出てこない、ただしモロッコからエジプトに向かう道中では民族紛争・戦争が起こっており、武器は登場する。」

りんごとポラロイド(**)

「まさにポラロイド写真のような、ピントがカリカリではない、良く言えばフワッとした、悪く言えば眠たい映像と4:3?の四角っぽい画角で、雰囲気を盛り上げている。で、諸星大二郎みたいな話。オチが、よく分からなかったけど、記憶を失っていなかった、ってことか?」

 

空白を満たしなさい(**)

「平野啓一郎の小説。面白い設定だし、平野がこの設定を思いついた時、きっと小躍りしたに違いない、コレは書ける!って。それにしても、なのだが、21世紀にもなった今日に至るまで、現代の文学の、全部とは言わないが、結構多くが不条理劇から逃れられないのは、しかたがないことなんだろうな、やっぱり、ウクライナやパレスチナや世界の貧困や3.11などの災害の状況を見れば。」

 

アネット(☆☆☆☆☆)

「レオス・カラックスの最新作、なので観た。これはきっと『今までに無い映画を作ろう、文学ではなく映像でなければ伝えられない表現をしよう』と言うようなコンセプトから始めた企画のような感じがする。ミュージカルという形を借りているけれど、ミュージカルを作りたかったわけではないのだ、ただ新しい映画が作りたかっただけ。冒頭から人を、いや観客を喰ったような言葉(息を止めて観ろ)だし、エンディングもしゃれていて、いや全編に渡って観客をドラマに没頭させるのではなく、どこかスクリーンの埒外へ追いやっては、再び引き摺り込むような不思議な鑑賞体験。今おまえはこの映画を観てるよな、おれ(カラックス)はスクリーンからお前を見てるぞ、とでも言うような感覚で、どこか映画を解体するような気分にもさせられる。ラース・フォン・トリアーも『ちっ、あいつめ、やりやがったな』と嫉妬するだろうし、カンヌでパルムを取ってもおかしく無い作品だが、最近のカンヌは、ちょっとおかしな感じもするけれど。」

 

マチネの終わりに(**)

「確か村上龍が、芥川賞ノミネート作品に対して言っていたことが妙に記憶に残っている。曰く『近頃の作品は、己の傷ついた内面だの苦しみだの何だのと自己憐憫の感傷的な作品ばっかりだ、しかし世界はそんなチンケな内面なんか吹っ飛んでしまうような大きな問題や苦悩がいくらでもあるだろが、なぜそういった大きな文学世界を構築しようと挑まないのだ!』と、まあざっと意訳すると、そんな感じだったと記憶している。で、じゃあ村上(龍)君の作品は世界の大きな問題を描いているのかい?と『半島を出でよ』だったか、を読んだのだが、結局B級映画みたいな話だったことを、本作を読んで思い出してしまった。」

 

帆花(***)

「いつもの館で。上映後に監督挨拶があり、少し撮影の裏話を聞かせてくれたが、それによれば、この作品は、編集に随分時間がかかっていることが分かったが、その長い時間はそのまま監督の葛藤を表しているのかもしれない。帆花ちゃんが、形だけかもしれないが、小学校入学式を迎えた時、撮影の区切りをつけたのだが、その後、母親の理沙さんから手紙が届いたという。その手紙には『もっと土足で踏み込んで欲しかった』という衝撃的な言葉。重い障害を帆花背負ったちゃんと、それを支える家族を撮影するわけだから、監督とすれば、腫れ物に触るように、どうしても遠慮してしまうのは致し方ないだろうし、それが普通の感覚だ。だが母親は、この撮影をきっかけに、何かをもっと吐き出したかったのかもしれない。映画監督は、やはり河瀬直美のようにエゴイストでなければならないのだろう。」

シチリアを征服したクマ王国の物語(***)

「いつもの館で。どっかで聞いたことのあるような話ではあるが、別にいいではないか、何より色彩が美しいのは、やはりポール・グリモーを生んだお国柄と言うべきか、しかしジブリも本当に何故こういった配色ができないんだろう。また、もう驚かなくなってしまった普通の表現方法としての3DCGなんだろう、輪郭線があまりない(目立たない?)動画。しかしシチリアの話なのにフランス語っていうのもなあ。」

 

ラ・ラ・ランド

「家族が録画していたものをテレビで観た、のだが、やっぱり映画って、スクリーンで観なければだめだとつくづく感じさせられたが、それ以上につまらない作品。これは元々、映画として企画されたのだろうか、むしろ舞台で、精一杯、セットを組んで、自動車も何台か舞台に置いて、狭い舞台で縦横無尽にダンスするような、舞台のミュージカルにした方が良かったのではないか、そのくらいの単純な話だから。」

 

ぼけますから、よろしくお願いします。おかえり お母さん(☆☆☆☆☆)

「いつもの館で。実の娘だから撮り得たとしても、下品な言い方にはなるが『この絵イタダキマス』とか『撮れ高最高!』というような下心(と言っていいのかどうか分からないが)と、肉親としての率直な気持ちとが、きっと、ない交ぜになったままに突き進んでいるのだろうけれど、この人(信友直子)だからこそ出来た作品。」

 

ロカルノの乞食女

「ハインリヒ・フォン・クライストという人の短編小説ドイツ文学。今、多和田葉子さんが新聞小説を連載中で嬉しくて仕方がないのだが、その作中に本作の名前が出てきたので、試しに調べてみたら本当に存在する小説だった。しかも『怪奇小説傑作集』の中に収められており、怪奇小説だったと言うことも後から知ったのだ。残念ながら翻訳は多和田さんでななかったが。で、多和田さんが取り上げていた冒頭の一節も、ちゃんと翻訳されていた。」

 

エル プラネタ(☆☆☆☆☆)

「主演女優でもあるアマリア・ウルマン監督作品で、プロデュースや衣装デザインまでやっており、今、公式サイトを見た所、母親役は本当の母親とのこと。結論から言えば、セドリック・クラピッシュとジム・ジャームッシュを足して2で割ったような感じ(褒め言葉)の、とてもキュートな作品。モノクロ映画だが、字幕が黄色にしてあるのは題字のイメージに合わせてあるのだろうけれど、こんな洒落たことを、日本の配給会社が思いつき、それを監督に提案したのか?それとも監督側の意向か、いずれにしても気が利いている。題名『El Planeta』は、作中に登場するレストランの店名でもあるが、惑星という意味が言わんとするところは、いちいち説明しなくても分かるだろ。さて、スペインのどこか海辺の地方都市ヒホン(変な地名に聞こえるが、今調べたら、ヒホン=Gijónは、スペイン北部のビスケー湾に面している)で、電気も止められるような土壇場暮らしの母娘の、じたばたが愛おしい。こんなに素敵な作品なのに1週間上映!」

 

朔風払葉(****)

「柳美里の短編小説で、『秋冬 掌篇歳時記』という単行本の中の一編。あの震災をモチーフにしているということもあるけれど、無駄なものだけをそぎ落として、この表現に本当に必要な言葉だけがフォルムを形作っているから美しく感じるのだと思う。普段は短編は好きではないのだが、この作品は、優れた彫刻を鑑賞するように、繰り返し何度でも読むことができる。そうか、この作品は詩に近いのかもしれない、だから短編なのに力強い。」

 

土脉潤起

「村田沙耶香の短編小説、『春夏 掌篇歳時記』という単行本の中の一編。敢えてさざ波を立たせようとしているのだと思う。普通(普通って何だ?ってことだと思うのだが)に現代社会で生きることに対するアンチテーゼであろう。もしかしたらこの短編に大いに共感できる人も中にはいるのだろう。ただし自分はダメだった。そもそも女3人が共同生活していて、家の中がゴチャゴチャゴミ屋敷にならず掃除も行き届いて、便器には大便のカスがこびりつきっぱなしなどということもなく、使用済み生理用品がゴミ入れに溢れることもなく、洗面台に茶色い水垢がたまり髪の毛だらけになることもなく、流しには洗っていない食器が溜まりゴキブリが這い回り小蝿がたかることもなく、キッチンには油汚れがこびりつきそこらじゅうベタベタで換気扇が油と埃で真っ黒なんてこともなく、玄関は脱ぎっぱなしの靴だのブーツだのつっかけだので足の踏場もないなんてこともなく、どの部屋も汗と香水が混じり合ったすえた匂いなどせず掃除が行き届いていて、全員が博愛主義に満ちており家事はいつでも出来る者が積極的にこなして助け合い喧嘩なんか起きない、、、、なんてことが、有り得るわけないではないか。姉は既存の価値観を捨てる道を選び、妹と友人ら3人は、それと戦う道を選んだ?」

 

国境の夜想曲(****)

「ジャンフランコ・ロージ監督作品。ロージ監督は、『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』という作品の、確かに予告編を劇場で観て、これは観たいと思いつつも観ることができなかった作品を撮った人物だった。で、これらの作品は、一応ドキュメンタリーと言うことらしい。つまり役者がシナリオに従って演じているわけではなく、現場の有様を、一応は、そのまま撮影していると言うこと。しかし、いわゆる日本のドキュメンタリーとも、アメリカなどのドキュメンタリーとも異なる考え方に基づいて撮られている。」


非の器(*)

「高橋和巳の小説。恥ずかしながら、平田オリザ氏の書評で初めて知った作家。なのだが、うーん全体の1/8くらいで読書中断。古い本だったので文字(活字)が読みにくいということもあるが、文章がとても硬く、加えて主人公が法律家であることから法律に関する記述も多く、それに輪をかけており、自分の読書能力で継続的に読み続けることができなかった。」

 

ブラックボックス

「砂川文次の小説。芥川賞などと言っても、まあ所詮、新人賞であり、しかも年に2回も発表されるわけで、出版社の販売促進の意味は大きいから、いずれにしてもそれなりのつもりで読む程度のことでいいわけなのだが、どうしても期待してしまうのは、自分が若い映画監督の作品を好んで観る気持ちに似ているのだろう。さて、本作ではコロナの時代を早くも描写しているけれど、そういうことって、文学表現の普遍性という観点からどうなんだろう?という思いもあるが、しかしまあ、たった今の世相を表現することが悪いことでもないだろうし、とも思うが、自分ならやらないよね、などと書けもしないのに考える。また、なんでこの題名なのだろう?と思うのだ、刑務所のこと?主人公の心の中のこと?ウーバーイーツが背中に背負っている箱のこと?どっちにしても良い題名ではないよね、とも思うのだ。冒頭のシークエンスでは、自転車(ロードバイク)に関する専門的な用語を連発して描写しているが、そういったやり方も、ちょっと鼻に付くよね。PS:チェーンが脱落するのはチェーンリングからであり、フロントディレーラーではないよね。チェーンはフロントディレーラーの羽の中を通っており、そこから脱落することはありえないから。そもそもディレーラーは、変速機と訳しているが、直訳すれば脱線機なのだから。砂川さん、ロードバイクに乗ってないでしょ。」

 

カナルタ 螺旋状の夢(**)

「いつもの館で、ただし煙草臭い女がいたため苦しかった。エクアドルの密林で暮らすインディオ?の一人に密着取材したドキュメンタリー。『素晴らしい世界旅行』をずっと見ていた自分にとっては、懐かしく感じる作品。トレーラーを観る限りは、映像が写真的で、とても魅力的に感じたのだが、実際は、そうでもなかったのが残念。葉っぱを集めてすり潰して握りしめて汁を集めるなど、まるで子供の遊びのままが暮らしになっている生活文化。」

 

グレタ ひとりぼっちの挑戦(***〜****)

「いつもの館で。実は、何年か前に彼女がマスメディアに登場した時、そうではないのか?と疑っていたのだが、この作品の冒頭で彼女自身が白状していた、アスペルガー症候群であることを。人類の歴史を形作ってきた科学者・芸術家・教祖・政治家などなどの、勿論全員ではないだろうけれど相当数の人物がそうだったのではないだろうか、ジャンヌ・ダルクもナザレのイエスもシッダールタも。アスペルガーが人類の歴史のターニングポイントにいつも居たのだ。何故なら彼らだけが、そういったワン・イシューの問題に徹底的に拘泥するからこそ決断できるから。カリスマ性とアスペルガー症候群は、深く関係していると思う。だって漫画の主人公を見るがいい、どんな困難にぶち当たっても、たった一人で、絶対に諦めずどんな手段を使ってでも、やり遂げようとする。グレタは言う、誰もがみんなアスペルガーなら、みんな決断できるからよかったのに、と、だがグレタよ、きっと、そうはいかない。何故なら、そうであっても極端に反対側に振れる人間も居るのだ、トランプのように、某国元〜のように。そしてグレタよ、君が挫折する時、君は一体どうなってしまうのか不安でしかたがないよ。せめて君の優しい(どうやらそこそこ裕福であるような)父が、いつも君のそばに寄り添っているように願うばかりだ。」

 

田舎教師(****)

「田山花袋の小説。恥ずかしながら初めて読んだ。身につまされる話。夢や希望に溢れた若い頃、友人との会話にも『ラブ』とか『アート』などという言葉が飛び出し意気揚々としている。文学に燃え、友人たちと同人誌まで作るのだ。だが、友人たちは恵まれた環境から進学していくのに自分だけが取り残され、やがて、ハイカラな言葉使いは消えていく。

 

香川1区(***)

「なぜ政治家なんてモノになりたがる人間がいるのだろうと昔から不思議だった。利権とか支配権力欲とか、そういった薄汚い欲望を満たす以外に政治家になる目的などないじゃないか、と思っていたのだ。今回、本作を観て少し、その理由が分かった気がする。もしかすると、この立憲民主候補がとりわけ、そうなのかもしれないが、いや、そうだからこそこの時の選挙で、彼だけが『風』を起こすことができたのであろうけれど、こういった、政治家になれるかなれないかの瀬戸際である選挙では、一種の高揚感に満ちた状態(ハイ)となっていて、その主人公である自分に酔ってもいるようで、精神が高揚する脳内物質がドバドバ出ているのだろう。『ショーほど素敵な商売はない』などと言うセリフがあったけれども、まさに『政治家ほど・選挙ほど素敵な商売はない』のだ。自民党候補は、やっぱり高圧的な態度だが、立憲民主の彼も、いささか自己中心的というか、己の考え方が絶対に正しいと考えすぎる嫌いがあり、例えば以前どこかで『号泣会見』した男と大差無い。ただし繰り返すが、それくらいの男だからこす『風』を起こすことができたのだ。それにしても健気なのは二人の娘である。普通なら、あそこまで協力しないよね、もしかすると彼女らも、いずれ立候補するかもしれない。PS:後から知ったことだけれど、この大島監督って、アノ人の息子らしい、うーん。ただ、確かによく取材してはいるけれど、ドキュメンタリーとしては、いかにも日本的な泥臭い作りで、まあこれはこれで良いのかもしれないが、アメリカのドキュメンタリーみたいに、もう少し凝った映像とか見せ方も工夫してほしいものだ。」

 

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊(*****)

「見のがしてはいけないウェス・アンダーソン作品。ウェス・アンダーソンの表現が、これでもか、と目まぐるしく繰り出される。情報量が非常に多く、決して見逃すもんか、という意気込みで観ていたとしても、同時に字幕を読まなければならない日本人にとっては、とてもじゃないが全部の映像表現を一度で観尽くすことは無理だろう。2回目・3回目を観た、という人も多く出るのではないだろうか。辞書によるとdispatch=「特派」というような意味だが、新聞の紙名としてそのまま使われるようだ。」

 

スザンヌ、16歳(*)

「同級生なんか子供っぽいじゃん、と感じてしまうパリっ子16歳の恋の話で、もう繰り返し作られてきた青春モノなのだが、作中に何度か創作ダンスみたいなものを取り入れてなんとかしようと試みてはいるが表現に至っていない、また映像がよくない=きれいでない。これは予算の問題もあるかもしれないが才能の問題だと思う。ヒロインはシャルロット・ゲンズブール似で受け口(ではないかもしれないが、それっぽい)アンニュイな口元で、ちょっと顎が出っ張っており、整った美人という方ではないが、もちろん身近に居れば魅力ある方ではある。自分は良い映画には鼻が効くはずなのだが、コレははずれた。ああ、音楽は良かった。ところで未だにゴロワーズて、で、今でもカフェで煙草が吸えるのか?」

犬は歌わない(***〜**)

「モスクワ?の野良犬に取材したドキュメンタリーで、ライカ犬など人間の宇宙開発の犠牲になった犬達のエピソードや映像と絡めて作る趣向。自分は良い映画には鼻が効くはずなのだが、そこまでではなかった。ああ、音楽は良かった。」

 

蒲団(****)

「田山花袋の小説で、昔、読んだことがあるような気もするが記憶がはっきりしない。さて、田山花袋の蒲団と言えば、国語のテストに必ず出題されるキーワードであるが、何故か積極的に読もう、とならない作品だった。それは、そのキーワードによってレッテルを貼られてしまったことが大きいと思う。しかし今回、何気なく本書を手に取って読んでみると、かなり面白かった。本作は、私小説的な側面があるようで、その点からも、また文体も、飾り立てた美しい文章ではないところがかえってドキュメンタリズムを生んでおり、現代的でさえある。ちょっと『クレールの膝』を思い出した。」

 

一兵卒(****)

「田山花袋の小説。これもまたドキュメンタリズム溢れる作品。」

 

ワーニャおじさん

「言うまでもなくチェーホフの戯曲で高校生の頃に読んだことがあるが『ドライブ・マイ・カー』を観たことで、もう一度読んでみようという気になったので読んだ。しかしなあ、うーん、なんとも不満を感じる読書となってしまった。何故ならこの屋敷の連中は、革命以前の貴族的な階級の、つまり土地を所有する側の人間で、小作農民から搾取する側の人間であるからで、そういった連中が、いくら困っただの人生が無駄になって結婚もできなかっただのと言っても全く共感できないからだ。別に自分は共産主義を信奉する者ではないが、彼らが搾取している小作農民には、もっと切実で苦しい生死に関わる問題があるのではないのか。実際、医者のアーストロフは、転轍手の手術のため麻酔をかけたが、その麻酔のために死なせているが、そのことを多少は気に病んでもいるようだが、まあ、その程度のことで、自分たちとは身分の違う、名前も知らない悪臭の中でうごめく奴らに過ぎないのだ。悪臭から切り離された屋敷で、優雅に=暇を持て余して暮らしているから、くだらない問題でイライラしていさかいを起こす。要するに暇なのだ。

この作品の登場人物は、誰もが自分の思う通りに事が運ばないと不満を抱えている。唯一マリーナだけが、そういった不満を持たず自分の暮らしを受け入れているが、彼女は飽くまでも使用人であり、『この世界の人間』ではないから不満など感じるはずがない、と埒外に置かれているにすぎないのだ。マリーナは使用人だが長く勤めた事で、この屋敷の連中と対等な感じで話をするが、それは飽くまでも使用人としての範疇である。マリーナ自身も、幸運な自分の境遇=使用人になれたこと=に満足し、この境遇を決して手放す事はないだろうし、悪臭の中で暮らしている大衆に比べて優越感を抱いてもいるだろう。

19世紀終わり頃のロシアの文学や演劇の世界では、こういった作品(文学や演劇)をたしなむのは、やはり支配的な階級の連中だったのだろうか。この作品は、そういった連中に向かって書かれているよね。例えば『怒りの葡萄』なら、農場など持たない小作農の物語だよね。」

 

GUNDA/グンダ(***)

「いつもの館で。象やライオンやキリンではなく、まあどこにでもいる、ただの家畜の、生きている様子を、あらためて見つめ直してみようじゃないか、というような感じで描写している。これはしかしドキュメンタリーと呼ぶには、ちょっと違和感を覚えるのは、人間が一切登場しないからで、やはり映画と呼ぶべきだろう。人間は登場しないと書いたが、そもそも人間に飼われた家畜であり、映像には現場の音がそのまま使われており環境音にロードノイズが入っているし、家畜が逃げないようにするための電気柵があり、子豚を出荷するためのトラクターも登場するから、飽くまでも人間に飼われた=生殺与奪権を人間に握られた=家畜の物語である。哀れな家畜どもは人間に食われるとも知らず、のほほんと生きている。とりわけ母豚のグンダは、子豚におっぱいをやり散歩に連れて行くなど家畜なりに本能的に子供を愛し世話をしているが、一つの生命としては、あまりに酷い運命ではなかろうか。ただ、ほんの少しの救いは、この農場が広々としており、家畜たちは、生かされている間は割に自由にしていることで、過密な環境で抗生物質漬けにされてブロイラーみたいな感じではないことだけは救いだ。モノクロ映像はとても美しいのだが、映画として観た場合、やはり人間が登場しないことが物足りない。しかしなあ、本当に、こんな家畜で映画になるのだね。」

 

堕落論・日本文化私感 他二十二篇

「坂口安吾のエッセイ集。新聞の書評で平田オリザ氏が書いていたので、恥ずかしながら初めて読んだ。ただ、あまり真面目には読めなかったのは、読みやすい文章であるにも関わらず、なんだか読むにくいことと、同じことを繰り返し書いてくるので、どこかオッサンの戯言にも聞こえてしまうからかもしれない。まあ尤も、これらの文章が書かれた時代背景を、よく認識する必要はある。オッサンの怒りが根底にあるのだろう。」

 

ジャズ・ロフト(***)

「いつもの館で。ユージン・スミスの借りたニューヨークのロフトにJAZZミュージシャンが集まってセッションみたいになっている様子を、ユージン・スミス自身が撮影したり録音したりした素材を元に構成されたドキュメンタリー。モノクロ写真だからモノクロ映像なのだが、言うまでもなく元の写真が魅力溢れるから映像としても素晴らしいのだが、その写真を1枚完成させるために250枚入りの印画紙の249枚がボツになっていたとは驚き。自分もRAW現像をするまでは、写真というものは、ネガ(またはポジ)に映ったそのままを印画紙に焼き付けられているものだと思っていたし、それが(後から姑息にもいじくりまわさない正直な)本当のやり方だと思っていた。しかしプロは、引き伸ばし機による焼き付け段階で、光を手で遮ったりしながら、明るくしたい部分や暗くしたい部分を意図的に最終的に調整しているのだよ。そういった行為を邪道のように以前なら感じていたかもしれないが、本作でも、その様子が映し出されており興味深かった。だってフォトショにも『覆い焼き』とかあるよね。それにしてもユージン・スミスという人も、どこか発達上の課題があるのかもしれないと感じさせられたのは、その録音の偏執狂的な有様から。だってロフトでの生活のあらゆる音を、当時まだ高級だった録音機材を駆使して徹底的に録音しているのだから。さて、いままでJAZZというものが、どこがいいのか全く分からなかったけれど、この作品を観て、少しわかった気がする。PS:いつもの館は出入り口に喫煙場所を設けてあるのだが、そういった連中がギリギリまで吸っていやがって開演ギリギリに入ってきやがるから、奴らの肺の中から出てくる臭い息=煙が館内に充満して本当に苦しいのだ。その不愉快さがあったので、作品に没頭できなかった、本当に苦しいから。」

 

ドライブ・マイ・カー(***)
「面白くは観た。劇中劇という設定自体が、一つの物語的な『面白さ』を有効に作り出せる手法ではあって、それを大いに活用している。チェーホフの芝居と嫁の語る物語と現実を絡ませながら、うまく表現していると思う。『偶然と想像』も、文学を映像で表現しようとする面白い試みではあったが、予算が違い過ぎるのだろうか、出来がずいぶん違うし、映像も天と地程の差があるが、カメラマンも違うのだろう。『偶然と想像』は短編オムニバスで、どこか消化不良の側面が否定できなかったが、本作は3時間かけてじっくり描写している点も好ましい。そもそも自分が本作を気にしていたのも、この長さによるところが大きい。村上某は嫌いだけれど、例えば『1Q〜』も文学としては受け入れられなくても映画としてなら十分に有りなのだから。特に北海道の災害跡地でのクライマックスは感動的である。しかしなあ、後からずっとこの作品を思い出してみるにつけ、やはり、どこか好きではない部分がクローズアップされてきた。自分は日頃から(人間を描写せんとする)映画には性描写が必要不可欠なものと考えてきた。だが本作では、むしろ『それは』無くてもいいんじゃないか?とさえ感じてしまうのだ。それを言ったら本作のストーリー上の重要なポイントが抜け落ちてしまうではないか、と言われてしまいそうだが、そもそも性行為の後に何故か妻が『面白い物語を語り出して』それをしかし翌朝には、なぜかスッカリ『忘れて』おり(つまり夢遊病状態で語ったと言うことか?)、一方それを(眠たいのに無理やり)聞かされていた夫が、翌朝、反対に妻に『語り直して』やり、それが面白い脚本となって妻の脚本家としてのキャリアに繋がった、などという設定自体が不愉快なのだ。こういった物語的なギミックが不愉快で、性行為のことや自慰行為のことを繰り返し言葉にすること自体が読者サービスに過ぎないではないかと思えてならないのだよね。だって妻の『喘ぎ声』も、鑑賞者サービス(でっせ)と言わんばかりのやりすぎだったではないか。他人のことは知らないけれど、あんな(いやらしいビデオ)のようなわざとらしい声なんか出さないだろう?。まあ物語の『面白さ』には色々あるだろうし、こういった面白さを歓迎する人もいるのだろうけれど、これはどちらかと言えば、スティーブン・キング的な面白さなのか?。それと嫌なのは、煙草吸いすぎなこと!これも作品上のポイントになってはいるけれど、本当に、もう止めてほしい。サンルーフから、あんな風にやるのを真似する奴が出てくるだろうが!火玉が歩行者の目に入ったらどうする気だ!ただでさえ広島は走行中の車から火の着いたままの煙草をポイ捨てする奴が多いのに!PS:自分は気にならないが、右側の奴らやネトウヨの奴らが本作を観たら、文句を言うのではないか?PSPS:この監督の目線と言うのだろうか、顰蹙(ひんしゅく)を買うようなこと(セリフとか)をわざとやって見せて、周囲(観客)の反応を伺っているような、嫌な感じがあるのは何故だろう。」

名もなき歌(*****)

「メリーナ・レオンという監督の、ペルー・スペイン、アメリカ映画。いつもの館で。これは実話を元にして作られているとのことだが、よくある『実話物』は史実にある程度忠実に作らなければならないという縛りがあって、どうしても、表現というより状況描写に偏りがちだと思うのだが本作は違う。まるで神話を観ているかのようなのだ。つまりこの監督は『実話物』として週刊誌的なセンセーショナルな話題で視聴者の好奇心を満足させることなどハナから目的ではなく、普遍的な人間の生(時には理不尽な出来事や暴力も起きること、それは神様ではなく天然の人間自身が生み出していること)を描写しようとしているから。そして映像も素晴らしい。モノクロということもあるだろう、フレームレートが4:3(いやそれより正方形に近い?)ということもあるだろう、しかも画面の周囲がくっきりしておらずボヤけた感じにしてあって、どこか窓から覗き込むような感覚に陥るということもあるだろうけれど、画面に対する意識やセンスがとても高いと思うのだ。よく、写真は引き算という言い方をするけれど、この映画のどのフレームを切り出しても写真として成立するくらい。悲劇のヒロインは、鼻筋が通って目も大きく二重で、まあ口元はガラモンみたいで太ってはいるが、中学や高校のクラスにいたとして異性に対して異常なまでに妄想を抱いている男子生徒から見れば、それなりに可愛らしい部類に入るタイプではある。しかしペルーの先住民族は日本人とも似通っており、平べったい顔で頬骨から下の骸骨が大きく、出っ歯のオノ・ヨーコ顏で、化粧で誤魔化すことも一切していないから、出産時など苦悶の表情をすると、人間の有りのままの姿形が浮き彫りのように露わになるのだ。それこそ監督の意図するところなんだろう。」


偶然と想像(*)

濱口竜介監督作品をいつもの館で。濱口竜介という人は、自分が大嫌いな村上某原作の『ドライブ・マイ・カー』も撮っている。先に言うなら、コッチは、坊主憎けりゃ〜の論理で、当然観ていない。いつもの館で全国でも早くに、しかもロングラン上映されたのだから観るチャンスは何度もあったのだが。しかしいつもの館にとっては、思ってもみなかった稼ぎが出来て、ウハウハとよかったことだろう。普段、いつもの館になど見向きもしない人々が大挙して連日やってきたのだから。これでいつもの館主も明るい正月を迎えられて良かったなあ。ついでに言うなら、その時期に、ある場所=ロケ地に、似つかわしくない女性が物思いにふけって座っていた。めんどくさいなあ、と思いながら、自分の写真撮影のじゃまにもなっていた、そのくらい小さなブームだったのだ。そうなってくると、ますます意地でも観るもんか、となって今日に至るわけだが、両作品の予告編は、いつもの館で繰り返し観ていたのだが、村上某原作ということは別にしても、どうしても食指が動かなかったのだ。予告編を観た自分が、これはぜひ足を運びたい、とは思えなかった。とは言うものの、今度はサロンシネマで上映されるようなので、まあ観てみるか、とは思っているのだが。

さて本作。濱口竜介という人は小説が好きなのだろう。そして、小説を読むような感覚で観る映画がつくれないだろうか、と考えているのではないだろうか。その証拠の一つが第2話の作品で、実際に朗読するシーンがある。また証拠の二つ目が棒読みみたいなセリフ回し。ただなあ、最初から感じたのは、なんだか映像が汚いことと、カメラワークが迷ったような動きをすることが気になって仕方がなかった。映像が汚いとは、写っている風景が汚いということ。本当に岩井俊二なら、日本の醜い風景も美しく撮るではないか、あるいはこれが、パリで撮影されたなら、また違って見えたかもしれないが。また、とても暗い映像が多かったことからも観ていてストレスを感じた。夜中に走るタクシーの中は暗くて当たり前で、敢えて、そうやっているのだろうけれど。で、話が進むに従って、表情が見えるように仕組んではいるのだろうけれど、それが表現として伝わらず、ストレスを与えてしまっているのではないか。また、その反対に、教授の研究室では逆光の中で人物に露出を合わせたためか、窓の外が白飛びしており、これも気になった。それと、セリフが棒読みのせいかもしれないが、いかにも固い感じなのは、これもわざとやっていることだろうけれど、表現となっているのだろうか。いや、棒読みと言っても、ちゃんと演出されたセリフ回しではあるのだ、こういったセリフ回しによって、読書的な雰囲気を出そうとしているのだろうけれど、まあ、こんな感じの演劇があってもおかしくはないのだろう、いやむしろ、映画ではなく演劇だったら許せたかもしれない。いや若しくは、こういった台詞回しをもっと徹底したらよかったのかも。しかしなあ、百歩譲っても、人が小説を読むときの脳内は、こんな感じではないと思うのだがなあ。いや別に、棒読みで突っ立っている登場人物が悪いわけではないだろう。演出過剰は自分も嫌いだ。脚本そのものも決して悪くはない。だがなあ、そうか分かった、もっとロングショットを使うべきではなかったのか。例えば第3話は、コレだけで90分くらいの作品にできたのではないだろうか、役者も日本人じゃなくして。短編小説ってのが、あまり好きではないんだよね。

濱口竜介 は、エリック・ロメールが好きなのかもね。第2話の教授には、言動から、発達上の課題があるように感じられたが、そのことも意識してやっているのだろうか、『緑の光線』のヒロインのように。と言っても、エリック・ロメールは、それ(発達上の課題)を分かって、この演出をしたのではないと思うが。そして芥川賞が欲しいのだろうね。」

 

11分間(**)

「パウロ・コエーリョという人の小説。最初、面白く読んでいたのだが、だんだん飽きてきてしまった。映画っぽい感じ。ただなあ、なぜ西洋人はSM的な方向へ行ってしまうのか?クリスチャンだから?」

 

こちら放送室よりトム少佐へ(*****)

「PFFアワード2020年入賞作。どっかで聞いたことのあるような、まあ大林風味の話ではある。でも、よく練られ無駄を削ぎ落とした脚本と、真面目な撮影に全く冗長さの無い編集と、主演の男子の素朴さと純な感情が心優しく響いてくる素敵な小品。園子温みたいになれるんじゃないか。」

 

追憶と槌

「PFFアワード2020年入賞作。」

LUGINSKY

「PFFアワード2020年入賞作。コラージュ映像が面白くはあるけれど、色が汚いのは意図的なのか気付いていないだけなのか。まあ面白くなかったわけではないのだが、彼女が求める刹那的快楽に、ドラッグや銃が入っていない平和な日本。しかし長いなあ。」

ミッドナイト・トラベラー(****)

「タリバンから死刑宣告を受けたアフガン人映画監督とその家族が、アフガニスタンから逃げ難民となって、なんとかEUにまでたどり着く数年を、スマホで録画したものを編集したドキュメンタリー。」

 

スウィート・シング(****)

「誰もが幸福の青い鳥を追い求めているということ。椎名林檎が歌っている通り、幸福は、案外、そばにあったのだ、と言い切ってしまうには、あまりにこの世界は不公平ではある。たとえ、仕事もせず(仕事が無く)飲んだくれの父であっても、心から愛してくれている分、まだマシなのだ。盗んだクリスマスツリーで子供が喜ぶものか、などと言うなかれ。貧乏人から、発展途上国から搾取している一握りの金持ちが存在する現実を前にして。」

 

ディナー・イン・アメリカ(☆☆☆☆☆)

「アダム・レーマイヤーという監督・脚本・編集作品。うーん、これは『バッファロー'66』へのオマージュでもあるのだな。だが、いかにデブだったとは言え美人だったクリスティーナ・リッチと違い、本作のヒロインは、お世辞にも美人とは言えない。この人は東洋系の血が入っているのだろうか、いや先住民の血か、ちょっと、いや物凄く良く言えば、渡辺満里奈っぽさも無くはないけど、顎が小さい丸顔のデコッパチで、目だけがギョロリとして、顎から喉にかけて顎部分が無いみたいに見えるように肉が繋がってしかも二重顎、じゃあスタイルバツグンかと言うと、これがまた、どちらかと言えば、だらしなく下半身に脂肪がついてブヨブヨしており、怒肩で顔だけ妙に小さく、また足だけは長いので全体にどうにもバランスが悪い感じ。20歳の役だが、30〜40歳の役でもじゅうぶんにできそうでもある。そんなヒロイン役に抜擢された彼女は、さすがにいじめられ役がぴったり。そういった容姿から、健康そうな白人が彼女をいじめ優越感に浸るのだ。とまれ、シド&ナンシーよろしく二人は強い絆で結ばれていくのは、さすがに出来すぎではあるがヒロインの才能があったから。」


MONOS 猿と呼ばれし者たち(****〜***)

アレハンドロ・ランデスという監督の作品。MONOSとは、スペイン語で猿のことらしい。『〜に刃物』とか『サルのカキ死に』などとも言うが、人間の愚かな、しかしまた同時に悲しくも神々しく見える美しい本能が、とりわけ戦争という極限状態の中で丸出しになった様子が描かれている。どうやら南米のどこかの国が舞台らしい。美しい高地と野生溢れるアマゾン。言葉もスペイン語かポルトガル語。十代から二十代前半の男女8人くらいの小さな部隊は白人女性を捕虜にしている様子で、そのことが主に命じられた仕事であるらしい。捕虜が『一応』元気な様子を定期的にビデオ撮影する他は、まさかこんな美しい天国で戦争など行われているとは信じられないくらいなのだ。若い隊員達は、だから恋も喧嘩もする、だが彼らのささやかなほんの一瞬の夢や快楽も、マシンガンの重い爆発音が蹂躙し現実に引き戻すのだ。敵はどうやら白人世界で強力な武器を持っており物量で凌駕しているらしいが。世界中の、いつでもどこでも起きる・起きてきた出来事。過去から学ぶことができない私たちはMONOSと呼ばれても致し方ないではないか、某国元首相のように。」

 

浮雲(***〜****)

「林芙美子の小説。新聞の書評で、平田オリザ氏が紹介していたので読んだ。一体、どの時代に生まれ育ち生きるのが最も幸福と言えるのだろうか。ただ、第二次世界大戦中戦後や戦国時代など戦争の時代に生きることが極めて不幸であることは間違い無いだろうし、誰が好き好んでそういった状況下に生きてていきたいと想うものか、某国前首相と〜会議の人間を除いて。」

 

稲妻(***〜****)

「林芙美子の小説。林作品には、幸福な人生?を歩む人々は出てこない。誰も皆貧しく、ただ食べて生き延びることに苦労し、娯楽もほとんどない暗く重たい世の中で、人は本能的に性的快楽を求めうごめいている。

 

泣き虫小僧(***〜****)

「林芙美子の小説。」

 

牡蠣(***)

「林芙美子の小説。再読。」

 

風琴と魚の町(*****)

「林芙美子の小説。これは再読。」

 

防寒帽(*)

「映像文化ライブラリーで、『フランス映画の現在vol.3』から。やはりヌーベル・ヴァーグに薫陶を受けた、というか、助監督などもやって、どちらかと言えば役者として成功した、ジャン=フランソワ・ステヴナンという人が、生涯で3本だけ撮った監督作品の、処女作で、この監督の故郷が舞台となっているとのこと。その場所は、ドイツやスイス国境に近い東の端っこの山岳地域の田舎。そんな田舎でくすぶる独身30男の焦燥みたいのことかな。」

 

セックス・アンド・ザ・フェスティバル(*)

「映像文化ライブラリーで、『フランス映画の現在vol.3』から。若い女性監督作品で、自らが出演もしており、ヌーベル・ヴァーグに影響を受けているのだろうか、普通の映画にはなりたくない気持ちが先に出ており、インディーズっぽい。女性が描く女性というのは、生々しくて好きではない。男は、どうしても女を、憧れとか、どこか神聖視するところがあるから、男が女を描くと、こうはならないのだ。女にとっては当たり前の、生理とか汚れた下着とか三段腹とか口元のヘルペスとか髭剃り後の青々しい感じとか脇毛の点々とか、そういうものは見たくないのだ。男は女の恥じらいに興奮する、というのは『まんだら屋の良太』のセリフだが、けだし正論である。嫌いな作品ではないけどね。」

 

思い出の船乗り(*)

「映像文化ライブラリーで、『フランス映画の現在vol.3』から。若い女性監督作品で、自らが出演もしており、ヌーベル・ヴァーグに影響を受けているのだろうか、普通の映画にはなりたくない気持ちが先に出ており、インディーズっぽい、または映画学校の卒業制作っぽい、女の子目線の作品。嫌いな作品ではないけどね。カンペールって、フランスの西の端っこか、ここは行ったことがない。」

 

シュザンヌの生き方

「エリック・ロメール特集『六つの教訓話』の中から、いつもの館で。どうやらこのシリーズには、意地の悪い登場人物が出てくるようだ。観客は、意地の悪い行為を見せつけられることで、心揺さぶられるし、そういう奴・女もいるよなあ、となるのだろう。人間模様のスケッチと言うわけだ。まあ、女は強いって感じだろうか。」

 

モンソーのパン屋の女の子

「エリック・ロメール特集『六つの教訓話』の中から、いつもの館で。どうやらこのシリーズには、意地の悪い登場人物が出てくるようだ。観客は、意地の悪い行為を見せつけられることで、心揺さぶられるし、そういう奴・女もいるよなあ、となるのだろう。人間模様のスケッチと言うわけだ。しかし、よく煙草を吸うよね、それとゴミを平気で道路にポイ捨てする場面を、あえて描写している。あと、モンソーのパン屋の女の子は、お金を触った手でクッキーを手づかみするが、いいのか?。ま、食堂では、硬いパンをテーブルに直に置かれるけどね。」

 

ベレニス

「エリック・ロメール特集『初期長編作品』から、いつもの館で。」

 

百年の孤独

「恥ずかしながら初めて読んだ、いや、2/5まで読んで中断。面白くなかったわけではない。いや、こんな話だとは思っておらず、もっと難解な言葉が続くものだとばかり思っていたくらいだから。しかも20世紀の作品であるから文体も現代的で読みやすい(もっと古い、例えば『ドン・キ・ホーテ』みたいなものかと思っていたから)。それなら何故、読むことを中断したのか?一つは、本書が古い本であったことからかもしれないが、文字が小さく、しかも2段組であることから、戦意喪失させられたこと。もう一つは、登場人物が多く、似たような名前も多いのだが、登場人物と人間関係図を、読み進めながら作るべきだったと、後から後悔したこと。もっと新しい版で、2〜3冊になってもよいから、もう少し大きな文字と現代的な(もちろん明朝)活字で印刷されて、登場人物表のついた本はないものか。PS:翻訳は悪くはなかった。」

 

獅子座(***)

「エリック・ロメール特集『初期長編作品』から、いつもの館で。面白かったけれど、本当にこの終わり方でいいのか?」

 

モンフォーコンの農婦(***)

「エリック・ロメール特集『初期の短編集』から、いつもの館で。主演の女性は、役者ではなく本当にここで働いている人ではないだろうか。だからドキュメンタリータッチが心地よい。しかし終わり方が突然すぎるのは、エリック・ロメールがやる気を失ってしまったからではないか?『ああ、こんなドキュメンタリーなんかツマンネエ!』って感じで。」

 

愛の昼下がり

「エリック・ロメール特集『六つの教訓話』の中から、いつもの館で。生真面目な男を誘惑する悪女という構図で、役者の雰囲気もよく合っているが、しかしこれを、どう観ればいいのだろうか、と言うのも、『モード家〜』を観せられた後なのだから、やはりカトリックというキーワード抜きには語れないのだろうから、誘惑する方の女は、さしずめ悪魔ということだろう。まさに、そんな風に演出されていた。ならば、悪魔の誘惑を、よくぞ退けましたね、という教訓を読み取れ、と言うことなのか?そんな道徳貞操観念を。『クレールの膝』のローラ役が出ていた。」

 

ヴェロニクと怠惰な生徒

「エリック・ロメール特集『初期の短編集』から、いつもの館で。」

 

クレールの膝(***)

「エリック・ロメール特集『六つの教訓話』の中から、いつもの館で。昔、観たことがある。エリック・ロメールは、モノクロよりカラーの方がいいと思う、それは何故だろう。チャップリンなんかは、モノクロの方が圧倒的にいいよね。

30歳半ばだったかな、で婚約したオッサンは金持ちらしく、バカンスついでかどうか知らないが、湖畔の別荘を売るためにやってきたらしい。このオッサンは、ノッペリした長髪と髭面で、まるでホームレスか某新興宗教の教祖みたいなツラだが、ここでの移動は小さいながらも所有しているモーターボートで、服装もバブルの頃の石田純一みたいで、金持ちらしい優雅さも併せ持つようだ。で、このオッサンが、隣人の娘10代の姉妹(父親が異なるらしい)にスケベな眼差しを送り、婚約中にも関わらず、できれば手篭めにしたいという気持ちがムクムクと湧き起こり、たまたま居合わせた作家の女(これも美人ではある)に焚きつけられて、小説のネタになるから、という言い訳を得て、行動に移すという寸法。ただ(結果的に)本命となる姉のクレールは、バカンスで他所に行っていておらず、最初は妹のローラに手を出す。ローラは14〜5歳だろうか。やせっぽちでひょろ長い体型に少しだけ目立ってきた胸が、まるで小ぶりなマフィンのように目立って、第二次性徴は始まってはいたが、一見してまだ子供っぽい。一方、遅れて登場した17〜8歳くらい?のクレールは、すでに彼氏もおり、それなりに体験済みの様子。クレールも、決して豊満ではなくスレンダーなのだが、皮下脂肪が女性的なラインを形作っており、オッサンの好みにドンピシャなのだろう。オッサンのネチネチいやらしい視線が魅力だが、これは言うまでもなく、エリック・ロメールの視線でもある。」

 

ある現代の女子学生

「エリック・ロメール特集『初期の短編集』から、いつもの館で。これが、どういう意図で作られたのか。」

 

モード家の一夜

「エリック・ロメール特集『六つの教訓話』の中から、いつもの館で。表現とは説明との戦いであることが、とりわけ、映画では、しばしば強調されて感じさせられるわけだが、結局、エリック・ロメールが表現したいことが表現できておらず、表現力が足りないから、こんな、ダラダラとした、結局、セリフ(で、説明)だらけの、作品になるのではないのか。まあ、字幕を読んで観ているという時点で、そもそも、おとといおいで、と言うことかも知れないが、その割には、中途半端に主役の職業について説明しているが分かりにくいし(リュミエール兄弟の、『工場の出口』みたい)、一方で、誘惑してくる女が医者だったなんて、後から解説を読んでやっと分かった。まてよ、主人公は二日もフロに入っていないなんて不潔なフランス人。」

 

紹介、またはシャルロットとステーキ

「エリック・ロメール特集『初期の短編集』から、いつもの館で。エリック・ロメールのほんの初期の短編(にもかかわらずダラダラ長い感じがする)で、習作と言ってもいい程度のものだが、ゴダールが主演。ただ、この頃から、一人の男が二人の女の間で揺れ動く様に、関心があったんだろうね。しかし、いきなり肉を焼いて食う女、で、その後すぐにキスするフランス人。清潔感がなくていい。ヤカン使えよフランス人。」

 

ハイゼ家 百年(*)

「いつもの館で。218分もあるので、館主の計らいで、途中に休憩が入る。」

 

貝に続く場所にて

「石沢麻依の小説。なんだか硬い文章であること、分かりにくい比喩表現が多いこと、街の様子を正確にイメージしなければならないこと、この文章表現は本当に正しいのか?と感じさせられること、なんだか無理から難しい言い回しを使っているのではないかと感じること、などから読むのが疲れて読む気が失せてしまい、1/3くらいで中断してしまったのは、自分の読書力が足りないせいだろう。ただ、早くもコロナ禍と、関東東北大震災と津波と原発事故を組み合わせて描写するという設定からか、それとも作者の性格からか、それとも表現上のアレからか、文体として、静謐な感じ、を出そうとして、それで硬く感じさせているのだろうけれど、もちろん、あの時、筆舌に尽くしがたい出来事が起こり、その記憶がいつまでも重たく日本人なかでも東北の人々にのしかかっているのは当然のことなんだろうけれど、それにしてもいささか感傷的に過ぎる嫌いはあるよなあ、と感じてしまったのは自分のせいだろうか。例えばミナマタのように、加害者がはっきりしていて攻撃する標的が明確なケースと違い、(原発は別として)自然災害の場合は、怒りのやり場がなく、ただ受忍するしかないということが、より一層、つらいのだろうけれど。」

 

おまじない(*)

「西加奈子の短編小説集。再読。短編過ぎて。作家にとって短編というのは、どういった位置づけなのだろう。」

 

サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)(*)

「ウッドストック・フェスティバルが開催された同じ1969年に、ニューヨークで黒人ミュージシャンが集まって、大規模な黒人音楽フェスティバルが開催され、しかも撮影されていたのに、今日まで発表されなかった映像とのこと。」

 

彼岸花が咲く島(****)

「李琴峰の小説。地球のどこに住んでいようとも、グローバリズムと無関係ではいられない21世紀である。哀れな人類は、自らの知恵が生み出した文明によって、かえって生きにくい世界を作り上げてしまったのだ、愚かにも。生物としての幸福が、どこにあるのかも分からないで、霊長類などと名乗っているのだ。僻地の島を平気な顔して蹂躙しながら、殊更に自分の生まれ育った(たまたま、その場所に発生したに過ぎないのに)場所を、他所よりも『美しい』などと強調すること自体が恥ずべきことであることにさえ気づかないのだ、あの連中は。

 尤も本作に不満が無いわけではない。女性が政治を行えば争い(戦争)をしない、という神話は、安易に過ぎる。だから作品全体が、少し漫画っぽさを帯びてしまうのだ。だって女性政治家や女性ジャーナリスにも、威丈高な国粋主義者がいるよね、あの人とかあの人とか....。」

 

いこぼれのむし

「小山田浩子の小説。もう、速読みたいな感じで読んで、ではなく、眺めてしまった。そうなのだ、こういった『不愉快な感じ』もポイントで、大江の作品でも、大江がイーヨーのことでプールで不愉快な(と感じた)人物とのいきさつを書いているが、大江の場合、かぎりなく自分自身になぞらえて描くことによって真実味が増し説得力が生まれ、共感と言うか、身につまされるように心に刺さってくるのではないか。」

 

ディスカス忌

「小山田浩子の短編小説。以下同文なわけだが、不妊に悩む女性と夫のことを、もっと素直に描写すればいいのに、と思うが、それを言ったらおしまいなのであって、小山田は小山田なりの表現を模索しているのだろう。」

 

工場

「小山田浩子の小説で、表題作がタイトルの単行本。1ページ目を読み始めてすぐ、ああ、これは苦手なタイプの、つまり不条理とかシュールとか超現実とか、つまりカフカとかカミュとか安部公房とか、きっと大江健三郎も川上弘美も(実は大嫌いな村上春樹も)その系列に属すると思っていいのだろうけれど、大江の場合は息子イーヨーの存在が、概念に肉付けしたことによって存在感や説得力が生まれたのだろうから読み応えがあると思うのだが、この作品は、なんだか先に手が動いて書けてしまったような空虚さ。もう、この文章そのものが(飽くまでも、自分にとっては)全く読む必要のない言葉の羅列にすぎないと感じつつ、少しスッ飛ばしながら最後まで読んでしまった。3人の主要な登場人物を、読者に最初からはっきりと区別させないことや、(同姓の登場人物で、アレおかしいな、女だったよな、アレ、男だったっけ、と前のページを見直させたり)大きく異なる時間さえ混ぜこぜにする手法も不愉快。まあ結局、表現とは説明との戦いなのだから、別にコレはコレでいいのだし、嫌なら嫌で読まなきゃいいだけなのだけれど、しかしそれならそれで、やるならやるで、何かもっと新しいなら新しい表現を作り出すなら作り出す覚悟で、やるならやってほしいな、今更シュールレアリスムなんて、20世紀の遺物じゃないか。もう大昔の諸星大二郎作品に似たようなのがあった気がする。今、芥川賞受賞作『穴』に対する感想文を見直してみたら、同じようなことを書いていた。」

 

推し、燃ゆ(*)

「宇佐見りんの小説。何故か読む前から、主人公は30歳代前半の行き遅れかかって焦っている女性が、その代償としてアイドルタレントに熱中している話だと勝手に思い込んでいた。だから主人公が女子高生だと分かった時ちょっと残念な気持ちがしたが、奥付の上の方に書いてある簡単な作者プロフィールを見ると、なんと1999年生まれということだから非常に若く、金原ひとみ等ほどではないにしても、若くして芥川賞を受賞したということだから、と言っていいのかどうか分からないが、この作者にとっては、30歳代の行き遅れより女子高生の方が自分にとってリアリティがあり描きやすいのだろう。ただ、その年齢に比して文体は結構しっかりしているように感じた。ただし『都度』という言葉を、『その都度、〜する都度』と書かずに、いきなり『都度』と省略するところなどは、やはり現代の人を感じさせられた。それはともかく本作は、アイドルタレントがSNSを通じて炎上するという極めて現代的な現象と、勉強のできない女子高生が、そこから逃避するためにアイドルタレントに熱中する行為とが描かれているが、どうも、それぞれ別々に感じてしまった、またこの女子高生に、ちっとも共感できなかった。まあ、それを言ったら、柳美里の受賞作も、柱を何本も建てていながら回収していない、と評され、実際そうなので、芥川賞は新人賞であるということからしても、そういった不完全な部分はあっても構わないのだろうし、今後も注目したい作家であることは間違いないと思う。」

 

MINAMATA ―ミナマター

「この手の歴史物は、どうしても、史実に基づいて作らなければならない事が表現上の足枷になる。いっそドキュメンタリーでやって、今は亡き石牟礼さんも登場させてほしかったが、それじゃあ興行収入が望めないし、ジョニー・デップが出演することで、この事実を知らない人に伝えるという役割は大いにあるだろう。ラストのクライマックスの撮影風景は素晴らしかった。しかしエンドロールで、世界中の薬害や公害病などをいくつも紹介していたが、ベトナム戦争での枯れ葉剤による影響は、出なかったな。」

 

青春の遺書(**)

「真継伸彦が、NHKが企画した、番組(本書と同名の)に出演し、喋ったことを本にまとめたものらしい。真継氏が語りすぎるため、読む気がが失せてしまうが。」

 

17歳の瞳に映る世界(***)

「いつもの館で。もしかすると、そうなのかな?と感じつつ観ていたが、やはり女性監督だった。望まぬ妊娠をしてしまった女子高生が、親に内緒で中絶するため、慣れないニューヨークに行きお金もなくなって困って右往左往するという、まあ聞いたことあるような話ではあるが、BGMもセリフも控えめにして、不安な主人公の心理と、男の知らない中絶の苦しみを始めとした問題を、描き出している。」

 

愛について語るときにイケダの語ること(☆☆☆☆☆)

「いつもの館で。ここには壮絶な人間の真実が描かれている、いや、描かれてしまったのだ、イケダ氏によって。イケダ氏は、いわゆ『小人』の人である。作品を見る限りでは、小学生低学年くらいの身長しかない。それにも関わらず、顔や上半身や性器は大人と同じであるから、いかにも滑稽に見える。一人暮らしの自宅アパートのドアの鍵を開けるために、腕を精一杯伸ばさなければ届かないほどだ。そんな40歳のイケダ氏が、自らを取材させたドキュメンタリー、つまり監督はイケダ氏自身。イケダ氏は役所務めである(あった?)らしく、その安定した(おそらく平均以上の)収入を、それなりに自分の好きなように消費しているように、少なくとも本作を見る限りは見受けられる。障害に合わせて改造した自動車(軽?)を所有しているし、自分の体に合わせて仕立てた服(コートとか)ももっている。そんなイケダ氏だから(金に糸目をつけず?)プロの女性との性的交渉も頻繁にある。そんな、イケダ氏のありのままの姿を、彼が末期のガンであることが発覚した以降、どうやら友人であるらしい人物(本作のプロデューサー兼撮影をしている)真野氏の協力を得て、具体的に映画化が始まったのだ。イケダ氏は、性器のことや性行為のことを、あからさまに話す。それはまるでゲスいエロ親父の姿そのものではある。身体の障害がある上に末期のガンという二重の重たいハンデを背負った彼は、しかし少なくともカメラの前では、平然としてゲスいのだ。プロの女性に子供のように抱きかかえられるイケダ氏の裸体は醜いが、自らの性器や滑稽な性行為を全て平然と映すのだ。我々観客は、40歳の今のゲスいイケダ氏しか観ることができない。しかし想像してみるがいい、彼が幼児・小・中・高・大と成長し、我彼の差を否応無く意識させられ思春期を迎えた時の彼の苦しみを。その時、いかに運命を呪い神を呪ったかを。だがカメラの前のイケダ氏は、平然としている。平然と、プロの女性との行為に励む。イケダ氏は、撮影も終わり=自分が間も無く死ぬだろう時=に近づいた時、監督として宣言するのだ。この、自らのゲスい部分が活写された本作は、自身の死後、真野氏に委ねられるが、個人の生前の名誉を慮って改変することをさせず、ゲスいまま公開することを。

 さて、イケダ氏は、なぜここまで執拗に自らの、特に性的行為を撮影したのか?もちろん、それは自分の生きた証を残そうとする行為ではあるが、それならゲスい姿ではなくとも良かったのではないか?イケダ氏は、性行為において『中出し』の『良さ』を力説する。イケダ氏は、異性に対する『好き』という感情は分かるが『愛してる』は分からないとも言う。イケダ氏は死の間際に立たされて、障害のある体であっても、自らの種=DNAを残そうとする本能に突き動かされたのではないのか?ただ、仕組まれたとはいえ、せっかくデートした可愛いいサトミちゃんの告白を受け入れなかったのは、イケダ氏の誠実な理性だった。」

 

Summer of 85(****)

「今度こそはと裏切られても裏切られても観続けて、いや、もう、そろそろ諦めようかと本気で考え始めていた今日この頃に、やっと、やっと、やっと、やっと帰ってきたフランソワ・オゾン監督作品。ああ、男の子なのに男が好きだと分かってしまった青春の夏を、どうすればいいと言うのだ。自分の体の中の遺伝子が、本当にほんの少しだけ違った動きをしたからと言って、その若者になんの罪があると言うのだろう。ヨットで沈したことがきっかけで出会った彼によって気づかされたのだ、自分の本当を。なんだかわからない焦燥を紛らわせるため、見えない壁を飛び越え向こう側に行こうとして、向こう見ずにバイクで疾走したとしても、一体誰がその行為を咎められるだろう。海とバイクと同性愛の青春、これこそフランソワ・オゾンだろ。ところで、なんで85年である必要があるのだろう?この年、フランソワ・オゾンも18歳くらいのようで、もしかして自伝的要素もあるのか?などと勘ぐってみたが、公式サイトによれば原作があるらしい。ただ、自分の青春を、オーバーラップさせていることは間違いないのでは?」

 

スーパーミキンコリニスタ(**)

「いつもの館で。題名と予告編から期待したのだが、そこまでギューっと心が締め付けられ感じさせられることはなかった。題名...と言うのも、この『スーパー〜』が、鈴木翁二作品に似たようなのがあったことから、余計に期待してしまったのが良くなかったかもしれない。届かない夢に向かってジタバタする様子、は、そもそも切ないのだが、うーん、」

 

孤独な声(*)

「アレクサンドル・ソクーロフ監督作品。DVDで。アレクサンドル・ソクーロフの、映画大学の卒業制作とのこと。難解、と言うよりも、表現ができていないと言うべきだろう。映像は魅力的だけど。PS:原作があるらしい。これを読んでいなければ理解不能だ。」

 

フランドル(**)

「ブリュノ・デュモン監督作品。DVDで。フランス北部も一応フランドル地方と呼ぶことができるようだから、そこらへんの田舎ということか?だったら、ベルギーでなら、その週での堕胎ができる、というセリフにも合致する。で、砂漠の戦場だが、アフガニスタンの紛争にフランスは参加していたのだろうか?しかし現地の男はあご髭を生やしていなかったとすれば、セルビアとかあちらへんか?などと、どうしても本筋とは関係ないところでひっかかってしまったのだが、それはしかたがないだろう。例によって動物的に描かれた人間(=汚れた格好で汚れた屋外で行われるあっと言う間の性行為などから)と、そんな人間が行っている戦争の虚しさ、と言うことなのだろうけれど、自分が期待するものではなかった。戦場のことなど全く知らないが、大体、今頃の戦争で、物量的に優位な先進国側が、あのような小さな部隊(と呼んでいいのかどうかも知らないが)だけで単独的に行動するものだろうか?しかも、どんな使命を帯びているのかも説明されず、ただフラフラと敵地に入ってしまっているのは迂闊と言うほかあるまい。もっと組織的に、空爆を中心とした戦争方法を用いるのではないのだろうか?ボタン一つで非戦闘員が殺される現実があるのではないのだろうか?短い作品なのに長く感じてしまったよ。」

 

あしがらさん(***)

「新聞の記事で知った。」

 

淀川アジール さどヤンの生活と意見(**)

「いつもの館で。淀川河川敷で暮らしているホームレスの老人に取材したドキュメンタリー。前向きなホームレス、と言うのだろうか、こういった暮らしを楽しんでいるように、本作を観る限りは、見えた。尤も、そう感じるのは、本作が、こういったアウトサイダーな生き方を、どちらかと言えば肯定的に描いているからでもあろう。ただ、観ていて、どうも主人公のホームレスに共感できなかったのは、この人が、ちっとも惨めに見えないからかもしれなくて、そのことを自分がやっかんでいるからかもしれない。税金も払わないで不法に居座りやがって、という感情である。しかしながら人間社会というものは、いつでも完璧にはなれないのだ。」

 

無明(****)

「真継伸彦の小説。『鮫』の続編として書かれたもの。前半が、やや説明的ではあるが、やはり面白い。」

 

死者への手紙(☆☆☆☆☆)

「真継伸彦という初めて聞く人の短編小説で、『新鋭作家叢書ー真継伸彦集』の中の一編。宮沢賢治の詩に、病床に付く妹へ送った、美しくも壮絶な作品があったが、それに負けず劣らない。」

 

石こそ語れ(☆☆☆☆☆)

「真継伸彦という初めて聞く人の短編小説で、『新鋭作家叢書ー真継伸彦集』の中の一編。」

 

鮫(☆☆☆☆☆)

「真継伸彦という初めて聞く人の小説で、『新鋭作家叢書ー真継伸彦集』の中の一編。『まつぎのぶひこ』と読むらしい。確か新藤兼人に、戦国時代の悲惨さを激しく描写した素晴らしい作品があるが、それに負けず劣らない。

そもそも自分の読みたい小説を探すことが本当に難しくて、なかなか『素晴らしい出会い』に恵まれないわけだが、図書館でボーッと書架を眺めながら、引き寄せられるように手に取ったのが本書。無人島に一冊だけ本を持っていくことが許されるなら〜という広告を新聞で、よく目にするが、そんなことを初めて感じさせられた本でもある。」

 

ライトハウス(**)

「予告編を観たところ、うーん、ちょっと興味はあるのだが、そこまで期待するほどでもないか、良い意味で期待を裏切ってくれればいいのだが、というふうに感じさせられたのだが、実際に観たところ、あまりに予想通りの、期待通りに期待を裏切ってくれたので、かえってアッケラカンというか青々とした気分になった。モノクロで4対3?もっと正方形に近い?画面だったり、影を印象的に使ったり、鳥だったり、塔だったり、オッサンの顔面のアップだったりと、ヒッチコックなんかの時代の表現的雰囲気を醸し出しているわけだが、これでもか!とやってるわりには人間が描写されていない。まてよ、近頃、鳥やライオンなど、立て続けにCGを見せられてきたが、このカモメもそうだろ!だったらちょっとガッカリで清々しくないぞ。ここまで徹底的にヒッチコックの時代のやり方に倣って欲しかった。」

 

1秒先の彼女(***)

「いつもの館で。台湾映画って、あまり観たことがないが面白かった、ちょっとアメリを思い出したけれど。邦題はおしゃれだが、特に意味はない。」

 

同姓同名小説

「松尾スズキの小説。途中で読むのをやめた。」

 

地球星人(**)

「村田沙耶香の小説。確かに一気に読んでしまうほどに面白くは、あったよ。ただ、読みながら、これは、まるで漫画のような面白さだと感じていた、例えば山本英夫のような。だから普遍的な人間の有様や苦悩が表現されていると言うよりは、刺激的な表現で読者を釘付けにして、単行本の売り上げを伸ばすことが目的だと、思わざるを得ないなあ。」

 

ウィステリアと三人の女たち

「川上未映子の短編集。どういうつもりで川上は、これらの作品を書いたのだろう、男っぽさが川上の身上だと思うのだが、こんな、どちらかと言えば女性をターゲットにしたような短編を。」

 

グリード ファストファッション帝国の真実(***)

「マイケル・ウインターボトム監督作品、なので観たら、やっぱり面白かった。ドキュメンタリー調の作りも、ウインターボトムならでは、と言っていいのか、対象に距離を置いた作りが心地よいのだ。思い起こせば、この作風は以前からのもので、必要以上に感情移入させず客観的に、人間を群として捉え全体的に表現して見せるのだ。主人公の伝記を書く仕事を受けている男や、ディスプレーデザインをしている男など、内向的でコミュニケーションがうまくできず不器用なのも良い。ギリシャ神話を下敷きにして、誕生日パーティーをギリシャ風にデザインする趣向も良い。こんなに面白いのに1週間限定上映。」

あ・うん

「恥ずかしながら向田邦子作品を初めて読んだが、これは戯曲とは呼べないだろうテレビドラマの台本。何故なら、テレビのカット割に合わせて細かく場面が指示してあり、そのうちのいくつかは、台本には必要でも、読み物には必要なものとは感じられなかったから。戯曲なら、小説とはまた少し違った側面から人間の描写を試みる。戯曲の流れで」

 

ベル・エポックでもう一度(**)

「面白いアイデアである。あれだけのセットを組んであれだけの役者を動員して小道具まで徹底しているわけだから、1日100万円でも高くはないだろう。それにしても、マリアンヌ役は確かに『8人の女たち』にも出ていたのを覚えているくらいの美人で素晴らしい役者だと思うが、70歳を超えてるのだが...........。」

 

竜とそばかすの姫(***〜****)

「ごく単純な話である。言ってみれば、冴えない女子高生のラブロマンスが下敷きで、仮想現実空間の中でだけ輝くことができた自分(冴えない女子高生)が、一つ脱皮=成長することができた話。分かりやすく楽しく作られているが、例えば色彩などは、ジブリとは異なって、絵の具の生々しさがなくて気持ちが良かった。まあ、50億とか言っておきながら、探している相手が『日本人かい!』とあっけないのは仕方がないことではあるけれど。」

 

知床に生きる

「立松和平の、小説ではなく新書。」

 

アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン(***)

「『マンディンゴ』を観た後にコレを観たのは偶然だが、黒人の多くが、ゴスペルによって慰められ(あるいはガス抜きされ)てきたのだろうことが、しみじみと感じられた。」

マンディンゴ(***)

「いつもの館で。19世紀半ばのアメリカ南部での、黒人(と男尊女卑)問題を描いている。1975年作。」

 

ビバリウム(*)

「最近では珍しいことではないけれど、最初から、映像はちょっとイイな、と言うか、なんだかレンズの加減かどうか、どこか変わってるな、と感じていた。(決して、色のことを言っているのではない)顔のクローズアップも、通常よりさらに寄っているような感じで、主演女優の顔面の毛穴まで見せつけている。だけどなあ、まあ、宇宙人的な連中の仕業だとしよう、だとしても、あまりに回りくどい方法ではなかろか、カッコーと比べても。だってカッコーは、巣も餌集めも、やらせるのだろう?もしカッコーが、わざわざ自分で巣を用意して、餌を毎日集めてくるなら、いっそのこと、自分で育てたほうが早いじゃないか。結局、こういった状況が描きたかっただけなのだから、托卵などという屁理屈を付け加えずに、もっと素直にバカに成り切った方が素直に楽しめたと思うのだ。あ、右ハンドル、あ、日本車。」

 

DAU.ナターシャ(***)

「イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ.....という....連名?の監督作品で、予告編で『ラース・フォン・トリアーを超えた!』などと言うから観なけりゃならんので観た、が、超えてはいなかった。前半は、特に初期の『ドグマの誓い』などと銘打って、手持ちカメラでBGMも使わないでやっていたラース・フォン・トリアー風ではあった。性行為描写も、愚かにもボカしてはあったが、もしかすると演技ではなく本当にヤッていたかもしれないし、二人の感情描写には鬼気迫るものがあった。後半は、ミヒャエル・ハネケ風味で、これはこれで共産主義の恐怖の現実?を痛々しく描写していた。

そもそもDAUってどういう意味だ?公式サイトからコピー=『タイトルの「DAU」とは1962年にノーベル物理学賞を受賞したロシアの物理学者のレフ・ランダウからとられている。彼はアインシュタインやシュレーディンガーと並び称されるほどの優秀な学者であると同時に、スターリンが最高指導者を務めた全体主義時代において、自由恋愛を信奉し、スターリニズムを批判した罪で逮捕された経歴も持つ。』....だとか。
主演のナターシャ役も助演のオーリャ役も素晴らしかったが、残念ながらナターシャ役にセックスアピールがないのだ。それなのに、あのフランス人は、なぜそこまでナターシャに入れ込んだのだろう、オーリャではなく。しかもフランス人ならもっとテクニシャンではないのか?あれじゃあ単調だろう!」

 

ビーチ・バム まじめに不真面目

「ハーモニー・コリン監督作品なので観た、のだが、これは実在の人物=詩人をモチーフにしたわけではないのか、うーん、一部の登場人物のセリフが、詩っぽいとも思ったが、主役の語る詩が、ちっとも良くないよね。」

 

ワン・モア・ライフ!

「うーん、イタリア映画らしいなあ、雑な作りが。そもそも漫画なんかでよくある設定だが、それを92分ときざんできたのがポイントであり面白さ、それなのに。確か、ブリュノ・デュモンの『ユマニテ』が、日本でも勿論、愚かにもボカされているわけだが、ボカされても、そのシーンが残っているだけ、まだマシで、イタリアでは、そういったシーンが、まるごとカットされたという。あんなに自由に生きているように見えるイタリア人だが、カトリックの総本山を有する国だからだろうか、映画の性描写には厳しいようだ。だからしかたがないこととは言えなあ。」

 

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

「藤原新也の、普通エッセイと言えば、そんなに気負わずに、書く方も書くし読む方も読むものだと思うが、この人は全力で書くエッセイ。」

 

東京漂流

「藤原新也の、普通エッセイと言えば、そんなに気負わずに、書く方も書くし読む方も読むものだと思うが、この人は全力で書くエッセイ。」

 

わたしの叔父さん(***)

「フラレ・ピーターゼンという監督のデンマーク映画。予告編を観ると、アキ・カウリスマキっぽい感じがしたので観た。確かにそうではあって、登場人物は口数が極端に少ないのだが、なんだかカウリスマキと言うよりも、是枝裕和っぽい?いや、カウリスマキが尊敬した?オズっぽい?のか?この作品にユーモアは、あまりない。(デートに叔父さんが混じっている場面は楽しいが)主人公の若い女性の希望のない境遇が、ひたすら描かれていく。こんな終わり方の作品があっても構わないだろうけれど、こういった終わらせ方をするからには、それなりのメッセージとか言いたいことが表現されてもいいのに、とも思うよ、例えば『ケス』のように、だが、そういった何かは感じられなかったなあ。こんな人生もある、と承服しがたい現実を見せられた、と言うことなのか?牛の出産やそれに関する症状などが描写(と言っても会話の中でだが)され、下半身が思うように動かない叔父さんのノソノソする様子や、主人公女性に想いを寄せるイケメン男子の前でケツをまくって見せる行為など、人間と家畜を並行して描写することで、そういったイメージを表現しようとしているのだとは思うが、『ユマニテ』の時のように強く感じさせられなかったのは、表現が弱いからではないだろうか?例えば叔父さんにパンツを履かせる時は、性器を描写すべきだし、主人公女性の着替えのシーンでも、少なくとも胸を出し(それが牛の乳と大いに対比させられるだろう)、ケツをまくって見せるシーンでも、もう一歩踏み出すべきではなかったのか?獣医学的見地から、人間の肢体を見せつけるべきだった。」

 

黄泉の犬(*****)

「藤原新也の、こういうのはなんて言うのだろうか、図書館の分類は「914」なのでエッセイにカテゴライズされるのかもしれないが、実体験に基づく藤原正直な声がストレートにドカンと来るから、本当に久しぶりに一気に読んでしまった。まあ読みやすいからではあるけれど。」

 

おまじない(*〜**)

「西加奈子の短編集だが、『おまじない』は文庫本の題名であり、収録作品に表題作はない。しかしやはり短編っていうのは、どうしても物足りないね。」

 

飼う人(*〜**)

「柳美里の短編集だが、『飼う人』は文庫本の題名であり、収録作品に表題作はない。一番、気になったのは『イエアメガエル』で、母子家庭の息子の高校生の語り口によって描かれているが、日常のシーンを丁寧にしつこいくらいに描写しながら、ラストの持っていきかたにびっくりさせられた。」

 

JUNK HEAD(****)

「ほとんどの仕事を、たった一人でやってしまった、ということで言えばニック・パークのようなものだが、突然、彗星にように現れた日本人=掘貴英の101分の長編パペット・アニメーション。今、公式サイトで監督について読んだら、そんなには若くない人で、この作品は最初、2009年に30分の短編として発表されたようだ。そこから数えても10年以上が経っており、その間、ずっとこれを作り続けてきたわけだ。とにかくみんな、金を払って劇場で観よう。そうすれば、未だ未完成の本作の続きを観ることができるよ、きっとまた10年後に。」

 

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹(*)

「『ヴァージン・スーサイズ』の原作。この作家は、恐らくJ・D・サリンジャーの影響を強く受けているのではないだろうか。それにしても翻訳ということもあるのだろうけれど読みにくかった。それに、いくらなんでもそこまで抑圧された家庭環境とまでは思えなかった=描写されていなかったように感じるし、屋根の上でなんて無理だよねえ。ま、映画化したくなる気持ちは分かるが。」

 

フィールズ・グッド・マン(***)

「こんなカエルのことなんて、全く知らなかった。また恥ずかしながら知らない用語があったりして、なかなか難しい側面もあったが、面白かったことは間違いない。オルト・ライトなんて言葉、今、調べてみたが、Alternative Rightということは、代替右翼とか新右翼ということか、つまりインターネットという新しい、と言っても、もう登場してから随分になるが、マス?メディアによって、今まで黙殺されてきた、あるいは、軽蔑されてきた、表立ってどうこうするのは憚られた考えが、露わになってしまった、ということか。それにしても感じさせられるのは、人間の弱さとか愚かさ。」

天国にちがいない(***)

「少しナンニ・モレッティ調か?いずれにしても好きなタイプの作品だし、最初のうちは、とても楽しみながら観ていた、のだが、戦車が登場して、ん?軍を動かすほどの力がある巨匠だっけか、あるいはモックアップで実物大の戦車を作ったのか?まさかCGじゃあるまい、と思っていたところ、今度は鳥だ、うーん、うまくしつけたのかなあ、ここまでリアルにCGではできないどう?と思ってもみたが、繰り返しパソコンに割り込む鳥を見るに至っては、これは絶対にCGだと確信。そうなってくると、飛行機の翼の揺れや、空軍機や航空ショーや人っ子一人いないパリの街や、そこらへん全部を疑いはじめてしまった。いやCGが悪いわけではない。きっとこの監督は、絵コンテ通りに撮りたいのだろう、そのためにはCGも厭わない。しかしなあ、パリからニューヨークへの変化は唐突すぎる。結局、」

 

アリ地獄天国(**)

「いつもの舘で。題名だけで観ようと思ったものだから、きっとインディーズ系ガチャガチャ映画だろうと、それを期待して観はじめたのだが、まさかのドキュメンタリー。この手の、解雇された(本作では解雇されてはいなかったが)人物の似たようなドキュメンタリーを観たことがあったが、その場合と比べても、本作の主人公は、とても普通の人物だ。それにしても、アリさんマークの引っ越し屋さんが、こんなだとは知らなかった。」

 

NOMADORANNDO(****)

「クロエ・ジャオ監督とは中国人らしい、が、作品からはそういった国籍は一切感じられなかった。順番に描かれるエピソードは、いささか注文通りで単調ではある。しかし目をつけたアメリカの状況は、アマゾンでバイトしていたりと今日的であり強い説得力を持つが、どうやら原作があるみたい。しかし主演女優も、老いた体をものともせずヌードを晒してまで描く価値ある作品だと判断したからだろうし、実際そうだ。老いて険しくなった表情は、まるでオッサンみたいな風貌となっているのは、監督の演出かもしれないし。」

 

ルクス・エテルナ 永遠の光(***)

「決して見逃してはいけないギャスパー・ノエ作品を、いつもの館で。相変わらず短いが、これくらいで丁度いい。古いのか新しいのかわからんが、面白かったことは面白かったが、やや、テーマパークのアトラクション的ではあるかなあ。」

 

アウステルリッツ(***)

「セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選のうちの一つで、2016年ドイツ映画だから随分新しい。ナチスの大量虐殺が行われた収容所で、今や観光施設となって、ほんとうに多くの観光客が列をなして、しかも夏だからだろうか、90%くらいの人がTシャツ姿で、暑い中を広大な敷地をうろうろさせられて、うんざりしている様子を淡々と長回しで撮影している。特に最初の出入り口のシークエンスは、本作の作風も分からない状況での長回しなので、余計に長さを感じさせられた。ところが、どっこい、こちとら変な映画ばかり観てるんだから、これくらいでは驚かないよ。カメラは望遠レンズを使い、比較的離れた場所から撮影しているのだろう、だから小津作品のように?垂直がちゃんと垂直で歪みが少ない端正な映像で、尚且つ白黒。カメラが遠いことから、観光客は、その存在をあまり意識せず自然な振る舞いができる。凄惨な出来事が起こった場所であるにもかかわらず、観光客はダラダラして、こともあろうに死体を焼いた焼却炉の前で記念撮影する始末。しかし個人的には、そういった振る舞いに怒りを覚えるよりも、こうやって、誰でもが自由に制限されずにダラダラとこの場所を見物できる現実が、一応、表現されているような感じがした。しかし、この平和や自由は、こういったダラダラした平凡な人間は簡単に右にも左にも流される大衆であることも示唆しているような気がする。」

 

白笑(**)

「深沢七郎の短編小説。『楢山節考』もそうだが、甲信越の山奥の寒村では、食べ物も貧しいが男女の出会い(結婚)なども選択の余地がなく不自由だったりしたのだなあ。」

楢山節考(**)

「深沢七郎の短編小説。恥ずかしながら初めて読んだ?か、昔、読んだことがあるような気もするが。題名から察すると、例えば多和田葉子の論文調の読むのに骨の折れる作品みたいに、なにやら難しげなイメージだが本当に読みやすく本当に短い。」

欲望の旅(*)

「ブリュノ・デュモン監督作品。ひょんなことからDVDが手に入ったので観た。ブリュノ・デュモンには、最初から注目していたが、作品が上映されてもレイトで1週間とか、そんな感じになってしまうのも、本作の場合は仕方ないだろうなあ、人間の獣としての本能、ということなのかなあ。最初から、チクチクとヤな感じが表現されていた。しかしラストの行為には共感できないのだが、これは実際の事件か何かをモチーフにしているのだろうか?ミヒャエル・ハネケの初期の作品(湖のほとりの小屋での事件)を思い出す感じ。」

 

群衆(**)

「セルゲイ・ロズニツァ、ドキュメンタリー3選ということらしい、いつもの館で。最後まで観ていて、これはプロパガンダ映画なのか?と感じていたら、最後にスターリンの所業について説明があったから、そいうわけではない。それにしても、まるで映画のようではある。」

 

イディオッツ(☆☆☆☆☆)
「ずいぶん前に、いつもの館で観た作品で、やはりトップクラスの一つだが、ひょんなことからDVDが手に入ったので観た。やはり何度観てもいいなあ。」

 

時計仕掛けのオレンジ(*****)

「これまでずっと、自分にとって最高の映画の一つのはずだった。しかし実は学生時代(確か1年生の時)に一度しか観ていなかったのだ。一度の体験で極めて大きな衝撃を受け、その後自分のイメージの中でだけ繰り返し再生し、どんどん神聖化してしまっていたのだろう。で、昨日、ひょんなことからDVDが手に入ったので観た。初めて本作を観てから何十年が経ち、今や本作以外にも多くの優れた作品があることを知っている。たとえば『どぶ』もその一つだし、ラース・フォン・トリアーなんて奴もいる。また、本作の美術・建築・衣装にも大きく影響されたのだが、例えば建築にしても、もっと凄いものがあることを今や知っている。また演技も、マルコム・マクダウェルはやはり素晴らしいが、暴力シーンなどは、もっと痛くできるだろうに、などと感じてしまった。さらに言うなら、編集というか構成というか全体の流れというのか、それが案外、単純で簡単であることも、あっけない感じがした。尤も、本作は、早回しなど、敢えて、カチャカチャした表現をしているけれど。そういった、時間経過による一種の『古びた感じ』が本作に否応無く覆いかぶさっているように残念ながら感じるのだ。一方『どぶ』には、『古びた感じ』が全く無い。」

 

山の焚き火(☆☆☆☆☆)
「ずいぶん前に、いつもの館で観た作品で、やはりトップクラスの一つだが、ひょんなことからDVDが手に入ったので観た。やはり何度観てもいいなあ。」

 

ナショナル7(☆☆☆☆☆)
「ずいぶん前に、いつもの館で観た作品で、やはりトップクラスの一つだが、ひょんなことからDVDが手に入ったので観た。やはり何度観てもいいなあ。」

 

ユマニテ(☆☆☆☆☆)
「ずいぶん前に、いつもの館で観た作品で、やはりトップクラスの一つだが、ひょんなことからDVDが手に入ったので観た。やはり何度観てもいいなあ。」

ルージュ(*)

「柳美里の小説。今まで読んだ柳作品の中で最も柳らしくない。それは決して悪いことではなく、作家としての力量を示すことでもあるだろう。柳らしくないからだろうか、とても読みやすかった。」

 

どぶ(☆☆☆☆☆)

「新藤兼人監督作品で何度も観ているが、また観た、そして確信した、20世紀とともに映画が始まって今日まで作られた古今東西ありとあらゆる映画の中で、やっぱり『どぶ』は絶対にトップクラス。主人公のツルは売春するために、まるで『志村けんのバカ殿様』みたいなメークと出で立ち。人間が本能を露わにする時神々しいのだ。ツルが残した『小説』は稚拙だったが、詩のように美しかった。」

 

家族の標本(*)

「柳美里の、一応エッセイ集ということになっている。だから図書館の分類も914である。しかし読み始めてすぐに、これはエッセイ...というよりも、ルナールの、こういった短文が確かあったよな、あれに似ていると思った。そもそもエッセイの定義が、よくは分かっていないのだが、短いからと言って、軽く読めて気晴らしになるような程度のものではなく、むしろ重たい気分にさせられる、それは良い意味で。」

 

家族シネマ(**)

「柳美里の小説。これまで何度か読んでいるが再読。読んだのは『芥川賞全集』なのだが、これには審査員の選評が載っており面白い。これを読むと、自分がかねがね感じ以下に書いてきた通りのことが、やはり書いてある。例えば池澤夏樹は、『何本も柱を立てて、どれも梁に届いていない』と言っているが、これは、1:突然の家族映画撮影のこと、2:仕事のこと、3:変な陶芸家とのこと、を指していると思う。全くその通りなのだが、どうやら最近、気付いたのは、柳作品は、個別に読むよりも、トータルで感じるべきなのではないか、と言うこと。いや、そんなんおかしいだろ、と言われればそれまでなのだが、それにしても、そういった読み方をさせられるのが柳作品なのだと思う。結局、柳の生い立ちや男性遍歴やもろもろを知った上で、本作に立ち戻った時に感じるものもあるのではないだろうか。」

 

JR上野駅公園口(**)

「柳美里の小説。珍しく、と言っていいのだろう、柳自身やその家族をモチーフとはしていない作品で、2014年作品だから柳作品の中でも最近の作品の一つ。本人のあとがきによれば、執筆のために上野のホームレスに取材を始めたのは2006年で、関東東北大震災と原発事故が起きる前のことだという。もし、震災と原発事故が起きていなかったら、本作の、特に終盤などは違った書き方がなされていたのだろう。それにしてもである、日本国籍ではない彼女が、これほどまでに日本を愛しているのだ、原発周辺地域に通ってまでして。」

すばらしき世界(*)

「西川美和監督作品、なので観た。まあ、どっかで聞いたことのある話ではある。注文通りでもある。だから悪いということではない。きちんと出来ていた。」

 

天使/L'ANGE(*)

「いつもの館で、パトリック・ボカノウスキー監督作品、とのこと。わけわからん系繰り返しの美学バージョンクエイ兄弟風味...か。」

 

もやし(*)

「柳美里の小説。薄い文庫本の、さらに半分しかない本当の短編で、『フルハウス』の片割れ、B面みたいなものか。浮気の側の女とされた側の嫁とした男らの修羅場を描いている。柳を研究している文学部の学生も多いことだろうけれど、自分もやりたくなった。」

 

フルハウス(**)

「柳美里の小説。薄い文庫本の、さらに半分しかない本当の短編で、実は大昔に読んだことがあるのだが、なんだか読みにくいなあという印象が先立って、柳から離れてしまったきっかけとなった作品でもある。で、あらためて読んでみたのだが、やっぱり読みにくい。ただ、こうやって柳作品を色々読んでみてから再読すると、なるほどいつもの柳スタイルであった。つまり主人公は限りなく自身に近い人物で、父や母や妹や、かつて柳が幼い頃、親元から離されていたことや、その後親戚と同居していたというような複雑な状況が本作で生かされている。それと、汗や汚物などの生々しい描写。あ、あと自転車も。きっと初期作品の場合、無理して『小説』にしようとする意識と自我とに葛藤の末、辿り着いた表現なんだろう。」

 

表現のエチカ(****)

「柳美里が『石に泳ぐ魚』裁判について書いた論文で、1995年12月号『新潮』に掲載されたもの。エチカとは、論証とでも言えばいいのだろうか、つまり『表現ということについての論証』という題だと思ってもいのだ。そして、まさにその通りの論文で、特に最初の部分が素晴らしい。しかし確かに、作品の登場人物のモデルとして書かれた側は辛く不愉快な気持ちにさせられたのかもしれないが、本論文を読むと、柳は最初から当該女性に『書くよ』と言っており、二人にはそれなりの交流関係があったわけでもあり、その、一定の信頼関係の上での執筆でもあったように読めるのだが、それにもかかわらず訴えられてしまったことは、いささか解せないけれども、ひょっとすると、訴えた本人よりも弁護士が積極的に動いたのだろうか。」

 

ブレスレス(*)

「コレジャア大喜利のお題だよ。『こんな医者はイヤだ...Mの心臓外科医』」

 

恋人〜十二のトイレ(十一)〜(***)

「下作品を読むための1994年9月号『新潮』だったわけだが、同書の中の作品。うーん『石に泳ぐ魚』に比べて読みやすいなあ。(十一)ということだから連載されているのかもしれなくて、ごく短編ってのもあるが、登場人物が主人公を含めて3人しかいないし、筋が明解だから、するすると読めてしまう。」

石に泳ぐ魚(*****)

「柳美里の小説で、下に書いた通り既に読んでいるのだが、これは1994年9月号『新潮』初出バージョンで、裁判の結果、書き直す前の状態のもので、やはり裁判で争われた当該部分があった方が作品として明解になると思うのだ、いや勿論、最初からそういう気持ちで読んでいるからかもしれないけれど、しかしこの、限りなく柳に近いであろう主人公が、在日韓国人であるという複雑な境遇を、周囲の様々な人々との泥沼のような関係の中で、特に純粋?な韓国人との文化的な違いに戸惑い不快感を味わわされたりして、しかし自分の境遇を変えられるわけもなく、家族からも恋人からも苛まれも泥沼の中でがき苦しまざるを得ない自分の状況が、里花の決して取ることのできない頰の腫瘍のごとく固まって動きようのない石の中でもがく自らの姿を浮かび上がらせ描くために、どうしても必要な部分だったのではないだろうか。ところでやはり柳の作品は読みにくいと感じる理由の一つが、登場人物の多さのせいではないだろうか。本作では、風元、辻、ゆきの、金、里花、母、父、弟(純晶)、妹(良香)、史子、北山、三木子、悦子、李、その上よく分からない柿の木の男まで出てくる始末で、その他にもまだ固有名詞が出てくる。これはおそらく柳が劇作家だったことも一因なのではないかと思う。演劇や映画の場合、今くらいの登場人物がいてもおかしくはないだろうけれど、少なくとも柿の木の男は不必要だったのではないだろうか、などと書くと、分かってない、と思われるかもしれないが。それにしても裁判の経緯をインターネット上から見ることができるけれど、柳の書き方は本当に私小説的な方法であることが分かる。もちろん書かれた側に対する思いやりは必要だが、本作は、柳だからこそ書けたのだということだけは間違いない。そして繰り返すが、ノーベル文学賞に近いよ柳は。」

 

雨と夢のあとに(***〜****)

「柳美里の小説。これは柳版『父と暮らせば』だ。健気な少女の妄想が産んだ脳内描写に涙さえ誘われるのに、裏表紙の簡単な解説には、幻想ホラー小説と書いてあるが、角川書店よ、これがホラーか?本人がそのつもりで書いたのか?」

 

ねこのおうち(*)

「柳美里の小説。小学生高学年から中学生(児童・生徒)向け、推薦図書風の文体で描いている。だから港先生(この名前すらも)は、『〜して進ぜよう』などという喋り方をするし『ブフォブフォ』と笑うのだ。だがその実態は、題名とは裏腹に暗く、例によって柳の少女時代が下敷きにもなっているので、ネバネバしている。本作は4つの章から成っているが、悪い...柳、最後の章はきちんと読んでない。」


声優夫婦の甘くない生活(**)

「イスラエル映画ということらしい。冷戦終結・ソ連崩壊によって、ソ連にいたユダヤ人がイスラエルに入国できるようになったらしい。60歳を過ぎてから、やっと約束の地にたどり着いた夫婦の話なので、ソ連風のメランコリックな調子で描写されていた。夫婦役の二人(特に奥さん役の女優)は、アキ・カウリスマキの常連に似ていた。」

 

黒(**)

「柳美里の小説。これは東由多加に向けたチンコン...元へ、鎮魂歌だ。本作は3つの章から成っているが、悪い...柳、最後の章はきちんと読んでない。しかしそれでいいのだ、だって今の日本で、読者のことを考えないで書ける作家が、一体、何人いるだろう。」

グッドバイ・ママ(*〜☆☆☆☆☆)
「柳美里の小説。下に書いた単行本『山手線内回り』の中に収録されていた「JR高田馬場駅戸山口」を大幅に加筆修正して改題したものが本作とのこと。実は「JR高田馬場駅戸山口」は途中で読む気が失せたため中断したのだが、何か気になってはいた。もしかすると、コレは、凄い作品なのではないか?いやマジで、ひょっとして柳は、もう、ヘンリー・ミラーみたいになってしまっているのでは?という気配を感じながら中断してしまっていたのだよ。そして今回、やっぱり実はスッ飛ばしながら読んだんだが、ニンニン、うぐぐぐぐ、やっぱりちょっと只者ではない気がするニンニン。ただでさえ小さな子供を育てるのは大変なことだろう。まして夫は単身赴任で長野に居り、祖父母が同居するわけでもないから、母はたった独り孤軍奮闘するしかない。一人息子である、大事に、そしてできれば優秀に育てたいのであるニンニン。孤独な母は、幼稚園の不条理な躾や、マンションのゴミ出し問題や、原発事故の放射能や、旧日本軍の人体実験までを敵に回して戦わなければならないのだ、ニンニン、誰の助けも借りられずに。加えるならば恐らく、主人公には若干の発達上の課題があるようにも見受けられるから、なおさら苦しい。やっぱり柳は、ノーベル文学賞に近いのでは?ニンニン。」

 

山手線内回り(**)

「柳美里の小説。少し前に、やっぱり女性器の名前を連呼する作品を読んだ気がするが『受難』だったかな、それに負けていない。もう、いっそ全ページそうしたら。」

燃ゆる女の肖像(***)

「とても丁寧に作られた作品。映像も、まあ例によって、フェルメールみたいだったりと凝っている。必要以上に感情的になるのではなく、とても抑揚を抑えた表現も好感が持てる。音楽も、これが妙に優れた民族音楽風のコーラスだが、どうだ、と言わんばかり巧妙な使い方も計算され過ぎているような、うーん、タイトルバック?からしてセンス抜群で、作品全体にデザインの意識が行き届いている、のだが、うーん、形はカッコイイのだがなあ、スタイリッシュ過ぎるのだろうか。」

 

8月の果て(☆☆☆☆☆)

「柳美里の小説。長く辛い日韓併合の果てに日本がアメリカに負けてやっと全面降伏したと思ったら今度は朝鮮戦争勃発とさらに身内の反共運動やら何やらで翻弄された柳の祖父の人生を中心として、女性にだらしなかった彼ゆえに3人もの妻をめとり、多くの子供達が生まれたその人達の人生もふくめた大河ドラマではある。ただし、だからと言って、これを反日的な文学と決めつけるのは早計だ。何故なら柳は自分を雑巾のようにボロボロにして絞り出すようにして書いており、自らと自らの系類をまるでサンドバッグのようにして自らの祖国の人々と自らが生まれた国の人々の夥しい血によって描いているからだ。あとがきに高橋源一郎が、本作を学生と読んだ時に、学生から、この作品が『美しいと感じた』という感想を述べたそうだ。まさに自分も美しさを感じたわけだが、その理由を考えてみた。1:本作の表現が詩のような文体であることから。柳の作家としてのキャリアが劇作家からスタートしたことも大きく影響しているのではないか。2:虚飾なく率直に描いているから。某国前首相や現首相が美しくないのは、虚飾にまみれているからではないか。3:生きること直にが生々しく描かれているため神々しく感じるから。考えてみてほしい、柳は自分が望んで在日になったわけではない。日本で生まれ日本語で考え、話し、書く人だ。柳もまた、ノーベル文学賞に近い日本人、いや韓国人である。その時、某国前首相や現首相はどんなコメントをするんだろうね。」

タイトル、拒絶(**)

山田佳奈という若い女性監督作品。いつもの舘で。この監督は、もしかすると大化けするかもしれない、それくらいエネルギーに溢れていた、なにしろ最初からトップギアに入りっぱなしで最初から最後までフルスイングなのだ。二つ、気になったこと、一つ目は、やはり性表現がしっかり描写されてもよかったのではないかということと、二つ目は、冒頭シーンの女子のブラジャーが、胸の大きさに合っていないのではないかということ。」

 

ホモ・サピエンスの涙(*****)

「ロイ・アンダーソン監督作品なので見逃すわけにはいかない。いつもの館で。さて、ロイ・アンダーソンはフィルムではなくデジタルで撮っているのだろうか?写真をRAW現像するようになって気づいたことは、彼の映像は、輝度をうんと抑えているということ。そのことで、絵画のような質感を実現しているように思う。もちろん役者の化粧からオープンセット?まで徹底的に色彩や質感を整えていることは間違いないだろうが、輝度とかハイライトの部分で操作しているような気がする。本作は、どちらかと言えば、本来のロイ・アンダーソンに帰ってきたという感じではある。しかしなあ、これだけの映像を作ることができるのに、脚本が良くないんだようね。だから74分しかない作品なのに、長く感じてしまう。」

 

ゴールドラッシュ(*)

「柳美里の小説。実は、半分くらいからは読み飛ばしてしまった。柳はまず劇作家として、そのキャリアをスタートさせたわけだが、そのことが良い方にも悪い方にも作用しているような気がする。悪い方と言うのは、つまり書きすぎると言うのかな、もっと読者に想像させて欲しい部分があるのに、まるで演劇の台本のト書きのように説明してしまうのだ。だから『エッセイ』という建前で書いた方が余計な力が抜けて素直に読めるのだ。」

 

まちあわせ(*****)

「柳美里の小説。これは比較的、最近の作品だろうか...今風の女子高生を主人公に描いているせいか、どこか金原ひとみ風。しかしそれでも、主人公の向こうには柳の姿が透けて見える。インターネット上の掲示板に書かれる言葉の、身勝手さ、無慈悲さ、思いやりの無さ、グロテスクさが、人類の終末を表すようで息苦しい。」

 

男(**)

「柳美里の小説、と言うより、こちらこそエッセイに近い感じがする。男の肉体の色々な部分をクローズアップして、柳の感想と、作中小説としてのポルノが描かれていく。そのポルノは、いかにも男性向けの扇情的な『男にとって』分かりやすい描写を意図的にやっている。それにしても、と思うのだが、本作でも、全てではないにしても柳の実体験に基づくのであろう出来事が次々と描かれていくのだが、柳がそんなに男性受けするタイプだとは思えないんだけどなあ。」

 

水辺のゆりかご(*****)

「柳美里の小説。作品のラストで本人が『エッセイ』と認めているが、小説と名乗ってもおかしくない。ただ、そういった位置付けでの連載だったことから、むしろ力みが取れて、柳の、もしかすると、と言えるほど多くの柳作品を読み込んではいないで、こんなことを言うのもおこがましいことだが、彼女の悪い癖が出ておらず、むしろ清々しく人間の有様が描かれている。」

 

ウォーク・イン・クローゼット(**)

「綿矢りさの小説。芥川賞を10代の女子がダブル受賞した時、綿谷の作品の方が自分には好ましく感じた。高校生の優しい心理が、フワフワと深刻ぶらず切り抜かれていて新鮮で、金原の作為的にショッキングな設定を見せつけるやり方より、ずっと良いと思ったものだ。しかしその後は、次々と繰り出され、年齢とともに推移していく金原作品の方が魅力を発揮していったのに対して、綿谷は、そのままの位置で止まってしまっているように見えるのだ。実際、下の作品なども、その通りで、本作もまたフワフワとしている。しかし、それが綿谷らしさなのかもしれない。この、とらえどころのない感じ。本作など、明らかに読者の対象年齢が限定されているよね、と言うことは、どちらかと言えば、読者を楽しませるタイプの、つまり大衆文学(この表現は、あまり好きではないが)側に立っていると思っていいのだろうか?綿谷さん。いや勿論、必ずどちらかの立ち位置を決めなさい、などということは、ないのだから別にこれでいいのかも。」

 

大地のゲーム(*)

「綿矢りさの小説。これもまた、3.11の震災から強烈なショックと動機を得て書かれた作品。なのだが、金原ひとみが、結婚出産子育てと自身の成長とともに作品も推移していったのに対して、綿谷は、芥川賞受賞時の10代のままで立ち止まっているような感じがする。物語も、どこか漫画的なのだが、もしかすると若い世代に向けて書いたということか。」

 

石に泳ぐ魚(***)

「柳美里の小説。以前読んだことがあったか?まず感じたことは、例えば金原ひとみや川上未映子などに比べても、うんとネバネバしたねちっこさ。性表現なども、先の二人は案外あっさりしており、どちらかと言えば男っぽいのに対して、柳の場合は、まるで臭いまで感じさせられるようで、とても女性的。あるいは、二つの国の間でがんじがらめにされて身動きがとれない出自の人の、」

友達やめた。(***〜**)

「いつもの館で何か観たい作品はやっていないかと上映作品の予告編で選んだのが本作だが、この監督作品は以前、1本、観たことがあった。自分は予告編で、割と、観る観ないを判断するのだが、今回も正しい選択だった。自身が聾唖である今村彩子監督の友人でアスペルガー(のグレーゾーン?)のMさんと自身の関わりを映画化している。聾唖の監督は、コミュニケーションの方法が手話(言葉も話せるけれど)であったりすることから、余計にもどかしく感じるのだろうか、それ故に、なんとか問題を解決しようと努力する、ように感じる。何故なら、自分だったら早々に諦めてしまうだろうことを諦めないのだ。」

 

異端の鳥(***)

「チェコ・スロヴァキアとウクライナの合作ということらしい。モノクロ映像が美しく3時間近い長編で、なかなかの力作ではあるし、大いに期待して観たのだが、最終的に、ドカンと腹に来るような満足感を与えてはくれなかった。言いたいことは分かるのだ、次から次へと様々な暴力が描かれる。しかしなあ、それぞれのシークエンスの連続が、あまり有機的に連関していないように感じさせられた。あんなにも次から次へと不運に見舞われながら、不幸中の幸いにも生きながらえることにも、いささか御都合主義を感じてしまった。ナチにつかまったのに逃がしてもらえたりとか。それと、ひょっとするとなんだが、雪が舞うシーンや鳥の群れのシーンは、CGじゃなかろうか、いや、それでダメってワケでもないが。」

 

破局(*)

「遠野遥の小説。ちょっと大江健三郎に似てる?イーヨーがプールで溺れそうになった話とか...ああいった、心にチクチク嫌な気分が積み重なっていくような感じ。この主人公は、少し発達上の課題があるように見受けられる。物事を一々、こんな風に反芻し確認し段取りながら生きており、その段取り通りに上手くいかなかった場合にパニックに陥る人なんて、いるのだろうか?大学生なんて、もっと能天気だと思うが、しかしこういった考え方や行動をする人もいるかもしれないね。ただ、多くの人に共感できる作品かと言うと、そうではないかなあ。同じ、発達上の課題を抱えているらしき登場人物とすれば『コンビニ人間』には共感できたのだが。」

 

目玉の話(***)

「バタイユの短編小説、恥ずかしながらバタイユを初めて読んだ。少し前に『リベルテ』という映画を観たが、きっとバタイユなんかも下敷きとなっているのだろう。」

 

オー・パン・クペ(*)

「1967年のフランス映画。ギィ・ジルという監督。時代からしてゴダールなどのヌーベルバーグの影響を受けている、と言うより、そのムーブメントを担った一人なんだろう。セリフに『ビートニク』という言葉が2度ほど出てきた通り、バロウズやケルアックにも影響を受けたであろう、散文詩のような脚本。そもそもゴダールが、フィルムを逆回ししたり同じフィルムを繰り返したりという方法自体が、バロウズの『カットアウト』のフィルムバージョンと言えるし、また美術の世界でも同時期に『ハプニング』と言われる、要するに、何でもありの時代の洗礼を受けてしまっているわけだから。ただ、その割にはマトモに出来ていた作品で、色彩やテクスチャーを意識した映像、傷つきやすく内面的・感傷的なイメージなどの繰り返しで、そう言えば、当時の日本のテレビドラマやCMなんかも、こんなイメージだったかもしれない。しかし、短い作品なのに観ながらも『まだ終わらないんか?』と感じてしまったことも白状しておこう。」

 

mid90s ミッドナインティーズ(****)

「ジョナ・ヒルという監督のアメリカ映画。男の子なら誰でも通る、少年から、少し大人になる時間。90年台だから?ってことだろうか、画面も4:3で、映像もフィルム調、いや本当にフィルムで撮ったのかもしれないけれど、そこまでする程、昔じゃないだろうに。それにしてもなあ、1990年代なんて、ついこのあいだ、だよなぁ。しかし40ドルの価値が、日本円では、そう大きく変化していないことが、日本の現状を物語ってはいるが、物価が安定していることが、それほど悪いことなんだろうか、例えば酒なんて昔の方が高かったよね、飲み会とか昔の方が高かったよね。もともと日本の物価がバカ高かったのではないのか。」

ラヴレター(*)

「岩井俊二の小説。やっぱり、映像が伴ってこそなんだろうね。岩井の頭の中にある、心の機微を表現するためのヴィジュアルが、文学としては表現しきれていないということか。」

 

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー(*)

「変な心配をしてしまう、制作側がよくゴーサインを出したなあと、つまりこの作品が、どの程度、どういった層に受け入れられるのか=千何百円出してまで観てもらえて、しかも喜んでもらえるのか、ということは当然のことながら十分に検討したんだろうから作品が出来、こうして日本でも興行されているわけだが、果たしてアメリカの人口の何割が、この登場人物達に共感できるのだろうか?、この一握りの裕福であるがゆえに教育を受けることができる人物達に。ひょっとすると、若者向け小説かなんかの原作があるのかもね。book smart=帳尻合わせ」

 

番犬は庭を守る(*)

「岩井俊二の小説。これもまた、3.11東日本大震災のショックが書かせた作品だろう。だから未来に夢が無い全く救いようの無い話で、時間が経ち世代が後になればなるほど状況は悪化していく。才能溢れ力強く生き抜いた祖先に比べ子孫はか弱い。ただ、力強さゆえ20世紀の人類=私たちが犯した罪を、子や孫やひ孫が償っているのだ、自民党の政治家よ!官僚よ!」

 

リベルテ(**)

「アルベルト・セラという監督の作品で、この人の作品は初めて観る。カンヌで『ある視点部門』も確かに納得ではある。ルイ16世の時代フランス革命前夜の話とのこと。この時代の気分を十分に理解していることが鑑賞の条件だろう。貴族達は、ちょうど観覧車のゴンドラのような籠一つで森に逃げ込んだのだ。財産は失われ、そのちっぽけなゴンドラだけが唯一の城のごとく、森の中のそこかしこにポツンと、それぞれの貴族に一個が置かれている。享楽の限りを尽くしてきた連中の最後の晩餐よろしく最後の性餐とでも言うのだろうか、やがて訪れるであろう恐怖から逃れるためでもあろうか?はたまた此の期に及んでもなお身に染み付いた享楽・退廃の味が忘れられないのか、貴族達はまるで獣(鹿)のように、おずおずと一定の距離を保ちながら、異常な性行為を、森のそこかしこで、おっ始めるのだ。夜は長い、様々な性行為が、ゆっくりと繰り広げられるわけだが、この、夜のシークエンスが延々続くのだよ。なんと言うか『パラサイト』みたいな作品がパルムを取ってしまうのも、ある意味ではうなづけると言うか、要するに、カンヌがこういったタイプの作品ばかりになってしまい、カンヌ疲れが出たからではないだろうか。さて、享楽・饗宴・快楽の限りを尽くし、行き着くところまで行き着いてしまった連中は、普通の性行為では、もう満足できないんだね。一つだけ偉かったのは、ボカさなかったこと。日頃◯◯◯◯にも表現性がある、と公言してはばからない自分だが、しかしそれでもなあ。残念ながら、この手の映像なら、映画はもう追いつけないのではないだろうか。それにしても相変わらずなのだ映像文化ライブラリーの高齢者のマナーの悪さは。上映中にトイレに行くのはしかたがないとしても、そのことが分かっているのならトイレに近い席に座れよ!本当にもう、ゆうゆうとスクリーンの前を横断するのは絶対にわざとやっているのだろう。」

 

赤い闇 スターリンの冷たい大地で(*)

「こういう系=実話物だとは思わなかった、まあ、雨の日で撮影も行けないから暇つぶしに、しかもタダで観たのだから文句は言えないが、やけに客が多いなとは思ったのだ。ウクライナの子供が歌うシーンがよかったけれど。」

 

父と暮らせば(☆☆☆☆☆)
「井上ひさしの戯曲。再読して気づいたのだが、この父が実在しているわけではないことは最後にバラすのではなく、比較的最初の段階から匂わせて、中盤にはハッキリとバラしていたのだった。むしろそのことで、観客は人間の有様を深く理解することができるわけで、井上は巧妙にしかけているのだ。本作は1994年に初演されたということだから比較的新しい作品だ。本作の構造=死んだはずの人物を実在しているように描きつつも途中からそのことをバラしていくやり方は、高野文子の『田辺のツル』にも似ている。もっとも『田辺のツル』の場合のツルさんは死んでいるわけではなく、痴呆症を患っているおばあさんを幼い子供の姿で描くというギミックを用いているのだが、本作との共通点は、そのこと(ギミック=実は死んでいる、実はおばあさんである)を途中でネタバラすことだ。最後まで黙っていて、実はこうでした、どうですか?感動的でしょ?というやりかたの方が、むしろ作品としては驚きはあるけれども深みが足りなくなる事を、二人の巨匠は本能的に分かっていたのだ。いやもしかすると井上は『田辺のツル』を読んで、ここからインスピレーションを得た可能性もあるんじゃないだろうか。井上の書棚に『絶対安全剃刀』があったりして。」

 

黙阿彌オペラ(*****〜☆☆☆☆☆)
「井上ひさしの戯曲。演劇というのは不思議なもので、非常な抽象性をもつことができる。もっともっと演劇を観るべきだった、映画ばかりではなく。」

紙屋町さくらホテル(*****〜☆☆☆☆☆)
「井上ひさしの戯曲。井上の全作品を読んだわけではないけれど、戦争というものに対するスタンスが明快で清々しい。某国首相は、、、、読むわけないか、漢字も読めないんじゃ。」

自転車屋さんの高橋くん(*****)

「リイド社がやっているWEBサイト『トーチ』で読む事ができる漫画。これも映画化権取得必至、早い者勝ちだ。」

 

太鼓たたいて笛ふいて(*****〜☆☆☆☆☆)
「井上ひさしの戯曲。恥ずかしながら、井上が、文豪をモデルにいくつかの戯曲を描いていることを知らなかった。本作は、その中でも晩年期の作品。林芙美子については、あの素晴らしい『放浪記』などいくつか読んだことがあるが、戦争礼賛期の作品を読んだことがなかったのだが、彼女らしいと言うのか、彼女の持っている大衆性が、そうさせたのだと思う。林文学とは文学の最も純粋な部分=本質を、余分な修飾をとりはらって、骨格や内臓を赤裸々に見せつけることなのだ。本作中でも語られているが、林の作品は時に『貧乏や、戦意高揚や、戦後』をネタに書いて儲けている、と批判されてきたようだが、林にそういった自覚など、あるはずがない。林は大いなる大衆性を持ちながら、その感情を文学にまで昇華することができてしまのだ。文学には、どんな場合でも内面性の吐露という側面があり、言わば自分の恥をさらけ出すことなのだ。文学者が誰でも哲人であるわけがない。川端康成を見るがいい、川端の女性観が嫌ほど見せつけられるではないか。金原ひとみを見るがいい、18歳からの自分の成長出産子育てとともに文学が生々しく変化していくではないか。壇一男を見るがいい、無邪気なまでの大衆性と文学の本質が絞り出した美しい吐露こそが芸術性なのだ。それを井上は、それに臆することなく、がっぷり四つに組んで戯曲に仕立て上げているんだよなあ。井上もまた凄いのだよ。」

 

ヨーコさんの”言葉”(*****)

「佐野洋子が繰り返し語っている言葉に挿絵をつけた、一種の絵本と呼んでいいのか。挿絵は佐野ではなく、北村裕花という人が描いているが、かなり魅力的な絵であり、むしろ佐野が描くよりも良い。佐野の率直な言葉に、がっぷりと四つに組んで決して負けていないのだ。昔から、佐野の絵を好きではなかったのだが、今回、佐野の文章をいくつか読んでみて、佐野は、絵よりも文章に強い魅力があると思った。」

 

あっちのヨーコ こっちの洋子

「佐野洋子の子供の頃や、兄の写真を見ることができて嬉しい。」

 

神も仏もありませぬ(**)

「佐野洋子の、これは、エッセイ。」

 

タゴール・ソングス(**)

「なぜか日本人監督が撮っている。どういういきさつで、この作品を撮ることになったのだろうか、そこらへんも明らかにした方が良かったのではないだろうか。そういう、コンセプトが明快でないと言うのか、主体性がないと言うのか、なぜこの作品を撮ったのか、撮らずにはおれなかったのか、が明らかにされていないから、頑張って取材していても、どこかとっ散らかった印象を与えてしまう。」

 

シズコさん(*****〜☆☆☆☆☆)

「佐野洋子の小説。そう、あの『100万回生きた猫』の佐野洋子。もちろん佐野は小説家ではないから文章の技巧という点では物足りないかもしれず、その点から、エッセイ風にも読める。しかし技巧を凝らした芥川賞作品がつまらない場合もあり、本作のように率直な言葉に心揺さぶられる場合もあるのだ。『みぎのしんぞう』が佐野の幼い頃の記憶を中心とした作品なら、本作は、既に老いた本人が、最も憎んだ母を施設に入れた状況を描く。一体、母と娘(特に長女)というのは、どういった関係性なんだろう、と言うことを、フロイトも書いていないようだと佐野が作中で繰り返し述べているが、とりわけ佐野の場合、母を憎んで育ったことを隠そうともせず率直に語るのだ。料理が上手で整理整頓上手で家事全般に得意だった母、父のことを尊敬しつつも憎しみ同時に愛した母、長男を溺愛し失った母、精神に障害のある兄弟姉妹のことを隠し通そうとした母、社交的で衣装持ちの母、早逝した父に代わって4人の子供全員を大学までやった母、ボケた母、を、一つずつ。」

 

みぎのしんぞう(☆☆☆☆☆〜*****)

「佐野洋子の小説。そう、あの『100万回生きた猫』の佐野洋子。実は佐野に取材したドキュメンタリー映画を観たことがある。映画の中の佐野は既に高齢で、だからだろうか、自分が取材されていることを忘れて、度々取材スタッフのことを聞いて納得するシーンが印象的だった。しかし高齢とは思えない佐野の言葉は率直で潔い。そんな佐野の幼い頃、戦後、北京から日本(内地〜静岡のどこか?、〜ズラという方言からすると、ドカベンの殿馬みたいな)に引き上げて暮らした数年の記録だが、『100万回生きた猫』と同様、幼い佐野の、曇りのない目で見た戦後の日本の田舎での人間の有様を、率直に描写しているのだ。透き通った目が、極大の暴力に感化された少年たちを見つめ、家父長制の因習に縛られた父の哀れさを見つめ、あらゆる物資不足の中で長男を溺愛し本能的に生きようとする母の姿を見つめ、しらみだらけの自分や、もっとしらみだらけの貧しい友達の髪を見つめたのだ。」

 

はちどり(☆☆☆☆☆)

「どう考えてもコッチがカンヌでパルムにふさわしい韓国映画だよ、アレよりも。どうやら女性監督らしい、しかも若い、だから外されたか?。カンヌでパルムも然りだが、世の中には個人の力ではどうにもならない理不尽な事が多々ある。ましてや儒教の考え方が染み付いた家父長制の国の韓国であるから、末娘の主人公には最も、そのしわ寄せがやってくるのだ。多感な中学生の頃である。好き勝手に振る舞いたい時期である。それにしても主人公は、なかなかの美少女。2時間を超える上映時間でゆっくりと描かれていくが、ちっとも退屈を感じない。ボケを効かせた映像は昨今の流行りかもしれないが本作には、よく合っていた。ただ、例えば冒頭のシーン(主人公が高層アパートの自分の部屋の、わざと真下の空き家のドアを繰り返しノックする)は、結局どういう意味だったのかは回収されないなど不満もあるが、じゅうぶんな魅力作。」

 

クラウドガール(****)

「金原ひとみの小説。読んだ事がないと思っていたのだが、読み始めてみると記憶にあるのが不思議だったが途中で思い出した。これは朝日新聞に連載された作品ではないか。当時、新聞の連載小説作家が金原ひとみだと知って小躍りしたものだ。再び読んでみて、やっぱり面白い。ただし、これからますます人口が減少し、超少子高齢社会となりGDPも下降の一途を辿る国において、この作品のような暮らしや生き方や考え方は、できなくなるかもしれない。二人の未成年者は、何の苦労もせず裕福な暮らしができているからこそ、それ以外に夢中になっていられる。しかし二人が、もしも 食べるものが何もない飢餓状況に放り込まれたとしたら、この作品は、どう描かれただろうか。」

 

ロコ!思うままに(**)

「大槻ケンヂの小説。面白かった。」

 

あすなろ物語

「井上靖の小説。読んだことがないと思って借りたのだが、読んだことあった。それでも最後まで読もうと頑張ったが、途中で挫折。」

 

この世にたやすい仕事はない(**)

「津村記久子の小説。面白く読みはしたんだけれどもね。映画化すればいいかも。」

 

不幽霊ブラジル(**)

「津村記久子の短編小説。表題作他6作品。うーん、短編すぎる。それと、津村作品は、登場人物の性別年齢が、わざとわかりにくくしてるんだとうね、やっぱり。そういう、ジェンダーを超えた云々みたいなことをわざとやっているのかもしれないが、読者とすれば好ましくない。」

 

窓の魚(*)

「西加奈子の小説。この作品の主題は何なんだろう。4人の男女の恋愛というより致し方なくくっついた男女の模様を、4者それぞれの目線から描くという面白い方法なのだが、方法が主題になってしまっているように感じる。まあ、その通りなのかもしれないが、もっと別の場面を描いてもよかったんじゃないだろうか。」

コロンバス

「いつもの館で。小津に傾倒しているらしい監督の作品らしい。建築の垂直水平に気を使った映像ではある。ちょっとした出来事や心の機微をとつとつと語ろうとはしている。アジアつながりを意識したんだろうね、韓国人が登場する。主演女優も可愛らしい美人だが、どことなくアジア人体型。母親と二人暮らしということもあって、自分の夢につき進むことに、どうしても踏み切ることができずにいる、地方都市で悶々としている若い女子の葛藤。エンドロールなんかも建築的だし、書体もね。だがなあ、煙草吸いすぎなんだよ主人公=かわいい女子のくせに(と言うことを言うといけないのだが)、で、しかも吸い殻を、君の大好きな建築の地面にポイ捨てして靴で踏んづけて消すなっての。それと映像が、これはフィルム撮影なのだろうか?近頃のデジカメのカリカリの画像に慣れてしまったため、なんだかピンボケした画像に見えてしまう。個人的にはね、どうでもいいドラマなんかいらないから、もっと丁寧に建築を見せて欲しかった。」

 

グレース・オブ・ゴッド 告発の時(*****)

「フランソワ・オゾン作品なので観た。近年、オゾンには裏切られっぱなしだったのだ。いつしかオバサン御用達監督になってしまって、かつてのオゾンが恋しくてたまらなかったのだ。だが、このオゾンは、オゾンらしさをどこかに残しつつも、センセーショナルさや若さや雰囲気に頼った個性ではなく、オゾンらしさが成長した姿を見せられたような気にさせてくれた。何がオゾンらしかったのだろうか、例えばキャスティングだ。オゾン好みの表情で溢れている。例えば映像だ。ボケを最大限に活かした映像なのだが、写真をRAW現像している人なら分かるかもしれないが、撮影設定をナチュラルとか忠実などにして撮影した現像前の最初の画像は、緻密だがとてもあっさりしていて物足りなく感じるくらいなのだが、慣れてくると、そのあっさりした画像の方が、コントラストを強調した画像より良く思えてくるような、そんな映像。そしていつもの、どこか冷笑的なイメージも残されていた。そもそもテーマ自体がそうなのだが、オゾン自身が初期には、青年の同性愛を『風』のようにさわやかな短編で描いてみせている。もちろん、同性愛は犯罪ではなく、本作のテーマとは本質的に異なるのだが。着眼点にオゾンらしさを感じるのだ。それにしても、本作や他のフランス映画を思い出してもても感じるのは、フランス人って、強いなあ、ということ。いや勿論、仮に舞台がアメリカであれば、アメリカ人らしい強さは表現されるだろう、だが、フランス人のそれとは異なるように思えるのだ。」

 

舞台

「西加奈子の小説。あまり集中して 読むことができなかった。」

i(*****)

「西加奈子の小説。一気に読んでしまった。人類は傷ついている。愚かな人類は、傷つけ合いながら生きているのだ。」

 

COLD WAR あの歌、2つの心(*****)

「観ていないと思っていたのだが観たら観ていたのを思い出した。最初に観た時は残念な印象が強く、余計な恋愛話などいいから、もっと民族音楽やダンスを堪能させて欲しいと感じたのは、多分に予告編を観た影響だと思う。予告編では、まあ当然のように歌の部分に注目させる作りになっているし、実際その民族音楽やダンスのシーンが本当に美しいのだからしかたがない。だが今回、そういった予備知識無しに観たのがよかったのだろう。恋愛の部分も素直に受け入れられ、東西冷戦に翻弄された愛、という側面からも楽しんで観ることができた。ただし、そのためには88分はあまりに短い。政治に翻弄された人間を、恋愛を縦軸に描くのなら、その機微をもっと丁寧に描写すべきで、時には心理状態などを、もっと長回しで責めたりすべきなのに、シークエンスの繋がりが先を急いでしまっている。説明も不足しており、だから観ていて『あれ?』となる時があるのだ。」

 

人形(*)

「1968年のポーランド映画。153分もある長編大作で、オープンセット?や衣装なども完成度高く作られている模様で、予算もしっかり掛けてあるのだろう。ポーランドでは有名な文学が原作のようだ。」

 

ドロステのはてで僕ら(***〜**)

「いつもの館で。ひょっとすると例のゾンビ映画の二匹目の土壌を狙ったのか、とまれ、何よりも、インデペンデントで製作している彼らの息吹がスクリーンから伝わってきて楽しい。役者はみんなお芝居系の人達だろうか、演技がクサイのもまた良し。」


どこへ出しても恥かしい人(***〜**)

「いつもの館で。友川カズキというミュージシャンに取材したドキュメンタリー。いかにも二枚目の整った上品な顔立ちでハゲてもおらず、ちょっと外国人風とさえ言ってもいいくらいなのに、酒・煙草(しかもわかば?)・競輪に溺れ、食事中はクチャクチャチッチッ言わせ、下には下がいる、が座右の銘の、フォークソングブームを築いた人物の一人。歌唱方法が、演歌、いや、浪曲風の独特の節回しが美しいが、ちょっと、宮川左近ショーを思い出させる。なまじ才能があったばかりにフォークソングの雄は、時代が変わってもそのままであり続けざるを得ず、老いた時その栄光とともに残酷な結末に、ただ呆然と立ち尽くすしかないのだ。ギャンブルに溺れ呑んだくれ斜に構え『どこに出しても恥ずかしい人』と自らを揶揄しても、ただし彼には音楽があるから誇りを失わないのであって、ちょっとずるい。」

 

仮面の告白(*****)

「三島由紀夫の小説。あまりにも有名な作品だが、恥ずかしながら初めて読んだ。三島についてはどうしても、右翼思想の持ち主で割腹自殺した人物ということから、街宣車と同じく危険なイメージがあり近寄りたくない気持ちが働き、ずっと遠ざけてきたのだが、しかし本作品には驚いた。

 

憂国(***)

「三島由紀夫の短編。三島作品は、高校生の頃に1〜2冊は文庫本を持っていたのだが読んだ記憶があいまいなのと、三島に関するドキュメンタリー映画をみたことから興味が湧き、今回、読んでみることにした。さて、この作品で憂国の士とは誰を指しているのだろうか。当然、決起しクーデターを起こした側で、主人公中尉の友人たちの方であろう。主人公は新婚であったため、クーデターのメンバーから外されたのだ。主人公も本当はクーデターに加わりたかったはずの憂国の士で、不運にもそれができず、意に沿わない反クーデター側の命令に従い、友人を攻撃しなければならない苦痛から逃れる為に最後の決断をした、と言うことなんだろう。だがなあ、短編とは言え、主人公の思想が伝わる描写は一切ないから、最初に書いたことは想像でしかない。しかし三島にとっては、そもそもクーデター側(=皇道派)が本来、正しかったのだ、という前提があるのかもしれない。だから主人公の思想を今更、説明する必要などないのかも。だがなあ、それでも、この最後の決断は、読んでいて心地よくはないし感動的でもない。短編を数本、読んだだけだが、三島作品には『美』に対する意識が強いように感じられた。この最後の決断も、一つの美学ではあろう。だが現実逃避でもある。人間には様々な苦しみや懊悩があるだろう。病気で苦しんでいる人は勇敢にも最後まで立ち向かっているのではないか。それに比べて主人公は、おのれの美学に酔いしれているだけではないなだろうか。後から掃除する人の迷惑でさえある。」

 

遠乗会

「三島由紀夫の短編。三島作品は、高校生の頃に1〜2冊は文庫本を持っていたのだが読んだ記憶があいまいなのと、三島に関するドキュメンタリー映画をみたことから興味が湧き、今回、読んでみることにした。」

 

詩を書く少年(***)

「三島由紀夫の短編。三島作品は、高校生の頃に1〜2冊は文庫本を持っていたのだが読んだ記憶があいまいなのと、三島に関するドキュメンタリー映画をみたことから興味が湧き、今回、読んでみることにした。」

 

海と夕焼け(*****)

「三島由紀夫の短編。三島作品は、高校生の頃に1〜2冊は文庫本を持っていたのだが読んだ記憶があいまいなのと、三島に関するドキュメンタリー映画をみたことから興味が湧き、今回、読んでみることにした。」

 

牡丹

「三島由紀夫の短編。三島作品は、高校生の頃に1〜2冊は文庫本を持っていたのだが読んだ記憶があいまいなのと、三島に関するドキュメンタリー映画をみたことから興味が湧き、今回、読んでみることにした。」

 

デッド・ドント・ダイ

「ジム・ジャームッシュ監督作品なので観た、のだが、もう、クエンティン・タランティーノもそうだが、彼らは自分の好きなことしかやらないのだ。」

 

うたのはじまり(***〜****)

「生まれつき難聴のため聾唖となった主人公は、それゆえに音楽が理解できず苦痛でしかなかった。だが結婚し子供が生まれる。息子との入浴中に初めて発した我が子の言葉『だいじょうぶ』が聞こえず、取材スタッフに知らされて、それと知った主人公が嬉しさのあまり音程のおかしな『大丈夫の歌』を歌い出す。あんなに嫌悪していた歌を無意識に子供のため口ずさんでいたのだ。やはり聾唖のパートナーも、産みの苦しみの後に我が子の顔を見て『アー』(濁点がついた)と叫ぶ。それらは音痴で滑稽かもしれない。しかし出産シーンも全てあからさまにさらけ出して発する喜びの声とも言えぬ『音』とともに人間が本能的に発する何かが神々しいのだ。主人公や、おそらくパートナーも写真を、また怪しげな隣人?は音楽を、と言うように、例えハンディーキャップがあろうとも、芸術が彼らの生きる支えになっている事実が見て取れる。芸術に没頭することで自らの誇りを取り戻すかのように。さて1歳半に成長した息子は、やはり両親がともに聾唖のせいだろうか、手話は覚えても、どこか口数が少ないように見受けられた。そのことを、取材するうち友人となった監督も心配したのだろう。だがそんなことは杞憂だ、この子はきっと力強く飛び立っていくだろう。」

 

気まぐれバス(***)

「大昔に買って読んでいた文庫本だが、ほとんど忘れていた。なんとなく当時は、ニキビに共感しながら読んでおり、ニキビの思いが成就しないで、なんであんなオッサンとー、スタインベックよー、などと思っていた気がする。さて再読してみて、まあ確かに『怒りのぶどう』や『エデンの東』のような大作と比べると短いし、読み始めて最初のうちは、性に関する表現の部分は無くても良いのではないか、と感じていた。極限状態に置かれた人間の有様を表現するだけでいいではないか、と。しかし『エデンの東』でも性に関する表現はあったわけで、人間を描写する以上、欠かせない部分であることは、言うまでもないことなのだし、スタインベックにとっても、表現したい関心事の一つだったのだろう。ところで原題は『THE WAYWARD BUS』で、辞書を引くと「WAYWARD」には確かに「気まぐれ」の意味もあるが、どちらかと言えば「強情な」と言った方が近い感じがする。『気まぐれバス』とやってしまうと、どこかユーモラスなイメージがついてしまうのではないだろうか。もちろん、ここで言う「気まぐれ」とは、登場人物達の心を指しているわけだが。」

帽子箱を持った少女

「1927年のソ連映画を1950〜60年代に手直しされてBGMも付けられたようだ。ドラマが下敷きにはなっているものの、本来、サイレントのスラップスティックコメディで、弁士と楽隊によるガチャガチャした中で、ワハハハハとゲラゲラ笑いながら観られていただろう作品で、初期のチャップリンにも通じる。ただしチャップリンの『キッド』が1921年なので、それに比べると、、、。それにしてもよく分からなかったのは、モスクワの住宅事情。」

2018年9月 5日 (水)

スピリッツ・オブ・ジ・エア(***〜**)

「オーストラリアのカルト映画ということらしいが、なるほど『クロウ/飛翔伝説』の監督らしいが、どちらかと言えば『鳥人間コンテスト』。」

 

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実(***〜**)

「なぜもっと分かりやすい言葉で話さないんだろうね、それは自分に酔っていて、やはりマスターベーションの側面が強いからだろう。」

 

しろいろの街の、その骨の体温の(***)

「村田沙耶香の小説。下に書いた『タダイマノトビラ』と同じパターンで、小学校から中学校へと成長する女子の、主に性に関する関心と嫌悪のないまぜになったグロテスクな(この言葉を感想文に使われることを村田はほくそ笑んでいるだろう)心理状態を、やや誇張しながら描いている。人間も動物である以上、性的な成長が必要不可欠であり自然なことであるはずだが、本能だけに忠実でいられない人間の脳みそが、村田の描く女子を苦しませる。『コンビニ人間』以外では本作が一番、素直に読めた。それは本作が他の似たようなパターンにありながらも、あまりエスカレートさせず、しかも、いじめたりいじめられたりの問題をサブテーマに描いているから共感しやすかったから。しかし村田の文章は、まるで素麺のようにスルスルと読みやすく喉に入っていく。それが、いいことなのかどうか分からないが『背高泡立草』とは対局にあることは事実。ただね、現代のほとんどの作家がそうだと思うが、パソコンで書いていると思うのだが、同じような描写が繰り返されることには、くどさを感じるが、それもわざとやっているのかもしれない。それにしても、なぜこんなにも同じパターンの作品を繰り返し書くのだろうか?ひとつ思ったのは、村田作品は映画化しやすそうだということ、そういう意味では、大衆文学的な側面をあわせ持つのだろうか、人間の描写というより、ややホラーじみてしまう。後書きを西加奈子が書いているけれど、巧妙に『グロテスク』という言葉を避けているし。」

 

ギンイロノウタ

「村田沙耶香の小説。下に書いた『タダイマノトビラ』と同じパターンで、小学校から中学校へと成長する女子の、主に性に関する関心と嫌悪のないまぜになったグロテスクな(この言葉を感想文に使われることを村田はほくそ笑んでいるだろう)心理状態を、やや誇張しながら描いている。人間も動物である以上、性的な成長が必要不可欠であり自然なことであるはずだが、本能だけに忠実でいられない人間の脳みそが、村田の描く女子を苦しませる。しかし村田の文章は、まるで素麺のようにスルスルと読みやすく喉に入っていく。それが、いいことなのかどうか分からないが『背高泡立草』とは対局にあることは事実。ただね、現代のほとんどの作家がそうだと思うが、パソコンで書いていると思うのだが、同じような描写が繰り返されることには、くどさを感じるが、それもわざとやっているのかもしれない。それにしても、なぜこんなにも同じパターンの作品を繰り返し書くのだろうか?ひとつ思ったのは、村田作品は映画化しやすそうだということ、そういう意味では、大衆文学的な側面をあわせ持つのだろうか、人間の描写というより、ややホラーじみてしまう。」


ひかりのあしおと

「村田沙耶香の小説。下に書いた『タダイマノトビラ』と同じパターンで、小学校から中学校へと成長する女子の、主に性に関する関心と嫌悪のないまぜになったグロテスクな(この言葉を感想文に使われることを村田はほくそ笑んでいるだろう)心理状態を、やや誇張しながら描いている。人間も動物である以上、性的な成長が必要不可欠であり自然なことであるはずだが、本能だけに忠実でいられない人間の脳みそが、村田の描く女子を苦しませる。しかし村田の文章は、まるで素麺のようにスルスルと読みやすく喉に入っていく。それが、いいことなのかどうか分からないが『背高泡立草』とは対局にあることは事実。ただね、現代のほとんどの作家がそうだと思うが、パソコンで書いていると思うのだが、同じような描写が繰り返されることには、くどさを感じるが、それもわざとやっているのかもしれない。それにしても、なぜこんなにも同じパターンの作品を繰り返し書くのだろうか?ひとつ思ったのは、村田作品は映画化しやすそうだということ、そういう意味では、大衆文学的な側面をあわせ持つのだろうか、人間の描写というより、ややホラーじみてしまう。」


虚空門GATE(***)

「いつもの館で。人は、何かにすがって生きるしかないのだ、例えそれがUFOでも、ダメ男でも。」

 

屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ(***)

「いつもの館で。凝った良い作品なんだが、ドイツ的生真面目さが邪魔をしている。どうやら実話のようだから、その事実に逸れないようにしなければ、という観念が足枷となったのだ。」

 

タダイマトビラ(**〜?)

「村田沙耶香の小説。例えば姫野カオルコとも切り口が違うよね、さすが『コンビニ人間』が面白かっただけに期待できるよね、などと楽しみながら一気に読んでしまった、のだが。果たして村田は、この主人公の心情や行為(家族愛?を求めるために自らを慰めるための不思議な子供っぽい行為)を、どの程度自覚して、つまり自身の事、身に覚えのある事として描いているのだろうか。いや勿論、小説家が書く事が全て体験に基づくはずがないだろう、と指摘されそうだが、私小説という方向性もある中で、やはり表現というのは、ある意味では自身の恥を晒す事に他ならないはずなのだから。小学生くらいまでなら、まだ分かるよ、カーテンをそういう分身と捉えて、また錯覚して、子供が本当につまり本能的に欲しがるものが与えられないならばカーテンを使って代償行為を行うのも、うなづけるのだ。だがね、このラストのクライマックスに至っては、ホラーじみてしまい、作者本人は、ここに書かれている事を具体的に説明できるのかと感じてしまうのだ。このクライマックスは、もう、文字だけで書かれた=いやそれは、文学だけに許された特権ではあるけれど=具体性の無い無意味な文字の羅列にすぎないのではないのか?と感じざるを得ないのだ。解説には、凄いものを読んでしまった、などと持ち上げてあるが、解説だから持ち上げないわけにはいかないだろうけれど、どうしても、このエンディングが納得いかない。実は、そもそものテーマが、どこか釈然としないこともある。人間に限らず、多くの動物には母性愛が、あるのではないだろうか。母性愛と言って悪ければ本能と言っても良い。多くの動物は、子育てのため自らを犠牲にしているのではないだろうか。それに疑問を持つ事が、本作のテーマなんだろうか。それとも、育児放棄をしてしまった母親に育てられた子供がそれをひたすら追い求める作品と理解してしまっていいのか。本作には人間以外の生き物として唯一、アリンコが登場する。しかもつがいでもなく孤独な1匹だ。(アリンコにつがいという概念があればの話だが)それは孤独な主人公の象徴でもあるのだろうけれど、本当を言えば、アリンコも女王を中心にそれぞれ役割があり、一つの巣があたかも一つの生命であるかのごとく遺伝子を後世に伝えるため身を犠牲にして本能的に努力しているではないか。しかし本作では意図的に本能的な側面が描写されない気がする、それこそ姫野カオルコ的な。本能的な側面とは、例えば性欲のことだ、例えば食欲のことだ、主人公が小学生ならまだいいよ、しかし、やがて高校生になる頃には、そっちの方の欲求が上回るのではないのだろうか、それなのに大学生と付き合い性交渉もしながらも、そのこと(快楽)で一時でも満たされることはないのだろうか。主人公は彼氏との性交渉で、痛くもなければ気持ち良くもない、ただ、何かの作業のように意識しているらしい、で、満足するのは精神的な自慰行為のみなのだと、うーん、しかしなあ。姫野カオルコなら、例え小学生でも持つ『女』の部分を描くだろう。高野文子の『はい―背筋を伸してワタシノバンデス』は、自身(女子)の身体的成長に戸惑い、同性の肉体を憎しみながらも避けられない『女』の性を受け入れざるを得ない自身(女子)の様子を描いているから受け入れやすい。確かに女性は、男と違い、出産という極めて動物的な体験をしなければならない。また月に数回は生理によって、生々しい肉体の存在を思い知らされるのだろう。しかいこういった事実は、嫌悪感を伴いながらも、どこか肯定的な側面もあるのではないだろうか、だから出産の時にあんなに痛い思いをしても、1年後に次が生まれたりするのだ。主人公が性同一性障害でない限りは、そこにあるべき性欲とその満足が、こんなに切り離される場合があるのだろうか。作者に説明を聞いてみたい。」

 

あこがれ(***)

「川上未映子の小説。これは小学校高学年から中高生に向けられた作品、と解釈していいだろうか。この作品は3.11以降に書かれているし、その事実が、サラリとだが、書かれてもいる。主人公の一人のあだ名がヘガティー、これは西加奈子の作品で、『ヘルメッ!』『うっさいわ!』に影響を受けているのかもしれないなあ、などと最初は感じながら読み進めていったけれど、健気な子供達が待ち受けている、汚れた・壊れた・狂った・痛い・苦しい世界の現実を思うと胸が痛くなる。」

 

背高泡立草

「読み始ていきなり、なんだか読みにくい文章だな、いや、うーん、この作者、ひょっとして文章がへたなんじゃないのか?などと自分は書けもしないのに感じ、しかも登場人物が次から次に出てきて覚えられず、あれ姉妹じゃなかったのか?ん、4人いる?などと混乱し、そういう時は少しページを戻ればいいのだが、そんな気にもならず20ページほどで読むのを止めてしまった。」

 

ドン・キホーテ(*)

「言うまでもなくセルバンテスの小説で恥ずかしながら初めて読んだ。のだが、これ長いんだよね、単行本で合計6冊くらいになる。で、恥ずかしながら3冊目で中断してしまった。有名な風車のシーンは早くも1巻で読めるのだが、セルバンテスという人は恐らく1本の文学作品として完成させる意識がなかったのではないだろうか。もちろん、本作が17世紀前半に書かれたものであることを差し引いて考えなければならない。例えばスタインベックは長編であっても物語が1本の流れが明確にあり、終わりに向かって読者を引っ張っていってくれるが、それを17世紀の人に求めてはいけないのかもしれない。だから本作は、ずるずると続き、いつ終わるとも知れず、あたかもインド映画のように主人公そっちのけで別の物語に邁進したりする。それぞれ別の作品に仕立てればいいのにである。あるいは本作が当時から大人気で、それこそ人気少年漫画のように終わるに終われない事情があったのかもしれない。また本作には、当時の雑な出版の事情からか、いくつかの挿話が、あったりなかったりするようで混乱しているが、それも現代の文学や出版の常識で、はかってはいけないのかもしれない。残念なのは、どういう終わり方なのか最後までたどり着けなかったこと。」

 

音楽(**)

「期待して観たのだが、、、。大橋裕之という漫画家の原作のアニメーション化。『目』の描き方が独特で、どっかで見たことがある絵だなあと思っていたら、リイド社がやっているインターネット上の漫画サイト『トーチ』で掲載されている「太郎は水になりたかった」という作品の作者であった。この「太郎は水になりたかった」という作品には、独特の内面的な表現世界があり以前から注目していたのだが、なるほどこの原作者なら、さもありなん。ただね、この原作を、動画とセリフと音楽を付けてリアルタイムで動かして見せる方法が、原作本来の持つ摩訶不思議な感覚を表現できているのかどうか分からない、原作を読んでいないから。だが、「太郎は水になりたかった」から察するに、もっと溶けてしまいそうな不思議な何かがあったのではないだろうか。勿論そのことは、独特の『間』で表現されていたりするけれど、それでもどこか違うように思うのだ。だからこそ見終わっても、どこか釈然としない気分が残る。例えば、普段からやる気のない不良共に、突然あのようにデタラメであっても『ロックの初源的な魅力が溢れる音』が出せるものだろうか?デタラメをやっている3人の呼吸が、なぜいきなりピタリと合うのか?そもそもベースのチューニングが初めから合っているのはなぜだ?などなど事がうまく運びすぎて、どうしても俄には信じがたいのだ、また、学校の備品を勝手に持って帰っちゃいけないだろう?住宅街であんなに大きな音を出したら近所迷惑だろう?などということも気になってしまうのだが、それもこれもアニメーション化したことの弊害だと思うのだ。漫画なら、そういったことに、こだわらずに、不思議な雰囲気を楽しめたのかもしれない。あるいは、アニメーション化するにあたって、もっと他の手段が必要だったのかもしれない、少なくとも脚本を。」

リラの門(**)

「飲んだくれのだらしない役立たず男の純情、だが、チャップリンの『キッド』の方が、ルンペンの純情をもっと表現してるよね。ルネ・クレール監督1957年作品。

 

37 Seconds サーティセブンセカンズ(☆☆☆☆☆)

「これは日本版『ナショナル7』いや、主人公が本当に身体障害者である時点で、それを上回っている。公式サイトによると、主人公の女性は公募に応じた100人から選ばれた人物で、役者でもない素人だ。その彼女が、全裸を晒してまでの演技を受け入れ、体当たりに演じている。これこそカンヌでパルムが与えられるべきだろ!これが分からないのか!!ふんとにもう!!この監督HIKARIも今後、要注意だ!!!」

 

パラサイト 半地下の家族(*)

「もう1/3くらいのところで飽きてしまったよ。カンヌでパルムっておかしいでしょ、審査委員長誰だよ!これだったら『万引き家族』の方がずっといい、ふんとにもう!」

 

Last Letter(**〜***)

「岩井俊二監督作品、なので観た、のだが、うーん、さしもの岩井も超少子高齢社会には勝てないのだろうが。今やテレビを見てみるがいい、タレントは昔に活躍した人ばかりだし、番組そのものが若者向けがどんどん減っている。その証拠に6時〜7時台を見てみろ、のアニメーションが、ほとんど無い。昔はアニメだらけだったのに、今やかろうじて残っているのが「サザエさん」や「ちびまるこ」で、しかもこれらは若者が見てるわけじゃあないのだよ。そんなわが国で映画監督として表現していくにあたっては、やはり、どうしようもなく、如何ともしがたいその国の時代の流れに抗うことができないのだ。だって、そもそも岩井は、高校生くらいの、主に女子の生態を、いやらしくも美しく切なく可憐に素朴に本能的に、男子の目線で描いてきた人ではないか。男子の琴線リビドーに触れるそのデリケートな感じが、なんともいえない恥ずかしい感じが良かったのではないか。(この男子目線というところが重要なのであって、だからこそ、女子の汗臭さとかムダ毛とか汚れた下着とかあからさまな身体構造とか、そういった、必ずしも美しくも清潔でもない現実的な女性の有様は、あえて、いや決して見えないのだ、それは思春期の男子が、そうなるように遺伝子ができてるからではあるけれど)もちろん、そういった、その部分を満足させる仕掛けもじゅうぶんにあったのだよ、決して美人とは言えないまでも愛くるしい二人(岩井の場合、だいたい二人?)に対するいやらしいまでの眼差しもじゅうぶんに表現されており、それなりに満足もさせられるのであって、岩井も草葉の陰から、これでいいだろ?とほくそ笑んでいることもわかるのだけどね、やはり作品の主題が、成長してしまった側の人々にあるわけで、それならそれで表現の仕様があったはずで、それを岩井には求めていないなだがなあ。ごみ捨て場のコンビニのビニール袋さえ輝いて美しく見えるような岩井の神通力にも、いささか翳りが見え始めたような気がしなくもない。それにしても岩井に拍手を送らねばならないのは卒業式のシーンだ、きっとある種の人々からすれば、ザケンナコラ!となるはずのところを、よくぞ踏ん張ってくれた。」

 

 

聖なる泉の少女(***)

「映像は、フェルメールを意識してかどうか知らないが、まあ、きれいな感じだった。ラストシーンなんかも、きっと最初から、このシーンのイメージがあって、これが最もやりたかったことなんだろう。しかしなあ、この21世紀の現代に、このような古い因習に縛られて身動きできない可哀想な若い女子、という設定が、いかにジョージアの田舎であろうとても、どうしても素直に受け入れにくいんだよなあ、もちろん、インドやバングラデッシュだろうか、仕事そのものが圧倒的に少なく、親の仕事を否応無く継がざるを得ないような状況が今でも大いにあるだろうけれど、それならそれで納得できる社会問題だから素直に受け入れられるのだが。」

 

 

解放区(***)

「いつもの館で。ドキュメンタリータッチだがフィクションだと思うけれど、背景に写っている人々はエキストラと言うよりも自然にそこに居た人たちなんだろうけれど、そういったないまぜの感覚そのものが本作の姿形をよく表していりと言ってもいいのだろう。面白かった。ただ、できるなら徹底してドキュメンタリーとして事実に迫って観せてくれた方が、もっと好きだと思う。ただ、性表現なんかもしっかりあって、監督の本気度が高く、よく伝わってくる。絶対に応援したくなる作品。」

 

 

スティル・ライフ(**〜***)

「池澤夏樹の小説で、読んだことがあるような気がしていたのだが、やっぱりそうだった。バブル経済真っ盛りの時代の作品だが、やはりその気分があるのは致し方ないとしても、どうしても、御都合主義に感じてしまう部分があるよね、アルバイトしてるくせに豪邸に一人で住んでるなんて。ただ、冒頭の6行にはワクワクさせられるのだがなあ。」

 

ヤー・チャイカ(**)

「池澤夏樹の小説で、読んだことがあるような気がしていたのだが、やっぱりそうだった。バブル経済真っ盛りの時代の作品だが、やはりその気分があるのは致し方ないとしても、どうしても、御都合主義に感じてしまう部分があるよね。自分では表現できない幸福感に、当時の日本人は包まれていたのだろうか。」

 

劇場(***)

「又吉直樹の小説。むしろ『花火』いや『火花』だったっけ、より面白かった気がする。売れない演劇人の焦燥、しかも彼には、やっぱり発達上の問題が見受けられるから、そりゃあ生きづらいだろう。中途半端な才能は残酷ではあるのだが、そこにどっぷりとはまり込むのは、ぬるま湯のように心地よいのだ。」

 

雪(*****)

「オルハン・パムクの小説。宗教なかでもイスラムほど、やっかいなものはないよなあ、と思わざるを得ない。もちろんキリスト教だって遠藤周作が書いている通りではあるのだが、日常生活に色々な戒律が定められていると、どうしても苦しい状況が起きてしまう。結局、それら宗教が誕生した時代の社会の規模や生活習慣の場合と、それから千年〜二千年が経った今とでは違うのだろう。もしかすると、今こそ新しい宗教が必要なのかもしれないね人類には。誤字がいくつかあった。」

 

家族を想うとき(**)

「正調ケン・ローチって感じではあるのだが、」

 

細い目(**)

「ヤスミン・アフマド監督作品、なのだが、観たことあった。この舞台は、マレーシアということでいいのかな?」

 

 

マイケル・K(****)

「J・M・クッツェーの小説。後書きにもあるが、作中では主人公が黒人だとは一切、書かれていない。アパルトヘイト時代の検閲を恐れたためだという。主人公は物静かで、必要以上の、いや食欲さえ減退させていき、最小限の実りだけを望んで生きていこうとするのは、人種差別政策によって思考さえ飼いならされてしまった諦めからなのか、はたまた高潔なる精神の持ち主だったからか。遠藤周作作品に登場する〜さんや、最少し前に観たイタリア映画(題名を忘れた)など、無欲の人は、どこか共通する、悪く言えば愚か者に見られてしまう側面がある。」

 

密林の語り部(***)

「バルガス=リョサの小説。実は途中までで挫折してしまったので、ここに書くべきではないのだ、しかし強く心に残っているため。」

 

東京怪童(*****)

「望月ミネタロウの漫画。望月峯太郎は、『バタアシ金魚』の頃から注目してきたが、その筆致は全く衰えないなあ、まるで日本のスティーブン・キングだよ。そして、『バタアシ金魚』の花井カオルに感じていたモノが、最近になって、恐らく発達障害であることを知るに至っては、望月の目の付け所の鋭さに脱帽せざるを得ない。望月作品は、どれもそうだが、本作も映画化すればいい、ただし日本人監督で日本で撮っちゃダメだ。」

 

 

二百年の子供

「大江健三郎の小説。実は1/4あたりまでしか読まずに終えてしまったので、ここに感想を書くべきではないのだが書いてしまおう。本作は、2003年(つまり21世紀に入ってから)新聞小説として、おそらくはミヒャエル・エンデを念頭に置きながら、大江が、わりとリラックスして書いたものと思われる。(ミヒャエル・エンデを読んでないけど)例によって自分の3人の子供たち(「三人組」と呼んでいる)が主人公であることや、犬に「ベーコン」などという名前をつけたりすること、タイムマシン(木のうろ)が登場することからも、大衆なかでも若い人に読んでもらいたいという願いがこもっているのではないだろうか。ただね、やっぱり大江の文章は、どこか屈折している。素直にスラスラと読ませないのだ。それは語順の問題だったりするのだろうけれど、図らずも、外国文学を翻訳したみたいな妙な感じなのだよね。とまれ、大江の子供たちへの愛情が滲み出ているね。」

 

 

芽むしり仔撃ち(**)

「大江健三郎の小説。大江が22〜3歳の頃に書いたもので、長編(と言っても、そんなに長くはないが)としては最初の作品のようだ。しかし確かに若い功名心に燃えた意欲がむき出しの表現に(題名も含めて)感じられた。例えば性器や性的感覚を「セクス」などという言葉で表現してみたりすることも、絶対に普通じゃいたくない大江の心理の現れではないのか。」

 

ジョーカー(**)

「自分の映画の好みに近い映画友が興奮気味に話していたので観る気になったわけだが、いつもの館とは違うシネコンは勝手が違い、選んだ席は、ずいぶん前で見にくかった。その上、前後左でポップコーンを食ってる奴らがおり、うるさいわ臭いわで閉口させられた。さて前評判通りなのかね?と不快な気分を落ち着けながら楽しみに観入っていこうとするのだが、うーん、そんなにいいか?。まず目につくのは、ボケを効かせて、フィルムっぽく演出された青緑の映像だが、このボケ、いささか、やり過ぎでは?。あれくらいボカそうとすれば、135ミリくらいのレンズが必要だと思うのだが、本当に全部がレンズの効果なんだろうか、CGは使ってないのだろうか?。それと、娯楽系の作品にしては、それにそぐわないダークな人間描写が秀逸などと言う人もいるのだが、そもそも『バットマン』は、そういった側面があったように思う、ジャック・ニコルソンとか、ペンギンの人とか、悪役には飛び切りの役者が、これまでも演じてきたように思うのだ。つまり本作も、飽くまでもこれまで通りのバットマンのセオリーに法っているだけにしか思えないのだが。」

 

 

沈没家族(***)

「言ってみればヒッピー的な精神を持つ人=母、だったのだろうね。核家族化それどころか母子・父子家庭も増えている昨今からすれば想像もつかないかもしれないが、昔だったら、祖父母・曾祖父母の同居や近所のオッサンなどが、あたりまえに居て、これに似たような状況は自然に発生していたのではなかろうか。それにしても血は争えないと言うのか、写真を勉強していた母の息子が映画を撮っている。」

 

 

新しい人よ眼ざめよ(*****)

「大江健三郎の小説で、7編の短編からなっている。実は大江作品を、過去に何度かチャレンジしているのだが、と言うか確か文庫を1冊持っていたような気がするが、どうしても挫折してしまっていた。今回もかろうじて読むことが(と言っていいのかどうかも危ういが)できた。しかも最も読みやすいであろう、また読みたかった作品を選んでいる。さて、これまで大江がしばしば『定義』という言葉を用いることは知っていたし、それが挫折の一因でもあるのだが、今回、少しそれが理解できた気がするのだ。大江はなぜ定義したがるのか。実は自分も定義することが好きである。自分の読書や映画感想文は定義集だ。では大江は何を定義しようとしているのだろうか。なぜ大江は定義をし始めたのだろうか。これは自分の勝手な解釈(=定義)だが、大江にとって、障害を持って生まれた光=イーヨーの、存在意義を見いだすことが定義の始まりだったのではないのか。光=イーヨーは、なぜ自分の元に生まれてきたのか?彼は何ができるのか?彼は人の役に立つことができるのか?彼はごくつぶしではないのか?と。たぶん、大江は多くの日本人から、偉大な哲人・人格者として誤解されているのではないだろうか、いや自分がそう思っていた。しかし本作を読むと、それとは全く異なる大江の人間らしい姿が現れてくる。イーヨーとの日常で、むしろグロテスクな姿をさらけ出すのは大江自身であった。大江は自分のピンチと称して、大切なそして保護がひつようなイーヨーを含む子供たちを日本に置き去りにしてしまう。プールでのトラブルでは、オロオロして何もできない。大江は家族の中でも一番、イーヨーという厄介者を背負い懊悩し泣き出したくなるような哀れな姿でオロオロして見せる。むしろ妻や長女や次男の方が冷静で泰然自若として現実を受け入れているではないか。大江だけは現実を素直には受け入れら必死になって定義しようとするのだが、イーヨー自身がその言葉によって見事に定義してしまった。『善い足、大丈夫か?本当に善い足ですねえ!』と。そうだ、保護されなければならなかったはずの者から大江は慰められていたのだ、そしてノーベル文学賞まで与えてくれた。」

 

 

静かな生活(*****)

「大江健三郎の小説で、6編の短編からなっている。本作は大江が 長女の姿(言葉)を借りて、イーヨーや大江自身のことを描いている。上作品もそうだが、イーヨーのことを書くにあたっては、どうしても私小説的なスタイルにせざるを得ないのだが、色々な事件に巻き込まれているのは、創作ではないのだろうか?」

 

むらさきのスカートの女

「今村夏子の小説。下記にて短いことを指摘していたが、この人は長いものを書くのが苦手なのだろうか?いや勿論、芥川賞ってのは新人の短編に与えられるものだから、本作も決して長編ではないのだけれど、もともと、その1/3程度で済むものを無駄な冗長な作文を追加して無理やり長くしたような不愉快を感じさせられた。いや勿論、いかにも冗長そうな文章と言うことなら町田康なんかもいるわけだし、ひょっとするとワザとそう感じさせているのかもしれない。と言うのも、どこかシュールレアリスム調のスタイルでもあるから、不条理感とかイライラさせる感とか、本当はむらさきの女はきいろの女と同一人物=自分のことではないのか?など考えさせたりもする。しかしだよ、下作品を読んでみて、果たして今村がこれまで、そういった方向性の表現に向かっていたのか、と考えると、ちょっと違う気もする。ただ、現代日本の、ちょっとしたスキマ、21世紀のスキマに未だに残った昭和の空間(残滓)みたいな部分に興味があるのかもしれないが。しかしこれが芥川賞で、西加奈子が直木賞ってのは、やっぱり解せないよね。」

 

あひる(*)

「今村夏子の小説。うーん、短すぎるよね。」

 

 

おばあちゃんの家

「今村夏子の小説。うーん、短すぎるよね。」

 

森の兄弟

「今村夏子の小説。」

 

こちらあみ子(***〜**)

「今村夏子の小説。どこかで読んだことのあるような文体だが、そんなことは直ぐに気にならなくなった。この手の作品は、どうしてもズルいワケだが、それでもどうしても涙腺が緩みそうになってしまう。あみ子には、発達というよりも軽い知的障害があるのかもしれない、ただし特別支援学級に入る程ではなかったのだろう、あたかも『田辺のつる』のつるさんのごとく、周囲とのコミュニケーションが、うまく噛み合わず、自分の世界の中で生きていくのだ。しかしこの作品、優しいと言うか、ユーモアタッチの文体だが、かなり壮絶なんだよね。」

 

 

ピクニック(**)

「今村夏子の小説。上記作品に、似たパターン?。」

 

 

チズさん(**)

「今村夏子の小説。」

 

 

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(***)

「クエンティン・タランティーノ作品なので観た。これはね、タランティーノ版『エヴァンゲリオン』なのだね。要するに、自分の好きな部分だけを自分の好きなように表現したのだよ。要するに、自分の好きなおかずだけで作られた幕の内弁当。他人にとっては好きではないおかずばっかりでも、そんなこと知ったこっちゃないのだ。栄養が偏っていても知ったこっちゃないのだ。だってオレの弁当だもんね。いや、でも、だからこそ部分毎に本当に魅力溢れる。例えばヒッピーの女子が本当に(中身まで)不潔そうだったり、ロートル役者のじたばたする様とか、そのロートルにダニのようにくっついていかざるを得ない訳ありスタントマンとか、1960年代の映画に捧げる愛とか、とにかく次々と魅せられるその魅力に釣られて最後まで見入ったけれど、しかしどこか不満足感が残るのは、そうやって積み上げられて表現したい何かが、こちらが期待した方向には向かわずに裏切られたから。だって、ロマン・ポランスキーを登場させる必要があったのかね、いや勿論、THE DAYに合わせてカウントダウンしていくシナリオなワケだし、ブラピとヒッピーとのいざこざがあったワケだけど、だったら何故、凶行に及ぶ連中に、ヒッチハイクした女子を加えないのかね。いや、そもそも、やっぱり史実通りの結末に持っていくべきではなかったのか。などと言うことも、知ったこっちゃないのだろう、だって自分の好きなおかずだけで作った幕の内弁当なんだから。だからね、健康とか衛生とかクソ喰らえ、なワケで、うーん、史上最もタバコを吸う映画かも。あと、ブルース・リー似てねーし、と言うより、どこか東洋人への蔑視がないかね。」

 

彼女は頭が悪いから(***)

「姫野カオルコの小説。確かに記憶に残っている現実に起きた事件をモチーフに描かれている。」

 

ザ・プレイス 運命の交差点(***)

「諸星大二郎の作品にありそう。『復習クラブ』とか。悪くはなかったけどね、軽妙なタッチが身上ではあっても、信仰というものに対する」

 

ひろしま(***)

「某国首相が大嫌いな日教組が中心となって製作しているから、平和教育のために戦争、中でも最も悲惨凄惨地獄絵図だったであろう原爆投下後の様子を淡々と描写し、これを生徒に観せることで、百の言葉を尽くすよりも明快に強烈な印象を与え、今後二度とこのような愚かしい戦争を起こさせないようにしたいという願いから作られているのだろう。ただ、眼を覆う程に気味悪い映像ではなく、随分控えめに作ってある。またモノクロであることも救いだ。某国会議の連中よ、戦争に美しい物語を見出すのは結局、戦闘員に薬物を投与するのと同じではないのかね。誰だって痛い思いをしたくない。」

 

COLD WAR あの歌、2つの心(***)

「モノクロの映像が美しい。序盤の、民族音楽を歌唱するシーンが素晴らしい。」

 

1R1分34秒

「まあ、ボクシングだろうと何だろうと、ささやかな才能にしがみつき、遠い夢に向かってがむしゃらにジタバタしている姿は美しいし、魅力ある素材ではある。しかしなあ、どうしても谷口ジローっぽさが滲み出てしまうのは、主人公の生活(現実)の部分の描写が足りないからではないのか。」

 

Girl(**)

「うーん何故だろう、興味深いテーマのはずなのに、中間くらいから飽きてきたのは、きっと一本調子が大きな原因だと思う。この監督は、恐らくダルデンヌ兄弟の作品に影響を受けているのではないだろうか、だから表現が、ドキュメンタリータッチだったりして、ダンスのレッスンのシーンなども、それぞれのシークエンスがしつこく描かれる。必要以上の演出を排除しているのもそのためだ。女子からいじめられるシーンなんかも、そうだよね。この作品は、主人公が転校してきたところから始まるわけだけれど、そこに至る経緯を観たかったのに観られなかった、ということも遠因かもしれない。性同一性障害とは、近年になって人類に発症したわけではあるまい、きっと石器時代の人類にも同じ苦しみを持つ者がいたはずで、神様のイタズラ若しくはウッカリが、いつの時代でも人を苦しめてきたはずなのだが、そういった、少し距離を置いて考えさせるスタンスが無く、主人公に密着し過ぎていることも一因かもしれない。最初、女性監督ではないか、と感じていたくらい。」

 

天気の子(*****)

「切り取り方一つ取っても、もう、ジブリとは全く異なるスタイルであって、それを観るだけでも価値あるよね。雨とか風とか雲とか、殊に気象に関することは、アニメーション表現にとっては難題の一つであり、それに真っ向から勝負したということにも意義がある。(ポニョもだけどね)いや、もともと彼は最初からずっと『空』を描いてきた人だった。とまれ、これは新海誠による青少年への贖罪でありエールなのだ。人類は、レイチェル・カーソンが警鐘を鳴らしたにも関わらず地球温暖化や水質大気土壌汚染によって地球を汚し環境を大きく変えてしまった。水俣での惨状を覚えているだろう、隣の大国を笑ってなどいられないのだ。ここ数年、異常気象による局地的豪雨が度々起こっている。夏の気温は、昔とは比べ物にならないほど高くなっているのがその証拠だ。つまり大人や我々の先祖は、そんな壊れた・汚れた地球を子供達に残さざるを得ないのだ。3年も振り続ける雨は、その象徴ではないか。晴れ女とか、空を飛ぶとか、そもそも3年も雨が止まないとか、そんなことアリエネージャン、ではないのだよ。これは新海の願いである。おっぱいの谷間に赤らむ程に純情な若者に渡すタスキはそれほどに重い。だが若者よ、スマン。スマホのような便利な文明と引き換えに、この大荷物も引き受けてくれるか、そしていつの日か、しなやかに空を舞うように美しい水と空気のこの星を、取り戻しててくれるかい。」

 

ハウス・ジャック・ビルト(☆☆☆☆☆)

「決して見逃してはいけないラース・フォン・トリアー監督作品なのだが危うく見逃すところだった。さて、かねてから自分も感じていたところなのだが、芸術とか美とか表現性と、倫理とか正義とか法律は本質的に関係ないのだ。関係ないと言うよりも全く別個の概念であって、両者を関連付けて考えること自体がナンセンスなのである。なぜなら美学とは、ありとあらゆる物事や現象に存在するから。例えば一番分かりやすい例を上げるなら、ヌードの絵画や彫刻や性器の描写のことだ。日本では、愚かにも腰巻事件なんてことが起こったりしているし、最近ではろくでもない人の作品が問題になってもいる。美しい我が国では映画にもボカしが入る。なにしろ出産シーンさえボカしているんだから冒涜だ。いや、かえって話が分かりにくくなってしまった、結局、軍隊にも暴力団にもヤンキーや暴走族にも受刑者にも猟奇殺人犯にも美学が存在するということ。その上、現代美術たら言うモンが跋扈する今日が問題をさらにややこしくしている。現代美術は、マルセル・デュシャンが殻を破ってしまって以降、ハプニングなどと呼ばれる時代を経て、面白ければなんでも有りとなってしまったことが不幸の始まりではないか。また現代美術が、考え方とか言論とか政治とかメッセージとかと結びついてしまったことも失敗の始まりと言う事もできる。さらに現代アートなどと呼ばれ、本来なら分かりにくいものを無理におしゃれな感じをまとわせて大衆化させた事も堕落の原因だと思う。いや、ただ、それもこれも美術が、純粋に美しく完成されたものだ、として神聖化してしまう自分の側に大きな間違いがあるのかもしれないね。私たちは、どうしても、美術は独立して美しいものと考えたがるが、現実はそうでもないだろう。ルネサンスの画家だって、メジチ家などのパトロンがいて始めて絵描きで食っていけるのだ。ベラスケスは宮廷画家だったからこそ歴史に残る絵を描けた。結局、飛び抜けて絵が上手いことは、生まれながらにして食っていくための手に職を身につけていたということではないのか。しかしミケランジェロの神がかった技を見よ!神々しいではないか。いや、ちょっと待て、今は美学の話をしているのだ。神々しさを言い始めたら、もっとやばいぞ。しかしね、どうしても現代美術の本質的問題、誰もがうすうす気づいていながら見て見ぬ振りしている本質的問題を抜きにして本作や美学を語る事はできないのではないのか?

しかし、ラース・フォン・トリアーは、もうね、頭一つ飛び抜けてしまっているのだよ諸君。終盤からの決着の付け方には不満がないでもないが、もうそれも含めて全部OK過ぎる。しかし何でこの作品がカンヌでパルムじゃないのだ?」

 

僕はイエス様が嫌い

「もっとヒネくれた作品を期待したのだが。真っ直ぐ過ぎやんけー。」

 

ニムロッド(*)

「もう既に、21世紀も、初めと言うよりは、中頃に近づきつつある。人類は、産業革命以来の巨大なブレークスルーであるインターネットという道具を手に入れて、これも早40年が経つ。70年以上、戦争をしていない日本人はこの時、何を求めて何に生きがいを感じて生きていくのだろうね、などということを感じさせつつも、後半から飽きてしまった。」

 

伊豆の踊り子(**)

「高校生の頃読んだはずだが再読。どうも、川端の女性の描写が好きになれない感じがするのは何故だろう。どうしても清潔とは反対のイメージが沸いてしまうのだ。」

 

古都(**)

「京都の四季を、むしろ縦軸に、着物問屋の娘の出生に関わる物語を横軸にした、まさに西陣織のような作品で、後書きによると、なるほどもともと新聞小説だったのか、さもありなん。あたかも京都観光ガイドの様相も呈しているのは、致し方ないのだろう。」

 

幸福なラザロ(*****)

「宗教は、最早、年を取り過ぎたのかもしれないね。人類の無意味な営みを、無垢なラザロだけが、ただ見つめているのだ。」

 

主戦場(**)

「日本の従軍慰安婦問題について取材したドキュメンタリー。本当に、このまま放っておいたらヤバイことになるよマジで、そうならないために、選挙権を行使しよう。」

 

道草(***)

「自閉症や知的障害のある人と、それを支える人に取材したドキュメンタリー。」

 

荒野にて(***)

「うーん、イイ線行ってるはずなんだよね。絶対にもっと良くなるはずなんだよね。それこそカンヌでパルムを取れるくらいに。」

 

希望の灯り(***)

「東西ドイツが統一されて、もう何年経ったのだろうか。ヨーロッパではEU統合も成し遂げ、その恩恵を最も享受し、一人勝ち状態のドイツのはずなのに、旧東ドイツ出身者の暮らしぶりはなかなか改善されないのだろう。ただ、うーん、アキ・カウリスマキ調ではあるがスタイルは明快なのに。」

 

エデンの東(☆☆☆☆☆)

「本書を読むまでずっと長いこと、映画も観たことがなく、映画版の、例の拗ねたようなジェームス・ディーンの表情のビジュアルしかイメージがなかった。成る程そりゃそうである、この題名なんだから、キリスト教の聖書が下敷きになっているはずだが、そんなことさえ気付いていなかった。本作では『怒りの葡萄』に登場する説教師さんのような、思索的で哲学的でリベラルな登場人物としてサミュエルやリーが描かれているのも面白い。彼らは勿論、スタインベックの代弁者であるはずだから能弁なのだ。それにしても本書は3世代に渡る登場人物の長編物語だが、中でも中心的な主人公である、まさにその名の通りのアダムが、最も不可解な人物であるように思えてならない。だって彼は長い人生の中で、ほとんど主体的に動かないよね。2度ほど、ケイトと出会った時とレタスの時だけ無謀な行動をとるが、例えば日頃無駄遣いをしない人物が、ある時突然、散財するのに似ている、とするなら、やはり人間の有様の一つを、よく表現しているということだろうか。またケイトを、どう解釈していいのかも分からない。一体、どんな形であれ自分の産んだ子供を愛せない母親がいるものだろうか。だがこれも、しばしば幼児・児童虐待のニュースを聞くならば、必ずしも有りえないことではないのだろうか。最後に、自分が読んだのは、大阪教育図書による全集だが、本書の、特に下巻は、誤字脱字が多かった。」

 

葡萄畑に帰ろう(***)

「ジョージア(グルジア)映画。オタール・イオセリナーニのようにジョージアの政情を戯画的に描いている。」

 

ROMA/ローマ(☆☆☆☆☆)

「力強い作品で、ひさしぶりにお腹にズドンと来た。一つずつのシークエンスが、モノクロの映像も相まって、写真のようでとても魅力的で、ずっと観ていたいと思わせられるから、130分余りの作品が、ちっとも長く感じなかった。題名がローマとなっているけれど、メキシコが舞台だってことが、観はじめて、しばらく経ってから分かったのはナサケナイ。メキシコの近現代史を理解していた方が、もっとよかったのだろう。モノクロの映像も、ドキュメンタリー写真を観るように美しい。」

 

山(モンテ)(**)

「だんだん円谷プロみたいになってきたな、最後に石坂浩二のナレーションが入らないかヒヤヒヤしたぜ。」

 

はつかねずみと人間(*****)

「これも読んでいたのを読みながら思い出した。映画も観たね。本当に短編で読みやすいが、小説版と戯曲版があったとは知らなかった。確かに場面も限られていて、小説版でさえ、演劇的なイメージが下敷きにあることが感じられた。」

 

怒りのぶどう(☆☆☆☆☆)

「高校生の頃に読んだが再読。確か高校生の時も面白かったと感じた記憶があるが、やっぱりそうだった。だって、この終わり方...、マー(=スタインベック)は、言葉ではその行為を説明しないのだ、ローザシャーンもイエスとしか言わないのだ、それでも読者は、その神々しい行為を理解できるではないか。しかしスタインベックはアメリカで、どう評価されてきたんだろう。本書は民主主義の残酷さを徹底的に描写し、同時に共産主義的なコミュニティー(アカ)を理性的で理想的な共同体として描いているではないか、それに加えて宗教(キリスト教)の無意味さ無慈悲さをも描いているどころか、ラストでは、人間であるロザシャーンをマリアのように描いてさえいる。それを◯◯◯◯の連中が肯定するはずないよね、トランプとかも。あ、彼は読んですらいないかも。ところで本書は、物語パートと、状況を詩のように淡々と表現したパート=叙景パートが交互に繰り返されているが、この叙景パートの描写が、なんとなく苦海浄土に似ているなあと感じたよ。」

 

ぼけますから、よろしくお願いします。(*****)

「壮絶で美しく神々しい人間の事実の映像。」

 

パジュランギおじさんと、小さな迷子(****)

「ザ・インド映画。ボヘミアン〜を超えたな。に、しても、後ろのオバサンはあらゆる場面で笑いやがって、ま、いいか、インド映画だし。」

 

グレート・ギャツビー

「今まで何度も書いているが村上某が嫌いである。だが彼の翻訳したものしか置いていなかったため、仕方なくこれを読んだ。さて、読んだ、と書いたがまともに読んでいない。読み飛ばしに飛ばした。従って、まともな批評ではないわけだが、どうしても、このキザったらしい文章が好きになれなかったのだから仕方がない。サリンジャーが、その登場人物の口を通じて、最高の小説と呼んでおり、村上某も後書きに、最も重要な文学としてあげているが、うーん、ダメだったー。それは自分の読書力が不足しているからだろうか、近頃、本当に、我慢して最後まで読み切ることができなくなってしまった。映画なら、どんなダメ映画でも最後まで観るんだけどね。で、一つわかったことがある。なるほど村上某が本書を好きなのは、後書きに本人が書いている通り、英語の文体〜それは、おしゃれでかっこよく、よい意味でキザで洒脱で垢抜けた感じがあるにも関わらず、主人公は意外や純情で、というような、うーん、つまり谷口ジロー的な、やっぱりハードボイルド的やせ我慢的な世界が好きなんだろうね。それは自分が求める世界とは正反対だ。〜ん、待てよ、なんだか読んだ事があったぞ昔。」

 

タイムスリップオタガール(☆☆☆☆☆)

「佐々木陽子の漫画。大変だ!いや、すごい漫画を読んでしまった。この情報量、声優さんの早口の声が聞こえるよ。いや、この多すぎるセリフをね、いわゆる(本当は嫌いな)アニメ声優の声でね、自分がね、一文字も漏らさずにね、読んでいるのだよ、読ませるのだよ。いや、このセリフの大部分はモノローグ(つまり心の声)なんだけどね、これが面白いのだ、いやね、ただ面白いだけではなくてね、ちゃんと人間が描写されているのだよ。あまりに面白いから、ここに書かずにおれなかったのだよ。本当に早い者勝ちだよ、コレをアニメーションと映画化の権利を取るのは。絶対にヒットするって。これはね、オタクでなくても楽しめるオタク漫画なのだから。」

 

モアナ南海の歓喜(****)

「1926年に作られた、サモア諸島のある島に取材したドキュメンタリー(サイレント)を、その作者の娘が1980年に、現地で録音した音や歌を挿入して完成させた作品。なんと半世紀以上も経っても、当時の様子の音や歌を録音できたのだ。その、静かで平和な暮らしの様子を見ているだけで楽しいのはなぜだろう。もともとサイレントだから時々、字幕?が挟まれて、状況の説明をするのだが、これも最低限の控えめにしてあり上品だ。」

 

キャッチャー・イン・ザ・ライ(***)

「今まで何度も書いているが村上某が嫌いである。だが彼の翻訳したものしか置いていなかったため、仕方なくこれを読んだ。だが、それがよかったのかもしれない、本書の、きっと本来の、サリンジャーが描写した姿に近い雰囲気で訳してあったのではないか、だから某の本みたいに、後ろに奴の面が浮かぶこともなかった。さて前置きはそのくらいにして本書である。結論から言えば、この主人公に共感できなかった。しかしそれは必ずしも自分がオッさんだからではないように思う。なぜなら自分は青春映画が大好きであるからだ。青春映画の、最初から敗北の決まった抵抗のホロ苦さ。それでも意地でも無性に楯突いて見せるエネルギー。実力も無いくせに自尊心だけは人一倍の頭でっかち。無闇やたらと掻き立てられる焦燥感。そんな爆発寸前のエネルギーではち切れんばかりの、人間として最も醜くも美しい瞬間が描かれているから青春映画が好きなんだし、大槻ケンジも好きなのだ。一方で、確かに本書もそういったタイプの主人公が描写されているようには見受けられる。好き嫌いが極端で相手の欠点ばかりをあげつらい、数量を馬鹿馬鹿しい程大げさに表現し、稼ぐには大変な労力が必要な親からもらった大切な金を無駄遣いし、ちっぽけな自分を尊大に見せようと振舞い、自暴自棄で無駄な行動をする。と書いてみると青春映画のセオリーそのままではあるんだよね。それなのに何故、共感できなかったのだろうか。一つには、行間に必要以上にサリンジャー自身がかいま見えるからではないだろうか。いや、文学とは、いや文学だけではなく、あらゆる表現には作者自身の体験や考え方が背後に潜んでいるのは当たり前だ。だがサリンジャーの場合、彼の考え方がいささか極端であるように思うのだ。サリンジャーは、本書の主人公に言わせているように映画や演劇が大嫌いらしい。それが何故なのか分からない。確かにくだらない映画もたくさんある。しかし、それと同時にくだらない文学もたくさんあるではないか。またサリンジャーは、自分の作品を映画化・演劇化されることを嫌っていたようだ。自作を解釈されることが我慢ならないのだろう、だから本書にも、原作者の要請により後書きがないことが記されている。本書は、もしかしたら青春のバイブルのように読まれているのかもしれないが、自分にとっては、サリンジャーの主観が強すぎて好きになれなかった。」

 

火宅の人(***)

「檀一雄の小説。残念ながら半分程しか読めなかった。特にアメリカやヨーロッパへの旅を描き出してからは全く面白く無くなってしまった。明らかに、書くために書いているよね、壇よ。当時、月に50〜120万円を稼いでいたと自ら公言するように、壇は売れっ子作家だったのだ。何でも身のまわりのことをくだくだと書いてさえいれば儲かったのだ、洋行だってY新聞社が金を出しているんだろう?そうやって壇に書かせたのだ。つまらない日記(外国に行けば誰でもが体験する程度のエピソード)を、壇が書いた、というだけで有り難がる連中がいたのだ。結局、リツ子や次男のこと、つまり自らの身を切って血の出るような真実を描くのでなければ、壇は浮かばれないのだよ。私小説の大きな限界であり欠点なんだろう。」

 

あまねき旋律しらべ(*****)

「必要以上に洗練されすぎない程度の素朴さを保ったままの、日本で言うならソーラン節とかコキリコ節に近いようだけれど、それよりずっと美しく感じるのは言語の問題もあるのかもしれない。単調な仕事をする際に仕事の能率をあげる役目も果たしているのだが、何より仕事(主に農作業)を楽しくさせていることは間違いない。そういった意味では日本の茶摘歌もそうか?フレディー・マーキュリーがこれを知ったら感激しただろうね。」

 

ボヘミアン・ラプソディ(***)

「高校生の頃からのクイーンファンなので観た。一回りちっちゃいフレディーと言うか、確かにバッタモノ感を拭い去ることはできないわけだが、自分は「オペラ座〜」でクイーンと出会ったわけだが、それ以上深入りすることはなかった程度のファンである者からすれば、興味深いエピソードと圧倒的な音楽で満足はさせられた。ただ、ウィキペディアでクイーンを調べてみただけでも、もっと色々なエピソードがあるようで、それらを全部ドキュメンタリーで観てみたい気もする。その場合、合計10時間くらいにはなるだろうし、してほしいよね。」

 

おかえり、ブルゴーニュへ(*****)

 

「決して見逃してはいけないセドリック・クラピッシュ作品。ああ、人は右往左往するものだ。人は家族や親密な人ほど愛し合い、同時にいがみ合う。幼い頃を思い出してみるがいい、思い通りになったことなどあるだろうか。簡単な答えにたどり着くために、なんて遠回りしたことか。でも、いいじゃないか、そのつまづきが、そのいさかいが、その無駄足全てが生きることのなだから。」

 

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ライ麦畑で出会ったら(*)

 

「残念ながら欠点ばかりが目に付いた作品だった。ただし、終盤までは、敢えて主人公に、あまり共感できないように作っているのか?それとも自分が若者側ではなくなってしまったからだろうか。そもそも『ライ麦〜』をきちんと読んで無いんだよね。いや今までに2度ほど読もうとしたことがあったのだが、どうにも頭に入ってこないので諦めた記憶がある。その原因の一つは翻訳のまずさでもあったのではないだろうか。あるいは元々、すこし読みづらい作品なのかも、薄っぺらい本なのにね。その原作の、読みにくさ、を意識してかどうか知らないが、編集というか構成というか、シークエンスとシークエンスのつながりが、なんだか悪い感じもした。加えて作品のスタイルが、いくつかのアイデアが混在しており、そのいずれも中途半端に感じた。さて、三度目の正直で、もう一度読んでみよう、あるいは原書を自分で訳してみようか。」

 

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ノストラボvol.12「Chonpu- チョンプー」(*****)

 

「四国学院大学の仙石氏が作・演出し、同大学生やプロの俳優さらには香川県善通寺市民らが出演する演劇。全体が五つのパートに分かれており、老人看護問題〜発達障害〜結婚と夫婦などが描かれている。自分がこれまで観た演劇は、小学校の講堂で何度か観たものや高校生の時に観た文楽・歌舞伎・能(どこかの某元市長は理解できなかったらしいが自分は全部面白かったぞ)を除けば、過去に2回(そのうちの1回は平田オリザ氏の作品)だけであり、経験も知識も耐性もないからだろうか、本作品は大変に面白かった。映画ならそれなりに観てきた自分の感覚を信じて言うならば、間違いなく、本作は大変に優れた表現性を持ち、完成度も一定以上の高さにあり、十分な感銘と満足感を与えてくれる質の高い優秀作品である。映画でも、ここまでのドスンとした何かを与えてくれる作品は多くはない。しかも本作には学生も出演していることからすれば、いかに練習や努力を積み重ねてきたことだろう。映画なら取り直しが何度でもできるが、演劇ではそれができないところが難しいところであり面白いところでもあることだろうけれど、その緊張感はどうだ。もしセリフを忘れたら、もし順序を間違ったら、などとは思わないのだろうか、いや、そんな心配は本当に余計なおせっかいなのだろうことが出演者の表情を見て分かった。なぜならこの舞台では、観客ではなく、演じている彼らこそが最も楽しんでいることが、彼らの生き生きとした表情で全て理解できたから。今や狭い舞台や観客席の空間全てを支配しているのは彼らだ。舞台上の彼らが一番気持ち良いのだ。だから演劇はやめられないのだろうね。」

 

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フリッカー  Katsuyuki SAITO

 

https://www.flickr.com/photos/165497084@N07/

 

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リツ子・その愛(☆☆☆☆☆)

 

「檀一雄の小説。。」

 

人間機械(****)

 

「映像が美しい、などと言っている場合ではないのだが美しい。写真的なのだ。インドやバングラデッシュには、おそらくこれよりもっと過酷な環境で働かされている人間(子供を含む)もいるのだろう。自分はシルクスクリーンをやっていたから全部わかるぞ。」 

 

 

 

祝福〜オラとニコデムの家〜(***)

 

「ポーランドの 映画監督でまだ若い?女性アンナ・ザメツカのドキュメンタリー。自閉症の13歳の弟の面倒を、否応無く見る姉14歳を中心に取材している。姉は、この親父 の種から本当に出来たのか?と思わさせられるほどの美人。母親はいるものの、なぜか別居している様子。おまけに母親には精神上(発達上?)の問題があるようにも見受けられる。難しい事情の重なった家庭で母親代わりをさせられる美しく成長した14歳は、遊びたい盛りだろうに。」

 

 

 

鹿の王

 

「ある理由から読むことに。」

 

 

 

華氏119(***)

 

「マイケル・ムーア作品。トランプは恐らく○の気配があるのではないだろうか、だから積極的に敵を作るし自分の振る舞いを恥ずかしいと感じないし、自分の意思を全うしようとする。実は恐るべき仮説がある。人類の歴史を大きく動かしてきたのは、結局○の気配を持つ人物によるのだ。科学も芸術も政治も宗教も。その他大勢は付和雷同、決断できず現状維持しようとする。そこへカリスマ的な○が強い意思と方向性を指し示すから、大衆は拍手して追随する。」

 

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子どもが教えてくれたこと(***)

 

「フランスの、難病で入院または通院している子どもたちに取材したドキュメンタリー。欧米の子供って、本当に演技しているように表情豊かだ、そして教えてくれるのだ、生きることに意味を。」

 

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ラ・チャナ(***)

 

「いつもの館で。フラメンコに関するドキュメンタリーは、これまでも色々観てきたが、こういったタップダンスのような演技があることを初めて知った。確かにこれまでもフラメンコでは、力強く足を踏み鳴らすことは知っていたけれど、それをメインにする演技。いつも言うことだが、本当に才能ある人の渾身の表現には圧倒され感動させられるのだ。涙が出るほど美しいよね。」

 

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風琴と魚の町・清貧の書(*****)

 

「林芙美子の短編集。」

 

 

 

整形美女

 

「姫野カオルコの小説。飛ばし読みしてしまったので、きちんと読めていない。」

 

ゲッベルスと私(***)

 

「ゲッベルスの秘書(タイプライター)をしていた女性(撮影当時103歳)にインタビューしたドキュメンタリー。皺だらけの皮膚が、まるで爬虫類のよう。一つの貴重な生き証人。」

 

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サイケ(****〜*)

 

「姫野カオルコの短編集で、「オー、モーツ」、「少年ジャンプがぼくをだめにした」、「モーレツからナイーブへ」、「イキドマリ」、「チビ」、「お元気ですか、先生」の6作品からなる。面白かった作品と、ほとんど飛ばし読みの作品がある。しかしホッペの三本線とは!姫野の目の付け所はさすがである、三本線フェチ。」

 

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受難(****)

 

「姫野カオルコの小説。今まで、こんなにも女性器の名称を連呼した作品があっただろうか?性器が人格を持ったかのように表現すること自体はエロ漫画でも、やっていることだ。うなぎやハマグリを擬人(性器)化する例のやつだ。しかし純文学(のはずだよね)で、それをやったとはお見事!明治の頃から、男性の自慰行為も(あんま)などという呼称で表現されてきはしたけれど、その内向性やうしろめたさやジメジメした感じを、姫野はアッケラカンと払拭してしまった。そうだとも、それこそが人間らしさの象徴だもの。きっと映画化すれば面白い、と思ったが待てよ確かチラシがあったはず、やっぱり。」

 

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ひと呼んでミツコ

 

「姫野カオルコの小説。この、やや冷笑的なユーモアタッチは嫌いではないのだが、前半で読むのをやめてしまった。」

 

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ちがうもん(****)

 

「姫野カオルコの短編集で、「夏休み/九月になれば」、「高柳さん」、「みずうみのほとり」、「永遠の処女」、「特急こだま東海道線を走る」の5作品からなる。あとがきにあるが、姫野は2〜3歳の頃の記憶が多数、鮮明に残っているという。そういったことも姫野の才能の一端を示すのだろう。」

 

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送り火

 

「高橋弘希の小説。果たしてこの話は、インターネット爛熟21世紀の日本で今更書かれる必要があったのだろうか。狭い日本とは言うものの今でもずいぶんな田舎はあるだろうけれど、せいぜい転勤で行く程度の青森県の地方都市ではないか。新幹線はなくても在来線(いや近頃はJRは赤字路線を次々と廃止して、公共交通の責任を放棄しているが)しかし少なくとも道路もあまねく通じているではないか。今や日本は、どの地方へ行こうとも、国道沿いは似たようなつまらない景色に成り下がってしまっている。つまりちっぽけな日本は、完全に均質化していると言えるのではないのか。近頃ではスマホが圏外ー!という状況もめったにお目にかかれないのではないのか(自分はスマホも携帯も持ってないけどね)。当たり前のことだが職業選択の自由も守られ、どんな地方からでも才能さえあれば、一応は、それを生かすことができる社会ではないのか。戦中の疎開先、いやせめて60〜70年代までの話ならわかるけれど、とても現代の日本を舞台に描かれるべき必要性の高いテーマとは思えないんだよね。いや勿論、現代日本には最早、暴力なんてないんだよと言いたいわけじゃない。むしろ地方ほど未だにヤンキーは元気なのかもしれないし、暴力殺人事件など日本全国でいくらでもあるだろう。しかしこの作品で描こうとしているテーマは、学校(中学校?)での暴力だろう?。藤子不二雄Aが「少年時代」で描いたそのものではないか。なぜ今更、それの焼き直しが必要なんだろう?。例えば闖入者を外国人労働者の子供に当てはめてみるとか、反対に、日本からバングラデッシュ、いやせめてメキシコあるいはインドネシアにでも転勤になった家族の子供にでもしてみるとか、他に方法がなかったのか?もちろんどんな未来でも暴力はなくならないだろう。人が人をいじめることもなくならないだろう、殺人事件もなくならないだろう、しかしなあ。尤も、人口減少日本は今後、インフラ整備も取捨選択を迫られるだろうし、まったく人が住まない土地も増えていくだろう。まさかそんな日本の先行きをイメージしたわけじゃないだろうに。」

 

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ツ、イ、ラ、ク(*****)

 

「姫野カオルコの小説。ギュンと引きこまれたし、読後の印象がいつまでも後を引く作品だ。序盤は田辺聖子調だったが、中盤からクライマックスにかけては、さしずめミヒャエル・ハネケが映画化すればいいくらいに、性という、人間の種の保存にとって極めて需要な本能=動物的な側面が、徹底的に、いや、それこそ序盤の田辺聖子風だったところからずっと丁寧に描写されてきたのだ。思えば自分が中学校を卒業する頃に、誰から聞いたのか忘れたが、ある同級生の女子が、卒業と同時に先生と結婚するという噂を聞いた。その女子とはクラスが一緒になったこともなく遠い存在だったし先生も教わったことがなかったために、どこか現実味がなく遠い場所での話に思えた。しかし遠目にもその女子は、身長も高いほうで落ち着いた雰囲気だったように思う。また先生も若い熱血漢だったように見受けられた。姫野が描く通り、中学1年生男子はまだ小学生を引きずっている。一方女子は一足早く、女として成長していたのだ。中学1年の時、本当に女子から交換日記を申し込まれたことがある。愚かにも自分はそれを断ってしまったが、その女子は小学校から知っている、聡明で可愛い子であった。中学生とは、既に子孫を残せる身体となっているのだが、人類だけはそのために面倒な手続きが必要になってしまった。だが、その面倒な手続きが、こういった文学に昇華されるのだからそれもいい。だって終盤には、肉としての生命だけではなく、ちゃんとロマンチシズムが表現されているじゃないか。」

 

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ガザの美容室(****)

 

「最初から最後までほとんどずっと、美容室内での出来事。密室の、緊迫した空気の中で、ひたすら戦争の虚しさを描いているのだ。ひょっとすると、元々舞台でやってたものではないのか?」

2014年10月 2日 (木)

ブリグズビー・ベア(**)

「まあ、面白かったけどね。ただ、せっかくのアイデア(いや、実話でも、これに近い話は時々あるけれど)を、もう少し他の料理の仕方はなかったのかね。もっと社会問題が山積してるだろうアメリカは、それなのに、あまりにも理想主義的。」

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タイムスリップ・コンビナート/二百回忌/なにもしてない

「笙野頼子の小説。すいません、全部、最初の2〜3ページしか読んでません。自分の読書力が低いのかもしれないけれど、苦手なタイプの作品だった。村上春樹や川上弘美やコレのような、シュール調・超現実調の小説が、どうしても受け入れられない。なんでだろうね。もしこれが映画だったら受け入れられると思うのだ。それなのに何故だろう。」

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カメラを止めるな(*****)

「チームで何かを作り上げる喜びを感じさせる作品で、面白かった。きっとリピーターをたくさん産むだろうけれど、二度目を観る人は、前半を大声で笑わないようにしてやってほしいね。それにしても途中、酔ったよ。」

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海の微睡み(*****)

「又吉栄喜の小説。本当に、まるで白昼夢のような気分にさせられる作品。ああ、基地も戦争も何もかも 、ただの夢だったらよかったのに。それにしてもラストの持っていき方は、自分ならこうはしなかったがなあ。ラストの健太の裏切りさえも、ハブの首をためらいなく切り裂くがごとく美華の手の内はかりごとであったかのように、全てを(なんくるないさー)と受け入れ、以後、健太を島に縛り付け従順で良き夫にさせるための手段ではなかったのか、と感じさせるような、そういう終わり方の方がよかった。それこそ美香自身がハブかウワバミのごとくだ。」

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レイン・ラーマット監督作品アニメーション『テイキング・オフ』、『ザ・ライフルマン』、『ザ・フィールド』、『ビッグ・ティル』、『ヘル』、『ザ・ベッカガー』、『ザ・シティー』(*****)

「エストニアのアニメーション作家らしい。初めて観たのだが、大変に面白かった。」

アヴォ・パイスティック監督作品アニメーション『カラード・ペンシル』、『ガンショット』、『クラーブ』、『クラーブ、ニピ・アンド・ザ・アングリーフィッシュ』、『クラーブ・イン・サペース』、『ヌース』、『リーヴィング』(***)

「エストニアのアニメーション作家らしい。初めて観たのだが、大変に面白かった。」

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心と体と(***)

「ハンガリーのイルディコー・エニェディ監督作品。ベルリンで金熊賞。全体として、あまり観たことのないタイプの作品であり、映像も美しく好みではある。ヒロインは「緑の光線」と同じように発達上の問題を抱えているのだろう。このテーマ(発達上の問題)だけに焦点を当てて制作してはいけなかったのだろうか?肉としての生命ということも夢のことも食肉のことも盗難騒ぎも余計だと思うけどなあ、かえって焦点がボケるような気がする。純粋に、発達上の問題のため恋に不器用なヒロインが、ささやかな幸せを掴む話でよかったんじゃないのだろうか。」

豚の報い(☆☆☆☆☆)

「又吉栄喜の小説、読むのは二度目。場末のスナックのママと二人のホステスと、何故かそのスナックの常連の大学生の正吉ら4人の、御嶽である島への道行だが、この道行は、そのまま人生を表しているかのよう。だからママはいい年をして正吉に下の世話までされるハメになり、ママより若い二人のホステスも、ワケあり人生を吐露するのだ。そしてオキナワだけが報いを受け続ける、今も。」

家族シネマ(**)

「読むのは二度目。話がアッチャコッチャし過ぎな気がするが、敢えてそういった表現を目指しているのだろう。なぜならこの時の芥川賞候補に町田庚の「くっすん大黒」があることからも、この手のゴチャゴチャしていてちょっと無意味な状況や混乱を好んで描くスタイルというものがあるからだ。だから本作は、映画化すればいいな、と感じさせられるし実際に映画化された。ただ、映画的に読んでしまうから文学としての魅力が半減してしまったのかもしれない。」

海峡の光(*)

「辻仁成の小説。読むのは二度目。沈痛な描写なので、沈痛に読める。どうしても太宰治を思い出させるのは、やっぱりマイナスポイントでしょう?確かに「人間=人生」を描いてはいるのだろう、ある側面から。しかし、うーん、どっちかと言えば直木賞向きの作品じゃないのかなあ。テレビドラマ向きに感じてしまう。」

この人の閾(***)

「保坂和志の小説。大学を卒業して10数年経った、ある時の、ある場所で、偶然、昔の仲間に出会った瞬間の物語、だろうか。面白く読めた。」

ラブレス(*****)

「『父帰る』のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督作品。ボカシが悲しい。」

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「あすなろ物語」(***)

「井上靖の小説。」

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「大和(カリフォルニア)」(***)

「主人公さくら高校3年?生の苛立ち・焦燥の原因はどこにあるのか?例え米軍基地のある場所が舞台であっても、例え母親の再婚(予定?)相手が米国人でハーフの娘がいたとしても、例えさくらの唯一の趣味であり得意分野がラップ(ヒップホップ)であったとしても、現代ジャパンの若者の生きがいがテーマである限り、それが原因だ!とラップ風に読むちいいかも。」

「レディ・バード」(***)

「ティーンズムービーってことか、青春家族物アメリカ映画。だからなのか?主演女優の容姿が全く主役向きだはないのだ、美人でない上に、肌(ほお)もニキビの痕だらけでデコボコ。これが等身大ってことか?そういう意味での積極的なキャスティングなのかなあ?セックスシーンもあるけれど、隠すべきところは全部隠されており、今時日本のアイドル映画でもしないほどの徹底ぶりは、ティーンズムービーとしての様々なコードをかいくぐるための手段としか思えない。ちょっとテレビドラマ調なのか、テンポが早すぎるけれど、それでもまあ楽しめた。」

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「お菓子とビール」(****)

「サマセット・モームの小説。読みやすく、かつ面白く読める。」

ザ・ビッグハウス(****)

「想田和弘監督作品。本人は観察映画などと名乗っているがドキュメンタリー。一つのアメリカを切り取って見せてはいる。そして、これを観ていると、やっぱりアメリカ人にはなりたくないなあ、と思わさせられる。しかしなあ、確かに自由(個人)の国であることを感じるが、同時に、なんだか強烈な集団主義みたいなものも感じてしまう。」

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ザ・スクエア 思いやりの聖域(☆☆☆☆☆)

「2017年のカンヌでパルムの作品。リューベン・オストルンド監督という聞いたことがない人だが北欧の人らしい。少しラース・フォン・トリアーの「イディオッツ」に、あるいはテーマからすればオタール・イオセリアーニに似ている。いずれにしてもカンヌでパルムに全くふさわしい力強い作品だ。ただ上記二人と異なる点は、現代美術のワケ分からなさや欺瞞・不満を縦軸に物語を紡いでいること。そもそも現代美術には、どこか不愉快な感じがある。気取っていて、理解できない奴が教養が足りないと言わんばかりの高慢ちきで、実際は作者のマスターベーションに過ぎないものを、社会や戦争をだしにして正当化している姿に、いじましさを感じるのだ。そういった不愉快が通奏低音となって、かさぶたをツンツンと突く感じなのだ。だからこの作品は、見ていてとても不安な気持ちにさせられる。誰だって一つや二つ、何かミスをしたこと、マズいやり方をしたこと、ごまかしたこと、見て見ぬ振りしたことがあるだろう。人間は完全無欠ではいられない。欠点だらけなのだ。そんな私やあなたを裸にするのだよ。だが、主人公はスリの被害にあっても警察を頼りにしないんだよなあ。本作は社会がテーマだが、いやだからこそ警察権力に頼んで解決することを嫌う。飽くまでも自分達が、右往左往しながらも議論し失敗を繰り返しながら、なんとか解決に向かおうとするところが偉いよね。万引き家族のラストと比べてみても。それにしても、これは舞台がスウェーデン?なのかな、税金は高いが高福祉の国というイメージなのだが、それでもホームレスや物乞いがおり、また、低所得者層が住む地区やアパートなどが存在するというのが不思議な感じがした。それにしても、キャッシュレス時代は、教会やスーパーの出入り口にいる物乞いにとって、受難の時代なのか。それにしても、日本にもこんな作品を作る監督が出現しないものか?いや森達也がいるけれど、もう少し映画表現に寄った個性的な人物が。それにしても、会田誠に観せたいなあと思ってたら、なんだ、観てるじゃん。」

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万引き家族(***〜****)

「自分がカンヌの審査委員長なら、パルムは出さないだろう。出すなら子役賞。ただ欧米人であろう審査員側に、どうしても異文化視点のバイアスがかかってしまうことは否定できない。自分だってそうだ、インドやイラン映画に求めるイメージと、それを裏切られた時の意外性は面白い。今や欧米から日本は、一応は経済的な一流国の一つとして認識されているだろう、どんなに落ち目であっても。そんなザ・ジャパンのザ・トウキョウに、こんな家族がいる、という事実が驚きをもって受け止められたはずだ。しかしなあ、是枝監督は初期の「幻の光」では、かなりトンガッた作品を作っていたような気がするが、だんだんと、映像や映画として奇をてらったような、また芸術映画的な表現性を持たせることを嫌い、極力静かに淡々と普通(?)に撮ろう、というような意識でいるのだろうか?ただ、それは、そういった表現性ができないことの裏返しであるように思えてならない。本作も、もしケン・ローチが、ダルデンヌ兄弟が、ミヒャエル・ハネケが撮ったら、と思わざるを得ないんだよね。そういったスタイルは無用の物なのだろうか?スタイルこそが重要だと思うんだけどね。もちろん、魅力的なシーンはいくつかあった。例えば、のぞき部屋みたいなところでアルバイトしている、一家の中のきれいどころの若い女性は、痩せ型にもかかわらずボインだったが、アルバイトの時以外は化粧もほとんどせず、きっとそれなりに美人ではあっても、本来、女性はふっくらとした脂肪によって女性らしさを身につけているわけで、本当は男女の骨格は同じであるのだが、それを脂肪が覆い隠しているものだが、それ(本当は男も女も骨格は同じなんだよ、おじいちゃんとおばあちゃんの区別がつかないのと同じだ)を敢えて露わにし、その醜さを表現していたし、その、のぞき部屋の客に、聾唖の人がいて、「あ、あ、あ、あ、・・・」と発せられる吃音によって人間の本質を露わにさせるシーンがあるなど。またリリー・フランキーをはじめとした、声(発声)がよかった。日本人は喉で声を出すから、どうしてもキンキン聞こえるのだが、欧米人なかでもフランス人などは、腹から声を出すから、声が音になるんだよね。こういった、発声が、邦画の弱点だと思っていたのだが、それが本作では、ああ、邦画でもこういった、声が音声にさせることができるんだなあと感じた。」

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ラッキー(***〜****)

「悪くはなかった。ハリー・ディーン・スタントンが、老いて醜悪な肢体をさらけ出してまで。ただ、願わくばもっと造形的に表現してほしかった。」

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犬が島(*****)

「ウェス・アンダーソン作品、なので観たのだが、普段は絶対に行かない遠いシネコンは山の中!で、まあ、一切の妥協なく作られた、かのように見える完成度で、面白かったは面白かったんだけどね。ウェス・アンダーソンは、日本贔屓なのかね?レオス・カラックスとかジム・ジャームッシュとか、日本贔屓の監督が日本を舞台に撮ると、こうなる的な要素があることは、やっぱり否定できないのかなあ。ちなみに日本語吹き替え版を観たんだけれど、そっちで正解だと思う、と言うか、こっちがオリジナルなんじゃないかな。」

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アバウト・レイ

「まあ、あまり期待しないで観たわけなんだが、なんだかアメリカのテレビドラマを観ている気分になった。映画というものは、シークエンスの積み重ねで表現するものだとしても、その区切りがまるでCMを挟んだかのような。それは脚本の問題でもあるけれど、同じ登場人物が毎回、同じ役回りで出てくることなんかも原因だろう。いや、それを言ったら、たいていの映画はそうなんだが、なんと言うか、あらかじめそういった性格付け役割分担みたいな、つまり吉本新喜劇みたいな、この登場人物にはこういった役割を期待する、その期待通りに動いているというか、いや、それを言ったら、たいていの映画はそうなんだが、なんと言うか、」

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ハッピーエンド(*****)

「ミヒャエル・ハネケ作品、なので観た。ある(それなりに金持ち)ファミリーの、ある時期からある時期までの有様を、窓から覗き見るように表現した作品、と言っていいのか。ミヒャエル・ハネケ作品は、これまで出来るだけ観てきたはずだが、基本的にそのスタンスは変わらないのではないか。本作は、ラース・フォン・トリアー、、、じゃなかった、トマス・ヴィンターベアの「セレブレーション」に構造が似ているような気がするが、それよりも感情的にならずに描写している。」

苦海浄土(☆☆☆☆☆〜****)

「石牟礼道子の小説。これは池澤夏樹によって編集された全集。従って、当初は別冊または別の章だったものをまとめて一冊にしてあるため、分厚い本となった。特に第1章が圧巻。戦争や自然災害や薬害などから動機やインスピレーションを得て表現者が表現することは、ままある。ピカソだってゲルニカを描いたし、丸木夫妻もそう。その時、表現者は、美を追求するのだ。石牟礼の文学は、だから美しい。老人の「杢よう」と孫を呼ぶ声。」

ブレンダンとケルズの秘密(**)

「今や、ありとあらゆる映像表現・映画・アニメーションにさらされている我々にとっては、どうしてもいささか物足りないと感じてしまうのだ。また本作が、徹底的に手作りであったならば、まだしも、おそらくCGを大いに活用しているだろうことも、マイナスに影響している。だってノリシュテインの「ケルジェネツの戦い」だったかな?ああいった、徹底的な表現性からも遠いでしょう。」

尾道での写真

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シェイプ・オブ・ウォーター(****)

「観てしまった、まあ、よく出来てるけど、出落ち、ってやつかね。ただ、どこか落ち着かない作品なのは、立ち位置が曖昧なせいだと思う。つまり、エイリアンとかプレデターとかETとか、そういったクリーチャー系ならば、気味悪くともファミリーで楽しめなければならないだろうけれど、その割には性表現が、ユーモアに包まれてはいたけれど、あからさまだった。これをアメリカ人は喜んで子供と一緒には観に行かないだろう?一方、ジャン・ピエール・ジュネのような方向性ならば、今度は反対に物足りない。などと思いながら観ていたら、なんだかカネゴンを思い出した、そうだ、円谷プロは今こそ映画で。」

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悪魔払い、聖なる儀式(*****)

「カトリックの教会では、本当に今でもこんな(映画みたいな)悪魔払いをやっているんだということを教えられたドキュメンタリー。日本だって「いたこ」という人がいるわけだし、人間の脳は、時としてトランス状態に陥ることもある。脳を興奮させる物質を使用する場合もあるんだろう。昔「素晴らしい世界旅行」という番組で、どこかアジアかアマゾンの奥地のジャングルの、裸同然で暮らしている少数民族の、そういった儀式を見て、科学的な医療を知らない未開の人類の様子を、遠くの日本からブラウン管を通じて眺めていたわけだが、21世紀の先進国でも、実は同じようなことをやっていたわけだ。つまり人間は、石器時代から今も、その本質は変わらないということ。様々な方法で、トランス状態を起こし、ある意味では、スッキリ、した状態を獲得し、それによって治療された、と解釈する。まあ本人達は本気でやっていることだし、当事者は本当に苦しんでいるんだろうから、他人の信仰をどうこう言うべきではないけれど、これはしかし、ある意味では、スッキリさせるリクリエーションのようなものではないのか。これによって、本人が救われる(宗教的な意味ではなく)のであれば、それはそれでいいのだろう。きっと本人と周囲の人間関係や生活習慣などに本当の原因があるのだろうし、本作では、そういうことも暗示してもいる。しかしまあ結局、悪魔が憑いた様子を本人が(本気になって)表現(演じて)しているわけだが、その表現が、何かの映画で見たような既知の悪魔らしさ、の範疇でしかないのだよ。」

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活字

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京都

ビガイルド欲望のめざめ(***)

「ソフィア・コッポラ監督作品なので観た、のだが、まあ映像は悪くないが、なんだか物足りないね、それは、きっと、やはり父親譲りの映像主義に原因があるのだろうか。本当は怖い〜物語みたいな展開だが、ああ結局この人は、こういったシーンが撮りたいだけなんだろうね、という感想しか出てこない。世の中にある全ての物語は、ご都合主義と言っても過言ではないが、それを、そう感じさせてしまうか、素直に入り込ませるかが、作者の表現力だし何としてでも表現し伝えたいのだという意志だよね。そういう意味での、ご都合主義が、あからさまに感じてしまうんだよね。19世紀のアメリカが舞台である必然性も、都合よく女だらけの寄宿学校が存在するのも、そこに美人ばかりが(いや、約1名はそうでもなかったが)いることも、あんな状況の時代に、綺麗な衣服が揃っているのも、食材や酒が豊富なことも、イオニア式だかドーリア式だかまるでホワイトハウスみたいな豪邸があんな場所にポツネンと建っていることも全部、ソフィア・コッポラの趣味ではないか。いや、こういった状況における人心の変化を描きたいのなら、もっとミヒャエル・ハネケのように描けばいいじゃないか。カトリックに対する欺瞞を描きたいなら、もっとラース・フォン・トリアーのように描けばいいじゃないか。人間の内面を抉り出したいなら、もっとイングマール・ベルイマンのように描けばいいじゃないか、そうでないならば、いっそ徹底的にギャグ化すればいい。実際、観ていて、なんだか志村けんか松本人志のお笑いに見えてきたもんね。それがいやならせめて、酒池肉林の花園で終わればよかったのに。セックスシーンも物足りないよ。」

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シェラトン

立ち去った女(*****)

「いつもの館で。フィリピン映画ということだが、何より上映時間が228分だという、ほとんど4時間近いじゃん、これがおもしろくないワケないじゃん、ということで、いそいそと観に行った。実はトレーラーもちょっと観ていたのだが、映像がとても良いのだ。モノクロだから、ということもあるけれど、固定されたカメラによる長回しの映像が、まさしく写真のようなのだ。話はフィリピンにおける1990年代頃からの、国中に起こった暴力や子供の誘拐事件を背景に、極端な貧富の差を描いているけれど、観ていて、うーん、これは遠藤周作だよね、と感じられた。つまり、フィリピンではキリスト教徒が多いらしいのだけれど、遠藤が投げかけた、宗教の真実と欺瞞、宗教にたいする疑いみたいなものが根底にあり、それが丹念に描かれているのだ。ただ遠藤と異なるのは、終わらせ方かなあ。」

おらおらでひとりいぐも(***)

「若竹千佐子の小説。すごくジンと来る描写と、そうでない部分が繰り返しやってくる感じ。かなり好きな小説だろうと期待していたのだが、なぜだか集中して読めなかったのは自分のせいかもしれない。」

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太田川

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京都

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庭園美術館

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百年泥(**)

「嫌いではない作風なのだがね、一部を除いてはね。なぜ、羽をつけて空を飛んで来なければならないのだ?なぜ泥の中から人を引っ張り出さなければならないのだ?などということを言うと、自分の理解力・読解力の無さを露呈することになるんだろうけれど、こういった、村上春樹的・川上弘美的超現実的スタイルが、どうしても好きになれないんだよね、少なくとも文学において。と言うのも、もしこれが映画だったらきっと受け入れられるんだよね、十分にアリだと思うんだよね、なんでだろうね。」

空のオルゴール

「中島らもの小説。まあね、一通り読んで、再び最初のページを見開いて、こういうのを何て言うんだろうね、冒頭の言葉、誰かの名句名言だったり諺だったり別の文学からの引用だったりするものは、で、ここにゴダールの「気狂いピエロ」の最後のセリフ「まったく何て死に方だ」が書いてあったので、なるほどなあと思わされた。つまり、そういう作品なんだよ、ということなんだろうけれど、そんなんでいいのかね。それとな、記述に誤りがあったぞ、中島らもよ。」

十五少年漂流記

「ジュール・ベルヌの小説。読んだことがないと思っていたが、なんとなく記憶が蘇ってきた。まあ、少年少女向けの小説だから、こんなもんだろう。」

下山事件 最後の証言(***)

「柴田晢孝の、これは小説ではないよね、ノンフィクション。しかし、まだ日本が米軍に占領されている時で、ほんの少し前まではドンパチ戦争をやっていたということからすれば、こういった殺人事件も、あってもおかしくない時代なんだろうか。柴田の結論は、占領軍リベラル派と右翼派の鍔迫り合いではなく、国鉄利権がらみの事件ということのようだが、この結論の方が説得力があるね。」

下山事件シモヤマ・ケース(***)

「森達也の、これは小説ではないよね、ノンフィクション。なんだけれど、まるでフィクションのように感じてしまうのは、森の書き方のせいでもあるような気がする。と言っても、普段、ほとんどノンフィクションを読んでいないので、なんとも言えないが。しかしなあ、自分は森よりもさらに年下の、本当に全く「戦争を知らない子供たち」なわけだが、こういった現実は、俄かには信じられないよね。しかし」

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ガウディーマンション

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尾道

希望のかなた(**)

「アキ・カウリスマキ監督作品、なので観た、のだが、まあ、嫌いではないけれど、アキ・カウリスマキでさえもが、ISと難民の問題を描かざるを得ないほどなんだろう。」

ゲド戦記(**)

「テレビ放映を録画したものを観て言うのもなんだけれど、色々言われているようで前評判は悪買ったけれど面白かった。色なんか、宮崎駿の、絵の具の生っぽい色よりもずっとよかったし、絵柄も「ハイジ」の頃を彷彿とさせて好きだった。「コクリコ坂」も、ジブリ作品の中ではかなり好きは方だし。」

ポルト(*****)

「行きずりの恋ということだ、アバンチュールということ。ほんの気の迷い。ちょっと階段を踏み間違えることは誰にでもある。フラリと、いつもの道とは違う回り道をしてみようかという気になることだってあるのだ。女にとっては、年の離れた夫との単調な関係に飽いて物足りなく感じてもいただろう。30代に入ってしまったが、まだまだ若い女は、このまま生活に老いていくことに不安を感じてもいただろう。ペネロペ・クルスとケロンパを足して二で割ったようなキュートな女は、少し出っ歯だが魅力的だ。そんな時、偶然、引っ越しというイベントが女に変化をもたらした。夫は仕事をかたづけるため少し遅れてやってくる。女にとっては、ほんの偶然の隙間の、密かな楽しみに過ぎなかっただろう。若い男とのセックスは、習慣的なそれに比べ背徳感も加わって、素晴らしかった、それでも女には守るべきものがあったのに。一方、男にとっては.....そう、男は純情だ、ボーイ・ミーツ・ガール、そんなこと、年に何回もあるくせに、女の言葉を真に受けて、一途に燃え上がってしまうのだね、最初は、あばたもえくぼで欠点も美点になる、だがやがて飽きてくる頃には、と、なるわけだが。だが、女が悪いとか、男が情けないということではない、そういった、ほんの瞬間に燃え上がった恋を、フィルム調の映像〜フィルムが傷ついてキラキラ光る様子まで再現して〜デジタルみたいにカリカリなピントではなく、少し甘いピンで、コダックかフジか知らないが少しブルーな映像の美しさも手伝って、そんな気分を美しく表現している。ポルトガルには行ったことがあるけれど、リスボンにしか行っていない。マドリッドから夜行列車で行ったのだ。その時同じコンパートメントに同性愛の男二人がいたことは置いておいて、ポルトはそのリスボンからずっと北にある第二の都市とのこと。注:どうやらフィルム(35と16と8ミリの3種)で撮影しているらしい。」

エンドレス・ポエトリー(**〜***)

「アレハンドロ・ホドロスキー監督作品、なので観た。まあね、アレハンドロ・ホドロスキーは昔からアレハンドロ・ホドロスキーなのであって、それ以上でも以下でもない。アレハンドロ・ホドロスキーはフェリーニではないしキューブリックでもないのだよ。そのことを、今回の作品で強く意識させられてしまった。それは、どういうことかと言えば、例えばオペラのように歌いながら喋る母の表現は素敵なアイデアだし、前作「リアリティ〜』の時に、あー、やられたーと唸らさせられたのだが、どうしても二度目ともなってくると、ワンパターン感が否めない。結局、このアイデアが、表現に結びついていないのだよね、面白いだけで。そういった、アイデアやショックを受けさせるような映像だけが輝いてはいるけれど、どこか薄っぺらいのだ。「リアリティ〜」の続編として、アレハンドロ・ホドロスキー自身の生い立ちみたいなものを描いているが、そこに通底し共感させる力が不足しているんじゃないのかなあ。そういった意味で、以上でも以下でもない、ということなのだ。しかし恐ろしいのは、って別に恐ろしくはないのだが、きっと次に「パリ編」がやてくるのではないか?そしたら、また観なきゃならんじゃないか。あ、ボカシが入ってない、のはエライ、こういうまともな判断は誰がどこでするのかね。「リアリティ」の時はボカシが入ってたのにね。」

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婚約者の友人(**)

「フランソワ・オゾン作品なので観た、のだが、もう何度も言っているように、フランソワ・オゾンは変わってしまった。それを分かっていながら、観させ続けるほどにかつてのフランソワ・オゾンが恋しいのだ。今回、ほんの一瞬、その顔を覗かせたのになあ。きっと、また次も観るんだろう、そして昔を懐かしがるのだ。」

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冬の庭で

スイス・アーミー・マン(*****)

「日野日出志の、死んで腐りながらも生きてるゾンビの如く、無人島で孤立した時に死体が上がってきたらどうする、そう、とーぜん、死体のおならの力でサーフィンよろしく島を出て行くよなあ。死体は死体だから喋れないし動けない全くの役立たずのお荷物だ。そんなものをなぜ人は一緒に連れて行くのか?優性保護法の如く、民族浄化の如く、切り捨てればいいじゃないか。だが、自分で歩けもしないその役立たずが、いつしか人の支えになっているじゃないか、そう、まるで十得ナイフの如く。」

サーミの血(***)

「いつもの館で。恥ずかしながら、ラップランドのことやラップ人に関することは何も知らなかった。あの、福祉国家であるはずなんだろう北欧でも、先住民族の差別というものが、あったのだな。実は自分は、勝手にだがアイヌの血を引いていると思っているのだが。」

90歳。何がめでたい

「佐藤藍子のエッセイ。」

こんな幸福もある(*)

「佐藤藍子のエッセイ。ま、エッセイなのでアレなのだが、エッセイにしては深刻な部分まで踏み入って、しかもそれを〜一種の幸福〜として描いているのが凄まじい。」

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人形

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きりん

シン・ゴジラ

「テレビ放映を録画して見てしまった。」

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桂浜

血脈(上・中・下)(*****)

「恥ずかしながら、佐藤愛子の小説を初めて読んだ。それにしても、あの「小さい秋」のような、あんなに優しい詩を書くことができるサトウハチローが、このような破天荒な人物であったとは驚き。それは文才も含めて父からの遺伝であるようだが、鮮やかに描写された血脈からは、明らかに発達上の問題が見受けられるように思われるが、佐藤が本書を上梓した時、この問題に関する知見は、まだ一般的ではなかったのだろうか。しかしだからこその才能でもあるのだろう。」

ユーリ・ノルシュテイン監督特集上映「アニメーションの神様、その美しき世界」(*****)

「もう何度も観ている作品だが、ひさしぶりに劇場で観ると、やっぱりいい。なんでも画質や音が修復されているとのこと、確かに「霧の中のはりねずみ」でも、音が違う感じがしたかも。」

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オン・ザ・ミルキー・ロード(***)

「エミール・クストリッツァ監督作品。なので万難を排して観に行ったわけだが、まあ確かに冒頭からブンジャカブンジャカ音楽にのせて動物から始まり、走り回る登場人物は首吊りよろしくロープにひっぱられたり、黒焦げ屍体に羊は後でスタッフが美味しくいただきました状態、あげくに空中浮遊までと、とにかくエミール節満載炸裂ではあるのだが、うーん残念ながら、そういったファンサービス?をやればやる程自己模倣の悪循環から逃れられなくなるのではないか。しかも蛇や空中浮遊やラストの石もだろ?にCGなんか使うなっての。もちろんエミールがこだわるセルビアの状況があるのだろう、このいかにも平和に見える美しい山野の景観の中で血なまぐさい憎しみに基づく無意味な戦闘が繰り返されてきたのだから。しかしなあ、敢えて言いたい、エミールよ、古い服を脱ぎ捨てて新しい表現を作れ。」



わたしを離さないで(***)

「カズオ・イシグロの小説。勿論翻訳を読んだのだが、まあ面白くは読んだ。翻訳も上手だったと思う。とは言うものの下作品同様、良くも悪しくもアカデミー賞的、いやもう映像的と言うか映画的な描写なんだよね、折しもブレードランナーを観たばかりだったということもあるけれど、しても、なんでこんな、どっかのアニメか漫画か何かで聞いたことのあるようなSFじみた話を書いたんだろう。もっと本質的に人間を深く掘り下げ描写することこそが面白いんじゃないのかね、スウェーデンアカデミーのみなさんよ、いや勿論、このような設定によって生命としての人間の有様を描写しているということはできるのかもしれないが文学としての立ち位置が、どうしても娯楽芸術としての側面の方が強いよね。本当に遠藤周作の方が何倍も良いよ。」



ブレードランナー2049(***)

「何よりもまず、2時間43分という上映時間に拍手を送ろう、ソニー・ピクチャーズの英断だ。名作のパート2物が、どうしても批判に晒されるのはしかたがないだろう、それだけ強い魅力を持った、だからこそ名作だったのだから。だが本作は、その負い目を払いのけ、批評家の懸念を押し返すだけの出来だったのではないか。」



わたしたちが孤児だったころ(***)

「カズオ・イシグロの小説。勿論翻訳を読んだわけだから、その分は差し引いて見なければならないのだろう。面白くは読んだのだ、特に終盤にかけてのクライマックスは、むしろ出来すぎているくらいに読者を楽しませ、それこそ映画化されそうな勢いで、これならアカデミー賞候補にも楽に挙がるだろう。良くも悪しくもアカデミー賞的なのは、娯楽芸術としての側面と、20世紀前半の世界の有様を、あたかも彷徨う孤児に見立てて世界や人類を描写している点だ。黒澤明が生きていたら映画化したのではないか、きっと、アキラを三船敏郎にしてな。にしても、ノーベル文学賞って、平和賞とともに難しいよね。いや、まだ平和賞の方が、政治的(民主主義的思想に基づく正義や平和主義みたいなもの)意図が明確でわかりやすい。それに比べて文学賞は、純粋な芸術的価値よりも、やはり政治的な側面を意識した作家に送られてきたはずだ。そうだとするならば、カズオ・イシグロに今のタイミングで授与されるのはどうなのか?他の作品を読んでみなければわからないけれど。」



いのちのはじまり 子育てが未来をつくる(*)

「いつもの館での鑑賞。予告編に釣られて観たんだけれど、うーん、なんだかユニセフのPR映画のようだった、それこそ出口に寄付の箱が置いてあるんじゃないかと邪推するほどに。」

裁き(****)

「インド映画。ただしインド映画で想像するようなサービス精神満載の娯楽映画ではなく、インド社会の現実の一端を描写し批判しようとする社会派。キアロスタミみたいに素人をつかっているのではなく、ちゃんと役者を使っているようだが過剰な演出もせず静かに演じさせている。カメラのほとんどは固定され安定した構図で美しい。しかも冤罪の被害者側には裕福な弁護士が付き、検察側が裕福ではない人物にさせるなど複雑なのだ。この監督はヨーロッパで勉強したのではないか?ともあれ、インドの超現実を浮かび上がらせられたわけだが、果たして我が国ではこんな冤罪はありえないのか?「漢字も読めないボンボンのー、◯◯ノミクスはウソッパチー、金持ちだけが儲かってー、非正規雇用ばっかりだー、徴兵制が復活しー、あんたの息子は戦場へー、教育勅語が復活しー、◯◯様万歳とー、特攻隊で討ち死にだー、ああそうなんだー」などと歌ったら、やっぱりマズイんだろうね、忖度しないと。」

ウィッチ(**)

「ユニバーサル映画ではあるけれど、サンダンス映画祭ということと、予告編を観ると、まるでフェルメールのような映像に魅力を感じて観たのだが、そもそもキリスト教徒ではない自分にとって、悪魔とか魔女という概念が受け入れ難く、スクリーンの中で役者が怯えたり叫んだりすればする程にどうしても滑稽に見えてしまう。そもそも、あの一家が村を出ていかざるを得なかったのは、単に信仰の深さの問題か、それともカトリックとプロテスタントの対立なのかも分からない。それにあのラスト、もう笑うしかないだろ。」

写真

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パターソン(*****)

「ひさしぶりのジム・ジャームッシュ監督作品。セリフの全てが詩に聞こえてくるくらい楽しくて魅力的な設定で、一体最後にどんなオチを持ってくるんだろと楽しみにしながら観ていたんだけれど、うーん、ねえジムよ、こんな終わり方で良かったのかい?」

ナラタージュ(*)

「島本理生の小説。これまで何冊か島本作品を読んできたけれど、これが最後になると思う、と言うことはつまり、偉そうに言うならば一応、島本を定義できたということ、もちろん自分で書けやしないのにではあるけれど。島本作品は、衣類の描写が多い。その人物がどんな服装をしているか?ということは、もちろん場合によっては必要なことではあるけれど、自分はそれを積極邸に知りたいとは思わない、その作品の本筋を追う限り。島本作品は、実在の映画や文学作品の名前をしばしば引用する。これも自分はあまり好まない(注:大槻ケンジを除く)。ヴィクトル・エリセは大好きな監督だけれど、ここに引用されたのは、どこか残念な気がする、つまり、ヴィクトル・エリセと言うだけで伝わってしまう便利な言葉になってしまってはいないか、おしゃれ感の創出のためだけに利用されているように思えてならないのだ。島本作品は、どうも読者の年齢層や性別を限定してしまうのではないだろうか。結局、若い女性向け小説なのかなあ。あ、映画化されてるし。」

シルエット(*)

「島本理生の小説。やっぱり綿矢りさに似ている、と言うより、大きく影響されているのだろう。本作文庫本のは、短編があと2作品収録されているが、いずれも似たような話である。新しく好きになれる作家を探し求めて島本理生を読み続けてきたけれど、なんだか未だに島本理生を定義できないなあ。若い性を描くなら堪えきれないリビドーもあるだろう。憎しみもあるだろう。一時の気の迷いだとしても湧き上がる愛情もあるだろう。それらがね、なんだかモヤがかかったみたいに薄ぼんやりと描かれている、いやそういうスタイルなのは分かっているが、結局、そういった女子向けの大衆文学にカテゴライズすればよいのか?」

リトル・バイ・リトル(**)

「島本理生の小説。やっぱり綿矢りさに似ている、と言うより、大きく影響されているのだろう。下作品などと比べてみて、島本作品の登場人物は、男も女もよく似ているなあということ。しかしそれは決して悪いことではないだろう、例えば西加奈子だってそうだ。そのことは、島本の考え方や感じ方を表しているのであって、極めて文学的には重要なことだ。その、何か、は、現代風の息苦しさ中の、傷つけられることを恐ることの裏返しとしての優しさ、みたいなものかなあ。全体として、優しいよね。個人的には、もっと性表現を掘り下げてしつこく描写すてほしいなあ。」

よだかの片思い(**)

「島本理生の小説。自分が読みたい小説が読みたいのだが、誰を読んでいいのかわからないんだよね、それでインターネットで例えば金原ひとみに似た作家で検索したら出てきたのが島本だ。この作品に関して言うならば、どちらかと言えば、綿谷りさに近いものがあるかもしれないが、まあ本作は読みやすく感情移入しやすい分かりやすい作品なので、まだまだ判断できない。判断とは要するに、自分の好きな作家の一人になるか否かということだ。金原の場合、自身の成長と共に作中人物も成長し、あたかも金原自身の日記の如く、彼女の内面生が披露されており、それは金原の血肉に等しく絞り出されたものなのだし、だからこそ心打つものがある。それに対して島本が、果たしてこの創作を、どこまで血を流し傷つきながら描いているのかはわからない。」

クローバー(*)

「島本理生の小説。自分が読みたい小説が読みたいのだが、誰を読んでいいのかわからないんだよね、それでインターネットで例えば金原ひとみに似た作家で検索したら出てきたのが島本だ。上の作品とともに、ひょっとすると島本は、容姿=身体的特徴を持つ女性を、好んで登場させるのか?」

子どもを救え!(*)

「島田雅彦の小説。前半までは面白く読んでいたのだが、中盤からラストに至るまでは、なんだか飽きてきて、すっ飛ばして読んでしまったよ、悪いな島田。特に、可南子の日記が続く場面からは、どこかこそばゆい感じがしてならない。それは要するに、やっぱり男が女の振りをして書いているからで、どうしても偽物感を拭えないのだ。たとえば本書を金原ひとみが書いたなら、もっと違っていたはずだ、いや、あたりまえだけどね。島田の熱意は大いに感じるのだよ、だがなあ、何かしっくりこない、ボタンが掛け違ったまま突き進んでしまったような。」

僕は模造人間(*)

「島田雅彦の小説。前半までは面白く読んでいたのだが、中盤からラストに至るまでは、なんだか飽きてきて、すっ飛ばして読んでしまったよ、悪いな島田。」

メアリと魔法の花(*)

「まあ、よく出来てはいると思うよ。色なんかも、ジブリとは違う少し落ち着いた色調を、敢えて用いている。でもなあ、今更こんな似たような話を見せられてもなあ。まあ勿論、いつでも新しい(若い=小学生くらいかなあ)視聴者が誕生するわけだし、そういう人たちを対象に、楽しくわかりやすい、その時代に必要とされる定番が、常に存在すべきではあるのだろう。そもそも焼き直しを言い出したらアレなわけだし、でもなあ、なんでわざわざこんな原作を使うのだろうか?自分で話を作ればいいじゃないか。あるいは確信犯的に、わざとやってるのだろうか?」

ロスト・イン・パリ(**)

「おそらくこの監督が、ジャック・タチを意識していることは間違いない。」

僕とカミンスキーの旅(**)

「まあ、面白くなかったわけではないのだが、」

マンチャスター・バイ・ザ・シー(*****)

「これはユニバーサル映画?だが上映時間が2時間を大きく超えるということからしても信頼していいだろうということで、いつもの館で。マンチャスターって、あれ?左ハンドル?つまりアメリカにもあるのだ、しかも海辺...じゃなく湖のある町。静かだが、人間の心の襞がよく表現されたアメリカ映画らしくない作品。まあ、よくこの企画が通ったね、しかも自分的にはうれしいいつもの館での上映だが、制作や配給会社的には嬉しくない結果だろうに。」

虚人の星(**)

「島田雅彦の小説。あの男に読ませたいんだろうね、やっぱり。」

影裏

「読解力が無いからなのか、なんだか面白くなかったし、主題が何なのかも、よく分からなかった。」

歓びのトスカーナ(***)

「注文通りの作品だけれど楽しめた。ま、この分野はそもそもずるいんだが、それでもいいじゃん。」

新版・十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本(***)

「ああ、旅はいつか終わりが来るのだ。旅人は自由だ、旅人は旅人で有る限り、生活とか社会のしがらみ関係性から解放されているから。旅人は、まるでスクリーンで映画を観るようにその地を眺めることができる。旅人は、だから幸福なわけだけど、どこか寂しげでもあるわけだね、だからいつか旅を終え、故郷に戻るのだ。オリザって、どうやら本名のようなのだね。」

漫画版(文語)たけくらべ

「恥ずかしながら初めて「たけくらべ」を漫画で読んだ。漫画で内容を知った上で、原文を少し読んでみると、原文がとても美しいことに気付かされた。」

はじまりへの旅(☆☆☆☆☆)

「よくある話ではある。しかしこの邦題は、原題よりいいと思うな。」

未来よこんにちは(☆☆☆☆☆)

「ミア・ハンセン=ラブ監督作品。ひさしぶりに、このタイプのフランス映画を見て大満足。なんとミア監督は、まだ30代の若さで、こんな〜終わりの正体を見せるような〜作品を撮ってしまうなんて。淡々と、素っ気ないエピソードを積み重ねて〜ある意味では伏線を張って〜表現していくタイプで、積極的な演出とか見せ場とかを意識しない作り方は、エリック・ロメールとか、はたまたアッバス・キアロスタミとか、あのカテゴリーということができるけれども、その中では、それでも積極的に描いている方か。哲学や思想に燃える若者もいつか現実にぶつかり夢破れるのだ。ずっと出ずっぱりの主人公の哲学教師のオバチャンも、若い頃はデモに参加し、今では教科書を執筆したり自爆テロに関する本を上梓するほどの人物で、授業では哲学の理想を語る。しかし彼女でさえも現体制や現在の暮らしや仕事に満足しバカンスを楽しむブルジジョワへと、ある意味では堕してしまっていたのか。彼女の最も優秀な教え子は、そんな彼女を軽蔑し自分の理想を追い求める。だが、哲学や思想に燃える若者よ、君もいつか現実にぶつかり夢破れるだろう。真理は一つ、人は老いその代わりに新しい命を残すのだ。時間は残酷だ、理想に燃えたあの時の私も、いつのまにか老いて何も残せなかったのか?いや、最大の贈り物は、この小さな命ではないか。」

エリザのために(**)

「ルーマニアが舞台であり意味を持つ作品であることが、かえって作品をつまらなくしてしまった、と言ったら語弊があるか言い過ぎか。監督自身がルーマニア出身であるようだから、しかしそれも否めない。」

孤愁サウダーデ(上)(**)

「新田次郎の小説。恥ずかしながら新田次郎の作品を初めて読んだかもしれない。ある実在する?ポルトガル人の目を通じて、日本を描いているのだが、昨今の日本のテレビのように、日本エライ!な贔屓の引き倒しにも読めて、ちょっと、なので下巻はもう読まなくてもいいか。」

アグリーガール(**)

「表紙のデザインからも、また漢字にルビが振ってあることからも、本書が中高生向けであることは明白だが実際読みやすい、ごく最近のアメリカ文学。アメリカ人らしい終わり方はともかく、我が国では共謀罪成立という暴挙がなされようとしている最中に、よくこれを読んだよね俺も。映画化向きでもあるよね。」

サクロモンテの丘(***)

「サクロモンテの丘ってどこだっけ。。。とか思いながら觀始めてから思い出した。そうそう、アルハンブラ宮殿の横だよね、もう25年前くらいだろうか、面白そうだから登り始めたんだけど、びびって途中で降りちゃったんだよね。あの時、上まで登っておけばよかった。」

ミューズ・アカデミー(*)

「ホセ・ルイス・ゲリン監督作品。同監督の何かを見た記憶があるような。これは、ドキュメンタリータッチのフィクションということでいいのか?」

木を植えた男を読む(*****)

「高畑勲の著書。パール・バックの「木を植えた男」を初めて見たとき、その教訓めいた話が好きになれなかった。アニメーション表現自体は素晴らしいものだっただけに、どこか釈然としない気持ちを抱えたまま、だがそれ以上調べようとも何もしないままだった。で、その後どういうきっかけだったか忘れたが、あの話は実話ではないということを知り、「なんだよ!やっぱりか!」という、裏切られたと言うか、さもありなんと言うか、それでますます心にひっかかっていたのだ。実は2016年に高畑氏とお会いする機会に恵まれたのだが、その時に思い切って、そのことを話してみた。すると高畑氏は怪訝な顔をなさったのだ。と言うのも、そもそも「木を植えた男」を実話でないと知ったとしても、そこに引っかかる人物は少ないようであるのだ。実話でないことでアニメーション「木を植えた男」の価値が下がるわけではない、と考える人の方が多いのだろう。ともかく高畑氏は、実は僕もそう思ったから本を書いたんです。とおっしゃった、そしてその経緯や本の内容について簡単にお話くださった。それで遅ればせながら本書を読んだのだ。」

バンコクナイツ(**)

「3時間の長編を飽きることなく観たけれど、言いたいこともなんとなく分からんでもないけれど、現地でのロケやキャスティングなど頑張ったんだろうなとも思うけれど、監督の思いが空回りと言うか、それが結局3時間という長さに現れているわけで、表現としての完成度はまだまだではないのかなと感じさせられた。ハリウッド映画は好きではないけれど、事前のプレビューの反応によって結末まで変えてしまうくらいの考え方にも、一理あるよなあと思わせられもしてしまうのだ、本作を観ると。」

村の犯罪(***〜****)

「ジュール・ルナールの小説。幾つかのエピソードに別れた短編集。以前「にんじん」を読んで、ルナールが定義しにくいと感じたのだが、結局、ルナールを理解するためには、「にんじん」以外を読んでみないとだめなようだ。そして、なんとなく分かってきたぞ。根底にあるのはユーモアと皮肉と人間なんだろう。人間を、過大にも過少にも評価せず有りのままを見つめているのではないか。しかもルナール自身が、自身のあからさまな主張欲望言わば自らの恥部を隠そうともしない。」

おおかみこどもの雨と雪(☆☆☆☆☆)

「面白かった。ジブリアニメーションもいいが、大きな不満が一つあった。それは色だ。ヨーロッパのアニメーションに対して色彩が、どうにも生っぽいというか絵の具っぽくて嫌だったんだよね。で、なんでかなー、宮崎だってポール・グリモーに憧れてやってる割には、色には無頓着なんだよねー、などとずっと思っていたのだ。しかし細田守も、よく、ここまでやったよね、というか制作側がやらせたよね。上映時間もほぼ2時間と長めであるし、ロングショットが多いことや、セリフが必要最小限に抑えられていることなど、娯楽映画のルールからすれば大きく外れているはずだ。動画表現も優れていて、それこそポール・グリモーのように前後に移動するシークエンスを多様しているし、とにかく徹底的に動きで表現することにチャレンジしている。そういった作品を認めて作らせた方も偉いよ、この日本で。本作がどの程度ヒットしたのか知らないけれど、こういう作品がきちんとペイできればいいのにね。一つだけ気になったのは、コスチュ−ムの輪郭線で、ちょっと線が多すぎて煩い感じがした。」

菊次郎とさき(**)

「ビートたけしの小説。」

T2トレインスポティング(**〜***)

「まあね、そうか、もう、あれから20年も経ったのか、って、ここまで時間が空けば後日談part2も許されるだろうし、それなりに楽しみながらは観たけどね、ひょっとすると、ダニー・ボイルじゃなくって、セドリック・クラピッシュが監督だったら、いや、いっそもっと若い監督だったらもっと良かったんじゃないか?などと思いながら観てしまった。」

灼熱(**)

「まあね、この地域、旧ユーゴスラビアに関する作品は色々観てきたし、たくさん作られてきたのだが、虫や家畜や何かの獣を時々画面に入れてみたり、水中のシーンを印象的に使ってみたり、女優が意図的に美人じゃなく描かれていたりと、魅力感ある部分もある。」

聖杯たちの騎士(*****)

「しかしテレンス・マリックは、どんな脚本を書いているんだろうね。」

カレーライスを一から作る(**)

「いつもの館で。期待した程ではなかったかも。」

ニセ坊ちゃん(**)

「東貴博の小説。面白く読めた。どうも自分の中で、東八郎と由利徹とタコ八郎が混同しているようだ、あ、あと横山ノックとね。」

グレートミュージアム ハプスブルク家からの招待状(**)

「ウィーン美術史美術館の舞台裏に取材したドキュメンタリー。いや元々ドキュメンタリーは好きなのだがなあ、しかも多少は美術に関係する業界に身を置いているというのに、うーん、あまり熱中できなかった。1週間限定上映ということだから、これは自分向きだと思ったんだけどね、その割に客はよく入っていたけれど、みなさん喜んで観ていたのだろうか?よっぽど教養高い人が集まったのか?隣のオバサンが突然、両手で自分の頬をパンパンパンと3回張ったのは何故だ?」

しんせかい(*)

「山下澄人の小説。ひらがなが多くて、のらりくらりとした文体が、あまり好きになれなかった。」

人知れず表現し続ける者たち(☆☆☆☆☆)

「NHKのETV特集。作為がないから美しいのだろうけれど圧倒される。被写界深度の浅い映像が効果的。」

スティル・ライフ(***)

「池澤夏樹の小説。」

皆様、ごきげんよう(*****)

「大好きな監督作品。なのだが、さて1999年作『素敵な歌と舟は行く』の頃と比べて、世界はマシになったのか?いやいや『素敵な〜』の頃に方が、まだしも分かりやすかったのかもしれない。なぜならトーロッパではベルリンの壁が崩壊しEU統合の機運が高まり、ある意味では希望に満ち盛り上がっていただろうから。それから10数年が経ち、世界はますます分かりにくくなってしまった。その理由の一つはやはりインターネットだろう。それがアラブの春を招いたが、新たな災いがヨーロッパに押し寄せてきたのだから。いや、それは彼らから見た災いに過ぎない。テオ・アンゲロプロスのセリフに『ギリシャは歴史を使い果たした』というのがあるが、ヨーロッパもくたびれているようだ。」

真昼のプリニウス(***)

「池澤夏樹の小説。新聞に時々、池澤夏樹のエッセイが掲載されていて、とても好きなのだが、一度、小説にチャレンジしたのだが、のめりこめなかった記憶があるが再チャレンジ。で、まず感じたのが、どこか多和田葉子を思わせるってこと。いや、多和田の方が年下だから反対かもしれないが。」

かいじゅうたちのいるところ(***)

「着ぐるみが良く出来ていた。が、映画としては、うーん、面白くなかったわけではないけれど、なぜだか深みを感じなかった、かいじゅうが、あんなに良い演技をしているのにね。」

悲しみの歌(***)

「遠藤周作の小説。群像劇の形式で描かれている。手塚治虫のスターシステムよろしく、遠藤作品おなじみの登場人物が、重苦しい人間の生を演じているのだ。ロバート・アルトマンが映画化すればいいと思うな、いやまじで。」

女の一生 二部・サチ子の場合(*****)

「遠藤周作の小説。文庫なのだが、なんで一部が置いてないんだよ。」

スタートライン(*****)

「自らが聾である今村彩子監督作品。聾である前に、もともと人付き合いが苦手なのだろう、その気持ちがよく分かる、自分もそうだから。数人の中に入ると、話すきっかけを失ってしまい、話さなくてもいいや、となるのだ。今村は、自転車で走行中に、パンクして困っている自転車乗りの横を通りながらスルーした。それを同伴走者は、厳しく叱責する。例えあなたが聾で自転車の素人でも、そばにいるだけでも心強いはずなのだ、と。それはもっともな考えとは思うし、今村のことを誰よりも思ってのことだとは思うけど、あの時、きっと自分でもスルーするよ。聾であろうとなかろうと、いつも元気にニコニコと積極的にコミュニケーションをとらなければダメなのだ、この人間社会で生きていく上で、絶対に必要な、身についていていなければならない当然のスキルである、、、、、、、と断言して、本当にいいのかね。ココロの研修を受ける時、それが出来て当たり前で、出来ない人間はダメなのだ、とどうして決めつけるのか。ストレスの研修では、まるでストレスを感じる方が悪いように言われるよね、ストレッサーが悪いのではないのか?パンクして困っていても、声を掛けられたくない人間だっているのだよ。そう、今村に言ってやりたいよ。何もなしとげられない、と悩む今村だが、でもな、あなたは立派な映画を作り表現できているのだよ。言葉が苦手でも、この作品には、しっかりと人間が描写されているではないか。PS:同伴者は、彼もまた、ある意味のコミュニケーション不全であるのではないかな。彼は自らコミュニケーション能力に長けていると公言して憚らないが果たしてそうか?」

ノン、あるいは支配の空しい栄光(**)

「マノエル・ド・オリヴィエラ監督作品。同監督作としては、「階段通りの人々」は観たことがあった。この監督は、きっと、ルイス・ブニュエルが好きなのではないかな。ともあれ、某国首相や女防衛大臣に見せたら、なんて言うだろうね、この作品は、戦争の真の意義を正しく表現していない、と言うだろうね。」

神聖なる一族24人の物語(*****)

「ロシアのどこかの小さな田舎の民族の、主に女性の側からみた、主にセックスを中心として描きながらも、日本人には及びもつかない大自然の中で生きる人々の営みを通して、人間の本当の部分をつまびらかにしてみせている。」

エヴォリューション(***)

ルシール・アザリロヴィックという初めて聞く監督作品。あのね、見ている途中から、ひょっとすると女性監督かも?と考えながら観ていたのだよ、で、今、調べてみたらやっぱり女性だったのだ。下作品「ネクター」もそうだが、生殖が一つのテーマのように感じる。生殖はあらゆる生物の生存に必要な基本的な行為だ。それは蜂にも海洋生物にもある自然なこと。全部の生き物かどうかは知らないが、概ね女性が、その重要な役割を担っているのだよ、みたいなところか。そういえば、人間の身体で、最も海洋生物に似た部分があるよね、女性だけに。もうちょっと調べてみたら、ギャスパー・ノエの薫陶を受けているようだ。いや待てよ「MiMi」の監督らしい、ということは観た事あったのだ。というか、ギャスパー・ノエの嫁さんなんだね。」

ネクター(***)

ルシール・アザリロヴィックという初めて聞く監督作品。」

深い川(*****)

「遠藤周作の小説。むしろ無宗教の日本人だからこそ抱く、宗教への疑問か?敬虔なカトリックになるということ、神父になるということは、一切を信じることなんだろうか。問題は、宗教を神聖なものとして捉えすぎることなのではないか?宗教は道徳であり政治であり麻薬でもあるのだ。多くの日本人なら大津に同情するはずだ。」

スキャンダル(***)

「遠藤周作の小説。主人公が、遠藤自身をイメージさせる人物であるのだ、いや、遠藤作品は、みな、そうなのかもしれないね。そしてテーマは、いつも一つ。」

沈黙(***)

「遠藤周作の小説。面白かったけれどね、個人的には、物語として分かり易過ぎたかもしれない。で、読みながら、なんか見たことあるなあ、と既視感を抱いていたら、やっぱり映画化されていた。」

彷徨える河(***)

「ひさしぶりのいつもの館で。悪くはなかった、と言うより、ずっと惹きつけられて観入ってはいたけれど、やはり、ヴェルナー・ヘルツォークのような狂気というか執念というかエネルギーみたいなものまでは到達できていなかったのか。」

クラウドガール(*****)

「つい最近まで朝日新聞に連載されていた、金原ひとみの小説。ああ終わってしまった、毎日、楽しみだったのに。二十歳で芥川賞を受賞し、結婚して出産して子供を育てている。そういった、金原自身の姿が、常に作品に反映されているんだよなあ、だから素晴らしい。」

わたしが・棄てた・女(☆☆☆☆☆)

「遠藤周作の小説。ラース・フォン・トリアーに映画化してもらうといいと思うな、いやマジで。きっとカンヌでパルムだと思う。少なくとも、河瀬の同様のテーマの作品より、原作がずっと良い。そして、クリスチャン的な嫌らしさが無く、むしろ遠藤自身がそれに対して大いに疑問を持ち彷徨っている様子がペンに乗り移っているのだ。」

おバカさん(***)

「遠藤周作の小説。長い間、遠藤周作を遠ざけてきたような気がする。コーヒーのCMに出てくる気取った雰囲気や才能に、きっとやきもちを焼いていたんだろう、などと言っても、自分のおじいさんのような年齢の人なんだがね。で、その遠藤は確かクリスチャンなんだよね。闖入者たる主人公のフランス人の目を通して、日本人を描いていることは間違いないが、この闖入者は、単なる異文化人ではなく、あたかもイエスのように彷徨うのだ。確かに教訓的な側面は否定できないが、どこかクリスチャンとは異なるニヒリズムが見え隠れして、そこが遠藤たる所以なのかもしれないね。」

海神丸(**)

「野上彌生子の小説。おそらくこの人の作品を初めて読んだ。作品集なので、他作品も掲載されていて少し読んでみたのだが、途中から我慢できなくなってしまったのは、自分の読書力が足らないせいだろう。本作も、方言の描写が多くなってきた途中から読み飛ばしてしまった。」

グミ・チョコレート・パイン チョコレート編、パイン編(☆☆☆☆☆)

「大槻ケンジの小説。やっとチョコレート編、パイン編を読んだ。だって、グミ編とパイン編が置いてあるのにチョコ編が無いんだよ。それにしても、一気に読ませるなあ、この焦燥感・疾走感、永遠に青春なんだよね。」

かぐや姫の物語(*****〜☆☆☆☆☆)

「高畑勲監督作品。やっと観た、のだが、大変に面白かった。実は観るまでは、あの絵柄から、きっと退屈するのではないかと感じていた。だが、日本人なら誰でも知っている物語りを、大きく改変もせず素直に作ってあって、「まんが日本昔話」さながらなのだが、本当に強く惹きつけられた。何よりも、その動きだ。ディズニーなどのフルアニメーションとは違う行き方を、手塚治虫以降の日本のアニメーションは、テレビアニメの人気によって、時間とかコストと引き換えに、リミテッドという方法を強いられた。最小限の動画で物語性に重きを置いて、静止画を我慢したのだ。だが、その文脈に乗っかりながら高畑は、その極地を切り開いてしまったのだよ。この作品に動きの妥協はない、特にネイチャー表現というのか赤ん坊から動植物まで、実によく動いている。しかしその動き方は、フルアニメーションとは違い、やはりリミテッドなのだ。静止があるから動きが生きる。静止があるからメリハリが利いて小気味良く心地よく感じるのだ。ディズニーにように四六時中動き続けている方が、かえって落ち着きがない。作中に絵巻物をくるくる回して見るシーンがあるけれど。それにしてもあのおいじいさんは、高畑そっくりではないか?」

エル・クラン(***〜**)

「まあ、面白かったっちゃあ面白かったが、それほどでもなかった。ペドロ・アロモドヴァル製作ということのようだが、うーんなんだろう、ユーモアが足りないのかなあ、もちろん、実話に基づいているとか、軍事政権がどうのとか、あるからなんだろうけれど、作品のタッチは、そういう方向性を向いていたよね、ケン・ローチみたいじゃなくね。そういう意味ではユーモアが足りないんじゃなかろうか。ヴェネツイアで銀獅子賞?」

海と毒薬(*****)

「遠藤周作の小説。恥ずかしながら、遠藤周作作品を初めて読んだかもしれない。なんとなく食わず嫌いというか遠ざけてきたんんだよね。何について書いてあるかさえ知らずに読んだのだが、うむむ、面白かった。某国首相なら、これを読んでなんと言うだろうね、きっと捏造だと言うだろうね。」

将軍様、あなたのために映画を撮ります(***)

「本当にひさしぶりの、いつもの館で。」

縫製人間ヌイグルマー

「大槻ケンヂの小説。悪い、大槻、1/3まで我慢したんだが、力尽きた。」

グミ・チョコレート・パイン(☆☆☆☆☆)

「大槻ケンヂの小説。いや面白かった、と言うより、大槻ケンヂにこんな才能があったとは驚きだ。で、今ちょっと調べてみたけれど、やってる音楽はツマランな。」

コンビニ人間(☆☆☆☆☆)

「村田沙耶香の小説。大変面白かった、と言うより、なぜか涙が出そうになるんだよね。この主人公は、おそらく発達上の問題を抱えているのだろう、だから、と言うわけではない。現代人は自ら好んで生み出した社会の中で敢えて生きることを選択したことのしんどさが、切なくて辛いのだ。白羽はそれに踏み潰され、主人公はそれからかろうじて逃げることを覚えた、ただそれだけなのだよ。」

嵐のピクニック(***)

「本谷有希子の短編小説集。面白かったのだが、短編過ぎて。」

言の葉の庭(☆☆☆☆☆)

「新海誠監督作品。面白かった。」

この世界の片隅に(*****)

「こうの史代原作、片渕須直監督作品。片渕監督の、愛情と情熱溢れる作品で、「君の名は。」と比較しても決して遜色ない優れた作品だ。そもそも漫画をアニメーション化するということは、原作・原画があるのだから簡単で楽だろうということはないのだ。結局それは、一から作り直す作業である。一から全部解釈し、映像は動いてパンしていくから原画では見えていない部分も補い、実は原画とはアングルも異なる見せ方をした方がアニメーションには良い場合もあり、と、一から構築していく必要があるのだ。それを最後まで情熱を持って取り組んだ片渕監督。色はややくすんでいて派手さはないが、それこそ水彩画風で、ジブリや新海とも違う。ディズニーやテレビアニメの刺激的な色に慣れた大多数には物足りないと感じるだろうけれど、それを認めた制作側も立派だと思う。そして、この原作はアニメーション化されたことによって、ますます心に染み入る作品となった。すず役の声優も良い。もう本当に、1970年代くらいからだろうか、日本のアニメの声優の、あの媚びたような発声、特に女の子キャラクターの声は、まさしくAVの喘ぎ声そのものではないのか、その証拠に、「魔法使いサリー」の頃のサリーちゃんの声優の発声を聞くがよい。ホントニモウ。それにしても、ああ、あの、すずのように、のほほんとぼーっと生きられなかったものなのか。すずに何の罪がある。人間は、一体なぜ、あの、すずのように、のほほんぼーっと生きることを、自ら遠ざけるのか。ねえ、こうの先生。」

ぬるい毒(***)

「本谷有希子の小説。面白かったし好きなタイプの作品だが、実際に、この主人公のように、ここまで自意識過剰というか妄想的?に考える人間がいるのだろうか?いるかもしれないね、ただ、それはかなり極端な特別な人物であって、もはや発達上の問題と言うべきかもしれない、と言うことになるならば、やっぱりちょっと共感しにくいのかなあ。などど本谷有希子を調べてみたら、なんと「異類婚姻譚」の作者だった。こっちは確か、あまり好きになれなかったのを覚えているが、うーむ、確かにどこか底通する何かを感じる。得体の知れない何か、みたいなことかなあ、映画化すればいいと思うよ。などと劇団、本谷有希子を調べてみたら、うーん、イメージと違う、と言うか、普通だ。やっぱり文学のイメージのビジュアル化は難しいのかなあ、ただ、SE効果が使える分だけ、またカメラで切り取る分だけ、徹底的に作り込める分だけ、主人公目線の絵が作れる分だけ、映画の方が表現できるのではないかな、演劇だと、どうしても演劇になってしまうよね。」

君の名は。(☆☆☆☆☆)

「新海誠のアニメーション。ああ本当に、今から5年前に戻ることができたなら、東北に行ってみんなに避難を呼びかけることができたのか?未曾有の大地震と、その後、とんでもない津波が来ることを伝えて避難を呼びかけることができたのではないのか?せめてあの忌まわしい原発の非常電源を確保しろ、と呼びかけることができたのではないのか?せめて友人だけでも助けられたらと、私たち日本人は後悔している。そして原発を推進した連中を憎むのだ。」

娼婦の部屋

「吉行淳之介の小説。恥ずかしながら、吉行淳之介の小説を初めて読んだかもしれない。さて結論から言えば面白くなかった、と言うより、引き込まれなかったと言うべきか。それは吉行が悪いわけではなく、自分の読解理解力の不足と言うべきなのかもしれないが、結局、表現したいことが何なのかが理解できないのは、やっぱり自分の能力不足なのか。」

官能小説家(*****)

「高橋源一郎の小説。面白かった。時々新聞に掲載される高橋源一郎のエッセイのようなものが好きなのだが、本作には、そのエッセンスがふんだんに盛り込まれていて嬉しい。これは映画化すればいいのにね、ただし日本人監督じゃダメかも。にしても、筒美京平って、ある意味すごい奴だよね。」

パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト(***)

「パコ・デ・ルシアの、ごく一部を切り抜いたドキュメンタリー。」

地の果て至上の時

「中上健次の小説。面白いのだが、うーん、ますます読みにくいので、遅々として進まない読書。面白いのに、、、、挫折してしまったのは、、、、自分のせいだ。」

演技と演出(***)

「平田オリザの著作。面白い。」

フラワーショウ!

「時間つぶしに観たとはいえ、うーん、つまらんかった。下作品などは、観て損したとは思わないのになあ。」

光の墓

「超久しぶりのいつもの館で。タイの天才、アピチャン・ウィラーセタクン監督作品、ということらしい。初期の是枝裕和っぽいか?あるいは、その国の現代史を理解していないといけないという意味では、テオ・アンゲロプロスっぽいか?」

新しい広場をつくる(*****)

「平田オリザの著作。自分の言いたいことを論理的に言ってくれている。」

下り坂をそろそろと下る(**)

「平田オリザの著作〜新書。タイトル通りの具体的方法が書いてあるのかと思ったが、そうでもなかったが、平田が真摯にこの国の行く末を憂いているのがわかる。」

鳳仙花(*****)

「中上健次の小説。面白かった。ちょっと読みにくい文章なのは何故だろうか?例えば場面が変わる時に、もちろん段落が変えてあり、頭一字下げてあるのだが、行は開けていないため、変化が分かりにくく、ある程度のスピードで読み続けていこうとすると、「あれ、ここは?」と戸惑ってしまうのだ。つまり小説を読むとは、通ったことのない道を、しかも深夜に車で走り続けるようなものなのだな。」

その日東京駅五時二十五分発(*****)

「西川美和の小説。西川美和については、デビュー作?「蛇イチゴ」を観てすぐに、その才能を感じた。最近の新聞記事では、新作のために他人の家庭に住み込んで、一緒に夕飯を食べているという。表現に対して、本当に真っ当に取り組んでいる日本の数少ない映画監督だ。西川は、1974年生まれとまだまだ若い。当然というか全く、戦争とは無関係の生まれ育ちだ。そんな西川が、このような戦争物を書いたことが、そして非常にリアリスチックに描写していることに不思議を感じながら読んでいたのだが、なるほど、伯父の日記や体験の聞き書きが基になっているらしい。だが、小説としては、完全に西川作品になっている。彼女の才能だ。」

シュトロツェクの不思議な旅(*****)

「ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品。何より主人公のブルーノ・Sが良いのだ。楽器を弾く時の、ちょっとチック症のようにも見受けられる仕草や、ヒョコヒョコとした歩き方。音楽の才能ありながらも人生にうまく乗れない主人公の、それは意地や誇りの表れでもあるんだろうか、心に響く。」

ヴォイチェック(***)

「ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品。本作や上記作品の持つ、救いのなさ、何か大きなうねりのようなものに翻弄される感じ、絶望的なムード。しかしこれは、ヴェルナー・ヘルツォーク作品の本質かもね。」

珠玉

「開高健の小説、だが、読めなかった。」

9条マークをデザインしてみた。

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親友

「川端康成の小説。少女小説、と言うことだろうか、すいません、2〜3ページで挫折しました。」

もてない男訳 浮雲(***)

「小谷野敦の小説。二葉亭四迷の「浮雲」の現代語訳を試みた作品。恥ずかしながら「浮雲」を読んだことがなく、どんな話なのかも知らなかった。きっと夏目漱石の「こころ」や志賀直哉の「暗夜行路」に影響を与えているのだろう。」

東京少年(***)

小林信彦の小説。」

うらなり(*****)

小林信彦の小説。なんと『坊ちゃん』の中の地味な登場人物にスポットライトを当てて、後日談を描いたもの。面白かったんだよね。」

ぼくたちの好きな戦争(☆☆☆☆☆)

「小林信彦の小説。恥ずかしながら、小林信彦作品を初めて読んだ。この本を手に取った瞬間、これはきっと『M☆A☆S☆H』だ、確信できた。戦争をコメディという形で表現すること自体は珍しくないけれど、戦争物をほとんど読まないので新鮮だった。この作品、映画化すればいいのにね。ところでやっぱり『気分はもう戦争』を意識していたのかね。」

母よ、(*****)

「見逃してはいけないナンニ・モレッティ作品、なので観た。要するに、右往左往ということなのだ。」

暗夜行路(***)

「志賀直哉の小説。高校生の時に買った岩波文庫の再読。当時の記憶だと、行ったことのない尾道の上り坂の描写が、本当に重苦しくて延々と続くようなイメージだったのだが、今、尾道を知ってから再読すると、え、こんなものだったのか?とあっけなかった。しかしなあ、よく高校生の時にこれを読んだものだ。だってこの主人公は、もちろん、出生の問題やショックはあるにせよ、金銭的な不自由は全くないじゃないか。最初は学生だった?のかどうか、その後も就職もせずぶらぶらと自由気ままで何の問題もなく使用人まで持っている。全く、贅沢な身分である。気分が悪いからと尾道や大山に長期間も旅行して散財。ほとんどの庶民からすれば、何の苦労もない暮らしである。で、結局、問題は女の事で、セックスしたいしたいをどう解消するかを、他人のせいにしているだけではないか、などと表面的には見えてしまう。しかも謙作には、自意識過剰というか、癇癪持ちというか、幾分、発達上の問題もあるのではないかとも思わせられる。まあ、後書きにも書いてあった通り、夏目漱石の「こころ」を意識しているようではあるので、嫉妬とか彷徨とかが、表現する上で、まずあったのかもしれない。それにしても、この題も大げさ過ぎるよなあ。ま、最後まで読んでから言うのもナンだけど。」

リップヴァンウィンクルの花嫁(***〜****)

「岩井俊二作品、なので観た。まあ、色々言いたいことは分かるよ、だがまあ、ちゃんと岩井映画だったじゃないか、だからこれはこれでいい。しかも3時間の長編でやり通したのだ。本当に、なんで岩井が撮ったら日本の醜い風景さえも美しく見えるんだろうね、線路脇のゴミさえ、無粋なカラーコーンさえ絵になっている。むしろ後半の金持ち風の家の方が美しくなかったのは残念。ま、それでもいいよ、このファンタジーに3時間、浸ることができたのだから。ただね、ラストのクライマックスのようなシーンを見せられるとだね、ヨーロッパの監督なら、ちゃんと性器まで表現するはずだ、絶対にな、と思わされ、そういう意味で、岩井映画の少女趣味の限界みたいなものも見えてしまったんだよね。注:リップヴァンウィンクルを調べてみたら、それなりのことが書いてあった。

ふる(☆☆☆☆☆)

「西加奈子の小説。2011年の師走、街ではクリスマスのイルミネーションが輝き、誰もが浮き足立っている頃の、わずか五日間の話だ。本作では、敢えて2011年12月と、断ってから物語が始まる。このことから、全ての日本人は、そのわずか3ヶ月後の未曾有の出来事を思わざるを得ないだろう。そう、本書もまた、3.11後に、表現者が描かざるを得なかった作品なのだ。主人公の「かしす」は、アダルト映像の性器の部分にボカシを入れるという、まあ職業に貴賎無しとは言えども、あまり大っぴらには人には言えない職場で働きながら、しかしその環境に幸福を感じているのだ。「かしす」には妙なものが見える。オーラのごとく人間一人ひとりにくっ付いている「白い何か」がだ。その「白い何か」は、その人の気分や体調によって動いたり変化する。おそらくその人が死んでしまったら、その「白い何か」も消えるのだろう。そんなSFまがいの設定でありながら、それに全く不自然さを感じないのはなぜだろう、それはきっと、私たちが3.11以降に本書を読んでいるからだ。私たちは嫌という程思い知らされた。人智を超えた力がある時一気に押し寄せて、簡単に人間の科学や英知など蹴散らすことを。言っておくが、西は本書で3.11のことは一言も言わない(書かない)だがしべての日本人なら知っているその事実を抜きに本書を読むことはできないのだ。果たして此の期に及んで原発を推進させようと企むこの国の為政者に乗っている「白い何か」は、どんな形をしているのか、それはきっと大きくゴツゴツとして必要以上に自分を大きく見せようと居丈高に振舞っているに違いない。それにしても西作品よ、相変わらず映像的だが、本書が映画化されれば絶対にカンヌでパルムは間違い無いと思うけどな。」

異類婚姻譚(**)

「本谷有希子の小説。ちょっと川上弘美っぽいなあ、と感じながら読んでいたら案の定、不条理なオチ。こういったタイプの作品を面白く読むことができない自分の能力が低いのか?うむ、きっとそうなんだろう。何しろ川上弘美が我が国を代表する優れた小説家の一人であることは、自分が認めなくても世間が認めているし、第一、芥川賞選考委員になるほどの人物なのだから。」

九年前の祈り(**)

「小野正嗣の小説。人間を、しっかり描写しようと正面から取り組んでいる真面目な作品だと思うし、それなりに面白く読めた。」

大地のゲーム(***)

「綿矢りさの小説。3.11の震災がきっかけとなって書かれている、いや、書かざるを得なかったのだろう、綿谷が。綿谷らしい作品だ。」

ディーパンの戦い(***)

「カンヌでパルムということで観た。悪くはない、ドキュメンタリーなタッチで描くのは、ちょっとダルデンヌ兄弟風だが、手持ちカメラみたいなことはせず、オーソドックスな絵作りで、ドリーも使うし、おそらくドローンも使っている。戦争難民という重いテーマでドキュメンタリータッチでもありながら、そのオーソドックスな作りからだろうか、カンヌというよりもアカデミー賞に近いものを感じながら観ていた。かつて内戦で本物の戦争で有能な兵士として生きた男が全てを失い難民となって先進国に逃れ平和で豊かな国(フランス)で真面目に生きようと努力していたのに、地元(平和な国で仕事が無く暇を持て余し無軌道な若者)チンピラ?マフィア?ヤクの売人?達の抗争に巻き込まれ、止むに止まれず致し方なしに本当の戦争で否応なしに身についた正体を表さざるを得なかった男、という物語が、人間の描写を超えて強調されすぎていたように感じた。」

図書準備室(*)

「田中慎弥の小説。嫌いではないんだけれど、うーん、田中はひょっとして、大江健三郎・・・いやドストエフスキーになりたいのか?三回忌の場面から始まる、30過ぎで働きもしないでブラブラしている主人公が親戚から責められている。最初、黙ってそんな法事の『よくある』場面を傍観していた男が答えを求められ話し出したら止まらない、しかも話し方が一方通行で周囲を顧みないことからすれば、おそらく主人公に発達上の問題があるかもしれないことを匂わせている。で、何故か小学生から中学生にかけての思い出話が延々と続くのだが、まあ、そこまではいいだろう。だが最後のオチがなんでそうなるのか?いや勿論、発達上の問題を抱えている人物ならそれもあり得るんだろうけれど、うーん、黒澤清が映画化すればいいかも。」

冷たい水の羊(*)

「田中慎弥の小説。嫌いではないんだけれど、うーん。いじめ問題がモチーフなのだが、田中のスタンスって、

死んでいない者(*)

「葬式の時の有様を、つぶさに描いている。ちょっと伊丹十三の『お葬式』を思い出したくらい。ただね、もう、登場人物が多すぎて、頭の悪い当方には、付いていけなくなっちゃった、もう本当に、人物相関図が口絵かどっかに絶対必要だよ。で、結局、最後まできちんと読めなかった。」

マミー(**)

「グザヴィエ・ドラン監督作品。グザヴィエ・ドラン作品は、いつも感じることなのだが、ギューっと感じさせる素晴らしい場面や映像がある一方、どうしても好きになれない部分とが同居していて、そのためになんだか真っ先には観たいと思わないのだ。グザヴィエ・ドランはカナダのフランス語圏で活動している人なんだよね、だから作品はフランス語だ。格好なんかつけないで、人間の、みっともない部分までさらけ出して見せつけようとするような、フランス映画に近い感覚、ここぞという場面は徹底的に長回しだったりとかね。なんだけど、どっかで見たことあるような感覚が時々あって、それらが1本の作品の中に混在していて、どこか混沌としてしまっているんだよね。本作は2時間を超える長編で、そのことだけでも、グザヴィエ・ドランが表現性を意識していることは間違いなく、制作側もまた、それを認めて自由に撮らせているように思われる、そういう意味でもグザヴィエ・ドランは幸運な監督だ。自分は観るべき映画を判断する時に、上映時間を一つの目安にするくらいだからね。なんだけど・・・グザヴィエ・ドランに関して言うならば、もし自分がグザヴィエ・ドランのプロデューサーならば、もっと余分をカットさせる。そしてシンプルにさせたいのだ。欲張るな!と。

放課後の音符(**)

「山田詠美の小説。初めのうちは面白かったけどね、短編ばかりなんだよね、それと、どうやら繰り消し同じことばかり書いているのだなあ、よく飽きないよなあ、自分で、セックスを描くことは、文学でも映画でも、とても重要なことだと考えている、なぜならその行為に、人間の生き物としての本能が露わになるからだ、だけどね、山田の作品に、そこまで見据えた主題があるようには、ここまで読んできて見えなかった。」

チューイングガム

「山田詠美の小説。すっ飛ばしているので、ほとんど読んでません。」

ベッドタイムアイズ(***)

「山田詠美の小説。面白かったけどね。なぜかあんまり残らないのだよね、それは、山田の個人的嗜好が、少なくとも男である自分には響かなかったからかな、例えば似たような金原ひとみ、いやきっと金原は、山田詠美の影響を受けていると思うけれど、自分にとっては、金原の方がもっと面白いし心に残るんだよね。」

指の戯れ

「山田詠美の小説。すっ飛ばしているので、ほとんど読んでません。」

ジェシーの背骨

「山田詠美の小説。すっ飛ばしているので、ほとんど読んでません。」

快楽の動詞(***)

「山田詠美の、これはエッセイと言ったほうがいいのか。特に前半が面白かったのだが、後半はスッ飛ばしてしまった。『行く(ゆく)・行く(いく)・イク』・・・うーん面白いけれど、『死ぬ』なんて言うか?それと山田は女だからしかたがないだろうけれど、『出る』もあるぞ。」

ひざまずいて足をお舐め(***)

「山田詠美の小説。面白かったんだけどね、いや、結構、好みの部類ではあるんだけどね、ただ文章が、なんだかくどくどと長ったらしいというのか、女のねちっこい繰り言みたいなところが苦手で、実はかなりスッ飛ばしながら読んでしまった、あたかも女の繰り言を、ぼーっと聞く振りして他のことを考えてるみたいに。」

冒険王(*****)

「平田オリザの演劇。自分で金を出して見た演劇ということでは生涯に2度目。大変に面白かった。ただ、期待が極めて大きく膨らんでいたので、その割には、ああ、こんな感じか、というあっけないものでもあった。とは言うものの、とても満足。そもそも開演前の客が入っている段階から芝居が始まっているというユニークさ。そして平田が言うように、時に一つの場面でも複数の会話が同時に行われるなど、平田の理論を目の当たりにすることができた。日常口語会話らしさを、できるだけ追求した平田理論だが、観客として観ていると、割とお芝居らしいお芝居に感じられたんだよね。」

ぼくは勉強ができない(***)

山田詠美の小説。面白く読みやすかった。」

アンジェリカの微笑み(**〜***)

「まだまだ禁断症状が治らないので。映像は、画面に映っているものや風景が全部、美しく魅力的。ミレイやシャガールを意識したビジュアルがとても良かった。のだが、短い作品なのに長く感じてしまった。」

ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲

「カンヌである視点部門、ということで観たのだが、うーん、ツマラんかった。ひさびさの映画ということで、もう禁断症状ということで、とにかく何が何でも映画、ということで観たのだが。そもそも大量殺処分などの現実があるとして、それは誰の責任なのだ?無責任な飼い主・愛犬家・犬猫商売・悪徳ブリーダー達ではないのか?少なくとも自分は犬猫が嫌いだから犬猫から遠ざかって関わってこなかった分だけ罪は無いのではないのか?犬猫やゴキブリや蚊は、人間に近づいて生き延びる方法を選んだのだろう、そのためには、向こうも背に腹は変えられないのだ。どっちが悪いとか良いの問題ではないけれど、人間には知恵がある分だけ責任は思い。しかしなあ、こんな終わり方、これじゃあディズニー映画じゃないか。思春期の少女だけ描いてりゃいいのに。」

小さいおうち(***)

「とても読みやすい小説。女中と呼ばれる職業の人物が主人公。女中とか執事みたいな、他人の人生に自分の生涯を捧げるような生き方に、これまで疑問を感じていたけれど、女中というような仕事であっても誇り高くなすことができるのだなあと感心させられた。」

裁かれるのは善人のみ(****)

「分厚くて冷え切った鉄のようなイメージの作品。さてこのようなことが、現代のロシアではまだ当たり前のように起こっているのだろうか?起こってるんだろうなきっと、あの国の大統領を見ていればそう思わざるを得ない。いや中国だって、いやいや日本だって、原発とか米軍基地なんかで似たようなことがあるんじゃないのか?警察も身内の失敗はもみ消そうとするし、権力とはそういうものだからこそ、マスメディアが大切なのにね。このままじゃ、ついこの前にやっと手に入れた我々の大切なマスメディア=財産が消えてなくなちゃうよ。」

スケルトン・ツインズ

「なんでだろう?面白く観ることができなかった。」

おみおくりの作法(****)

「映画として、やるべきことを全部きちんとやってきちんと作られた良作。ただ、主人公がやりすぎたとしても、特別な落ち度もない人間を、あんなに簡単に解雇できるのか?というところに、ちょっとご都合主義を感じてしまったけれど。あと終わり方も、まあ、これもアリだけど、他にはなかったのかね。」

犬はいつも足元にいて(**)

「大森兄弟の小説。前に読んだのを忘れて、また借りてしまった。うーん、面白いちゃあ面白いんだけど、いじめたりいじめられたりの問題を描くなら、もっと正面から描いて欲しいけど、それを言ったら本作の意味がなくなるのは分かっていつつも、フランツ・カフカのごとくシュールレアリスム風味での料理が、ちょっと不満足ではあるが、それは作者の責任ではない。にしてもなあ、例えばサダの母親のあの変な喋り方は、どう説明する?いや、もちろん、あれは受け止めた側にあのように聞こえただけなのであって、サダの母親は、ごく常識的に喋ったのかもしれない、いや、それどころか、サダさえも、実は突飛な行動をしていたわけではなく、受け止めた側の勝手な思い込みに過ぎなかったのかも、というふうに読めばわからなくもないが、そう読ませる意図は作者にはないよなあ。」

ワタクシハ

羽田圭介の小説。スマン、1/5程まで読んで中断。この人とは波長が合わないようだ。何でだろうね、文体が現代の若者風だからだろうか?下作品でも『真逆』という用語をわざと?使っているし。ところが芥川賞審査員の講評を見ると、結構高評価なんだよね、ってことは自分の読書力の方がむしろ劣っているってことか?」

スクラップ・アンド・ビルド(*)

「羽田圭介の小説。うーん、後ろ向きな話は嫌いじゃないはずなのだが、なんだか読むのが嫌になる作品。いや、そういう風に書いているんだろう、高齢・介護社会の希望の無い未来を示唆しているんだから。だけどなあ、確かモブ・ノリオだったかの作品は興味深く読めたし、それこそラース・フォン・トリアーが大好きな自分のなだが.....。文体が、これもわざとなのかもしれないが、ドキュメンタリータッチと言うのか、文学的表現的技巧をできるだけ排除しているように感じた。それが気に入らなかった理由かもしれない。それとも、この祖父という登場人物が、本当に嫌気さすように優れて描写されていたのかね。」

ぼくを探しに(*****)

「成る程あの『ベルヴィル・ランデブー』のシルヴァン・ショメ監督作品らしく、抑制の効いた調子の、とてもよくできた作品。フランスもアメリカ同様、多文化が入り混じった国で、色々な血が混じり合っている。主人公のポールもまた、その顔立ちや、ちじれた髪からすれば祖先にアフリカ系が入っているのではないか。そうだ、ポールが無言となったのも、多言語の、そしてエゴの坩堝の中での言語の無意味軽薄さに気づき戸惑い、そのため言葉を失ってしまったからではないのか。」

ビルマの竪琴(***)

「竹山道雄の小説。うーん、読んだことあったのか、うすぼんやりと覚えていたような、あんまり記憶になかったが。少年少女向けに優しい文章で書かれているから読みやすい。」

神々のたそがれ(***)

「3時間のロシア映画。アレクセイ・ゲルマン監督作は、『フルスタリョフ〜』は観ていたのだが、それとは知らずに観た。まあ、3時間はあっという間に過ぎた、ということは、それなりに楽しんで観ていたということか?一つ一つのシークエンスが結構な長回しで、多数の登場人物が出入りするから、きっと何度も練習したんだろう。暴力とか汚物とか無知蒙昧とか、それゆえの信仰とか、まあそういうようなことは表現されいたのかな。一つ言うならば、本能か。作中さかんに登場する小うるさい子供を見よ、奴は本能的に生きているではないか。本能的にやって本能的に食って本能的に汚物にまみれ本能的に臭い臭いを嗅ぐのだよ、くんくんと、そして本能的に信仰し本能的に崇拝し本能的に従属し本能的に殺戮する。まあ、とにかく史上もっともビチョビチョな映画ではある。観て損はないよ。しかしいつも思うことは、こういう作品を、誰が金を出すんだろうね、ロシアでさえ、そういう文化があるとするならば、我が方の寂しいことよ。」

ビッグ・アイズ

「ティム・バートン監督作品ではあるけれど。」

おやじ男優Z(*)

「題名から、随分期待して、いつもの館に、いそいそと出かけたのだが、うーん、もっともっと、人生の苦さが表現されていなくちゃー、なのに良い話に持ってっちゃったのが残念。いや勿論、汁男のどん底(あ、黒澤)ハウスだの、AV女優が素性がバレてマンションに住めなくなるだの、結婚は諦めてるだの一通りは描写してはいるのだが、ジンと来るものがないんだよね。そもそも、汁男の人はパンツなんか履いてないだろう。」

夢をかなえるゾウ(*)

「水野敬也の小説?いや、ビジネス書か。最初は面白がって読んでいたのだが、だんだん説教臭くなってきた。」

旅人は夢を奏でる(*)

「ミカ・カウリスマキ監督作品。既視感があることが悪いわけではないんだけどね、うーん、焼き直しが必ずしも悪いわけではないと思うんだけどね、うーん、」

十三人の手紙(**)

「井上ひさしの小説。全体が手紙の文面だけで構成されている。」

きりこについて(***)

「西加奈子の小説。西作品には、これにちょっと似た作品がなかったか?親戚だか知り合いだかのおばさんが教祖になった話。西作品って、例えばかさぶたを剥がしたくなるような、ムズ痒いような痛痒いような感覚がないだろうか。西作品の主人公は、どこか変わっていて、アスペルガー気味な唯我独存な人物が多いような気がする。そんな西作品の中でも本作は、ある意味、最も問題作であるような気がする。それは、主人公を『ぶす』と設定しているからだ。そして本作が言わんとしている主題が、なんだか複雑で分かり難いという点にも現れている。美醜の問題と、それを超えた才能や人生の問題、人間の本能の問題などを『吾輩は猫である』よろしく、ラムセス2世の目線によって、じんわりと描写しようとしている。ただ、西は絶対に読点が多すぎる。」

イロイロぬくもりの記憶(**)

「これはシンガポール映画?かどうか知らないが、とにかくとても良くできた良作ではあるのだよ。カメラワークや編集、演出に芝居と、全部が良質、編集なんか、うーんとうならさせられるくらい。ただね、どっかで観たような話であることは別に悪いことではないけれど、」

夏をゆく人々(*****〜☆☆☆☆☆)

「養蜂家の話、だからってワケでもないんだが、どこか『ミツバチのささやき』を想起させた。時代背景からして全然違うのにね、映像も含めて、どこかタッチが似ていると言うよりも、絶対に意識してると思う。主人公の少女の、シャルロット・ゲンズブールっぽい、アンニュイな表情も○。登場人物達が養蜂を営んでいながらも貧しい様子から、さらに風景からも、イタリアの南の方の話だろうと勝手に想像していたが、エトルリア文明とは地中海側のイタリア中北部にあったようで全然違った。に、しても、美しく成長した娘(ひょっとすると血が繋がっていない?)は、長女という重荷を背負い、頭ごなしに怒鳴る父に服従しながらも、妹たちの世話に苛立ちながらも、恋を夢見ながらも、家族と家業を愛し真剣に将来を憂いている、そのいじらしさに泣けてくる。」

話し言葉の日本語(*****)

「井上ひさしと平田オリザの対談集。これまた面白い。本当に、ひょっとすると、日本の学校教育の科目に『演劇』を必修化したらいいんじゃないか?とさえ思わせられた。」

地図を創る旅 青年団と私の履歴書(*****)

「平田オリザの、まあ自伝的著作。いささか自己陶酔気味ではあるけれど、大変に面白い。本当に、当時、自分は東京にいたのだから、なぜ、平田オリザをはじめ勃興する小劇団による演劇を観に行かなかったのかが悔やまれる。彼の挑戦と興奮と発見を共有することができただろうに。自分は、数少ない平田の理解者になれただろうに。」

ショート・ターム(*〜***)

「悪くはない。傷ついているアメリカの子供達ではある。抑制の効いた調子の、よく出来た作品ではある。それなりに感じさせる作品ではあるのだ。だけどね....と、どうしてもなってしまうところがアメリカなのだ。さあ、どうするアメリカ人よ。」

フランシス・ハ(***)

「映画館でも観たのだが、DVDで再度、観てしまった。再度、観させるだけの力をもった作品にちがいない。影響を受けたもののイメージを隠そうともせず堂々とやているところがかえって清々しい、のかな?」

KOOKYクーキー(**〜***)

「これはアニメーションではなく人形劇。造形に魅力がある。」

ことばのために ことばの見本帳(*)

「平田オリザや高橋源一郎、関川夏央などが書いている。関川の『坊ちゃん』の解説が面白かった。」

ことばのために 演劇のことば(**)

「平田オリザの著書。どちらかと言うと近代演劇史にウエイトが置かれていたことが、興味深かったけれども残念ではあった。にしても、平田の血筋もそれなりなんだね、それと、あの立派なアゴラ劇場も、平田が建てたんじゃなかったんだね、もちろん負債も含めて相続したんだろけれど。」

私たちのハアハア(***)

「久しぶりのいつもの館で。フレッシュ感だけで突っ走っているので、途中、ちょっと中だるみあるものの、若い女子の体臭まで感じさせるような映像に惹かれた。」

わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か(****)

「平田オリザの著書。いやー、これを読んで、下の自分の解釈が正解だったことが証明された。それにしても、演劇から教わることの多さに驚いた。現代口語演劇というものが、本当にごく最近まで、それが意識されてこなかった不思議。」

幕が上がる(☆☆☆☆☆)

「平田オリザの小説。

なんだろうこの作品は、非常に興奮させられた。いてもたってもいられなくさせられるのだ。これは良い文学や映画を見たときの感動とは、また違う種類の感情で、まさに興奮としか言いようがない。いや、話そのものに興奮させられたのではない。文章も平易で中高生でも楽に読めるよう書いてある、と言うよりも主に中高生に向けたメッセージと理解していいだろう。にも関わらず、まるで何かに掻き立てられるように、中高生ではない自分が一息に読まさせられてしまったのだ。

 特に変わった物語ではない。女子高生なら必ず直面するだろうはずの、いじめたりいじめられたりの問題や家族関係さらにセックスに関することなど、きっと欠くべからざるはずの出来事は一切描かれず、清潔で前向きでそこそこ進学校で落ちこぼれもせず、経済的にも人並みな家庭でぬくぬく育つ良い子ちゃん達の物語だ。この平凡で幸福そうな女子高生の演劇部の活動なんて読んで面白いはずがないではないか。

 だが読みはじめてすぐに、そうではないと直感させられた。この本は何かが違う。ただものではない何かが迫ってくるのだ。高校の演劇部を舞台にした作品だから、稽古のシーンや舞台に関すること(ディティール)など、著者にとってはお手の物でもあるだろう。しかし読みながら感じるのだ、中高生でも読めるような平易な文章であるにも関わらず、ただのライトノベルではないことが。

 その一つが文体だ。著者の演劇論で培われた文体で描かれた、戯曲ではなく小説が、今まで読んだことのない新鮮さを与えてくれた。劇作家だからこそ書ける文章というのだろうか、声に出して読んでみても無駄無く、説明的でもなく、必要十分な言葉だけで形作られている。芥川賞作品の中には文章の技巧に凝った作品も少なくないが、そういった、文章のための文章ではなく、何かもっと「重要なこと」を表現するための文章となっているのだ。そして二つ目は、その文体によって描かれている「重要なこと」とは一体何か?ということを、自分が主人公の女子高生と一緒に知らず知らずのうちに考えさせられていたということ。

 つまり著者は何を表現したかったのだろうか?

 この著者が中学生を対象としたワークショップを行っていることは、ドキュメンタリー映画を観て知っていた。きっとナイーブな中学生に、嫌という程悩まされてきただろう。著者もまた現代日本人である。高度経済成長からバブル、バブル崩壊からデフレ、そして失われた20年までを、ずっと体験してきた人である。とりわけ劇団主宰者として若者に身近に接することで、時代とともに若者の有様の変化を見続け、ずっと気にしてきたのではないだろうか。社会状況が変われば人も変わるのだ。現代日本は特別な環境にある。現代日本で生きる若者に必要なものは何か?を、著者なりに結論し、そのメッセージを伝えようとしているのだ。いや、メッセージだけではない、もっと積極的に働きかけたいのだ。若者よ、生きるための「動機」をみつけなさい、と。だからこそ平凡な女子高生が主人公であり、波乱万丈もなく予定調和を突き進むのだ。いや、波乱万丈であっては、むしろ、ならない。そうすると視点がずれてしまうから。平凡で清潔で真面目で前向きで明るく友達もたくさんいて家族関係も良好で、テレビもエアコンも車もコンビニもパソコンもインターネットもスマホもブランド品もゲームも東京ディズニーランドもハーゲンダッツも、なんでも最初から揃っている現代日本の主人公こそが、実は喪失感にあふれているのだ。だからこそ、どうやって「生きる動機」を見つけるのかを、この読書によって、現代の中高生に追体験させたいということなのだ。ハーモニー・コリンは『ガンモ』で現代アメリカの若者の喪失だけを描いてみせた。世界一裕福な国家に生まれ育ちながら、セックスとドラッグと銃口だけにしか生き甲斐を感じられないソドムとして絶望だけを描いたが著者は違う。若者よ「生きる動機」を見つけなさい。それは特別なことではない、どんな平凡な生活にも価値があり意味がありやり遂げる難しさ苦労や苦痛と、そして達成感があるのだ、そしてそれが君たちの人生ではないかと。   

ハウルの動く城(*****〜☆☆☆☆☆)

「スマン、テレビ放映を録画して観た。だが、いやー面白かった。やっぱり宮崎駿は才能がある。一つだけ文句を言うならば、色彩が嫌い。これはいつものことだけど。」

さよなら人類(*****)

「大好きなロイ・アンダーソン作品ではあるのだが、うーん、いつもの、なんかこう、ギューッと、生きてることが切なくなるような、そんな気分にはさせてくれなかった。映像表現としては、相変わらず素晴らしいのだけれど、それにしても、なんというか自己模倣というのかな、どこか、自分のセオリーに従ってしまっているような感覚。それぞれのシークエンスの構成も、なんだかイマイチ、有機的に効果的に響き合っていなかった。最後まで観ているのが、いささかしんどくさえ感じてしまったのは、贅沢な悩みだろうか。ところで、あの猿は?本物?」

火花(*〜**)

「又吉直樹の小説。面白くは読めた。そもそも人を笑わせるということは、やっぱり難しいことなんだろうことは、松本人志の様子や、ギャグ漫画家の苦しむ様子から、薄々感じてはいた。面白いことって何?と考えれば考える程に難解なシュールな方向性の迷路にはまり込んでしまい、ワケが分からなくなってしまい、とうとう一周回って元に戻ったりなんかするのだ。個人的には「あほんだら」の漫才がきっと好きになるだろうと思うけれど「本手がやはり〜」の例えもある通り、」とんがり過ぎたものは大衆には受け入れられないのだ。まあ江頭2:50みたいに奇跡的に売れて?いる人もいるけれど、あれはあれで随分控えめにやっているんだろう。ところで、この文体はなんとかならなかったのか?もっと檀一雄みたいに率直に書けばよかったのに。」

わが青春の秘密(☆☆☆☆☆)

「檀一雄の小説。」

僕たちの家に帰ろう(☆☆☆☆☆〜*****)

「シンプルな作品だが、主題が、兄弟の道行が人類の行く末そのものを象徴するから魅力あるのだ。『約束の地』のように、難しがっていないから好きだ。」

雪の轍(☆☆☆☆☆〜*****)

「芝居として作っても良いくらいに、よく練られた脚本、と言うより、こういう芝居があるんじゃないかと疑ったほど。たっぷり時間を掛けてセリフの応酬によって人間を表現しようとしているのだ。」

コングレス未来学会議(*****)

「面白かったけどね、底が浅いのか深いのか、よくわからん。なんで日本のアニメーションって、こういう色を出せないんだろうね?終盤にホロコーストやゲットーをイメージさせるけれど、現在のイスラエルを知っている者からすれば白々しいではないか。」

約束の地(*****)

面白かったけどね、底が浅いのか深いのか、よくわからん。近頃テレビもワイド画面ばかりが普及したことへの反発だろうか、正方形に近い画面に角丸まで施してあって凝ってはいるのだが、こういうことも含めて、いささか表現者主義に陥っている側面は否定できないなあ。まあ、嫌いではないけれど。」

ターナー、光に愛を求めて(**〜***)

「マイク・リー作品なので観た。で、確かにマイク・リー作品になってはいた。つまり例えばキャスティング、特に女性キャスティングでは、決して美女を使わないぞ、という強い信念が楽しい。いわゆる伝記物にはなっていないところも良かったのだが、ターナーについてよく知らないのがまずかったのか。」

斜陽(***)

「太宰治の小説。読んでなかったかと思っていたが、やっぱり高校生の頃に読んでいたけれど、むむっ、コ、コレハ、嶽本野ばらやんけー。いや、周囲から見れば奇異なロリータファッションに、唯一自分を認めてくれる世界であり逃げ場所または生き甲斐を見つけた孤独な若者という柱が立っている分だけ、嶽本の方がマシなんじゃないのか?ただ、弟の描写の部分には、太宰自身の吐露が表現されていて、初めて太宰も良いいとこあるじゃん、って思った。」

小説太宰治(*****)

「壇一雄の小説。以前から書いている通り、太宰治があんまり好きではない。いや、本当にうまいよなあ、とか、現代に生きていたら一流のコピーライターになっていただろうなあとも思うのだが、太宰作品の主張するものの無さ、だから時に戦意高揚的なことを書きながら、時に戦争批判的なことも書くような、芯となる思想の無さ、状況に応じて白くも黒くもなれる、べったりとした大衆性とでもいうものが嫌いなので、この言葉は使うべきではないのかもしれないが、これより適当な言葉がないので敢えて使うなら、その女々しさが嫌いなのだ。一方、壇作品は面白いよね。」

イマジン(☆☆☆☆☆)

「ひさしぶりのいつもの館で、腹にドカンと来るひさしぶりの大当たり。ちょっと時間があるなあ、いつもの館で何かやってないのか?と、予告編を覗いたところ、即決で行くぞ、という気分にさせられた。ああ、視覚障害を持つ子供達が、水差しからコップに水を注ぐ練習、そしてコップから水が溢れてしまう瞬間が、涙が出そうになる程美しいのだ。イアンはなぜ白杖を使わないのか?それは、つまらない意地でありプライドなのだ、だが、そのいじらしいほどのプライドが、彼の神経を研ぎ澄ませたのだ。」

蝶の皮膚の下

「赤坂真理の小説。ちょっと読みにくい小説であることが悪いことではない。ただ、それが面倒で入り込むことができなかった自分の責任だろう。」

子猫の肉球

「雨宮処凛の、小説かと思ったらエッセイ集、なので、パラパラめくってただけ。」

あん

「ドリアン助川の小説。ドリアンの作品を初めて読んだのは、河瀬が映画化したからで、たまたま図書館で目に入ってしまったから。どうせなら、映画を観る前に読んでおこうかと、自分には珍しく殊勝な考えを起こしてしまったのだが、読んで後悔した。いや、本作が悪いというわけではないのだが、自分が読みたい小説ではなかったということと、これを河瀬が映画化したのか?という、自分勝手な判断によるもの。いやいや、これを河瀬が、どう表現したのかを観る価値はあるだろうか?河瀬ファンだからこそ悩む。」

地獄篇三部作

「大西巨人の小説。嫌いなタイプの作風ではないのだが、あまりきちんと読めなかった〜我慢して読むことが最近、できないんだよね〜映画なら我慢して観るんだけどね〜なので、ここに書くのは不適当ではあるのだが、まあ、手にとって、大西巨人という人の作品を初めて目にしたとい意味で。」

春の庭(*)

「柴崎友香の小説。住まいとか生活とか、そういう部分に焦点を当てたということでいいのだろうか?金持ちから貧乏人まで、あらゆる住まいに住んでいる、ということ。に、してもなあ、終盤は読み飛ばしてしまった。」

ミシン(**)

「ミシン2を先に読んでしまっていたのが間違いか。そもそも「2」しか置いていない図書館ってダメだろう。「2」を先に読んでしまったが為に、本作では何も始まっていないように感じてしまった。」

世界の終わりという名の雑貨店(**)

「映画化されたのを先に観ていた、嶽本野ばらと知らずに。それを言ったら嶽本野ばらなんか読むなと言われそうだが、本作の、耽美・感傷・自己憐憫・太宰的ニュアンスが鼻についた。けれども、面白くは読んでしまっている。」

阿Q正伝(*****)

「なにしろ図書館の本の文字が小さすぎて読むのに苦労させられた。」

下妻物語完〜ヤンキーちゃんとロリータちゃんと殺人事件(*)

「こういうのを蛇足、と言うんだろうな、桃子ならきっと、そう毒づくぞ。」

下妻物語(***)

「どうしても映画を先に観てしまっているので、そのイメージが払拭できないが、映画はほとんど原作通りに作られていたようだ。ただ映画では、主人公の桃子は深田恭子がキャスティングされていたけれど、本来は、土屋アンナ演じるイチゴの引き立て役となる程度の容姿であるべきだったろうけれど、まあそれは無理な話。」

リツ子・その死(☆☆☆☆☆)

壇一雄の小説。妻を看護し看取るまでの事実を描いているから感動的なのではない。壇の率直な(それは巧妙に計算されたスタイルであったとしても)文体によって表現された文学に対する感動なのだ。」

青春放浪(*****)

「壇一雄の小説。無頼派というのか、豪放磊落というのか、そういう時代でもあったのだろう。小さな島国が、勢いに乗って領土を占領し大きく広げたのだ。そんな気分が国民をイケイケドンドンにさせたとしても、無理もないだろう。ただ、壇が軍に招集されたシーンを、たったの4行で済ませているのには快哉。果たしてここに書かれていることは自伝的内容なのかフィクションかは知らないが、それにしてもいささか親に頼りすぎではないのか?そこのところが切ないよ。」

ゼロの未来(*)

「テリー・ギリアム作品。うーん、さしものテリー・ギリアムも老いたのか?いやね、それなりに出来てはいるんだよ、でもね、なんだかツマラナイ。何もないのだよ、パッションがないのだ、表現したい欲望がないのだ、惰性なのだ。このタイトルは、テリー・ギリアム自身のことを指しているのか。」

恐怖分子(*)

「台湾の映画監督エドワード・ヤン作品で名作の誉れ高い1980年代作品のデジタル・リ・マスター版ということらしい。悪くはないのだが、自分には響かなかった。群像劇の形を取っていることが散漫に感じられたのだ。」

心(***)

「夏目漱石の小説。実は、高校2年生の夏休みの宿題として、本作の感想文を出さなければならなかった時、なんと大胆にも、と言うか、若気の至りというやつで、ただの感想文じゃ面白くないからと、「心」の続編を書いたんだよね。しかも「私」から「先生」への手紙のかたちでね。まあ、それだけのこと。ところで祖父江慎によるデザインバージョンで読んだんだけど、やっぱり読みやすい。紙の手触りさえ好ましい。」

パンク・シンドローム(**)

「フィンランドの障害者によって組まれたパンクバンドに取材したドキュメンタリー。」

パレードへようこそ(*)

「特に観たくて観たわけじゃないんだが、ちょっとケン・ローチ風。美男美女じゃない役者ばかりが出てくるのはマイク・リー調。悪い作品ではないんだが、ちょっと盛り込み過ぎなんだろうね。焦点やスタイルを絞った方が格好は付きやすいが、そうはしたくなかったのか?」

ザ・トライブ(*****)

「ウクライナ映画ということらしい。聾唖者のための寄宿学校を舞台にしており、そのため全ての会話が手話で行われ、言葉によるセリフが一切無い、したがって字幕も無し。手話をきちんと見せなければならないからだろうか、カット毎のシークエンスが比較的長い。だが、映っている風景が、日本みたいに醜くないので観ていて飽きない、どころかもっと長くてもいいくらい。ちょっとダルデンヌ兄作品に似た感じもあるが、ダルデンヌ作品よりずっと好きだ。カンヌでパルムを穫ってもおかしくない作品で、かなりの魅力作。ただ、物語が、必ずしも聾唖とは関係無く、どんな若者にも起こりうるテーマであったように感じられたのが残念。もちろん、聾唖故に職業選択の不自由があり、こういった事態にならざるを得なかったのかもしれないが、それならば、その差別が描かれてもよかったのではないか。そうそう、主人公の青年が「時計じかけのオレンジ」のアレックスをやったマルコム・マクダウェル....だったか?に似ていたね。」

風琴と魚の町・清貧の書(***〜*****)

「林芙美子の短編集。」

尼僧とキューピッドの弓(***〜*****)

「多和田葉子の小説。多和田作品の中では読みやすい方だが、それでも2度繰り返して読んだ。なぜなら本作は大きく2つの章に分かれているが、相互に関連する話であるにも関わらず、それぞれが主人公が「わたし」と名乗るくせに別々の人物であって、前半の章は、どうやら限りなく多和田自身に近い人物だろうと思わせ、後半の章は、その人物が書いたもの(前半)が出版されたものの英語翻訳版を読んだ主人公が語るという、ドキュメンタリーともフィクションとも言えない曖昧な境界線上を敢えて歩かせることで、現実とも夢うつつともとれる不思議な空間を描き出す複雑な構造をわざとやっているから。日本とドイツという2つの文化に、引き裂かれながら生き、両方の言語で創作している多和田ならではの表現なのだ。にしても、表現されていることが「生きる」という、生き物にとって極めて単純で直接的な目的が、人間にとってはずいぶんと面倒な理由付けや意味を必要としてしまっていることのしんどさみたいなもの、と理解していいんだろうか。嶽本野ばらは単純で読みやすいし楽しめるけれど、やっぱり多和田葉子はいい。何度も言うが、ノーベル文学賞に近い日本人はやっぱり多和田だと思うけどね。」

ミシン²/カサコ(***)

「嶽本野ばらの小説。そもそも「ミシン」から先に読むべきなんだろう、そうしないから、ミシンが男だと勘違いしながら読み進めてしまった。だって通常、貴方と書けば、男を指すのではないか?ま、ともかく面白く読めた。ただ、ミシンが何に反発し何を訴えたいのかは全く分からないから子供染みて見えてしまうのは致し方ない。」

スリーピング・ピル(*)

「嶽本野ばらの短編集。」

馬々と人間たち(*****)

「いつもの館で。アイスランド映画らしいが、かなり良かった。そもそも世界地図でアイスランドを見てみれば、ほとんど北極に近い位置にあることにふさわしい美しい景色が広がっている。いや、美しいなどとは人間の感傷にすぎない。こんな僻地に生きるからこそ人間は、醜さも気高さも愚かさも本能も剥き出しにして生きているのだ。それを同じ生き物としての馬が見つめている。容赦ない天然の中で、馬の一物と同様に、人間の一物やビラビラも映せばもっと良かった、いや冗談抜きで。」

おとぎ話みたい(*****)

「よくは分からないのだが、実際におとぎ話という名前のバンドがあるようだ。そのバンドの音楽は、ちょっと奥田民生風というか、とにかく結構、聞いていて心地良いのだが、最初から最後までそのバンドの音楽が用いられていて、さしずめミュージックビデオ風に仕上がっている。つまり音楽の力にかなり助けられてはいる。それを全面的に受入れた上で、なかなか良かった。加えて主演女優の、どこか奇妙な魅力にある。美人不美人で言えば、とびきりの美人ではない。じっと見ていると欠点も多いのだ、しかしどこか妖艶な顔立ちが人目を引く。加えてクラシックバレエの経験があるようで(と言うより、それが主演の条件だ)それが容姿と、奇妙な反作用を起こして惹き付けられる。さらに言うなら、女子高生のハイソックスは、黒より白の方がエロいということが、よく分かった。」

世界の終わりのいずこねこ(*)

「いつもの館で。これはねえ、脚本が悪いのだ。これは短編の漫画で西島先生の絵柄で見せてやれば、それなりに悪くない作品に仕上がっただろうけれど、映画としては×。主演女優もなあ、もちろん、予算がじゃんじゃんある映画じゃないことは良く分かっているけれど、もうちょっとなあ、いや、決して不美人じゃないんだよ、自分の周囲にいれば十分可愛い娘なんだと思う。だけどね、スクリーンを通して見続けなければならなくなるとね、どうしても造形的な欠点(いやもちろん、今の我々の常識での美の規準に過ぎないのだけれど)が目について残念になる。いや、主演だけでなく助演もみんな残念なんだよなあ、それが自主映画感を増幅させてしまった。」

破産(☆☆☆☆☆)

「嶽本野ばらの小説。いやー大変面白かった。何しろ嶽本の描く人物が好きなんだよね、どの登場人物もキャラが立っている。セリフ回し(口調)も楽しい。村上某なんかよりはるかにいいじゃん。そして、これも一つの「震災後」の表現なのだ。あ、太宰好きを告白してるし。」

エミリー(*****)

「「下妻〜」は、映画は勿論観ているけれど、恥ずかしながら嶽本野ばらの小説は初めて読んだが大変面白かった。終盤のシークエンスには、ややご都合主義を感じなくもなかったけれど、本当の短編にもかかわらず、しっかりと満足させてくれた。読んですぐ気づいたけれど、嶽本は間違いなく太宰治に大きく影響を受けているだろう。だが個人的には、太宰よりずっと好きだ。何故なら、嶽本には表現したいことが溢れているから。ところでファンションブランドのことなんか何も知らないけれど、エミリー〜なんとか言うブランドは、本当にあるようだ。そしてこういったファッションが、一種の逃避場所となって人を助けることもあるのだなあと、妙に感心させられた。ま、女性がなぜ『カワイイ』下着を着けたがるのか?は「まんだら屋の良太」で畑中純が喝破している通りなんだけれどもね。ただ、これも個人的見解だけれども、上記のようなフリフリゴテゴテの服って、なんだか汚れているような不潔な気がして、どうしても好きになれない。」

レディメイド(***)

「嶽本野ばらの小説。」

コルセット(***)

「嶽本野ばらの小説。」

すごい生き方(***)

雨宮処凛の小説?と言うより、生きるのが苦しくて辛くてたまらなくて自殺を考えている君への人生相談書か。雨宮が自分自身について語った前半部分に強い魅力があるけれど、途中からアンケートに基づく人生相談になってしまった。ただ。本書が一人でもの命を救う役割を果たしたのだとしたら、立派だ。どこかの教育学の大先生に読ませてやりたいね。おっと、下で雨宮作品を、図書分類で言えば「教育」であるべきだ、などと書いていたら、本書は本当に「教育」に分類されていた。」

バンギャル ア ゴーゴー 上(☆☆☆☆☆)

「雨宮処凛の小説。雨宮作品を初めて読んだが、こんなに文学的才能があるとは驚いた。雨宮のことは、元右翼が転身して左翼になった女性であることは、ドキュメンタリー映画で知っていたし、確かにそういう格好をしていたのも覚えているが、いやー面白かった。半ば自伝的な話なのかもしれないが、そういった体験をしていたからといって、誰にでも書けるわけではないのだから。文体や表現内容から、ちょっと金原ひとみに似ているかも。とにかくこういった、技巧ではなく、表現したいことが猛烈に溢れ出てくる作品が好きなのだ。本作は「上巻」なわけだが、ひょっとして「下巻」はないのか?ところで「窓際のトットちゃん」が図書分類上「教育」にカテゴライズされるなら、本書もそうあるべきだろう。」

窓際のトットちゃん(*)

「恥ずかしながら初めて読んだ。勿論、美化された記憶に基づいているという側面は否定できないのだろうけれど、こんな学校がこんな時代に存在できたことが幸運だったのだろう。しかしこの作品は、立場によって随分、読め方が違ってくるかもしれない。図書館では、図書を一定の基準で分類しているのは当然のことだが、本書はなんと文学ではなく教育に分類されていた。まあ、分類に悩む本というのは、いくらでもあるものだが、今回のケースは、ちょっと作為的ではないだろうか、と言うようなことはどうでもいいのだが、そういうことを意識させざるを得ない側面があるということなんだろう。」

ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して(*)

「いつもの館で。監督がアルノー・デプレシャンだったので観た、のだが、うーん、この作品は、一体どういった層に向けて作られたのか?って、ついさっき観てきた自分が言うのもなんだが、ターゲット不詳の作品で、よく企画が通ったものだ。映像が、もっと表現的ならよかった。」

誰か故郷を想わざる(***)

「寺山修司の小説?エッセイ?とにかく短文集。エッセイに近い短文なので、食いつきが足りないが面白い。」

サラバ!(*****)

西加奈子の小説。楽しく読むことができた。西の、率直で力強い文体が、よく生きた作品。単行本上下巻2冊に及ぶ長編で、単行本にも関わらず紙面一杯に、比較的小さめの文字が詰め込まれていて、しかも紙面の左右の余白も少なくて、手で文字が隠れてしまうほど。本来、装丁のデザインを考慮するなら上中下3巻に分けてもよかったかもしれないが、それでも一気呵成に読めてしまう。確かにいささか描写にくどさを感じないことも無い。芥川賞的短編の美学からすれば、書き過ぎだと思う。だが、数々の、世界で起きた様々な出来事を、西自身が消化しながら、もちろん、人間の側から文学で表現するために、これだけの過剰な言葉の積み重ねが必要だったのだ。本作は、確かに誰にでも読みやすい作品だが大衆文学ではない。西が直接的には西自身のために描いているわけで、そういう意味では芥川賞側なんだよね、ただ短編でないだけで。それでもいいじゃないか、本作のような優れた文学が、直木賞という力を借りて、より多くの人に読まれることは幸福なことだ。もちろん、不満がないわけではない。姉は、もしかすると発達上の問題を抱えていたかもしれない。その兆候は母にもあっただろう。もし、その予感を信じるなら、姉の、終盤での変化は行き過ぎではないか。また本作主人公「歩」(本作は歩の言葉で語られる)に対して、いささか西は厳し過ぎるようにも感じるんだよね。さて本作は、もし発表がもう少し遅れて、イスラム国が台頭する現在までを記述するとしたら、西はどう描いたのだろうか。ところで、はじめて西作品「さくら」を読んで、ジョン・アーヴィングっぽさを指摘していた自分だが、ワハハ、西自身が告白していたよ、バンザーイ。」

ニューヨークの巴里夫(*****)

「見逃してはいけないセドリック・クラピッシュ監督作品。ああ良かった、セドリック・クラピッシュは、ちゃんとセドリック・クラピッシュだった。うまくいかない人生、複雑な人生、夢見たイメージとは違う苦い現実、でも・・今となっちゃあ・・ささやかな喜びがそれをハッピーエンドにしてくれるのだ。そう、バカロレアで「スパニッシュ・アパートメント」に集まった頃は輝かしい未来を信じて青春を謳歌していたんじゃなかったのか。ちょろいもんさ人生なんて、自分たちには才能があるのだと、なのに・・・ああ、こんなはずじゃなかった、40歳になる頃には、きっとバリバリに成功していたはずだったのに。やっと気付いたのだよ、人種の坩堝(ニューヨーク)で、己のレベルをね。

アニメーションやグラフィックなどのギミックは、まあ無くてもよかったとは思うけれど、無駄だ、とは感じなかったし、いつもは満足できない性表現も、必要にして十分だった。結局、性表現って、激しさではないんだよね。

ところで邦題だ、原題は「知恵の輪」だそうだ。昔はセドりック・クラピッシュ作品の邦題は気が利いていて良かったのだが、コレはないだろう。自分なら「こじれた青春!」とでもするかな。それにしても本作は、セドリック・クラピッシュファンでなくても素直に楽しめるどころか、最後には心地良い印象を残してくれる本当にとても良い作品だと思うのだが、客は少なかった。以前、新藤兼人の遺作の上映には、ワンサカと入っていたのに比べると悲しい。断っておくが自分は新藤の大ファンである。そんな自分だが、後期の新藤作品は、はっきり言って面白くない。それでもマスメディアが取り上げるだけで客が入り、素直に面白い本作がガラガラというのは、いかにも残念。いや個人的には、ガラガラの映画館の方が喜ばしいのだが、映画館の存続や、監督をはじめ制作側に興行収入がなければ次が作れなくなるわけだから、やっぱり客が入ることは重要だろう。」

風立ちぬ(*****)

「テレビ放映で観た、スマン。いや、さすが宮崎駿、面白かった。」

炎上する君(*)

「表題作を含む、西加奈子の短編小説集。うーん、やっぱり西作品は、長いもので読みたいね。」

円卓(***)

西加奈子の小説。下作品同様、読みやすく楽しい作品。ひょっとすると西は、小学生を描かせたら天下一品ではないのか。ただし、西の描く人々は、どちらかと言うと平凡(本作主人公のこっこに言わせれば「阿呆」)ではない、どこか特別のものを持っている場合が多いのではないか。こっこも、ひょっとすると、軽度の発達上の問題を抱えているのかもしれない。だからこそ、祖父はこっこの行く末を、困難なものになるだろyと案じるのだ。しかしここまで西作品を読んでみて、なるほど芥川賞と直木賞の両方にまたがるのだということが感じられた。そして、やっぱり映像的な描写。ラストシーンなんて、絶対、最初に思いついていただろう。」

漁港の肉子ちゃん(***)

西加奈子の小説。西作品はどれもそうかもしれないが、中でも読みやすく楽しい作品。」

コンドルの血(***)

「『ボリビアウカマウ集団制作/ホルヘサンヒネス監督全作品レトロスペクティブ 革命の映画/映画の革命の半世紀』から。

落盤

「『ボリビアウカマウ集団制作/ホルヘサンヒネス監督全作品レトロスペクティブ 革命の映画/映画の革命の半世紀』から。」

タイムカプセル(***)

西加奈子の小説。下記作品と対をなしていて面白い。こういう方法って、よく映画でやるよね。本作と下記作品は、一冊の文庫に収録されているのだが、表題は下記作品の題名となっているが、個人的には、こっちの方が好きだった。両方とも水商売が舞台ではあるが、こっちの方にはいわゆる「いじめ問題」がテーマとなっており、その分だけ、共感しやすかったのだろう。」

地下の鳩(*)

西加奈子の小説。個人的にどうしても、水商売に全く関心が無いために、本作には入り込めなかった。ここまで西作品を読んできて気付いたのは、西は、AとBの2者を対比させながら、どちらかが主人公ということではなく、両者を平行に描こうとするところがあるということ。このことは、本作と対になっている上記作品との関係もまたそうであることからも分かる。なお、あまり関心の無い世界の描写ではあったが、最後まで読んだ(読まさせられた)のは確かなことで、西の濃密なねちっこい表現力のせいだろう。面白いとは思っているのだ。」

白いしるし(***)

「西加奈子の小説。一応、恋愛小説とカテゴライズされるらしい。残念ながら当方、女でも西でもないので、ここまでの愛情を理解できないなあ。ただ世間では、痴話げんかの果ての刀傷沙汰も良くある話かもしれないから。太宰治が好きなら本作はOKだろう。」

きいろいゾウ(*****)

「西加奈子の小説。かなり良かった、ラストのクライマックスが、幾分、自分好みじゃなかったので(*****)にしたけれど、それまでは(☆☆☆☆☆)でもよかったと感じているくらい。前作「さくら」の時にも書いたけれど、西作品は、どこか映像的なイメージがある。丁度、ユーミンの歌詞がそう言われるようにだ。それだからか本作も、きっと映画化したらいいのにと思う。ただ、120分くらいでは表現するのは無理だから、最低でも3時間は必要だろう。監督も、相当に才気溢れる人物でなければならない。ところで西が直木賞を穫ったようだけれど、ここまで読んだ2冊に関して言えば、どう考えても芥川賞側の作家だよね、西って。なんで芥川賞にかすりもしてないんだろう?短編を書いていないから?もはや新人ではないから?少なくとも、そんじょそこらの芥川賞作家を西は、凌駕してるよね。まあ尤も、直木賞作家だからといって、必ずしも大衆文学ベッタリ、というわけではないんだろうけれど。・・・・・すまん、映画化されとった。観てないけど、きっとイマイチだろう。」

天才スピヴェット(***〜**)

「最早、アニメーションやグラフィックなどの画面上のギミックが、余計な物にしか感じられないのだよね。残念な出来。」

さくら(*****)

「恥ずかしながら、西加奈子の小説を初めて読んだ。本作しか読まずに言うのも早計だが、ひょっとして西は、ジョン・アーヴィングなんかを意識しているのではないか?と感じた程に、映画化すればいいんじゃないかと感じていたら、本作ではないが以後の作品が映画化されていた。本作の登場人物達は、いくつかの面(美男美女であったり、立派な一軒家に住んでいたり、記憶力が優れていたり、早々とセックスしたり)で、とても恵まれている人々なのだが、どこか屈折している。そんなところにジョン・アーヴィングっぽさを感じるのかもしれない。西の文体は、一見、関西弁で平明に読みやすく書かれているように見えるが、言葉のひとつひとつが、実に丁寧に選び抜かれていることがわかるし、ラストのクライマックスは強い魅力を持っている。西は、直木賞候補には上がっているが、本作を読む限り、芥川賞を受賞してもおかしくないよね。それだけ、しっかりと人間が描かれている。いや芥川賞作品でも、もっと薄っぺらな表現技巧だけの作品があるよね。」

QOQ(*****〜☆☆☆☆☆)

美しくなったいつもの館で。例えるならば、現代日本版ジョン・カサヴェテスあるいは往年の(いや、まだまだ若手なんだけど)山下敦浩か。大声でぶつけるようなツッケンドンなセリフ。ブサイクな体と顔。妙に説明的なセリフも、嫌らしい京都弁も、もう全てがイイんだ。ちょっとくらいギターが上手くても、それで夢が叶う程甘くないことを奴らは知っている。知っていながら、ずるずると拘泥していたいのだよ。タイムリミットは30か?35か?あるいはガキでも出来た時?勿論、その時になって後悔してもしかたがないことも分かっているのだよ。だがそれでもさあ、意地になってでも、このぬるま湯のような泥沼に浸っていじゃないか。かすかな希望にすがって。はじめから何もかもそろっている先進国で生きる若者の、イデオロギーでもセックスでもドラッグでも暴力でもない、醒めながら夢中になれる...いや、なった振りができる最後に残されたパラダイス。だからニューハーフも、自分の本能に忠実になろうとする。それにしても、ちょっ、ラストは優しいんだ、ちくちょー。」

寝床より愛をこめて

「美しくなったいつもの館で、あ、そう言えば、JRのガタンゴトンが聞こえないぞ、凄い、防音までやったのか。」

ニンフォマニアックVOL.1・2(***)

「大好きなラース・フォン・トリアー作品なので見逃すわけがない、のだが、愚かしく悲しいボカシだらけであることは今更言うまでもない残念なことで、要するに日本人はいつまでたってもガキ扱いで、また日本人自身がそれを望んでおるんだなあ、と、今度の選挙結果がまだ出る前から分かっていることで、昔から、巨人・大鵬・○○党なわけなのだが、それにしても、いくらなんでも、ちょっとボカシ過ぎなんじゃないのか、ひょっとすると、ろくでなし子のせいではないか、あの野郎よけいなことをしやがって、と勘ぐってもしまうのだが、これが、スピルバーグ作品なら、ボカシももう少し減るんだろうけれど、要は、取り締まる方も所詮スピルバーグ程度の民度であるという現実。それにしても、うーん、解釈の難しい作品。ジェンダー的な意味合いも含めたセクシャリティーが一つのテーマとしてあることは、作中の、まるで天使?のような登場人物セリグマンのセリフからも分かる、のだけれど、そこを特にラース・フォン・トリアーが強調して言いたいわけではないようでもある。勿論「人間」が根底にはあるのだし、これまでのラース・フォン・トリアーがそうであるように、キリスト教に対する彼の考えが底流にあるのも間違いないことは、饒舌な登場人物セリグマンが直接それを語っているから。だが、パート1と2と連続で観ると、かなりの長編であるにもかかわらず、どこか満足できないのだ。そう、いつもの、お腹にドーンと来る満足感がないんだよね。勿論、例えば主人公ジョーの相手の奥さんと子供が押し掛けてきたシーンなど、まさにラース・フォン・トリアーの真骨頂で、初期作品を彷彿とさせるのだが。作品全体が、必ずしもそのタッチで彩られてはいないのだ。そうか、作品が、パート毎・章毎に色が異なっているのだ。例えば、子供・娘時代、シャルロット時代、SM時代、そしてセリグマンの部屋と、それぞれ異なっていて、どっちつかずなんだよね。そもそもセクシャリティーというテーマを、どう翻訳すれば最も適当なのだろうか。100万人に一人の、というセリフが示す通り、特別な性癖・性衝動を持つ特殊な色情狂の話という前提自身が、普遍性を遠ざけている。そこらへんが、いまいちピンと来ないところだろうか、だって、鞭でお尻ペンペンされたくて全てを失っても構わないと考え行動してしまうことに対して、どうやっても共感しようがない。特にパート2になってからエスカレートしていくわけだけれども、お尻ぺんぺんや突然の転職など、いささか荒唐無稽なイメージが強まってしまうことからも、人間描写の普遍性から遠ざかってしまった原因ではないのか。なお、本作を「やりまっくているポルノまがい」と期待して観たなら肩すかしを喰らうだろう。本作には、エロ感とかリビドー感は、全く存在しない、と断言していいよね。もし自分なら、こうは撮らない、と感じてしまった。いやそもそも、シャルロット・ゲンズブールを使わない。いや使っても脱がさないで、娘時代の彼女だけにする。」

献灯使(***)

「多和田葉子の小説。表題作の他「韋駄天どこまでも」、「不死鳥の島」、「彼岸」、「動物たちのバベル」など。この作品を多和田に書かせたのは、言うまでもなく東日本大震災によって起きてしまった原発の過酷事故だ。もし不幸中の幸いに原発事故がなければ、この作品は書かれなかっただろう。この期に及んで原発推進派の連中の醜いことは今更仕方が無いにしても、それに投票する国民の愚かさ。」

悪童日記(***)

「うーん、映画として出来過ぎていて残念。アニメーションや手帳の表現また少女の特異な人相など、心憎い演出も少なくないんだけれど、どこか満足出来ない作品だった。それはつまり、何か引っかかりと言うか、多少の歪みはあったとしても個性があれば、むしろ好ましいのだが、それがなかったんだよね。少年たちの心の変化も納得いかない。性描写が無いことも残念だった。それと、子役の二人に対する演技指導が足りなかったのではないだろうか。ニキータ・ミハルコフならもっと歌うように、アレクサンドル・ソクーロフならもっと神聖に、エミール・クストリッアならもっと動物的に、オタール・イオセリアーニならもっと大国に蹂躙される超現実を飄々と描いただろう。」

闇のあとの光(*****〜☆☆☆☆☆)

「この作品を支配しているのは言いようのない不安感だ。それがレンズの効果と美しい風景や雷鳴その他のノイズまた3〜4歳の無垢な少女の姿を通して表現される。地球は美しい、だが、そこを支配する者達はどうなのだ?と、言うことか?。どうやらメキシコにおける、先住民族と白人との関係が根底にはあるようだ。メキシコは今も搾取されている、メキシコは今も暴力に血塗られているのだ、この美しい大地の上で。成る程それならば、正方形に近いフレームも狭窄な人類の視野を象徴しているかのようではないか。だってホラ、悪魔は人間の形をかたどっているじゃないか。」

女ともだち(***)

「林真理子の小説。実はずっと、林真理子を遠ざけていた。なんだか男勝りのイメージと、どちらかと言えば大衆文学のカテゴリーに入るのだろうと思い込んでいたから。だが新聞に林の小説が連載されていて、意外に読めるじゃん、などと感じたので。できれば初期作品から、と思ったのだが、出張の新幹線で読める文庫から薄いものを適当に選んでみた、のだが、林が、とても手堅い実力作家であることがうかがい知れた。確かに、女性作家だからかどうか、女性に厳しい描写を感じる、のだが、それがどうだと言うのだ、誰だって、同性のことの方がよく分かるだろう。主人公淳子の、って、このネーミングが古いわけだけど、彼女の、じたばた躍起になっての独り相撲の有様には、ギュンとさせられた。いや結局、独り相撲ではなかったワケだけど。

玉呑み人形(***)

「林真理子の小説。実はずっと、林真理子を遠ざけていた。なんだか男勝りのイメージと、どちらかと言えば大衆文学のカテゴリーに入るのだろうと思い込んでいたから。だが新聞に林の小説が連載されていて、意外に読めるじゃん、などと感じたので。できれば初期作品から、と思ったのだが、出張の新幹線で読める文庫から薄いものを適当に選んでみた、のだが、林が、とても手堅い実力作家であることがうかがい知れた。確かに、女性作家だからかどうか、女性に厳しい描写を感じる、のだが、それがどうだと言うのだ、誰だって、同性のことの方がよく分かるだろう。」

海外特派員

「ヒッチコック監督作品。1940年作品ということだが、うーん、突っ込み所が多過ぎて、と言うやつ。」

十九歳の地図

「中上健次の小説。すいません、中断しました。なんでだろうなあ、ほんの短編なのに。」

フランシス・ハ(***)

「これはきっと要するに、ハシカみたいなモンだろう。作者はゴダールやジム・ジャームッシュや、さらにはレオス・カラックスなんかが大好きなんだろう。ヒロインは、それこそアンナ・カリーナのように無邪気に奔放に飛び回る。ただね、モノクロだからってワケでもないんだが、どこか古びたイメージから抜け出せない。別にゴダール風でも何でもいいけれど、21世紀のアメリカで撮る、という現実から逃れることのできない何か十字架があるんじゃないのだろうか。そういうものを無視して、ただ情熱のままに突き進んだ作品があったっていいかもしれないが、どこか物足らない。」

リスボンに誘われて(**)

「観る前から、ちょっとどうかな?という気配は感じたんだけれど、ビレ・アウグスト監督作品、なので観た。ポルトガルの近現代史をよく知らなかったのだが、スペインのフランコ政権みたいな独裁が、1970年代半ばまでポルトガルでも続いていたのだな。そういった社会背景を軸にして描かれているから、やはりどうしても、そういった、史実に基づいた、つまり歴史物、中でも独裁政権下の息苦しさの描写や雰囲気から逃れられないのはしかたがないとしても、そのような状況下にこそ生き甲斐というか、生きる意味を痛烈に考えさせる哲学が生まれるのだ、ということが主たるテーマとして流れていたのがよかった。だってアンネ・フランクだってそうじゃないか。矢作俊彦が「気分はもう戦争」で喝破した通りではないか、なぜ先進国の若者がイスラム国の義勇兵になろうとするのか!悲しいことに、人は命の危機的状況下にこそ生を感じるのだ。」

祖谷物語〜おくのひと〜(*〜***)

「結論から言えば、面白かった。いやびっくり、新装開店したいつもの館は、まさかここまでキレイになってるなんて、うーん、そんな金はどこにあったのだ?銀行から借りた?いやいや銀行が貸すわけないです、はい、ともかく支配人M氏の情熱には驚かされる。そんな新装開店のこけら落としってワケでもないが、本作を、まあ観てみるか、という気持ちにさせられたのは、上映時間の長さだ。もう170分というだけで観るしかないでしょう。なぜなら、映画館での上映番組表の都合から言っても、観客が我慢できる程度から言っても、さらにはDVD化することまで考えれば、せいぜい90〜120分に止めておくのが定石なのだ。上映時間170分というだけで、映画館からは嫌われるのだよ。それを分かっていて、敢えてやっているということは、大向こう受けではなく、自分の好きなことを好きなようにやった証拠なんだよね。で、観ました。うーん最初のうちは、なんだか表現が古くさいな、確かに力はあるようだし、気象条件をしっかり利用して〜と言うことは、それを待ってまで撮ったということで、随分そういう意味では頑張ってはいるんだよなあ、でもセンスみたいなものが欠けてるんだよね、脚本が悪いんだよね、なんて偉そうなことを感じながら観ていたよ。で、さらには、なんか河瀬っぽいよなあ、または「山の焚き火」以降のフレディ・ミュラーっぽい強引さ、そうそう、この強引さは、なんか邦画離れしてるよなあ、なんてことも感じていたところが、かかしがあんなことになってこんなことになって....うーんうーんこれがオチですか。ところがだ、1/3から1/4も過ぎた頃からだろうか、作者の、やぼったくとも、ダサくとも、ゆるぎない何かに貫かれていること、自分を信じ、徹底的にやり尽くそうとしている力強さを感じさせられてきたのだ、そしてあろうことか、ほんとに河瀬が出てきたじゃないか。成る程そうか、やはり河瀬の薫陶を受けている。いや、徹底的に河瀬に怒られたんじゃないだろうか。テーマ自体はよくあるものではあるけれど、作者が情熱を持って、本気になってやり切った様子を観ることは楽しいことなのだ。だから大満足を与えられた。一つだけ不満を言うならば、性行為表現があるべきだったと思うけれど。170分は、ちっとも眠くならなかった。」

大いなる沈黙へ(*)

「アルプスだかどこかの修道院に取材したドキュメンタリー。もともとこの手の作品は大好きなはずなのだが.....。全部ではないのかもしれないが、デジタルビデオカメラで、高感度撮影やデジタルズームでの撮影の時のような、デジタルノイズが気持ち悪い映像が多用されていた。美しい風景だけに残念だ。おそらく修道院側との撮影上の取り決めなどから、照明機材などを多用することができなかったのかもしれないが、他に方法がなかったのだろうか。それと、これも取り決めだったのかもしれないが、撮影対象に全く踏み込んでいないこと、もちろん、そんなことしなくても人間に迫ることは可能だったかもしれないが、残念ながら、修道院の生活のうわべだけしか描かれず、そのために宗教のグロテスクさばかりが強調されていた。花輪和一が「刑務所の中」で喝破している通り、規則に縛られた生活は、実は楽なのだ。花輪が描く受刑者達を見るがいい。罪を悔恨するのではなく、日々の時間刻みで決められた生活が、かえって彼らを安楽にしているではないか。」

にんじん(*****)

「ジュール・ルナールの小説。恥ずかしながら、ルナールは初めて読んだかもしれない。中学から高校生の頃、色々と小説を読んだけれど、「にんじん」は知ってはいたが、児童文学というレッテルを貼ってしまっていて、ずっとスルーしてきたのだ。きっと「トムソーヤ」「ハックルベリー〜」みたいな話だろうと決めつけていたのだ。って「トムソヤ」も「ハックル〜」も読んでないけどな。さて本作だが、いやー解釈に困る作品だ。最初は、子供(ガキ)であるにんじんの目線を通して、人間や社会や自然を描こうとしているものだと解釈していた。子供(ガキ)である、にんじんは、それ故に生命を平気で殺せる。まだ、命に思いを馳せるほどの人生体験がないからだ。子供(ガキ)である、にんじんから見ると、親も兄弟も、何ら自分の好きにさせてくれない理不尽な存在だ。にんじんが、何をやるにも一々干渉し文句を付け最後に叱る。にんじんが、そうされてもしかたがない行為をしたという事実を忘れ、反省もせず不平不満だけを言う。だが、それが子供(ガキ)というものであり、大なり小なり誰にでもあった一つの成長の時期の有様だ。それを殊更描いてみせることで、人間の人間らしさ、そして生き物としての人間を描き出そうとしたのだろうと、そう解釈定義して読んでいたのだよ。ところが、「にんじん一幕物」や「ルナールによる登場人物覚え書き」を読んで、その考えが必ずしも正しくないことを知らされた。そもそも、にんじんの両親は夫婦仲が良くないらしい。その上、母は邪悪な性格と描かれているではないか。おーい、どう読めばいいんだい。」

優雅で感傷的な日本野球

「恥ずかしながら、高橋源一郎の小説を初めて....すいません、38ページのあたりで中断しました。この手はどうも苦手なのだ。作者が冒頭で告白しているとおり、カフカを意識しているようだが、シュールリアリスムとか超現実とか混乱とかハチャメチャとかワケワカランことを澄まし顔で語る手法が我慢ならないのだよね。そこに、いやつまり根底に怒りとか人間とかが滲み出ない限りは。いやもちろん、最後まで読めば滲み出てきたのかもしれないけれど。題名はいいんだけどね。」

ローマ環状線、めぐりゆく人生たち(***)

「ヴェネツィアで金獅子を取ったドキュメンタリー。ドキュメンタリーにしては、と言うべきか、映像が丁寧で美しく、そのあたりも評価されたポイントだろう。ローマ環状線沿いで見つけた複数の人間達にスポットライトを当て、全体として人間や人生を描き出そうとする手法で、それ自体は嫌いではないどころか、むしろ好きなくらいなのだが、言う程それが表現されているとは思えなかった。もっと個別の人間・家族に、深く密着し掘り下げてほしかった。なお、邦題の「めぐりゆく〜」は蛇足だろ!ps:上映途中から大いびきをかいて寝ていたオッサンは家で水戸黄門でも観ときゃあいいだろ!わざわざ迷惑をかけにくるな!」

2013年1月 7日 (月)

道元禅師(上)(**)
「立松和平の小説の上巻。本当は、全部を読んでからUPすべきところだが、ここで中断。なぜなら自分が立松に期待するものが、ここにはあまりなかったから。確かに、簡潔できっぱりとした立松の口調ではある。だが、あまりに、道元の美しい物語として作られ過ぎていて、残念ながら途中から、読んでいく魅力が失せていってしまったのだ。作中で語り部の役を引き受けている右門という登場人物の、あまりな道元への一切の批判無しの崇拝ぶりにも辟易させられる。もちろん、これは道元の道行きをブッダになぞらえているからで、右門はさしずめアナンダというところかもしれないが、それにしてもだ。例えば右門は、求法のためには、親や病気療養中の師さえ捨て置いて外国(宋)へ修行のため旅立つことの是非」について問うのだが、道元の答えはどうもスッキリしない。(文庫388ページ)だって「いかなる修行も、劣った方を捨て、優れた方を取るのが菩薩の修行で、悟りを開く道だ」と答えるが、いいのか?立松よ。もっとも、こういうことも、中・下と読み進んでいけば解決するのかもしれないが。」
二つ目の窓(*****)
「河瀬直美監督作品。とても力強い何かに貫かれた魅力作で、腹にドスンと来るものがあり、なぜだか涙が出そうになったくらい。ただ、それだけに、後半の、少年の母への反発を描いたシークエンスがどうしても不必要に感じてしまった、このシークエンスが挿入されることで、かえって、それまで描かれてきた生死や命への純粋な眼差しがずれてしまったのではないのか。しかし、そうなってくると、父親に合いにいくシークエンスも、また冒頭の水死体さえ必要なくなってくる。いやいやそう考え出すと、渡辺真紀子自身が、個性が強すぎてミスキャストに感じてしまう。と言うのも、少年の両親の描写が、どうにも中途半端だからではないか。母親の男関係や性行為を、少年に目撃させるなり、それでも女としてどうしようもなく生きようとする様を、もっと徹底的に描くべきだった。だが、そうするとなると、2時間では済まなくなるわけで、やっぱり難しかったのだろう。入れ墨や父への憧憬は、どうしても河瀬自身の生い立ちが、そうさせてしまうのかもしれないが、残念ではあるなあ。」
影の王国(**)
「写真・映像作家フィオナ・タンのドキュメンタリー。」

興味深い時代を生きますように(***)

「写真・映像作家フィオナ・タンのドキュメンタリー。西洋と中国の混血である自身の存在を探る作品。河瀬直美のような粘着質があれば、もっと良かった。」

イーダ(***)

「映像が魅力ではある。フレームの切り取り方がちょっと独特で、人物をフレームの下の方に置いて空間を見せている。主人公の心変わりが、もっと何と言うか描けていたらと思うのだが。また、性行為表現は省略してあったけれど、この場合、きちんと描いてもよかったのではないのかなあ。」

ローマの教室で(***)

「うんと悪く言えば山田洋次風教育映画?いや、まあ、そこまで押し付けがましくはないが、話がね。ただ、それよりはずっと乾いてはいたけれど。」

リアリティのダンス(☆☆☆☆☆)

「アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品。個人的には、これが最高傑作だと思う。もちろん、基本的にはこれまでのアレハンドロ・ホドロフスキー調で、延々、解脱に向けてブッダが放浪するような感覚で、だからやっぱり途中、ちょっと退屈させられるが、今までで一番分かりやすく、つまり観客のことを、結構、意識した作りになっている。様々な表現上のアイデアも面白い。さて、自伝の映画化ということらしいが、どこまでが本当かイメージか。そもそもユダヤ人でありながら共産主義という父親の複雑なこと。それにしても残念なのは、愚かなボカシ。」

悲しみよこんにちは

「すいません、途中放棄。フランス映画風で嫌いではなかったんだが、文章が、ツッケンドンと言うか何と言うか、それが翻訳のせいなのか、元々がそうなのか、多分、両方だろうと思うけれど、とにかく読みにくかった。映画化もされているようだが、フランソワ・オゾンが映画化すればいいのにね。」

ホドロフスキーのDUNE(*****)

「ホドロフスキーは、いいやつだ。」

ファザーファッカー(*****)

「どうやら自伝的作品のようだ。文章そのものは、芥川賞・直木賞作家のような、いかにも巧みな書きっぷりは一切無く、淡々と率直に、出来事を綴っていて、だからとても読みやすく、一気に読めてしまう。作文的な技巧を味わうのではない種類の作品。実は内田春菊は、昔から気になる漫画家ではあった。好きな漫画は必ず単行本を買うのだが、内田春菊作品は、必ず自分の中で買うか買わないかの俎上に上がる。だが、絵柄が好みではないことから、最終的には買わない漫画家の一人だった。ただ、内田春菊の、題名の付け方の上手さには、一目置いていて、例えば「わたしたちは繁殖している」や「めんず」など、ドキリとさせられる。いずれにしても、性的あるいは生殖的イメージが濃厚な作者および作品であることは間違いない。男より女の方が、妊娠出産を体験する分だけ、良くも悪しくも本能的...などとは、よく言われることだが、確かに内田は、その本能の部分(セックスアピール)が特に強調されているのだろうか。そのことを、あるいは実母や実父・義父も感じ取っていたのかもしれないが、壮絶な人生だ。PS「ビジターQ」も忘れるなよ。」

ヴェニスの商人(**)

「なんだか、とても複雑な気分にさせられた。だって本作の中で、最も善人なのはシャイロックだよね。それ以外の誰もがむしろ偽善者だ。いや勿論、どちらかと言えば自分はイスラエルよりパレスチナに同情的なんだよ。だが本作を読む限り、どうしても、シャイロックは可哀想過ぎるのではないか?ただ、それは自分のキリスト教とユダヤ教の歴史に関する無知をさらけ出しているに過ぎない。本作が、観客を楽しませる戯曲である以上、大向こうを敵に回すわけにはいかないだろうし、シェイクスピア自身がキリスト教徒であるようだから、ここまでコテンパテンにシャイロックをやっつけることになんのためらいもなかったのかもしれない。」

思い出のマーニー(**)

「まず、アニメーション表現はとても良く出来ていた。2次元アニメーションでありながら、立体的に、とても良く動いていた。例えばマーニーとアンナがダンスするシーンなど秀逸。また、本作にとって重要な「水」や背景の表現も、自然の観察に基づいた、しっかりとした描写で美しかった。ミレイのオフィーリアなども参考にしたのではないか。ついつい、冒頭の軽自動車で叔父の家に到着するまでのシークエンスなんて、「となりのトトロ」と比較しながら観ていたほどだ。ただ、本作対象年齢と思われる少女達が、そういったことを、どこまで理解できたかどうかは知らんけどな。そう、結局は、原作の児童文学としての限界の問題なのだが、そもそもアニメーション化する必要があったのか?アニメーション化することで、原作を上回る表現性・価値が生まれたのか?とユーリ・ノルシュテインなら言うはずだ。」

ハムレット(***)

「恥ずかしながら、シェイクスピアを初めて読んだ。悲劇.....と言うより、喜劇として読めた。」

ゆきの宿(**)

「小山田浩子の小説。いささか感傷的ではあるが。下作品の続きとなっている。」

いたちなく(***)

「小山田浩子の小説。こちらの方が、読みやすかった。」

穴(**)

「小山田浩子の小説。シューリレアリスム風味と言うか、安部公房...と言うより川上弘美風味...かなあ、そういった方向性に引っ張られてしまったことが、自分の嗜好に合わず、最終的に、惹き付けられなかった原因だ。作者の視点が、当然のことではあるのだが、特定の年齢の女性で、妊娠出産を迫られる年齢と社会がテーマではあるはずなのに、余分な描写〜風変わりで、親族から無かったことにされている義兄〜などという登場人物が、いかにも古くささを醸し出していて、入り込めなかった。丁度該当する年齢の女性なら、もっと共感できたのかもしれない、きっと(早く子供を産め)という、無言の圧迫が、白昼夢的な異空間として暗示されていた...のかなあ?いたちって、うちの庭にも出るぞ。」

楢山節孝(***)

「深沢七郎の小説。恥ずかしながら、深沢七郎の小説を初めて読んだ。今村昌平版の映画は観ていたのだが。」

赤いパンツ(**)

「近藤啓太郎の小説。」

鯉(***)

「火野葦平の小説。恥ずかしながら、火野葦平の小説を初めて読んだ、多分。白戸三平は、この作品から着想を得て「カムイ外伝」を描いたのか?」

ゴットハルト鉄道

「多和田葉子の小説。すいません、最後まで読めませんでした。この作品は、多和田が自身のエッセイで言及し敬愛する「やし酒飲み」に想を得ているのは間違いない。だから、ですます調と、〜だ調を、わざと混在させて書いているのだ。国語の先生にしかられるようなことを意図的にすることで表現しようと試みている。それにしても難しい小説、いやいや、読書力の無い自分を恨むべきだ。昔なら強引に読み切ったんだけどなあ、分からなくても強引医読み切れば、後から見えてくるものもあるはずなんだが、そういう読書突破力が無くなってしまった。多和田は言う「美しい日本語なんか信じない」と。そうだ、どっかの国のチョビ髭の似合う首相に聞かせてやりたいもんだが、聞く耳など待たぬだろう。国民の武器は選挙しかないのに、その国民がまた云々.......。」

インサイド・ルーウィン・デイヴィス~名もなき男の歌~(***)

「コーエン兄弟作品。カンヌでグランプリ、と言うことは2等だったわけだが、うーん、よっぽど不作の年だったのか、いや、この作品の、ひょっとすると才能あるかもしれないのに売れないフォークソングシンガーの、何をやってもうまくいかず右往左往する有様、そこはかとないユーモア・ペーソスがお前に読み取れないのか?と言われれば、はい、読み取れません、と言わざるを得ないなあ、うーん。」

カタコトのうわごと(*****)

「多和田葉子のエッセイ集。以前から指摘している通り、日本人作家で最もノーベル賞に近いと個人的に思っている、村上某をさしおいてだ。その思いに違わぬ多和田の考察力に舌を巻く。と言っても、読みやすいのは前半までで、中盤から後半にかけては、エッセイと言うより論文に近く難解な考察で、容易にそれを理解できない自分の読書力の無さに悲しくなってしまった。多和田は、長くドイツに在住し、日本語とドイツ語それぞれで小説を書くなどして、言語の意味あいとか本質とか面白さに気付き深く考察している数少ない人間だ。本作前半は、それを私のような者にも比較的分かりやすく楽しく読ませてくれる。」

フライ、ダディ、フライ(**)

「金城一紀の小説。面白くなかったわけではないのだ、まあ、カタルシスは与えてくれる。でもなあ、この、出来過ぎの幸福過ぎるファンタジーを、どう解釈しろと?ここから何を読み取れと?主題が何なのかを感じ取れというのだ?在日から見たザ・日本人の悪戦苦闘なのか?だが、そこまでは表現できてはいないだろう?」

flowers(**)

「吉田修一の小説。」

パーク・ライフ(**)

「吉田修一の小説。現代風・今風と言う所の現代とか今ってのが、一体いつのことなのか、21世に入ってコッチ、さっぱり分からなくなっちゃっているわけだけれども、その、いかにも今風な作品と、やっぱり言わざるを得ず、映画化でもされれば、それなりにおしゃれな一本になるんじゃないのか。淡白なタッチが嫌いなわけではない、それは表現方法に過ぎないのだから、だが、どんなにサラリと描こうとも、その根底に作者というものが存在するのが、少なくとも「純文学」(この言葉も好きではないけれど)なんじゃないのかなあ。いや、そういうものを嗅ぎ取ることが、ちゃんとできるじゃないか、オマエの感性が鈍いだけだよ、と言われればそれまでなんだけれどね。」

小説 田中絹代(☆☆☆☆☆)

「恥ずかしながら始めて読んだが大変に面白かった。」

鉄くず拾いの物語(***)

「いつもの館で。「ノーマンズ・ランド」のダニス・タノヴィッチ監督作品とあらば見ねばなるまい。まあ、どっかで聞いたことあるよな話ではあるのだが、解説によれば実話だという、しかも21世紀の話だ。出演者も役者ではなく素人であることは確かだが、なに?、解説によれば当事者が演じているとのこと。どうりで子供達の自然なこと。それにしてもだよ、生きることの理不尽は今に始まったことではないけれど、今日明日の食べ物のため、また薬代のため切り貼りしながらやりくりしなければならない境遇。」

林芙美子 放浪記(森まゆみ解説)(☆☆☆☆☆)

「巻末の、森まゆみによる後書きにも書いてあるが、これは新潮文庫版ではなく、改造社版を底本とした、森まゆみ編集によるみすす書房版。恥ずかしながら「放浪記」を読んだのは始めてだったのだが、その最初の出会いが、この本で良かった。後書きに詳しいが、「放浪記」は、当初、発表されたものと、後になって新潮文庫に収録されたものでは、文章の細かな表現が異なっているのだ。それは誰かが勝手に手を入れたのではなく、林芙美子自身が行っている。発表当初の、自身の感情を露にした若々しい言葉を、林自身が恥じて修正したのだ。このことは、例えば鈴木翁二も似たようなことをやっており、その気持ちは十分に理解できる。若い頃の無鉄砲な言動は、本人にしてみれば若気の至りと感じられ、無かったことにしたいと思うことは誰にでもあるだろう。ましてや本作は、そもそも日記にも近い内容で(もちろん林自身が作家としての優れた才能を持ちそれだからこそ価値ある文学として今日まで残っているわけであるが)、発表も時系列ではなく、正に食うために、手っ取り早く金になる方法として、バラバラに(良いものから)行われたとのことだから、なおさらのこと。だが、林には悪いが、この生々しい初出版が最も素晴らしいのは言うまでもないことだ。映画もそうで、どんな映画監督でも、初期作品が素晴らしいのだよ。」

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら

「いやー読んでしまった。これはビジネス書だった、いや、ビジネス書なんざ読んだことないけどね。で、ビジネス書として読んだなら、結構ためになることが書いてあった、と思う、たぶん。」

SOMETHING HAPPENED(☆☆☆☆☆)

「ロイ・アンダーソン監督の短編。DVDで。こんな短編でも、何か抑圧されたものと滑稽味と人生が表現されているのだよ。」

ロイ・アンダーソンのメイキングDVD(題名忘れた)(☆☆☆☆☆)

「全部かどうかは分からないけれど、多くのシーンをスタジオでセットで撮っているのだということが分かった。いやー、ここまでやらないとダメなんだね。メイキングで泣きそうになったよ。」

WORLD OF GLORY(☆☆☆☆☆)

「ロイ・アンダーソン監督の短編。DVDで。こんな短編でも、何か抑圧されたものと滑稽味と人生が表現されているのだよ。」

シルビアのいる街で(***)

「ホセ・ルイス・ゲリン監督作品。広島市映像文化ライブラリーでの特集上映。残念ながら、上映された6本のうち、2本しか観ることができなかった。いや観られるわけないでしょう、1本1日ずつしか上映しないんだからね、なぜ1ヶ月くらいやらないんだろうね、大勢の職員が暇そうにしているくせに。は、ともかく好きな部類の作品ではある。一つ言えることは、この監督の、画面に写り込むものへの強い意識が優れていて心地よいということ。冒頭、主人公がホテルから出て行くシークエンスの、主人公が画面から出ていってしまった後の、路地に次々現れる通行人の、魅力あることよ。主人公は、いささかストーカーじみているけれど、え、ストーカー、そう言えば、ちょっとタルコフスキーを彷彿とさせるなあ。」

ゲスト(*****)

「ホセ・ルイス・ゲリン監督作品。広島市映像文化ライブラリーでの特集上映。残念ながら、上映された6本のうち、2本しか観ることができなかった。いや観られるわけないでしょう、1本1日ずつしか上映しないんだからね、なぜ1ヶ月くらいやらないんだろうね、大勢の職員が暇そうにしているくせに。は、ともかく好きな部類の作品ではある。一つ言えることは、この監督の、構成力の優れていること。」

アデル、ブルーは熱い色(*****〜***)

「カンヌでパルムではあるけれど、いや、もちろん、大好きな部類の作品ではあるけれど、最高の映画を観た時に感じる、お腹にドカンと来るものはなかったんだよね。まるまる3時間の本作は、例えば性行為のシークエンスを、通常以上に長くしっかりと見せつけることを繰り返しているからだ。主演女優の、ぎりぎりまで感情を高ぶらせての泣く演技も圧巻ではある。おそらく監督がそこまで追い込んでいるのだろう。でもね、3時間の必要性を感じることはできなかったんだよね。それにだ、行為中の、お尻ペッチンペッチンはどうなんだ?と思って少し調べてみたら、これは原作がBDらしいのだ、なるほど。」

17歳(***)

「フランソワ・オゾン監督作品。うーん、敢えて言うならば、フランソワ・オゾンは、やっぱり底が浅いのかなあ、いや、フランソワ・オゾンが昔から大好きで、だから大半の作品は観ているはずなのだが、なんとなく昔からウスウス感じてはいたのだが、やっぱりそうなのかなあ、と思わざるを得ないのだよ。本作にしても、4つくらいの短編に分けてしまえば、こんな面倒なことを考えずに済んだのだ。短編の場合、意味とか理屈とか定義とかを、とりあえず、放っておいて、そのエッセンスだけをギューと滲み出させるように描くことができるし、その背景を、観る側が勝手に妄想することができる。だけどね、90〜120分くらいの作品になってくるならば、やっぱりspれなりの作者の哲学とかに基づいた脚本の意味が必要になってくるだろう。そこらへんがフランソワ・オゾンには欠けているように思えてならないんだよね。」

ブランカニエベス(*****)

「話そのものは、どうってことない話なんだよね、いやスペイン映画らしく、じゅうぶんにクドイのだけれど、まあ大した内容ではないのだよ。だがモノクロ映像と、凝った表現などの工夫によって、ああ、良いもん観たなあと思わせられるのだ。」

もらとりあむタマ子

「山下敦弘監督作品、なので観た、のだが、まあ確かに山下作品ではある、のだが、なんだろう、そもそもモラトリアムの概念が、作者に明確にあったのだろうか、などと思わせるような残念な作り。社会へ出ることは誰でも怖いのだ。人生の中で大学生ほど幸福な時間はない。物欲が労働意欲にはなり得ない先進国における若者の、荒波に揉まれてもかまわないと思わせるほどの生き甲斐を見いだすことが困難な有様苦悩を、もっと深く考察し表現してほしかったし、山下ならそれができたはずなのだ。

少女は自転車にのって(*****)

「イスラムの戒律という前提が、この平凡な話を魅力あるものに変えているわけだから皮肉なものだ。それにしてもである、コーランを吟じる時のイントネーションの、その意味に比して、なんて美しいことだろう。」

祭の馬(***)

「福島の原発から20キロ県内にあった、馬房に取材したドキュメンタリー。ナレーションを最小限に押さえた作りが心地よかった。」

朝食、昼食、そして夕食(***〜*****)

「なかなか楽しめた。食を縦軸に人間模様を描く群像劇。ちょっとカメラワークに癖があるけど。スペイン映画なのかな。ただなあ、喫煙率高過ぎだろ!。」

扉をたたく人(**〜***)

「例のテロ以降、殊に厳しい状況になったアメリカにおける移民の立場を、堅物で退屈な初老の大学教授を通じて描いた、真面目な作品。」

セレステ&ジェシー(*)

「一体どういったターゲットに向かって作られたんだろう?やっぱり30前後の女性向け?なんだろうけれど、あまりに狭すぎやしませんか?ってんだ。あ、またプリウス...どんだけ売れてんだ!」

人生はビギナーズ(***)

「これはまあ、こういうタイプのアメリカ映画。メランコリックな音楽やレトロな雰囲気、憂鬱な気分、犬との会話、どう?オシャレでしょ?とミニシアター系を満足させる映像センス、そういったわざとらしい仕掛けが少々、鼻に付きはするのだが、まあ素直にだまされよう。主演の(誰かは言わないぞ)職業がイラストレーターで、その描く絵がアンディ・ウオーホル、あ、いや蛭子さん風か?だったりして、いちいち凝ってはいるのだが。」

サマー〜あの夏の記憶〜(*)

「悪くはないんだけどね。」

崖の上のポニョ(*****)

「今頃になって観てしまった.....ら.....良かった.....。基本的な宮﨑駿のスタンスは変わらないけれど、どうせマンネリスムだろう、という自分の勝手な思い込みを大きく裏切ってくれていたのだよ。「トトロ」の頃と比べても、その表現がますます向上し洗練されているのだ。それはアニメーションにとって最も大切な「動き」の表現に現れているではないか。ただし、この色彩は美しくないよなあ、いくら子供向けだからって。宮﨑駿に大きな影響を与えたポール・グリモーに、もっと見習えばいいのにね。」

オンリーラヴァーズ・レフト・アライブ(***)

「ジム・ジャームッシュ監督作品。結局、映像と音楽を鑑賞する作品...かなあ、いや、そういう意味では悪くはなかったんだよね。しかしまあ結局、この20いや21世紀における吸血鬼だなんてアナクロな存在を描く時、病院のシーンのように、どうしても漫画的にならざるを得ないんだよね。」

危険なプロット(*****)

「ああー、やっとやっと帰ってきてくれた。いつかきっとこの日がくると、信じては裏切られ、信じては裏切られ、それでも健気にあなたを信じ、待ちこがれてきた日がついに来たー、愛しのフランソワ・オゾン監督作品。しかしまあ、なんと言うか、どうしてもその設定に無理があると言うか、皮肉に満ちたオゾンワールドに浸りながらも、どこか入り込めなかった自分があるのだ。そういう意味からも、まあ、小品なんだよね。ただ、フランソワ・オゾンって、元々、短編が得意だったってことから考えればおかしなことではない。まあ、ラストシーンにしろ、ギャラリーの展示作品のユーモアにしろ、遊びに満ちた楽しい作品には間違いない。」

遥かなる勝利へ(☆☆☆☆☆)

「ニキータ・ミハルコフ監督作品。ドカーンと、年明け早々やられました。ひさしぶりに腹にズドンと来る作品はさすが期待を裏切らないニキータ・ミハルコフ。本作は戦争を主題としてはいるが、単純な反戦ということではなくもう一段階深いところからの人間を描いたコメディ。それにしてもニキータ・ミハルコフの何が良いって、なんというか、シークエンスとシークエンスがまるで音楽のように流れていく気持ち良さ。夢遊病のようにふんわかと幻想的な空間感を醸し出しているのは、どこかテレンス・マリックにも似ている。ベタなシーンもあるけれど、確固たる意思を持って描いているからそれが問題にならないんだよね。ああ、この2時間半の幸福よ。本当に、いつも言うことだが、良い作品は心を豊かに満足にさせてくれるのだ。最近の作品らしい所はCGが使われていたことだが、CGだろうがなんだろうが、結局、関係無いんだよね。と、思っていたら、なんと、主演はニキータ・ミハルコフ自身だという。いやはや凄い才能だ。

ふたつにひとつ(*****)

エウジェニオ・カプッチョ監督作品。いや、どこにでも転がってるような話なんだよね。下手するとテレビ的でさえある。この監督の、どこか手慣れた雰囲気もある。でもね、なんかイイんですよ。性行為表現をきちんと描き曖昧にしないこともグッド。ナンニ・モレッティほど、アンチ体制な主張はしないけれど、心の奥底の気概が気持ちよいのだ。」

ブリングリング(*)

「ソフィア・コッポラ監督作品。なんかね、標準的なアメリカの、特に西海岸の中産階級を描写するアイコンとして日本車が使用され、金持ちのそれとしてBMWやポルシェが使用されていることに関して、日本の自動車メーカーの人間はどう感じているんだろうね、などと余計なことを考えながら観てしまうほどの残念な作品で、実話に基づいているとのことだが、上っ面だけで掘り下げがないんだよね、ただなぞっただけ。おまけに性表現もありません。え?パリス・ヒルトンの足のサイズが28センチだって?日本にもフェラーリとかポルシェとかマクラーレンみたいな高級スポーツカーメーカーがあればいいのにね。

ただ彼女と眠りたかっただけなのに(*****)

エウジェニオ・カプッチョ監督作品。イタリアの映画監督らしいのだが初めて知った。うーん面白い。ナンニ・モレッティからの影響が大きいと思われるが、率直なタッチが大好きなのだ。よくある話ではあるし結末もなんとなく読めてきたけれど、それがなんだってんだ。結局、面白いモンは面白いんだよね。」

わたしはロランス(***)

「映像センスが良く美しいのは監督の力によるのかどうか知らないが強い魅力。ただ、性同一性障害という、重く明確なテーマがあるにもかかわらず、どこか散漫で焦点の絞りきれていない印象を与えてしまうのは、表現スタイルが散文的というか、どこか感情優先的で論理的でないせいだと思う。だから、もともと長い作品は決して嫌いではないのだがその長さも含めて、さらにはその美しく仕上げられた映像や、ちょっとマイケル・ウィンターボトムっぽい雰囲気さえもが、表現というよりも、自己満足の域に留まっていると感じさせてしまうのだ。」

星座(***)

「タイトルバックで初めて、奥秀太郎作品と気付かされた。いや、奥作品は努めて観るようには心がけてはいたし、全部ではないかもしれないがほとんどの作品は観ているはずだったけれど今回は迂闊だった。それでも自分が「観たいな」と本能で感じる作品が自動的に奥作品だったってことは、さすが自分!。それにしても、ゴダールかジム・ジャームッシュもしくは初期のレオス・カラックスみたいな作品。モノクロってこともあるけれど、主演の女性が、それこそアンナ・カリーナみたいに奔放な芝居でダンスするシーンが見所。特に主演女性と相方の出会いのシーン(ちょっと長いシークエンス)が見せ場であり、確かにこのシーンに感じるものはあったよ。だけど、うーん、自分としては、やっぱり「やった」絵が欲しかったよな。その喜びを、その感動を、その興奮を、その時我を忘れてその行為に夢中になっちゃったワケで、その瞬間が美しいんだろ?なおかつ言わせていただくならば、聾唖であり、もしかすると若干の知的障害もある主人公の女性の描写は、もちろん本作の場合、別にドキュメンタリーであるわけでもなく感覚的に表現しているのは言うまでもないことで、だからこそ、聾唖である人物が主人公であるにもかかわらず、いや敢えてそうだからこそ、騒々しい騒音が常時ガンガン鳴っていたわけでもあるのだが、それにしてもやはり障害者の性に切り込んでいくならば、もう一歩の突っ込みが欲しかった。さらには主演女優が、性衝動と喜びみたいなものを瑞々しく表現するならば、もう少し若い方がよかったのではないのか?」

ポルトガル、ここに誕生す(*****〜*)

「オムニバスは好きではないのだが、ヴィクトル・エリセに釣られて観てしまった。ポルトガルってことで限定されたのがよかったのかどうか、近年のアキ・カウリスマキ作品の中では、このうんと力を抜いた加減が心地よくしみじみする。さしずめ繁盛しているライバル店はEUの唯一の勝ち組ドイツか?。ただ、その他3作品は....。」

文章教室(*****〜☆☆☆☆☆)

「金井美恵子の小説。これは一人の主婦とその周辺の人々の、主に恋愛模様を中心に描いた群像劇である。物語る構成とか文章とか(まさに文章教室という題名が効いているのだ)作中に語られる映画の題名とかが凝っていて、その上、金井の主義主張がきっぱりとしていて、とても楽しいのだ。誰かこの作品を映画化しないか?いや、ロバート・アルトマンじゃなくてね。」

二人のブルディ(**)

なんとエイゼンシュタインに教えたというロシアのクレショフ監督作品。」

スーサイド・ショップ(***)

「なんとパトリス・ルコントがアニメーションをやっただと?しかも3D?と聞かされた時には耳を疑ったけれど、冒頭からのシーンなど、なるほど3Dらしさを強調するようなシークエンス。いや、広島では2D上映なんだけどね。ただ、まあ作品(アニメーション)として悪くはないが格別な何かは無かったのかな、という感想は近年のパトリス・ルコント作品に共通するもので、むしろパトリス・ルコントに必要以上に期待する方が間違っているとは言えるのではないか。この「軽さ」こそがパトリス・ルコントなんだよ。と前提条件を付けたとしても、うーん、この終わり方はスッキリしない。いや「自殺幇助を生業にしていた一家(の殊に主)が、何の報いも受けずにそのままハッピーエンドだなんて!」などというイカ臭い、じゃなかった青臭いことを言いたいわけではないんだけれど、やっぱりどこか承服し難いものがある。いや勿論、あの一家が人類全体のメタファーなのだと理解すればいいわけなんだろうけれど、それでもなあ。ところでこの作品、だんだん観ているうちに、実写の方がよかったんじゃないのか?と思えてきた。特にラストのクライマックスなんか、特撮を駆使して実写でみたかった。あと、悪ガキ仲間の一人が肉欲棒太郎に似てたよなあ。」

ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険(*****)

なんとエイゼンシュタインに教えたというロシアのクレショフ監督作品。ラストのプロパガンダはともかく、うーん、なんだろう、このモダンさ。それぞれのカットが、フレームの意識を強く持ち、アップからロングまで、また様々なシーン・シークエンス(屋内から街頭から屋上まで)が小気味良く変化し、リズム感良く楽しく観せてくれる。映像も美しく、本当に、古い作品だからと差し引いて見るなんてことを全く考える必要がない。例えばチャップリンの初期作品の方が、舞台のようにロングで映したままのドタバタでずっと単調である(ただしチャップリンの初期作品の方が10年古いが)。」

掟によって(***)

「なんとエイゼンシュタインに教えたというロシアのクレショフ監督作品。写真のような映像が迫力ある。見開いた眼球と剥き出しの歯の恐ろしさ。おそらくBGMは後付けだと思うが、少々うるさかった。もっと静かな音楽の方が合っている、というより映像を壊さないのではないのか?」

楽園からの旅人(*****)

「エルマンノ・オルミ作品。ほとんど全てのシーンが教会・司祭の家の中だけで撮影されている。移民・地域紛争など「ありふれた」テーマではあるが、屋内撮影ばかりであるせいか舞台風の表現が好ましい。ただ、これをイタリア国内での話だとすると、武力行使や自爆テロまで表現するのは、ちょっと行き過ぎにも感じてしまうのは自分が平和ボケした日本人だからか。しかしこれは象徴的に描いているわけだから、世界のどこででも起こる問題だ、と理解すればいいのかな。」

タリウム少女の毒殺日記(☆☆☆☆☆)

「むむむむむむ、久しぶりのスマッシュヒット!決して見逃してはいけない土屋豊監督作品はやっぱり素晴らしかった。さて本作は自分の記憶にはないけれど実際に起こった事件をモチーフにしているらしい。事実は小説より奇なりと言うがごとく事件そのものがショッキングではあるけれど、しかしそれを映画として、よく表現しているではないか。しかも事件当時にはおそらくあまり知られていなかったであろう某ノーベル賞受賞日本人?の発見した物質や透明カエルさらには脂肪吸引術にまで取材し、果たして事件の当事者であった少女がどこまで考えていたのかどうか知らないが、とにかくそこになんとか迫ろうと挑んでいる。もちろん本当に少女の真理に近づいたか?と問われれば心もとないが、超情報化社会である21世紀の先進国に生まれ育ち生きる若者の、何やら喪失感のようなものに正面からぶち当たり、大人の目線ではあるけれど、表現しようと試みている。ただし結末というか終わらせ方が物足りなかった、と言うよりも、82分なんて短すぎる!もっともっと観たいんだ!。渡辺真紀子の猿顔はともかく主演の倉持由香の風貌も独特で、本作に迫力を加えているのは間違いない。日本にもちゃんと居たんだよ、こういう監督が。」

クロワッサンで朝食を(***)

「どっかで聞いたことあるような話ではあるけれど、それが悪いわけではない。どこでも聞いたことないような話などめったに無いのだから。ただ、本作に関しては、この話に原作があるのかどうか知らないが、文学で味わった方がよかったかもしれないと感じてしまった。」

恋の渦(*****)

「むむむむむ、これはまるで和製ジョン・カサヴェテスか!威丈高に振る舞う若者の、歪んだ(実は小心の裏返し)恋愛とセックスを、どすんと爽快に描いているじゃないか。殊に男性監督であるからかもしれないが、男側の弱さ情けなさが強調されていて楽しい。と、思っていたら、劇作家の原作があるようだ。どうりでセリフが磨かれているはずだ。場面も全部が部屋の中である。うーん、この劇団の芝居も観てみたい。平田オリザもうかうかしてられない。」

そして父になる(***)

「是枝裕和監督作品。是枝裕和らしい、よい作品ではある。悪貨が良貨を駆逐する世の中で、出演者のおかげかフジテレビの宣伝のおかげか、このような良質だが固い作品でも、それなりに人が入っていることは喜ばしいことだ。是枝裕和という監督が日本にいて、それなりに映画を作り続けていられることもまた幸せなことである。だがどうしても(***)以上にはできなかった。園子温にせよ三池崇史にせよ山下敦浩にせよ、どうして日本の映画監督は、作れば作る程、普通になっていくのだ?色を失っていくのだ?青臭さを失っていくのだ?是枝の、あのきれいな映像でさえ、時に彼の弱点でもあるように感じてしまうのだ。」

感傷旅行〜センチメンタルジャーニー〜(*****)

「田辺聖子の小説。たとえ芥川賞作品であっても、その時代性と言うようなものから免れることはなく、描かれる社会背景や文体などにそれが現れ、それが古さとして感じられてしまったり当時の文学の流行みたいなものが見え隠れすることもある。もちろん一切の影響を受けずに成立する作品などあるわけがないが、文学界のようなものと無縁に純粋に書きたいという欲求から生まれた作品はやはり心地よい。本作品がそうか?と問われれば正直言って分からないけれど、田辺聖子の気負いの無さ・軽やかさのせいかどうか、全く古さを感じさせないことだけは間違いない。」

31年目の夫婦げんか(**)

「観るつもりなんかなかったのである。プログラムを見間違えた自分が悪いのである。このまま帰るのも癪だし第一交通費と時間がまるで無駄になる。仕方が無いので観たのだ。だってこの題で、もう観なくても内容が想像つくじゃないか。メリルストリープが悪いわけではない、いや、メリルストリープは(脱がないけれど)素晴らしい映画人だと思っているくらいだから。ただね、この手の、あらかじめ中高年向けとターゲットが絞られた商品としての映画に興味が無いだけの話。あ、トミー・リー・ジョーンズって、死んだおじいちゃんにそっくりだ。」

燃える仏像人間(***)

「宇治茶監督作品。アニメーションではなく切り紙人形劇と言うべき。いつも言うことだが、変わったモンが大好きなので見逃すわけにいかないのだ。」

人間ぎらい(***)

「田辺聖子の、表題作を含む短編小説集。ポンポンとリズムの良い文体がいいんだよね。ちょっと夏目漱石を思い出したくらい。ただ、どの作品もあまりに短編で、スッと後口も汚さず引いていくような終わり方が自分に取っては物足らない。それにしても田辺聖子と言えばカモカのおっちゃんしか知らなかったのだが、田辺の、周囲の人間に迷惑を掛け自分一人では何にもできないようなしゃあない人への優しい愛情というか眼差しというか、そこなんだろ。」

夏の約束(*〜***)

「藤野千夜の小説。」

蔭の棲みか(*〜**)

「玄月の小説。」

ゲルマニウムの夜(*〜***)

「花村萬月の小説。」

ブエノスアイレス午後零時(*〜**)

「藤沢周の小説。」

水滴(*〜***)

「目取真俊の小説。」

夏の終わり(*〜**)

「瀬戸内寂聴(晴美)の小説。熊切和嘉版『夏の終わり』を観て原作を読みたくなったので。映画版は本作と下作品『あふれるもの』を合わせて脚本化している。映画では所々わかりにくい場面があったのだが原作によって理解できた。で、その原作なのだが、誤解を恐れず言うならば、どこか外国文学の翻訳みたいな印象を受けた。母国語で書かれた文学の場合、もう少し、文体とか表現とかに、作者の表現的意図(色)が組み込まれるような気がするのだ。もちろんそういった、ある意味『表現上の技巧』は、時に煩わしいものにもなるのだが、瀬戸内作品にはその部分が欠けていることが、ちょっと物足りない。ただ、そのために登場人物の行動がかえってクローズアップされて見えるという効果はあるのだろう。」
あふれるもの(*〜**)
「瀬戸内寂聴(晴美)の小説。」
花芯(*〜**)
「瀬戸内寂聴(晴美)の小説。」

立候補(*****)

「大阪府知事選挙に立候補した泡沫候補に取材したドキュメンタリー。まず映画としてよく出来ていて、日本のドキュメンタリーによくある素人っぽさがなく、見せる要素を意識して作られている点が良かった。江頭2:50やマック赤坂などこれらの人々には、ある特別な素質があることは間違いなく、最初はそういった強烈な個性によって引っ張られていくのだが、やがて真に恐ろしいものが見えてくる。」

ニューヨーク、恋人たちの二日間(**)

「ジュリー・デルピーが監督(脚本も)をしていたなんて知らなかった。しかも4作目とは迂闊だ。なので早速、観に行ったのだが、まあ、どっかで聞いたようなコメディ。うーん、妹役のアレクシア・ランドー?にそっくりな人を知ってるんだが。って、え?ギャロがギャロ役で出てますぞ!友情出演?ふーん、ギャロってギャロの役うまいなあ。」

ちびっこ広場(*)

藤野可織の小説...なんだけれど、焦点がどこにあるのか、この主人公に近い境遇にある読者なら、良く共感できえうだろう。もしかするとだけど、藤野可織は高野文子のファンなのではないか?高野文子が描こうとした『臭い』とか『肌触り』とか『気分』とか、そんなところに焦点があるのでは?

しょう子さんが忘れていること(*)

藤野可織の小説。もしかするとだけど、藤野可織は高野文子のファンなのではないか?そもそもこの題名がそれらしいじゃないか。高野文子が描こうとした『臭い』とか『肌触り』とか『気分』とか、そんなところに焦点があるのでは?」

爪と目(**〜***)

藤野可織の小説。まあ面白かった、と言うより読みやすい作品なのでスルスルと読めてしまった。3〜4歳の『わたし』によって語られる、言わば『我が輩は猫である』方式か?ただ、主人公は別の『わたし』であって3〜4歳の『わたし』ではない。この手の手法は時々映画で見掛けるから嫌いではない。だが.....いじましいと言うか歪んでいると言うか当方男であるためか、成人の方の『わたし』の行動にはどうしても共感できなかったし、何かおなかにズドンと来る物はなかったなあ。成人の方の『わたし』は彼女なりの方法でジタバタしながら生きてはいるのだが、しかし恋愛しているならば、相手が誰であろうともっと輝くシーンもあるのではないのか?もう若くはないとは言え、不倫だろうが何だろうが『好きだ』という感情に任せて性行為に至る時、その喜びに満ち溢れる瞬間があるのではないのだろうか?そこらへんが欠けていて(表現されていなくて)どこか病的なムードが強調されているのは作者の意図した通りかもしれないが、猛烈に主張したい何かが感じられなかった。

背負い水(**〜***)

「荻野アンナの小説。主人公は、行き遅れている事実に焦っているわけではないのか?」

自動起床装置

「辺見庸の小説。この手は苦手。だがコレが芥川賞なら村上春樹も...と思えてしまう。」

妊娠カレンダー(**)

「小川洋子の小説。残念ながら、主人公の行動(行為)が理解できなかったし共感もできなかったが、これは当方が男であるためやむを得ないことなのかもしれない。」

村の名前

「辻原登の小説。すいません、途中で放棄しました。」

表層生活

「大岡玲の小説。すいません、途中で飽きました。」

ネコババのいる町で(**)

「瀧澤美恵子の小説。」

夏の終わり(***)

「見逃してはいけない熊切和嘉監督作品....なのだが.....フレームを強く意識した映像については最早言うまでもないが、絞り開放によるフォトジェニックな映像は、もうちょっとやり過ぎなくらい。まだアメリカに占領されている時代の話であることも、そのために時代考証がきちんと出来てしまっていることも合わせてなんだか不満なんだよね。もちろん決して『三丁目の夕日』にはならず、あくまで熊切映画にはなっているんだよ。だけどなあ、もっとカミソリで切れそうな熊切映画が観たいよ。」
3人のアンヌ(*)
「確かに形はエリック・ロメールだよなあ。鬱陶しい繰り返しによって、右往左往する人間の有様を表現したかったのかなあ?」

タイピスト!

「うーん想像通り..........面白くなかった。そもそも脚本が悪いのだ。アメリカ映画だったらもっとマシになっただろう。にしても、隣のおばさん二人が上映中、小声で喋ってやがってうるさかったなあ。」

トゥ・ザ・ワンダー(*****)

テレンス・マリック監督作品。この作品の脚本を読んでみたい。」

偽りなき者(***)

トマス・ヴィンターベア監督作品。この監督作品は、ラース・フォン・トリアーらとつるんで『ドグマの誓い』などという方法論で実験的な作品を作っていた頃から気がつけば観るようにはしていたので、自分にとって注目すべき監督の一人ではあったのだ。だが.....うーん、普通なんだよね。残念ながらトマス・ヴィンターベアには色が無いのだ。視点は悪くない、チリチリと神経を逆撫でするようなシチュエーションを好んで選択するのは、さすがラース・フォン・トリアーの盟友なのだ。だがそこから先だ、だって料理は味付けが肝心ではないか。じゃがいもをどんな味付けで食べるのだ?塩か?味噌か?醤油か?バターか?カレーか?ケチャップか?そういうことだよ。もしこの作品を、マイク・リーが撮ったら....ハリウッド映画だったら....ダルデンヌ兄弟が撮ったら....いやいやそれこそラース・フォン・トリアーが撮ったら....そんなことを、本作を観ながら感じてしまったのだ。」
自主映画「台車ガール」のクランクインが近づく。テーマソングは既に完成。http://www.youtube.com/watch?v=tHfTUKsR0pY&feature=youtu.be
選挙2
想田和弘監督作品。だが、面白くなかった。」
フリージア1〜12巻(*****)
「松本次郎の漫画。これまで読んできた松本次郎作品の背景には、必ず戦争・紛争状態があって、銃での殺し合いが積極的に描かれていた。松本自身が、そういった場面描写が好きなんだろう。そんな自分の「好き」を、なんとか言い訳を繕いながら漫画に作っているから、下作品「女子攻兵」のように、趣味性が強く出過ぎて、表現としての説得力を欠いてしまう場合もある。だが本作は、その「好き」を実現させるための根拠が、まるでハーモニー・コリンにも通じる、厭世的に生きる現代人の生き方生き様生き甲斐に集約されていて、しかも長編の力強さも手伝って、きちんとエンディングも決めてみせて、なかなかググっと読ませるのだ。合法的に敵討ちするための殺人ライセンスなるものには、不愉快を感じざるを得ないけれど、それでもこの世界に引きずり込まれてしまうのだ。さらに優れている点は、一応、主人公はいるのだが、単純なそのヒーロー物語になってはおらず、その他大勢の登場人物に、きちんとした物語や描写が存在しキャラが立っていることである。」
女子攻兵1〜3巻(*)
「松本次郎の漫画。さすがにこれはダメ。趣味性が強すぎるのだ。それに動きの表現がなんだか分かりにくい。どうやら松本次郎の基本は「女子高生と戦闘」のようだ。結局、内容ではなく、その状況をひたすら、作者自身が楽しんでいるのであって、同好の士だけの閉じられた趣味嗜好の世界なのだ。これはエヴァンゲリオンにも通じ、商業漫画になることを否定したコミケ的感覚でもある。乱暴な例えをするなら、SMやスカトロの趣味に近い。そう言えば以前、イラスト調の絵柄にひかれて、やはり巨大な女子ロボット(みたいな)戦闘兵器が相互に戦い、激しく傷ついていくような漫画をジャケ買いしたことがある。買ってから後悔し処分したけれど。」
地獄のアリス1〜4巻(****)
「松本次郎の漫画。魅力あるコンセプトではある。クエンティン・タランティーノに映画化してもらえば?」
イノセント・ガーデン(**)
「最初こそ、繊細で凝った映像に魅力を感じたものの、結局これは自分の観たい映画ではなかった。残念ながら表面の完成度ばかりを追い求めて、中身がないのだ。これはもしかすると、猛烈にハリウッドを追いかけてきた現代韓国映画病ではないのか?数年前、某映画祭に出品された外国作品に字幕を入れるボランティアをしたことがあるのだが、その時出品されていた、本当に若手の韓国監督によって作られた短編映画が、恐ろしい程の完成度だったことを覚えている。」
べっちんとまんだら(*****)
「松本次郎という漫画家を今更ながら知り、あわてて数冊購入。実は近年、漫画から遠ざかっている。なぜなら漫画は最早過飽和状態で、酷いのも多いが、そこそこ唸らさせられる作品も少なくなく、一々注目してたら切りないからだ。だが松本次郎だけはスルーすることができなかった次第。ちょっと絵柄や作風が福山庸治っぽいか、かすかに松本大洋の厭世観が臭うか。このムードや気分をきちんと映画化できたらいいのに。」
ホーリーモーターズ(*****)
「レオス・カラックス最新作...なので見逃すわけにはいかない。えー、ま面白かったんだよね。ただ、その面白さって、個々のシークエンスに対してであって全体に対してではないよなあ、やっぱり。いや、面白かったんだけど、それはドニ・ラヴァンの魅力によるところが大きいよなあ、やっぱり。うー、始まり方がまるでゴダールみたいだったけど、やっぱり既存の映画文法みたいなものを破壊して何か新しい表現を獲得したかったんだろうなあ。いや、その意気や良し!しかしドニ・ラヴァンって...メルドの役をやらせると本当に水を得た魚のよう。えー、レオス・カラックスが確か日本贔屓なのは知ってはいたが...まさか諸星大二郎は知らないだろうなあ。それにしても、ドニ・ラヴァンのチンコをボカすことが、そんなに大事なのか!可哀想な日本人。だがな、もっともっと表現の自由を奪おうとしてるんだぞ○○な君たちが選んだ政権が!」
スプリングブレイカーズ(***)
「ハーモニー・コリン最新作...なので見逃すわけにはいかない。うーん.....?。R15指定のわりにはセックスシーンが全く無くて(いや一回だけ敵キャラがやってますが、こっち側キャラのエロいお姉ちゃん達は一切無し)で、腰をクネクネセクシーダンスお遊戯みたいなことの繰り返し。そこまでイッテおきながら「プッシーはダメなの」ってオイ!男子は男子で悪そうな格好とは裏腹にお行儀良いこと。全裸半裸の女子達が挑発してるってーのに。いや、そういうことは描写してないがちゃんとヤッテますってことですか?そりゃあないでしょ、ハッパやコカはスパスパ吸ってるが、結局まるでこれじゃあ、ただの優良ハイティーン映画。」
ニッポンの、みせものやさん(*)
「日本に現在唯一?残る見せ物興行一座に取材したドキュメンタリー。なんと10年間もの記録らしいが、そんな年月は感じなかった。マスメディアの取材を嫌うという一座頭首の自宅まで入っているのは立派だが、特異なモチーフにも関わらずドキュメンタリーとしてはどこか単調で、残念ながら最後まで取材対象から、人間にまで入り込むことだけは拒まれた感が否めない。」
阿賀に生きる(**)
「新潟水俣病の起きた阿賀野川で、その川と共に生き、だからその症状に見舞われながらも水俣病と認定されない数名の老人に取材したドキュメンタリー。1992年作ということらしいが、ずいぶん古い作品に見えた。訴訟や怒りの部分には踏み込まず、老人達の生活をゆっくりと描写している。しかし国=役人は、なぜ認めようとしないんだろうね、結局、認定の幅を広げたら大多数の水俣病ではない国民の利益にならないからなんだろうけれど、本当に、我々は常に、少数派にならないように生きるしかないわけで、これは結局、中高生のいじめの原理と同じではないか。だが止む無く小数派になる可能性は誰にでもある。水俣病だって薬害エイズだって原爆被爆だって誰が望んでそうなったりするものか。ならば小数派に優しい国こそが、国民に優しい国なのではないのか?だがそれは幻想だ。国と言うものに対する幻想だ。国家とは、そういうものだ。」
火を噴く惑星
「1961年に作られたソ連映画でパーヴェル・クルシャンツェフ監督作品。B級とか笑いを期待して観ると失敗するが、ジョルジュ・メリエスの時代からここまで随分と頑張ったんだなあと、妙に感慨深い。ただ「2001年〜」は、このもう少し後に発表されるわけだからなあ。」
天使の分け前(**)
「きっと題名通りの作品なんだろうことは観る前から分かっていたがケン・ローチ作品なので。」
ジャンゴ(*****〜☆☆☆☆☆
「クエンティン・タランティーノ監督作品。B級臭ただよう西部劇、クエンティン・タランティーノらしいネチネチと間髪入れないタイミングで文句なしに面白かった。」
ニュータウンの青春(☆☆☆☆☆)
「ああもう嬉しくて嬉しくてしかたがないバカ青春映画。飯田先輩最高っす。」
愛、アムール(*****)
「ミヒャエル・ハネケ作品。老老介護を描いている。ほとんどのシーンがパリ?のアパートの中での出来事で、そのこと(壁に囲まれた状態)によって息の詰まるような感覚が強調されている。映像にアップが多いのもカメラが引けないためもあるだろうが、やはり息苦しい感覚を生んでいる。ただ、個人的にはもっとロングの絵がほしかった。重い作品だが、なぜかそれほどズドンと腹にこなかった。それにしても..............本編上映が始まってから入ってきたおばさん連中!なぜベラベラ喋りながら入ってくるのだ!しかも明らかに自分の声が周囲に聞こえることを確信しながら喋っていやがる!恥を知りなさい!」
ミロクローゼ(**)
「『バーミリオン・プレジャー・ナイト』というテレビ東京系の深夜番組や、その中のコーナーである『オー!マイキー』さらに『THE COLOR OF LIFE』とか色々あったなあ...それらを手がけていたのが本作監督石橋義正だったらしいことを、今、調べて分かった。うーん、この情報は観る前に欲しかったような気もするが...なるほどその片鱗がよく伺える作品ではあった。それなりに完成度高く出来てもいる。けれど...」
アルマジロ(***)
「アフガンに派兵されたデンマーク軍兵士に取材したドキュメンタリー。映像が美しいしBGMの効果にもよってだろうか、だんだん現実感が失われフィクションのように思えてくる。兵士にカメラをくっつけて撮影したのだろか実際の戦闘シーンもあるのだが、奇妙な感覚。民間人なのかゲリラ兵(タリバン)なのか区別がつかないのはベトナムと同じ。だが、他人の家に土足で入り込んでいるのはどっちだ?戦場でもインターネットでポルノを観ることができるほどに小さくなった地球でも、分かり合えない文化や宗教の違いがある。21世紀もまだ貧しいままの国に乗り込んで、先進国の優越を守るための正義。恐ろしいのは、前線に派遣された若い兵士達が、最初はパトロールばかりで戦闘もない退屈が、やがて焦燥感に変わり、ついに出くわした実戦に興奮し、そこに一種の充実感や達成感を感じてしまっている様子が、フィクションではないということだ。」
やし酒飲み
「エイモス・チュツオーラの小説。すいません、中断しました。」
塀の中のジュリアス・シーザー(***〜****)
「実際の囚人達が、獄中のプログラムか何かで芝居のオーディションを受け稽古して発表する課程に取材したドキュメンタリーなのだが、一体どこまでが芝居でどこからノンフィクションなのか境目が分からない。」
カタコトのうわごと(***)
多和田洋子のエッセイ集。大きく3部に別れていて、そのうちのだい1部は、自身の作品や文学について書かれており読みやすく、また多和田作品を理解するのにも役立つ。だが第2・3部は難解で、自分程度の読書力では太刀打ち出来ないことが残念であり情けない。例えばゴダール作品について言及しているが、自分もゴダールは大好きではあるけれど、作品によっては『ワケワカラン・表現として最早なっておらん』などと決めつけるしか手が無い場合も少なくないのだが、多和田はそれを、鮮やかに消化し読み解いてしまう。うーん、繰り返すが、やっぱり多和田はノーベル文学賞に、日本人で最も近いと思う。」
祖母の退化論(***〜*****)
「多和田洋子の短編小説で、『雪の練習生』と題された本の中の一作。例えば『吾輩は猫である』のように、あるいは『綿の国星』(ウソです読んでません)のように、動物を擬人化...と言うよりも...動物の姿のままで人間の言葉を解し思考する者の形を取って、人間を表現しようとしているのだろう。だから決して新しい手法ではないかもしれないが、どこか新鮮で表現的なものを感じた。何よりも多和田のきりっとした文章が清々しいのだ。人間以外の全ての生命は生(性)に正直であるのに対して人間は、下手な知恵を持ったがために不純で歪んだ生き方をする。そのことを、純情な北極熊と対比させ浮かび上がらせるのだ。だが多和田は、そんな、宮崎駿風の単純な構図には終わらせない。個人的には、ノーベル文学賞に近いのは村上春樹なんかじゃなく、多和田葉子だと思うがなあ。ともかくこの本は、座右に置いて繰り返し読みたい本だと思う。」
死の接吻(***〜*****)
「多和田洋子の短編小説で、『雪の練習生』と題された本の中の一作。」
北極を想う日(***〜*****)
「多和田洋子の短編小説で、『雪の練習生』と題された本の中の一作。」
100万回生きた猫
「佐野洋子に取材したドキュメンタリー。ずいぶん絵のきれいな作品だなあと感心しながら観ていたのだ、ちょっと是枝裕一っぽい感じ。だが、間というか余分な映像というか監督の思い入れというか、元々長ったらしいのは決して嫌いじゃないんだが、そういうもの(監督のうじうじナヨナヨした個人的感傷)が強すぎて長ったらしくて退屈してしまった。となると、なんだか絵の美しさまで鼻に付く。佐野洋子の気っ風の良さが取り柄。」
最初の人間
「」
人間のない神
倉橋由美子の短編小説。単行本の表題作ともなっているのだが、途中まで読んで飽きてしまった。東西ドイツが統合した今となっては.....今、北朝鮮の誰か優れた文学者によって、書かれるべきだろう。そうすれば、きっとノーベル文学賞だ。」
夏の終わり
倉橋由美子の短編小説。」
死んだ眼(****)
倉橋由美子の短編小説。下作品と同列に配することができる作風だとは思うのだが、学生運動がテーマとなっているから」
囚人
「倉橋由美子の短編小説。安部公房とかカフカとかアラン・レネとか...つまりシュールレアリスムに類するスタイル。暴力とか不条理とか、つまり人間の思惑を超えて動いてしまうなにものかが20世紀の文学人のテーマだったのだ。明晰な倉橋の文章だが、こういうのはどうしても時代性というか古さを感じてしまう。」
ピュ〜ぴる(**)
ピュ〜ぴると呼ばれる、ゲイでもある現代美術作家に取材したドキュメンタリー。」
abさんご
「黒田夏子の短編小説。最初、とにかくこりゃ読みにくい...ということで、先に下作品を読んだわけなんだが、それが良かったのか悪かったのか。どうしても、その後編というか後日談のようにイメージしてしまった。ただ、あまりに取っ付きにくかった本作が、なんとかかんとかかろうじて読めるようになったのは幸い。ひらがなだらけの読みにくい文章は、読者が紙面にピントを合わせようとすることを拒絶する。ボヤーんとボケたみたいな状態だ。文章の、こんな見せ方があったなんて驚き。アルファベットの文章ならできない芸当。アルファベットはどの文字も概ね密度が均等で、だから本文が全体として薄いグレーのブロックを形成し、これがデザインを容易にする。一方日本語は、漢字かな混じり文であるから均一なグレーのブロックになりにくいのだ。とにかくこのボヤーンとした雰囲気が、まるで遠くの記憶を呼び覚ましながら見ているような感覚、死の間際に見る走馬灯のような感覚を起こさせる。こんなこと、今まで誰もやったことのないアイデアではないだろうか。さて、そんな珍しい試みの本作の読後の感想は...うーん、やっぱりよくわからん。と言うより、ちゃんと読んでない証拠だ。」
虹(****)
黒田夏子の短編小説。しかし一体こんな結末でなければならなかったのか?26〜7歳の頃に書かれた作品。」
タミエの花(☆☆☆☆☆)
黒田夏子の短編小説。タミエシリーズの3本の中でもこれが一番好きだった。」
毬(*****)
「黒田夏子の短編小説。とにかく『abさんご』という作品が芥川賞を受賞しなければ、自分が出会うことなど決してなかった作品だ。その意味だけでも『abさんご』の登場した価値がある。」
99の接吻
「鹿島田真希の小説。少女漫画風...なのか?...。」
冥土めぐり
「鹿島田真希の小説。上記作品と似たムード。どうしても自分の性格からして、ここに描かれている感覚というものが理解しがたいが、こんな風に感じる人も居るのだろう、そしてきっと作者はそういう人なのかもしれないが、これが普遍的な人間の有様の表現としてできているかどうか分からないし、とにかく自分には面白くなかったが、きっと川上弘美あたりは評価するんだろう。」
ムーンライズ・キングダム(***〜****)
「凝った映像が楽しいウェス・アンダーソン作品。なのだがなあ、いつも不満が残る。これは脚本の問題だと思うけれど作者の思想の問題でもある...と思う。ああー、あの家いいなあ。」
サアカスの馬(**)
安岡章太郎の短編小説。これは昔...高校生の頃、読んだことがあったのを思い出した、と言うより、教科書に載っていたんじゃないか?。だが、今再びこれを読んでみて...かなり解釈の難しい作品だと思うぞ。」
悪い仲間(**)
安岡章太郎の短編小説。これは昔...高校生の頃、読んだことがあったのを思い出した。」
陰気な楽しみ(***)
安岡章太郎の短編小説。これは昔...高校生の頃、読んだことがあったのを思い出した。」
愛玩(**)
安岡章太郎の短編小説。どうやら安岡章太郎作品には、安部公房に通ずるシュール表現の傾向があるように感じる。先に読んだ『遁走』にしても、常軌を逸した戦争の現場の愚かしさから、超現実的いかんともしがたい人間の有様を捉えているからだ。」
別離(***)
「イラン映画。イスラムという戒律や信仰が下敷きに、離婚や訴訟を描く。」
まほろば(***〜*****)
「演劇企画室ベクトルによる芝居。面白かった。恥ずかしながら、演劇を観るのはほとんど初めてなのだ。いや、小学校の時にどこかの劇団が上演したのを観たし、高校生の時は文楽・歌舞伎・能(狂言)を順に観た。余計なことだが、当時高校1年生になったばかりの自分にも、文楽はとても面白く感じられたのをいまだに覚えている。だがそういった体験以外に自らお金を払って演劇を見たのは初めてなのだ。だから免疫が無いせいもあるだろうけれど、目の前で(今回の上演は、観客との距離が非常に近い特殊な会場だった)役者が汗かきながら演じている様子そのものが感動的だったのだ。隣に座った人が『まるでテレビを観ているみたいだ』と話していた通りで、奇妙な感覚でもあった。それにしても映画と違い繰り返し観ることができない芝居というものは、役者からスタッフまでが苦労して一つの頂点=作品を作り上げた瞬間に立ち会う、一期一会は、いいものですね。」
やっさいもっさい
「下作品同様、モリミキ自主映画...らしい。これはちょっとイマイチだったか。」
こいつら80%メガネ
「下作品同様、モリミキ自主映画...らしい。これはちょっとイマイチだったか。」
トライアングリー
「下作品同様、モリミキ自主映画...らしい。バカ映画大好き。」
オギワラダ!
「下作品同様、モリミキ自主映画...らしい。バカ映画大好き。」
マタニティゾンビ
「下作品同様、モリミキ自主映画...らしい。ま、面白いから何でもいいや。」
腐った瞬間(とき)に捕われて
「竹熊健太郎のサイトから観たわけなんだが、ん?前に観たことあったぞ。ま、面白いから何回観てもいいや。」
遁走(***〜****)
「安岡章太郎の小説。恥ずかしながら初めて安岡章太郎の小説を読んだかもしれない。これは戦争の愚かさ虚しさ滑稽さみたいなものを描く戦争物。立松和平作品のような、言葉一つ一つの粒立ちのようなものは感じられないが、比較的容易に書かれ読みやすい文体総体として己の考えをぶっつけるスタイルか。映画化すればヒットするんじゃないか。」
光の雨(*****)
立松和平の小説。ラース・フォン・トリアーかミヒャエル・ハネケに映画化してもらいたい。」
ベルフラワー(*****)
「おもしろかったんだが、前提とされているものをよく知らないので理解が足りないかもしれないのだが、脚本に少し不満を感じた。」
レ・ミゼラブル(*****)
「2012年作。歌唱のシーンがクローズアップばかりなのが気になったが...。これはやっぱり舞台という抽象的な場面で観る方がいいのだろう。」
わたしたちの宣戦布告(***)
「親が子を愛しみ育てるのは何も人類に限ったことではないだろう。子はその造形からして可愛らしく見えるように作られており、そういったプログラムが我々の遺伝子に書き込まれているのだ。生き延びようと全力を尽くすのは人間もウイルスも同じ、地球という希有な天体に誕生した生命の、無意味な使命なのだ。だが時に神は無慈悲ないたずらをする。果たして人はその運命に耐えられるのだろうか。といった感じだろうか。作りには少しクセがあり若干荒っぽさやステレオタイプに感じる部分もある。だが率直な生き方を好む?フランス人らしさが好ましいと思っていたら、主演権監督(元?)夫妻の実話のようだ。」
馬鹿囃子(***)
立松和平の短編小説。うーん、やっぱり良い。人間は意図して社会や歴史を作ることができない。戦争が良くないことは誰でも分かっている。環境の保全が大切であることも分かっている、だがそれができないのだ。歴史とは大きなうねりのようなものだ。正しくても間違っていても、その大きなうねりに抗うことはできない。ちっぽけな個人は、ただなすがまま流されるのだよ、やっぱ。熊切和嘉かジャン・ジャクーが似合うのではないか、やっぱ。」
雨(*****)
立松和平の短編小説。日本の国内の戦争で鉄砲が使われていた時代の話で、農民から徴兵?された男を中心に描いてあるので歴史小説とは趣が異なり、下記作品同様、いかんともしがたい流れに身を任せながらうごめく人間の様を描写しているのだ。ここまで立松を読んできたが、一環した姿勢が心地よい。それは作品それぞれに主人公はいるものの、決して必要以上に人情・情実ベタベタせず距離を置き、人間というものの有様そのものを肯定否定せずそのまま描こうとしているからだ。」
さま(*****)
立松和平の短編小説。これは江戸時代の話だけれど、やはり人間を突き通す眼差しが優れて心地よい。日本でも、ほんの最近まで、口減らしのための人身売買があったのではないか。それは想像を絶する農村部などの貧困のため止む無く、特に女児が、器量が良ければ女衒に高い値段で買われ、そうでなければ女工にと、そういう歴史が本作で糾弾されるわけではないけれど、人間という生き物が生み出す社会の、いかんともしがたい理不尽さや無邪気なる醜悪さに翻弄された人生の、そんな有様を描き出してくれるのだ。」
酔いどれ草 (☆☆☆☆☆)
「立松和平の短編小説。大学闘争時代のセクト間の争いからスピンアウトした二人の男の話だが、やはり選び抜かれた言葉による表現が秀逸だ。ぜひ熊切和嘉に映画化してもらいたいなあ。立松は芥川賞を取っていない(候補まで)が、取るべき人間だったのではないだろうか。盗作問題もあるようだが、それもぜひ読んでみたいし自分なりに検証できるものなら検証してみたい。...それにしても、当時の大学生ってなんで学生同士で争ったんだろうね?敵は他にいただろうに。」
チキンとプラム〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜(**)
「確かイラン出身だったか、のマンガ家だと思っていたマルジャン・サトラピが映画を撮っていたとは驚いた、しかも2本目。その多彩ぶりには賞賛を贈りたいが、映画的には...うーんイマイチ。漫画家出身だからってことでだろうか、CGやアニメーションのギミックが多様され、一見『美しい』映像ではあるが、なんだかそればかりが目について、中身が薄い。表現からすれば、ビガス・ルナの『おっぱいとお月様』調。だが『おっぱい〜』にはもっとジーンと来る何かがあったよなあ。しかし隣に座った老人が鬱陶しかった。上映終了直後に、小声で(しかし絶対に聞こえるように)『おもろない映画やなあ』と言いやがったが、そういうことは心の中で言うべきことではないのか?人生の先輩よ。」

これは映画ではない

「まあ...題名の通りっす。」

2012年2月 6日 (月)

火の車(*****)

「立松和平の小説。恥ずかしながら、立松和平の小説を初めて読んだ。自分に取って立松和平と言えば、ニュースステーションに時々登場し、妙なイントネーションで「ああ、自然は生きているんだなあ」などと朗読しながら田んぼのあぜ道を歩く田舎風のダサいオッサン、というイメージしかなかったのだが...むむむむむ。立松は川上未映子などとは反対に、短めの文を積み重ねていく方法で表現していく。これはちょっと...あのニュースステーションでの妙なイントネーションが頭にこびりついてしまうんじゃないか?と危惧したがそんな心配は全くの杞憂に終わった。読み始めてすぐに引き込まれてしまったから。どんな作家だって言葉を吟味し推敲を重ねて作文するものだとは思うが、そんな、まるで言葉一粒一粒を磨き抜いて組み上げたように言葉が輝いている感じがしたのだ。この作品は、ある貧しく若い子持ち夫婦の逃避行から始まる物語を柱にしながらも、決して人情・情実話に堕すこと無くそこに距離を置き、毅然としていることがむしろ詩的でさえある。この作品が描いているのは、出稼ぎや廃坑直前の足尾銅山などを抱え、右肩上がりなれどものたうち回りながら豊かさを夢見る、日本のある時代を描いているのだ。マイク・リーかジャン・ジャクーあたりに、3時間くらいで映画化してほしいな。」

危険なメソッド

デヴィッド・クローネンバーグだから観た...んだわけだけど...こんなのを2週間も1日3回上映メイン扱いするなんて...他にいくらでも良い映画があるだろうになあ。」

くそガキの告白(☆☆☆☆☆)

「むむむむむむ.....師走も後半のこの時期に来たか!今年マイベスト!観る前は、まあアマチュア映画に毛の生えた程度の色物だろうけれど若々しい未熟さが大好きなので観る気になったワケだがオーイ!コリャとんでもない拾い物。だってそもそも、いつもの館の扱いだってメインではなく、まあ年末の穴埋め興行毎日1回2週のみだもの、だからそのつもりで臨んだワケだがオーイ!コリャ嬉しいめっけ物。そもそも予告編はキワモノ感煽り過ぎ。絵も芝居もセリフも編集も、決して自主映画レベルではない手堅い完成度。撮影はDVカメラじゃなくフィルムだろうか、あらゆる面でしっかりと映画になっており、醸し出す軽薄感とは裏腹に重厚なのだ。」

どんずまり便器(**)

「上記作品と2連ちゃんで観たワケだけど、むしろコッチに期待してたのだが残念。DVカメラ撮影の欠点ばかりが強調された映像も薄っぺらくなんだかテレビ的。芝居も確かに体当たりで、性行為表現やヌードや排便のシーンなど、自主映画やそれに近い映画では、なかなか取り組むのが難しいシーンにも果敢にチャレンジし、それなりに表現されてはいるのだが、脚本がイマイチなのかなあ、共感することも感じるものもなかった。」

僕って何(*****)

三田誠広の小説。恥ずかしながら、三田誠広作品を初めて読んだが、面白かった。なんというか、とても読みやすい文体で、それこそ流れるようにスラスラ読めてしまう。」

ミミのこと(*****)

田中小実昌の小説。恥ずかしながら、田中小実昌作品を初めて読んだが、面白かった。」

恋に至る病(***)

「男女の性が入れ替わる...という、古今東西使い古された?テーマだからかなあ?性器そのものに関してはほとんど云々しない消化不良が残念ではあるが、疾走感が魅力だし、何より二人(主演と助演)のヒロインが可愛い。むしろ、こんなギミック(性器だけが入れ替わってしまう)なんか用いなくても、青春の一夏の恋を描くだけでじゅうぶんだったんじゃないのだろうか。もし現実に性はそのままで性器が交換されたなら、そりゃあ驚きは計り知れないだろうし落ち着いてなどいられないに決まっている、でもね、やっぱり突然つけられた性器への興味が無いはずないじゃないか。当然、色々と触ってみたり観察したり鏡で見たりするはずだろう、そういった、やっぱり当然必要じゃないかと思われる人間の行為の描写が無いことが残念。ただ、出演者が4人だけ(エキストラは多数いるが)という、自主映画っぽさは好ましいけれど。」

クレイジーホース☆パリ〜夜の宝石たち〜(*****〜***)

「パリに実在するヌードダンスショーを開催しているクレイジーホースに取材したドキュメンタリー。照明と影を効果的に用いたショーで、なかなか魅力的。ヌードショーと言ってもダンサーは前張りしており性器は見せない程度のお色気で、やはりエンターテインメントとしての色彩の濃い作りであり、支配人はじめ演出家やダンサーまでが、それを誇りにしているようだ。前張りは黒い色で、ちょっと見、ヘアーに見えるように工夫されており、眩い色彩の照明の中で踊るダンサーを見ている観客を、ある意味満足させる仕掛け。きっとパリ観光のオプションツアーとしても人気があるのではないだろうか。ああ、今度パリに行った時、オペラ座のバレエとこれを見たいな。おそらくオペラ座バレエ団のオーディションとこちらを掛け持ちしたダンサーもいるはずだ。アートと強がってはいても下司な酔客の前での裸踊りには違いないし、この仕事は色眼鏡で見られることもあるだろう、やはり踊り子達には内心、忸怩たるものがあるのではなかろうか、そこらへんにスポットを当てたドキュメンタリーも観てみたい。なお、おっぱい星人ではなくお尻星人向け。」

演劇1・演劇2(*****)

「平田オリザに取材したドキュメンタリー。この作品の魅力は平田オリザの魅力であり、想田和弘が、極力、自分を出すことを控えたことだろう。だから時々音声を消す小細工さえ鬱陶しく思えた。ただ、ここまで密着取材することに成功したことは、それを平田オリザが許したとは言え想田和弘の手柄だと思う。それにしても...文化を大事にしない国とは...悲しいよね。」

珈琲とエンピツ(**)

「サーフィンショップを経営する男性の太田さんに、自身も聾である監督が取材したドキュメンタリー。本人も意識しているのかどうか分からないけれど、恰幅が良くて陽気な太田さんを見ていると、ここはハワイか?という錯覚に陥る。それは、彼が聾であることから、言語によるコミュニケーションがうまくいかず、大げさな身振り手振りの片言になることも理由だろうか。ついつい健常者側が外国人を相手にするときみたいなしゃべり方になるのも愉快ではある。太田さんの親や祖父母も聾であることから、これが遺伝的形質の一つであることを知り複雑な心境になってしまう。五感のうちの一つを失い、または最初から持たずに誕生した彼らの決意ある生き方、いや、そうではないだろう、生きざるを得ない現実があるに過ぎない。」

セブン・デイズ・イン・ハバナ(**)

「ギャスパー・ノエにひかれて観たんだけどね...こういうオムニバスはやっぱりそれぞれが無責任になってダメだ。」

モンサントの不自然な食べもの(**)

「人類は、どこへ行こうとしているんだろうね。」

ケネス・アンガ-:マジック・ランタン・サイクル(***〜*)

「とりあえずBプロ。「スコピオ・ライジング」1963年/29分「K.K.K. Kustom Kar Kommandos」1965年/3分「プ-ス・モーメント」1949年/6分「ラビッツ・ムーン」1950年/8分「花火」1947年/15分。変わったモン好きならどうぞ、自分もそうだから。」

気狂いピエロの決闘(***)

「タイトルバックを見て驚いた、なんとアレックス・デ・ラ・イグレシア監督作品とのこと、これは拾い物。いやあ、相変わらずぶっ飛んでるなあ、飛びます飛びます(二郎さん風に)。もう、フランコ独裁政権とか関係ないじゃん的展開も、それでいいのだ(バカボンのパパ風に)。」

我らの生活(*)

「EUの中ではどちらかと言えばお荷物的なイタリアではあっても、ルーマニアなどから見れば先進経済大国なんだなあと思わせられたり、イタリア映画らしからぬ対象に距離を置いた撮り方は悪くはないのだが、なんだか面白くなかった。」

季節、めぐり それぞれの居場所(*)

「いくつかの介護施設に取材したドキュメンタリー。従って、主人公と言える人はいない...のかな。頭が下がる思いなのは、介護に携わる人の多くが30代と若いこと。しかもそれを仕事だから止む無く...という義務感からではなく、息の臭いがわかる距離まで近づいて、肌と肌を合わせ本当に抱きしめて、それこそ家族以上に親密に接していることだ。」

こっぴどい猫(**)

なかなかの力作だとは思う。出演者は、モト冬樹を除いて(って言ったら叱られるか、いやいい声してるんだけどね)みな素晴らしい芝居をしている。だがなあ、ちっとも面白くないんだよね。もしマイク・リーがこれを撮ったらマイク・リーの映画になっただろう。もし今は亡き....っていや今も生きてるが...自分の好きだったアノ頃のアノ人はもういない?って意味での...今は亡きフランソワ・オゾンがこれを撮ったらフランソワ・オゾンの映画になっただろう。(当たり前か?)しかし日本の映画監督って、なぜだか表現スタイルが無い人が多いんだよね。まるでそれが美徳であるかのように。せめて主演をモト冬樹以外にすればよかった、って言ったらそもそもこの話はないわけだけど。」

聴こえてる、ふりをしただけ(**)

「なかなかの力作だとは思う。少女の、一つの通過儀礼と成長を、端折ることなく逃げることなく正面から描き切ろうとしてもいるのだ。さほど美人ではない主演の子役が、終盤には魅力的に見えてもきた。女子小学生の機微は、女性監督だからこそ知り得たのだろう長回しもまあありかなとも思う。ほとんどアマチュアだろう子役達を使って、辛抱強く演技指導し、それなりの成果を挙げたと考えていいんだろうと思うのだが、監督が作中で引用している『みつばちのささやき』のようにはいかなかったのかなあ。」

ローマ法王の休日(*****)

「よかった...ナンニ・モレッティ健在だった。しかしこれの日本バージョンを作ったら.....故大島渚ならやれたかもしれんな。しかしこの邦題をつけたくなる気持ちはわかるが、やっぱりまずいんじゃないか?だってナンニ・モレッティ大好きの自分でさえ、この結末を予想できなかったんだから。」

アニメ師 杉井ギサブロー(*〜**)

「興味深い題材だが、ドキュメンタリーとしての出来がガタガタではないか。」

ヴィダル・サスーン(***)
「しかしどうして日本のドキュメンタリーは、こんな風に撮れないんだろう。」

夢売るふたり(***)
「面白かった、けどね。愛憎交え(ここまで来ちゃったらハイサヨナラってわけにいかないのよ...ってことで)別れられずに堕ちながら奇妙な生き方を受け入れていく様子など魅力的で、結構真実が描写されている。二人に子供がいれば、また違った展開があったのだろう、などと、色々考えさせられもする。だが、どうしても.....。例えばもっともっと、この世の出来事とは思えないようなまるで夢の中の出来事のような浮遊感みたいなものが醸し出されていてもよかったのではないか。え?あれって...現実だったんかなあ...みたいな。あるいは、本作には、10〜20歳代のピチピチの女性は出て来ないわけだが、その彼女らにこそ、うんと、人間としての魅力が感じられるのだが、脇役ゆえなあ...。松たか子は、なんだか作り過ぎで人間的魅力が見えなかった、と言うか、ずっと見続けたい種類の顔じゃないのだよ。濡れ場はいくつかきちんと描写されていたけれど、もっともっと表現すべきだったのではないか。例えばウエイトリフティングの彼女との行為なども重要なファクターだったと思う。ゲロや生理用品を下着につけるシーンはあったけれど、もっともっと肉肉しい汚れみたいのものが見たかった。少年を利用したラストのもって行き方も、ちょっとどうなんだろう。構成も、詐欺を働くきっかけから順に描いているけれど、この場合、最初から詐欺師として登場させた方がよかったのではないかとも感じるのだが。」

オロ(***)
「6歳の時に母親と別れて、チベットからインドに亡命した少年オロに取材したドキュメンタリー。」

隣る人(*〜**)
「どこかにある、親を亡くしたかあるいは一緒に住めない事情ある子供ら(主に小学生以下か?)を預かる施設に取材したドキュメンタリー。なのだが、一切の説明がなく、いきなり子供達に密着していくから事情が飲み込めない。取材側が、対象に感情移入し過ぎているのではないかな。チラシによれば、なんと8年もかけて取材していたようだが、その年月も感じることができなかった。」

少年は残酷な弓を射る(***)
「今は亡き....っていや今も生きてるが...自分の好きだったアノ頃のアノ人はもういない?って意味での...今は亡きフランソワ・オゾンがこれを撮ったら、もう少し違ったニュアンスが表現されたかもしれないなー、などというような感想を抱かせる邦題に問題があるのかもしれない、ひさしぶりのリン・ラムジー監督作品。リン・ラムジー監督と言えば、ずいぶん前になかなかの秀作を観た記憶があるから大いに期待を持って観た。しかし...およそ18年に及ぶ期間を表現するのには、2時間に満たない上映時間は短過ぎたのかもしれない。短過ぎたが故にじゅうぶんに説明(表現)できず、疑問として鑑賞者の心に引っかかりを残してしまった。そんなに金持ちだったのか?父親はどちらかと言えば労働者階級の雰囲気だったが?イギリスからアメリカに引っ越したのか?それとも始めからアメリカでの話だったのか?母親は作家だったのか?では父親の仕事は?この少年の問題には発達上の理由があったのか?無かったのか?医者には診せなかったのか?診せたとしても医者はそんなに簡単にだませるものなのか?そもそもリン・ラムジーが、この少年を、あくまで天然として描きたかったのか、それとも母親の問題として描きたかったのかが、分からないのだ。後半に、母親が毒づいてみせるシーンもあるが、随分唐突に感じた。結局、18年間を描くことに拘ったことが第一の問題ではないだろうか。せめて中学生の反抗期の頃くらいからを描けばよかったのに。 注:この作品にはベストセラーとなった原作があるようだ。つまりリン・ラムジーは、本作を観る者は誰でも、すでに原作本を読んでいて基本的知識を持っている、という前提で撮っているらしい。しかしそれってどうなんだ?」

ファウスト(☆☆☆☆☆〜*****)
「アレクサンドル・ソクーロフ監督作品。美しい映像にメロメロ、話も面白かった。ボカシは残念。」

ノスフェラトゥ(**)
「ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品。クラウス・キンスキーは確かにドラキュラ顔ではあるが、むしろ、右往左往する誠実な主人公役をやらせた方がよかったのではないか。映像は美しかったけれど、ヴェルナー・ヘルツォークの怪力が、いささか空回りしているように感じた。それにしても相変わらず映像文化ライブラリーの老人達のマナーの悪いこと...平気でスクリーンの前を横断し、おしゃべりし、いびきをかき、おまけにカレー臭い!。」

世界最古の洞窟壁画 35mm 忘れられた夢の記憶(***)
「1994年に発見されたショーヴェ洞窟壁画に取材したドキュメンタリー。ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品。断言するが、3万年前の石器人類と、ルネサンスの画家や印象派から現代の画家まで、その技術は変わらないのだなということ。全くピカソなんだよ。」

モバイルハウスのつくりかた(**)
「色々反論もあるけれど、彼のような、日本人離れした行動ができる人間は貴重だ。ただ、ドキュメンタリーとしての出来がイマイチなのは、監督である本田孝義のせいだと思う。」

THE UGLY DUCKLING(***)
「第14回広島国際アニメーションフェスティバルにて鑑賞。オールCG全盛の、この21世紀もすでに10年以上過ぎた今、フル手作りパペットアニメーション...パペットの造形も古典的なら...話も古典『みにくいアヒルの子』と、その姿勢は潔いというか、もう清々しいウラー。75分の長編は、使い回しは一切(たぶん)無しの力技。ミュージカル仕立てで共産主義を揶揄してもいいんだなあと、妙に感心。後半さすがに飽きてしまった。」

ヴァージン(***)
「処女喪失をめぐる3話オムニバス。肝心のシーンも端折らない誠実な作り。3話とも、それなりに監督の力とセンスを感じさせ、それぞれ短編だが、なかなか面白かった。」

沈黙しない春(***)
「全国様々な場所での、反原発デモに参加する人々に取材したドキュメンタリー。特定の主人公はいないと理解していいだろう本作は、ただ、だらだらと(それなりに編集の工夫は見えるが)だらだらと人々の気分を描いていて、しかし最後まで興味深く観ることができた。」

道化師の蝶「円城塔の小説。最後まで読んでません。」

共喰い(*)
「田中慎弥の小説。例えばラース・フォン・トリアーに相通ずる、ちょっと意地悪な感じあるいは毒気・ニヒリズムだろうか。それなら大好きな分野なんだけれど...。例えば河瀬直美なら、自分の出生をまるで子供のような眼差しで無邪気にえぐり出してみせたではないか。それは技術的にはたどたどしい方法であるが、かえって新鮮で鮮烈な描写だったからこそ、後にカンヌで評価されたのだ。一方文学は、いや芥川賞は、と言うべきかもしれないが、文学的完成度を前提にするから、どうしてもそのフレッシュさが失われやすくなってしまうのではないか。推敲する間にネタが痛んでしまう。いや、そうでもない、だって金原ひとみ作品なんかには、そのフレッシュさが最後まで残っているだろう。表現する目的が、形にあるのか中身にあるのかの違いだ。」

ハルカ・エイティ(***)
「姫野カオルコの小説。戦前から戦中・戦後と、一人の女の人生を追っているから大河ドラマ調であることは否定できないが、決してこのままNHKでは放送できないだけの魅力を持っていて面白かった。200×年に80歳を超える女は、200×年に青春を謳歌する者には分からない体験があるのだ。それは生理用ナプキンのこと一つとってもそうだが、恋愛やセックスを楽しむこともなく、ただ一度の見合いだけで結婚し夫はすぐに戦地へ発ってしまうなどということや、女の花開く時を無駄に過ごし30過ぎてからやっとその(女子部の)喜びを知るなどという、遠回りの人生を送らざるを得なくなった者たちの、余生を。」

ニーチェの馬(**)
「見逃してはならないタル・ベーラ監督作品を、いつもの館で。やっぱり宗教的な(キリスト教)背景というのかな、終末的イメージとか、光(が失われる)とか、食わねばならん(自殺してはいけない)とか、ちょうど六日間の話だったりとか、実際に聖書?のような本も小道具として出てきたりとか、老人の寝ている様を足元から撮ることによってイエスを暗示させたりとか、まあ様々な仕掛けによって、そういうイメージを作り出そうとしているんだろうなあ。登場人物が作中で祈ったり神の存在について触れたりはしない。この理不尽な状況をただ受け入れ、なんとか生きようとしているだけだ。か弱い子羊のように哀れな親子は、絶対的な何かに服従するしかない。.....と、いうようなことなのかどうか分からないけど....映像も、力強さみたいなものは感じたけれど、さほど美しいとまでは感じなかった。ステディカムによって動き回る映像も、あまり好きではなかった。この作品なら、もっとカメラを固定して撮った方がよかったんじゃないだろうか。ラストシーンはよかったけど。」

聖少女(***)
「倉橋由美子の小説。これは映画化すればいいと思うな。始まり方なんか、まるで『トレインスポッティング』。若者達の破滅的行動は、それこそ『時計仕掛けのオレンジ』。ヒロイン未紀の性描写に至っては....女子のリビドー[川上未映子流に言うならば、女子部の問題]が女性の作家にしか描けない目線で表現されていて、そういう意味ではまるでカトリーヌ・ブレイヤだ。放送禁止用語を連発する金原ひとみは、しかし案外サッパリしていて[実は本人がテレているのかもしれないが、本当の私はそんなに好きじゃないんです的にさっさと終わるように]案外エロくはないのだ。そういう意味では、本作の方がうんとポルノじみている。誰かの漫画で、性器をうなぎや貝などで描写しているのを見掛けるが、そういうやりかたの方が、ずっと、その喜びや性器の状態を表現できており、スケベなのである。」

夢の浮橋
「倉橋由美子の小説。1/4まで読んだところで中断。最後までちゃんと読めば、また違った感想をもつこともできるんだろうけれどなあ。最近、我慢ができなくなってしまった、映画なら我慢してでも観るんだけどね。そういえば、なんだか増村保造っぽいイメージ。」

断絶 35㎜ニュープリント版(**)
「なるほどなあ、ギャロが好きそうではある。この邦題もわからなくもない。アメリカンニューシネマの極北に、行き過ぎちゃったのかもしれない、21世紀の今そのことを、歴史の証明として実感せざるを得ないのだ。あ、大友克洋の『ハイウェイスター』みたいだ。」

少年と自転車(***)
「ダルデンヌ兄弟監督作品。例えば『ケス』なら、例えば『少年、機関車に乗る』なら...と、以前もダルデンヌ兄弟作品に対して同じようなことを書いたからもう止めた。この作品を中学生は観ないだろうから、観客はやはり里親の女性の目線で観るだろう。またそのように仕掛けてある。水道の水を出し放しにしたり、ギャングに騙され愚かな行為を繰り返したりと、少年は悪魔のように大人の心をイライラと腹立たせる。つまり.....だからダルデンヌ兄弟作品には、やっぱりやっぱりどうしても、宗教的臭いを嗅ぎ取ってしまうのだ。勿論、そのこと自体が悪いわけではない。ただ、まだしも『ロゼッタ』の頃は、一つの映画表現として、何か新しい事をやってやろう、という気概というかチャレンジがあった。だからこそカンヌでも評価され、自分も注目してきたのだ。だが本作に至っては、もう、新しいもクソもなく、ただ物語がご都合主義的に流れていくだけではないのか。いくらなんでも、あの少年の改心の早さには納得いかないですよ。」

犬が星見た ロシア旅行(***)
「武田百合子の旅行記。自分がバックパッカーとなってヨーロッパを3ヶ月旅した時のことなどが思い出されて楽しかった。」

アメリカ 非道の大陸(***)
「多和田葉子の小説。刺激的な題だが、アメリカ帝国主義を非難する、というような単純な構図ではない、ような気がする。多和田の文体って、なんだかとても好きだ。それは村上春樹とは対極にあるような、無駄が無く簡潔で、どこか覚悟を持ってきっぱりとして、人情べたべたには決して陥ることなく、自らの責任において一切を引き受けている潔さ。多和田はドイツ在住だという。そんなことも、彼女の作品に影響しているのかもしれない。本作では、主人公の名前も性別も目的も明かされず、ただ『あなた』という人称で呼ばれる。『あなた』はいくつかのアメリカを体験しアメリカ人と接する。それが典型的なアメリカやアメリカ人かどうかも分からない。ただ、一人の人間が窺い知る範囲だけの、ごく部分的アメリカだ。」

はだしのゲンが見たヒロシマ及び中沢啓治トークショー(**)
「実は、ちゃんと読んだことないんだよね。」

サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者
「シリーズ第3作...ということらしい。もともと「反社会・無軌道な若者」物は好きなはずなんだけどなあ、楽しめなかった。と言うのも、罵声と虚勢と暴力だらけの幼稚さばかりが目について、人間が自ら生み出した社会で苦悩する有様や矛盾、生きることとは?という問いかけや哲学が見えてこなかったのだ。真面目に大人しく生きている者だって何かを背負い苦悩しながら崖っぷちで生きているのではないのか。介護し介護され糞尿にまみれた毎日を格闘している者もいるだろう、卒業式に起立せず生活を捨てでも意地を通そうとしている者もいるだろう、賛否はともあれ戸塚宏校長だって己の信念に基づいて行動している。ラッパーから見ればダサイそういった者達の生き様の方こそがよほどパンクではないのか。まあ、日本語でラップなんて、そもそも滑稽を売りにしているのかもしれないが、河内音頭の方がよっぽどマシだ。」

-×-(マイナス・カケル・マイナス)(***)
「後半の女子中学生の話に***。もちろん前半とうまくリンクさせてはいるけれど、すれ違う人間模様的表現が、今回の主眼、というか主題にはなりきれていないように感じた。この手のやり口は時々外国映画で見かけるし、その場合もっとうまく表現できているだろう作品に比べると、いささか弱い。とは言うものの、映像やフレームの意識・美学には侮れないものがあるなあと感じていたら、さもありなん、大阪芸大がからんでいた。」

寂寥郊野***
「吉目木晴彦の小説。例えばジョン・アーヴィングなんかが頭にあるのだろうか?アメリカの小説事情をよく知らないが(それは己の教養の無さ)この作品がアメリカを舞台にする必要性も、もちろん人種問題や太平洋戦争に言及することで担保しているけれど、本当はアメリカでなくてもいい話だと、かえって、そう思わせてしまうような気がするんだよね。(変な日本語)それに、読み方もわからない(それは己の教養の無さか?)日本語約した、人を喰った題名をつける作為が、やっぱり鼻に付くことは否定できないなあ。ただ、かつて敵だった国に嫁いでいった者達の、誇りや意地みたいのものは読み取れはするんだけど、そこが本筋なのかどうかも読み取りにくかったし、そもそも随分と慎重に書かれた文体とか文学としての『形』を作ることの方に、よりエネルギーが注がれていて、もっともっと自分が表現したい訴えたい何かが、はち切れんばかりに溢れてくるようなのが、やっぱり好きなのは、結局、自分が俗なだけか。」

運転士
「藤原智美の小説。残念ながら、途中からスッ飛ばしながら読んでしまったので、正確には『読んでいない』とも言える。」

犬婿入り(**)
「多和田葉子の小説。川上未映子のエッセイにしばしばその名前が上がり、対談集の相手の一人でもあることから読んでみた。川上が言っていた通り『一文』が長く、それは結構、心地よい。高校生の頃、あんなに憎んだ英語の長文だが(もっと細切れに書けばいいじゃねーか、と何度思ったことか)長ったらしい文は実は嫌いではないのだ。が、本作は正直言ってよく分からなかった。ベッドに寝転がりながら寝しなに読んだせいもあるかもしれないが、これが一体何のメタファーなのか、主題が何なのかさっぱり分からない。『女性』という性が一つ関係していることはウスウス感じるが、どうもこの手の手法は苦手である。ちょっと川上弘美に似た雰囲気なのもまずい。果たして自分に読解力がないのか?」

至高聖所(**)
「松村栄子の小説。これは、」

NINIFUNI FULL VOLUME ver.(****)
「真利子哲也監督作品。面白かった。これは持論だが、どんな映画監督でも、その初期作品が面白いのだ。映画って、監督一人では作れないが、名人になればなるほどスタッフも増え、制作のための金額も大きくなるのはいいが興行的成功も要求されたりして、だんだん大向こう受けを狙わざるを得なくなったりするんだろう。だから低予算でも、初期作品にはその監督のエッセンスが最も濃厚に表現されている場合が多いのだ。大林宣彦も、園子温もしかり。みーんな最初に似たようなことをやっていたわけだけど、それがイインダ。」

極東のマンション(**)
「真利子哲也監督作品。面白かった。

マリコ三十騎(**)
「真利子哲也監督作品。面白かった。

汽車はふたたび故郷へ(**)
「大好きなオタール・イオセリアーニ監督作品。だが、歴史的背景を理解していないと、よく分からない作品なのは前からそうだが、そういう側面がより強いのは、私的なイメージが多めに盛り込まれているからでもあるのだろう。テオ・アンゲロプロスのいくつかの作品、あるいはユーリ・ノルシュタインの『話の話』のように。」

明日泣く
「原作があるようだが...ユーリノルシュタインも言ってたが、原作物は原作を凌駕する価値が与えられなければ、やっぱり意味ないんだよ...偉そうなこと言えないが。」

姉ちゃん、ホトホトさまの蟲を使う(**)
「作者はきっと、諸星大二郎を読んでいるにちがいない。」

静かな家(***)
「プロジェクトDENGEKIからの1本。東京芸大大学院生の作品で、やはり北野武とかダンカンっぽい。慎重に作られた映像も美しいし、何より主演女優が素晴らしい。」

純情No.1
「プロジェクトDENGEKIからの1本。上記作品と決定的に異なるのは、本作が映画になろうとしているのに対して、上記作品は、映画という方法を用いて何かを表現しようとしていることだ。」

アーティスト(***)
「そこそこ面白かったんだけどね。どうしても手法を全うすることに勢力を傾けすぎたのだろうか、お話そのものが底が浅く、なんだかこれも借り物みたいになっちゃった。」

メランコリア(***)
「ラース・フォン・トリアー監督作品。面白かったんだけどね。そういえば、前にもこういうタイプの作品を撮っていた気がする。」

天使突抜六丁目(***)
「映像もきれいだし面白かったんだけど、基本的にナンセンスなので、***。」

マザーズ(☆☆☆☆☆)
「金原ひとみの小説。昔が(統計的に)どうかは知らないが、近頃(マスメディアの発達によって)、若い親による乳幼児の虐待や放置や致死のニュースが目立つ。自分が遊びたいから子供が邪魔になり部屋に閉じ込めた上ガムテープで扉を目張りし放置し餓死させたりするのだ。それを傍観者は、親としての自覚のない幼稚でダメな人間という烙印を押す。それはしかし半分正論だが半分は間違っているのだろう。しかし金原の描写って、例えば女性の『下着の茶色い染み』などという、男にはできない、と言うか見たくない部分まで見せつけるところが○。」

天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命(**)
「見沢知廉という人物(既に故人)の周囲に取材したドキュメンタリー。恥ずかしながら見沢という人物も『天皇ごっこ』という作品も知らなかったけれど、奥崎謙三にしろ三島由紀夫にしろ、生き方って、本当に難しいものだ。」

タケオ〜ダウン症ドラマーの物語(**)

明かりを灯す人(**)
「この、誇りを持って人々が生きていた村を、貧しくみすぼらしいものに変えたものは何か?それは皮肉にも『明かり屋さん』が運んだ文明だったのだ。」

家族の庭(***〜*****)
「マイク・リー監督作品。まだ定年ではないものの、そろそろ終わりが見えてきた中高年の人間模様。今更夢や希望でもないだろう、せめて祝日に家庭菜園の成果に喜びを感じるささやかな日常。ところで同じ日本人でも顔立ちは、ベトナム系アイヌ系細目のアジア系やアフガンとかあの辺浅黒い肌だが美人系に中東アラブ系とホントに様々だ。同じことは日本に比べてはるかに移民や外国人の多いイギリス人にも当然言えるのであって、主人公の(いや、この作品の場合、主人公が誰ということはないのだが)一応、主人公らしき女性もまた、アラブ系の顔立ちで肥満のせいもあるが、あごから喉にかけて肉が斜めに繋がって歯列の矯正もしていない、なかなかの面構え。唯一の美人はその友人だが、これはアル中の行かず後家。30歳になる息子が連れてきた恋人もナカナカで。」

ぜんぶの後に残るもの
「川上未映子のエッセイ集。」

かわいそうだね?(*)
「綿谷りさの小説。」

亜美ちゃんは美人(**)
「綿谷りさの小説。『夢を与える』の頃からのテーマだろうか。とびきり上等なものが汚れる様が描きたいのか。」

六つの星星(***)
「川上未映子の対談集。川上の作品を読み解く上で、大いに参考になる。が、なかなか高度なやりとりなので、ついていくのがしんどく、辞書を見ながら読まないといけないくらい。しかしやっぱり川上って変わった人だ、24歳で大雨に濡れた時にそういうことを実験してみるなんて。」

TRIP TRAP(***)
「金原ひとみの小説。『憂鬱たち』と同じような手法で短編の積み重ねだが、それよりも一本としてのまとまりがある。多くの場合、金原作品の主人公は、職業が作家であって、限りなく作者に似ている人物なのか?と思わせられ、そういう面からも金原作品に惹かれるのだ。だが前半から中盤にかけては、そういった金原の長所がむしろ欠点に感じられた。それは、人間が本来持っているであろう快楽中心の近視眼的な生き方有様をひたすら描写する(だから放送禁止用語も頻繁に登場する)手法が、ここでは人間描写にまで至っておらず、むしろ金原の、作家としての文章表現力の限界みたいなものが感じられてしまったからだ。だが後半、主人公の出産後の描写に至るに従って、そうか、金原は、ここが書きたかったんだと理解できた。限りなく自分に近い人物を描写してきた?.....うーん、若いと思っていた金原だが、今調べてみると、なんと二人も出産している。」

Projection Mapping + Performance vol.1 「白夜-BYAKUYA-」(**)
「プロジェクターによる映像と生身の役者による芝居やダンスを組み合わせた、面白い試み。屋外で上演されたのだろうか? ただ、話そのものに深みがないのが残念。」

エンディングノート(**)
「家族だからこそ撮ることができた映像ではある、涙無しには観ることのできない作品でもある。だが何故か、作品としてグンと迫るものはあまりなかったようだ。河瀬直美が指導していたならば、もっと違う作品になっただろう。」

夏の入口、模様の出口
「川上未映子のエッセイ集。こんなんまで本にするな。」

すべて真夜中の恋人たち(*****〜☆☆☆☆☆)
「川上未映子の小説。ただのラブストーリーに見えてそうではなく、川上らしい宇宙観というか中原中也的ニュアンスが底辺に流れている。誰かこれを映画化しないか?主演の冬子役は蒼井優、濡れ場も全裸もやってもらおう、ただし高校生時代の冬子は新人を使いたい。助演の聖役は鈴木杏でいいか。3時間くらいかけていいからじっくり描きたいなあ。」

発光地帯
「川上未映子のエッセイ...と言うよりも日記に近い本当の散文集。これはダメだった。ちゃんと最後まで読んでません。」

憂鬱たち(**)
「金原ひとみの小説。短編小説集と言うべきかな?ただし主人公も脇役も同じ(名前)である。放送禁止用語有り。」

CUT
「作中で、ボクの大好きな映画ベスト100とか表明されてもなあ...。あー、脚本に青山真治がからんでるのか...。」

世界クッキー(**)
「川上未映子のエッセイ集。川上が太宰治作品を好きだと知って、ちょっと驚いた。確かに本作中の『母とクリスマス』は、太宰調で書かれている。しかし川上が、あくまで問題に(それがどんなに難題であろうとも)己の考え方に基づいて毅然と対峙しようとするのに比べて、太宰って、どちらかと言えばそうじゃないよね。太宰は右にも左にも、って言うより結局『ノンポリ』であって、世の中の動きのいつも埒外にいようと、本能的にする(こういう言い方は適当ではないけれど)あまり男らしくない態度を取るように思うのだ。結構『男らしい』川上に対して、二人はあまり似てないように感じるし、川上がそんな太宰を気に入るとは思わなかった。」

先端で、さすわ さされるわ そらええわ(*)
「川上未映子の表題作をはじめとした短編小説集。たぶんそうだと思うのだけど、中原中也を意識したりしているんだろう。全体に抽象的で難解な感じ。どこか外国の旅先で、観光客が行くようなところには行かずホテルのバルコニーかどこかで、ワインでも飲みながら、ゆっくりと時間をかけて読むべきかもしれない。あるいは誰か優れた映像作家か映画監督(ピーター・グリーナウェーあたり)が、映像作品として作って観せてくれないものか。」

星へ落ちる(**)
「金原ひとみの小説。放送禁止用語一切無し。生きること=恋愛...と言っても過言ではないだろう。女性が男を惹き付けるため精一杯化粧し着飾る有様は、生き物としての本能そのものであり、純で素直で当たり前の行為であって、それが教育や科学や文明や仕事や地位や名誉より下ということは、本当は無いのだ。自分がキレイでいるために全生命力をかけて、どこが悪いってんだ。」

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります(**)
「川上未映子のエッセイ集。川上未映子って人は、なかなか壮絶な生い立ちのようだが、それを彼女一流のユーモアと、大好きな文体で描いてみせてくれた。できればそれも、もっと長い作品で読みたいなあ。女子部の話とか両親の格闘とかも。」

ヒミズ
「園子温の映画の方。多分そうだろう...と思いつつ観たのだが、やっぱりそうだった。いや原作の漫画を読んだこともないのにそうだと言うのもナンだが、やはりそうだと確信できた。いや実際は、原作とは随分設定を変えているようでもあるのだけれど、それでもやっぱりそうだった。漫画を映画化した作品を、これまでもたくさん観てきたけれど、成功した事例はほとんどないのではないか。成功している事例としては、漫画以上にバカに徹することだけど、そうではない方向性で漫画を映画化すると、どうしても漫画の欠点が強調され、漫画の美点がスポイルされる。
漫画の欠点とは、漫画の多くが大衆の娯楽として描かれていることである。だから漫画は、より刺激的に下品にスケベに暴力的に、安っぽいカタルシスを読者に毎回与えるため迎合していくのだ。そんなことは当たり前で、漫画は出版社の商品であるから、いかにして人気を得るかが勝負なのである。漫画は純文学ではないし、出版社は慈善事業ではないから、儲けなければならない。だから人気があるうちは連載が終わらないが、人気がなくなれば話の途中でも即打切りだ。しかも週刊連載の場合、毎回それなりに読者を惹き付け面白可笑しく読ませなければならないから、1話完結ならいざしらず毎回それなりに見せ場を作らなければならない。すると通して読むと繰返しクライマックスがあるような、いびつな流れになってしまう。そもそも漫画には、主題とする問題に対して、それほど深く考察したり悩み抜いて一つの結論を導き出すような行為はなく、その主題を、いかに読者を惹き付ける材料にできるか?ということしか考えていない場合がほとんどだろう。例えば『いじめ』の問題を主題とする漫画があってもおかしくないだろう。だが、そうだとしても、川上未映子のようにその問題を深く考察することはせず、ひたすらその暴力などの場面を見せることに徹するだろう。刺激的で極端な場面によって読者を釘付けにするためだ。
一方、漫画の美点とは、漫画がペンとインクで描かれた静止したドローイングであるという事実だ。つまり漫画を読むということは、その美しい静止したドローイングを鑑賞することでもあるのだが、映像化するということは、当然ながら静止したドローイングではなくなることである。漫画は実は美しいのだ。漫画だけが、少なくとも戦後半世紀以上を経た今もその魅力を失わずにいるのは、ひとえにそれが静止した美しいドローイングであるからなのである。誰か、この根本的な問題を解決する映像化を試みてくれないものか。
ただし助演女優の二階堂ふみとラストシーンに☆☆☆☆☆。園と全ての漫画にエールを。」

勝手にふるえてろ(*****)
「綿谷りさの小説。なかなか面白かった。どうってコトない元オタク女子(処女)の恋愛事情。世界の有様・日本の行く末なんかに目もくれない、50年一日な日本の女子事務員の姿に、きっと村上龍なんかは国粋主義に震え立腹するんだろうし、池澤夏樹は第三世界に思いを馳せ嘆くだろう。だがな、それらこそがロマンチシズムであり勝手にふるえてろ!ってんだ。」

わたくし率イン歯ー、または世界(☆☆☆☆☆)
「川上未映子の小説。何故だか涙が出そうになる程のユーモア。よく、女は男より痛みに強い、だとか、男よりも血を見ることに平気であるなどと、まことしやかに言う。最近、アフガンかどこかのリンチ制裁によって鼻を削がれた女性の写真を見たことを思い出した。女が男より特別痛みに強いなんてことはないはずだ。ただ、快楽であるはずのセックスさえ、女は破瓜の時とその行為の結果の出産という2度も痛みをともなわされる宿命が、そんな通説を作ったのだ。口は女性器のメタファーだ。『私』が口中に飛び込んで奥歯で物申すのは、膣にペニスを突っ込むことのメタファーだ。女は膣で考える。奥歯の穴は湖だ、レマン湖だ、オ◯ン湖だ。男は突っ込むことしか知らないから、突っ込まれる快感を知らない。そうだ、せめて今度歯医者に行ったら、突っ込まれる気持で感じてみよう。『私』はまだ生まれる前の、いや生まれるはずのない、青木のペニスが『私』の性器に挿入されひとしきり膣内を前後運動したる後に青木のペニスの先端から発射された精子が『私』の膣の奥にある子宮にある卵子に着床して発生した『おまえ』に、存在しない手紙で語りかける...いつも『晴れた』日に。奥歯で、いやオ◯ン湖で思考し存在している『私』の肉体が、世界中の『痛み』の総和に思いを馳せる。我痛む、故に我ありと。ならば『私』の足を踏んづける三年子さえいじらしいではないか。ああ、誰かこの作品を映画化しないのか?」

感じる専門家 採用試験(*****)
「川上未映子の小説。この世界のあらゆる存在物質は原子から成っていて、人間もキュウリも元をただせば同じなのだ。1光年先の星の光は、光の速度で1年前の残像で過去を見ているに過ぎないならば、目の前の私の本も手さえも過去なのか?意識というものが、原子が組み合わさり重なって分子となり細胞となって生命となったモノが自己を定義するために備わった感覚器官だとするならば、泣いたりわめいたり戦争をしたりすることは、その存在をより確かに意識するための本能的行為なんだろうか。だから『ヘブン』で川上は、ヒトがヒトをいじめる行為を考察し表現しようと試みた。それでも、蒼茫とした宇宙に赤子は誕生したいというのだ、感じる専門家として。」

ゴモラ(*****)
「ヨーロッパは、日本に比べて随分、大人(のための)社会であると言っても差し支えないだろう。それ故世代間の闘争みたいなものの象徴として、(パンク)ロックや落書きアートみたいなものが誕生したのではないだろうか。太った大人が金持ちで、社会を牛耳って、いい目を見ている。若者は痩せて貧乏で失業してそれこそ貧乏くじばかりを引いているのだ、と。イギリスなんかではサッチャー政権が、(小泉が見本とした)小さな政府を実現して福祉切り捨て大企業優先の政策で経済を復興させたりしたが、その犠牲になった者も少なくないのだろう。そのあたりは、ケン・ローチ作品によく描かれているが、ともかく学力も職も無い若者はヘロインやらのドラッグに手を出しますます堕落して反社会勢力となり荒んでいきの悪循環だ。翻って日本では、ヨーロッパに比べて随分、子供(のための)社会ではあったものの、ここのところ終身雇用も崩壊し、正社員が激減、一億総中流はとうの昔、いまや格差社会と相成ってしまった。クラウンに乗っているのは高齢者ばかりで、若者はせいぜい軽なら良い方で、原付かママチャリじゃあ、やってらんねーよ。年金すら貰えねえのになんで消費税を10〜15〜20%なんだよふざけんな!って思うのも当然だろう。ロシア(旧ソ連)がそうだったと思うけれど、国が危うくなってくると、若者が右傾化するのではないか?大阪市長選挙を見ても分かるとおりだし、インターネット上にもネトウヨがウヨウヨいて、フジサンケイグループを叩いていたりするけれど、オイオイ君らが叩くべきはそっちじゃないだろうと、逆に心配になってしまう程だ。このままいけば我国もちょっとマズいんじゃないの?などということを考えさせられたなあ。」

吉祥寺の朝日奈くん
「カメラーワークとか切り取り方とか編集とか繋ぎ方とか、そこらへんがなんだかあまり上手くない、と言うか、画面に映るものにいささか無頓着というか、ちょっと汚い感じもあった。例えば街中でロケするにしても、通行人が映るのはしかたがないにしても、マスクをした人がチラホラ映っているのはやっぱり奇異だし何より目だって面白くないだろう。その上現場の音のノイズも随分拾っていて、さらに手持ちカメラの揺れも相まって、どこか自主映画っぽくて、そのことが、この作品には似つかわしくないような気がする。話も下手にどんでん返しがあって、かえって平凡になってしまった。淡々と、ただ恋愛の気分だけを描けばよかったのに、だってその部分こそがこの作品の魅力じゃないか。」

トーキョードリフター
「この作品を観て損した、とは思わないんだよね何故か。それはきっと、なにかを表現しようと懸命に模索しているからだ。こんな作品を撮った奴がいる、こんな作品を上映する館がある、こんな作品を観に来る奴がいる、ただこんな幸福が、いつまでも続くことを願うだけなんだ。」

2011年1月 6日 (木)

クリスマスのその夜に(**)
「可も無く不可も無い作品か。」

人形の家
「イプセンの戯曲。高校生の頃に読んだものの再読。これはやはりお芝居という、ある特殊空間の中で鑑賞しないとだめなのかもしれない。と言うのも、ノラの豹変ぶり(もちろん突然の心変わりではなく、長年に渡って積み重ねられた思いの爆発ではあるんだろうけれど)に、いまいち共感できないと言うか、説得力がないように思えるのだ。高校生の時は、もっとノラに同情できたと思ったけれど、例えば彼女の浪費についても、何かの代償行為であるというようなことが、もっともっと表現できていればと思うのだが、それは演出家が役者に表現させる部分と理解すべきか?ま、マクロン(マカロン)が、どんな菓子かは、今ならわかるけれど。」

人間大砲
「イタリア映画界の異端児 アゴスティの世界から、シルヴァーノ・アゴスティ監督作品。1995年の作品。部分的に魅力あるも、表現として出来ていないと思う。商品としての映画に距離を置くのは大いに賛成だが、自己満足で終わってはいけないのが難しいところ、特に映画は。メリエスは、芸術としての映画を作ったのかー?」

クワルティエーレ 愛の渦
「イタリア映画界の異端児 アゴスティの世界から、シルヴァーノ・アゴスティ監督作品。1987年の作品。シルヴァーノ・アゴスティという人を初めて知ったし初めて観た。のだが...表現できているとは思えなかった。全体を通じて音楽と効果音がうるさく、映像も、それほど美しいとは感じなかった。エンドロールの説明によって、実話に基づく話だとわかり、しかも本人が演じているとのことなのだが、そ
れがなんだってこと。4話のオムニバス形式で90分を切る短い作品なのに『早く終われ』と感じてしまった。」

サウダーチ(***)
「作者の大きな怒りが動機となっていることは間違いない。が、その矛先がよくわからないんだよね。とは言うものの3時間近い作品をグイグイ引っ張られて観たけどね。」

1Q84-BOOK 1、BOOK2、BOOK3(**)
「村上春樹の小説。村上はきっと、物語ることが好きなんだろう。少なくとも、直木賞になら候補に上がってもおかしくはない。そもそも初-村上で『ノルウェイ〜』を読んでオエーとなったワケで、わざわざまた性懲りもなく近づいていく必要もないのだが、村上を語る時、太宰治と並べ芥川賞を取れなかった作家として名前が上がることがままありイスラエルかどこかで受賞したりと高く評価されているようだし、やはり話題作でもあるから思い切ってチャレンジしてみたのだ。が...やっぱり...本作にも『ノルウェイ〜』の匂いが。オエーとなる理由の一つは、その気取った語り口。登場人物のセリフ回しの臭さだ。例えばAとBの二者が居て、二人のうち主導権を握る方(或は社会的地位に上下の関係がある場合、それは老婆や小松に相当する)のセリフを聞き役側(青豆や天吾)が間の手を入れるようなセリフを入れる形で状況を説明するやり方。『攻殻機動隊』なんかでも好んで用いられるが、あれはSFシリアスアニメーションという設定に没頭させることが必要であるための措置だから違和感なく受け入れられるが、そういうやり方をされた文学を、自分が読みたいわけでは、やっぱりないのだな。まあそういう意味では自分がこの世界にお呼びでないわけだが。そんな自分でも、村上が本作を書くことを心から楽しんでいる様子は行間からじゅうぶん伺える。村上の世界に没頭することができる人なら100%文句無しだろう。随分優れた文学であることは自分にも分かる。だが、こういった表現世界を、自分はどうしても文学には求めないないなあ、やっぱり、天吾は固ゆで卵を食べてるし。それに『こびとずかん』のアレが目に浮かんでどうしても笑えてしまうのだ。実は白状すると、書かれている文章一言一句を全部丁寧に読んではいないのだ。結構スッ飛ばしながら読んでいて、5行とか10行下手すると1ページ分くらいを、それこそ速読術よろしく斜め読みしている。最初から感じていたのは、描写に無駄が多いこと。それは表現の骨子に関係のない修飾にすぎないもの、あるいは本来表現すべき『何か』を表現するためには全く役立たないことで、全部取ってもよい類いのものだったのだ。尤も、ファンにはその部分こそ重要で、それを取ったら元も子もないことなんだろうけれど。だから性表現も好きになれない。どちらかと言えば日頃、性表現は欠くべからざる部分であり、それ無しには本当の意味で十分に『何か』を表現できないはずで、それこそクリープを入れないコーヒーのように、物足りなくなってしまうことだとさえ考えている。しかし村上作品においては、それがちっとも魅力的ではないのだ。それは、村上作品において性表現が人間描写に結びついていないからだろう。いや、それを言ったら村上世界に入ってくんな!ってコトだけど。結局、ロマンチックハードボイルドSF風味...やね。ラストのタクシーは最初に青豆が乗ったやつじゃダメだったのか?にしても、この題はどう翻訳するんだろう。」

アマールカ-冬を迎えた日(*****)
「チェコアニメーションも、もう随分観てきたから、そろそろ打ち止めだろうと思っていたら、いやあ、まだまだ出て来る。」

田中さんはラジオ体操をしない(***)
「田中さんは言わば『大日本人』なんだな。ヒーローは孤独だ。ヒーローが戦う時、誰も手助けをしない。こんな優れた日本人を登用しない経営者が無能なわけだが、向こう側の言い分も取材できればもっと良かった。大企業の傘下には多くの労働者が生きるためにくっついている事実も見逃せないのだから。」

半島を出よ(**)
「村上龍の小説。まあ面白く一気に(スッ飛ばしながら)読みはしたんだが、なんだか近頃の韓国映画みたいに感じてしまった。この作品を村上に書かせた動機は怒りだろう。そのことはヒシヒシと伝わってはくるのだが、だったら何故感傷じみた(ロマンス)など持ち込んだのか?何故、社会に順応できず様々な問題を起こしてきたスネに傷持つ者達が高度な知識と技術で到底現実不可能とも思えるミッションを成功させるのか?これじゃあまるでハリウッド映画ではないか。こんなカタルシスがどうして必要だったのか?世界中で今もどこかで続いている戦争や地域紛争の現実は冷酷だ。そのことを徹底的に、ぬるま湯に浸かっている日本人に訴えたかったのではなかったのだろうか?」

テザ 慟哭の大地(***)
「エチオピアの複雑な政治・社会状況。」

さすらいの女神(ディーバ)たち(*****〜☆☆☆☆☆)
「カンヌで監督賞の名に恥じぬ秀作。」

タナトス
「なんの予備知識もなくフラリといつもの館に行ったのだが見たこともない行列。主演男優の挨拶がある先行上映会だったらしく、ほぼ満席とは驚いた。聞けばまたぞろ漫画が原作とのこと。しかも女性客ばかりの今回ばかりは失敗か?と斜めから観ていたら案の定、安い映画だなー...だが、主人公の変化(成長)が、案外きちんと描かれていて好感が持てた。これは原作に忠実なことなのかどうか分からないが、いっそのこと、それこそもっともっと漫画的な表現に徹底できなかったのか?。」

蛍川・泥の川(***)
「宮本輝の短編集。」

幻の光(***)
「宮本輝の、表題作含む短編小説集。1995年に是枝裕和によって映画化されたものを先に観ていたはずだが全く覚えていなかった。一度も読んだこともないくせに以前からなんとなく感じていたのだけれど宮本輝作品って、どこか大衆文学的ニュアンスが入ってはいないか?。」

どくとるマンボウ航海記(**)
「北杜夫の小説。実は中学生の頃に読んだことがある。当時、ユーモア小説ということで面白可笑しい内容を期待していたにもかかわらず、ちっとも笑えないじゃん...と感じたことを、なんとなく覚えているが、今回、ヨーロッパをバックパッカーで3ヶ月程、一人で旅したりの経験を踏まえてひさしぶりに再読してみて...うーん、まあこんなもんか、というのが正直な感想。何故なら、ユーモアとはそもそもお笑いとは違うのであるが、本作では滑稽な、と言うより北の個人的感想だけがくだけた言葉で細々と語られるだけで、何かの表現、つまり人間存在についての表現に至っていないことが、結局、小説として面白くないことの原因ではないか。って、まあ、あとがきには、そういうことを全部省略した、とちゃんと書いてあるけどね。」

山月記(**)
「中島敦の、表題作含む短編小説集。教科書に載っていたらしいが記憶にないなあ。」

ミラル
「...」

人生、ここにあり!
「ええ話ではあるのだが。」

朱花(はねづ)の月(?)
「河瀬直美監督作品。いやあ、まさかね、いやホントにね、一瞬西川のりおか?とは思ったんだよね、しかしまさかねえ、と思い直しながら見てたんだけど、いやあーあれだけ色の薄い西川を初めて見たよ。」

エッセンシャル・キリング(?)
「ヴィンセント・ギャロが主演している。面白くなかったか?と問われれば、面白さはなんとなく感じていた、と答えるのかな...ともかく最後まで、と言っても短い作品なのだが、食い入るようには観ていた。ただね、なぜ突然、砂漠地帯(どうやらアフガニスタンらしい)から雪と氷の森へ移ったのか?結局、ここは何処なんだ?ってことが.....。最初は、クルド人地区は高地だから気温も低く雪も降るから...などと思ってもみたがどうも違うし、なんとなく北欧っぽい風景だよなあ、と思っていたらやっぱりロケがそのようだ。ま、どうにかしてでも生きようとする人間の逃避行そのものを描写しているのだ、と定義すれば、まあいいわけだけど、スッキリはしない。この監督の、これが表現の限界と理解しておこう。」

夜と霧の隅で(***)
「北杜夫の小説で、表題作他短編4本。表題作は別としても、他の短編には、やはりどこか時代性が現れている。これは良くも悪しくも致し方無いことだろう。ポスト文学時代の世代なのだ。完全に20世紀生まれの小説家なのだ。『霊媒のいる町』なんて、一巡して町田康みたいでさえある。」

天使は歩いてやってくる(*)
「犬飼ターボの小説。嫌いじゃないけど、いささかお上品過ぎないか。」

博士の愛した数式
「小川洋子の小説。」

ふゆの獣(*****)
「なかなか面白かった。いつもの館主も、どこかしてやったりの表情。なるほど、この監督作品を、ずっと追いかけて観ていきたいと感じさせられた。」

見えないほどの遠くの空を(*)
「なんかもっと他に話がないのか?これだけできるなら。」

Peace(***)
「想田和弘監督作ドキュメンタリー。どうもこの人は、これまでの作品が全て自分の身近な人を取材しているようだ。」

ろまん燈籠(*****)
「太宰治の小説で、表題作含む短編集。太宰と言えども戦争とは無関係でいられないのだなあ。」

19歳のジェイコブ
「中上健次の小説。実は途中で投げ出したので、ちゃんと読んでないのだが。」

ちいさな哲学者たち(*****)
「なかなか面白かった。」

悲しみのミルク(*****)
「フジモリ大統領以外に、恥ずかしながらペルーの歴史というものをほとんど知らないものだから...。しかしまだまだ若い監督の、才気を感じる作品。次回作にも大いに期待。」

ショージとタカオ(***)
「布川事件の犯人として逮捕され29年をうしなった冤罪事件に取材したドキュメンタリー。長きに渡りよく取材してある。当の本人達にきちんと密着できたということは、取材する側がされる側に信頼される人間関係を構築できたということで、ディレクター兼カメラマンの女性のキャラクターの良さでもあろう。しかしいつも思うことは、こういう冤罪事件の時、当時の警察や検察及び裁判官が決して顔を出さないこと。」

光のほうへ
「トマス・ヴィンターベア作品だが、どこか描写が薄っぺらくただストーリーを追いかけているだけに終わってしまった。」

BIUTIFUL
「ちょっと色々盛りだくさん過ぎる。」

ツリー・オブ・ライフ(*****)
「細かいカットを次々に展開して見せていく手法が散文調というか詩のようなイメージを作り出す。下手すればCM調になってしまうところだろう。ブラピ親子のドラマを一応の縦軸にしてはいてもそれは本論ではなく、宇宙誕生から生命の神秘までをあくまで宗教(キリスト教)という立場から説明しラストに感謝の言葉で締めくくっていることは、日本人である自分にとってはやはり理解を超えている...いや面白かったんだけどね。下記『狭き門』しかりだが、宗教の影響力が強い社会で生きることには、良い面もあれば弊害もある。ただ冠婚葬祭特に葬式だけはキリスト式が羨ましい。だれが『日本人の葬式をあんな風に滑稽にしてしまったのだ!』それは宗教を遠ざけてしまったことと愚かなテーマパーク化社会の成れの果てだ。」

狭き門
「アンドレ・ジッドの小説。昔読んでいたはずだが全く内容を覚えていなかった。ドラマとしてと言うより、聖書的な物語と言っていいんだろうか?面白くなかったかと言われればそうでもないのだが、定義できない感じで、やっぱり聖書を読んでいる感覚なのだ。しかし...よくこんなものを高校生の頃に読んだもんだ、当時一体どういう風に理解していたのだろうか?」

放蕩息子の帰宅
「アンドレ・ジッドの小説。これも聖書的物語か?」

一枚のハガキ
「愛すべき新藤作品だから。」

四つのいのち(*****)
「なかなか面白かったのだが、驚いたのは、犬はともかく子やぎまでもがまるで演技をしているかのように見えること。ちょうど長靴の先っぽにあたるカラブリア地方の山奥ということのようだが、本当に今もこのような、例えば教会の床を掃いたゴミを薬として飲むなどという暮らしが行われているのだろうか?もちろんドキュメンタリーではないから、かつての慣習を象徴的に描いていることかもしれない。いくらなんでも薬くらいあるだろう。昔からイタリアでは南北の格差が言われているが、取り残されたことによって、かえって失われないものがあるのだろう。グローバリズムというメジャーリーグの舞台から降り、あくまで地域リーグの中で生きる術を見つけることが本当の幸福なんだ。だがそのためには、今得ている快楽を捨て去る勇気が必要。例えば飛行機やマイカーやエアコン、旬を無視した多種多様な食材や刺身、それにウオッシュレットなんかもね。ただ、仮に鎖国をしても放っておいてくれないんだよね。」

鎖が解けたプロメテーウス(*****)
「アンドレ・ジッドの小説。」

あぜ道のダンディ

モールス

贋金つかい(☆☆☆☆☆)
「アンドレ・ジッドの小説。あるキッカケからこれを読む気になったのだが、なんと大昔に読んだ記憶が蘇ってきて驚いた。こんなものまでよくぞ読んでいたものだ。それはともかくやはり面白い。贋金とは、もちろん作中に偽造貨幣が登場するわけだが、そのことだけではなく『悪貨が良貨を駆逐する』の例えの通り文学においても、大衆は偽物の方を喜んで受け入れることを皮肉って、ジッドが作中人物のエドゥアールを通じて言わせたことでもある。」

ディア・ハンター(*****)
「結婚披露パーティーまでのシーンに☆☆☆☆☆。以後は蛇足にも感じるが、作者とするならば、やはり最初から最後まで描き切らなければならなかったんだろう。」

無常素描
「東日本大地震に取材したドキュメンタリー。」

退屈な少年(*****〜***)
「福永武彦の小説。以下同文でなかなか面白かった。」

廃市(*****〜***)
「福永武彦の小説。どこかこの世のものとは思えぬ幻想的なムード漂う作品で、なかなか面白かった。」

後ろ向きで歩こう
「大道珠貴の小説。確か『しょっぱい〜』もそうだったか、この人は、ちょっとこういう、あまり見たくない恋愛やセックスを描くなあ。」


「大道珠貴の小説。確か『しょっぱい〜』もそうだったか、この人は、ちょっとこういう、あまり見たくない恋愛やセックスを描くなあ。」

多生の縁
「大道珠貴の小説。確か『しょっぱい〜』もそうだったか、この人は、ちょっとこういう、あまり見たくない恋愛やセックスを描くなあ。」

きことわ
「朝吹真理子の小説。中盤から以降、実はまともに読んでいないので、ここに書くのは不適当なんだが....読む気が失せてしまったからしかたがない。思い出を語りの手法をとっているからかもしれないが、描かれている些末なことどもが、そんなモンみんな感傷に過ぎないだろう...とヒネクレタ読み方しかできなかった。そういうところにどっぷり浸かりたい人向き。そういう意味では村上某に似た匂いがしないでもないか?」

ブンとフン
「大昔に読んだような記憶が...やはり『ひょっこりひょうたん島』っぽい感じがする。子供心に『ひょっこりひょうたん島』って、どこか」

ブラッド・スウェット&ギアーズ
「ツール・ド・フランスに挑む、新興自転車チームに取材したドキュメンタリー。実はこの世界も、ドーピング漬けらしい。」

くっすん大黒(***)
「町田康の小説。面白かったんだけどね。」

河原のアパラ(***)
「町田康の小説。面白かったんだけどね。」

父と暮せば(☆☆☆☆☆)
「井上ひさしの戯曲、恥ずかしながら初めて読んだ。と言うより、戯曲というものに触れること自体、もうほとんど高校生の頃のチェーホフとか以来ではないか。戯曲というものは、これを読む時、やはり役者がセリフとして声に出している様子や間などをイメージして読むものなのだろうか?今回は、そういう風に読めた。本作の場合、役者はやや大きめな発声で、しかも自然な感じというよりは、むしろ敢えてお芝居的に発声するのが望ましいのではないか。父親役はユーモアが滲み出て、娘役は背筋伸ばして少し硬さを感じるくらいか?井上ひさしの、この磨き抜かれた作品を、一度、優れた芝居で観たいものだ。」

ピアノ・サンド
「平田俊子の小説。この作家のことを知らずに借りたのだが...無駄の多い文章、気の抜けたサイダーみたいな作品...だった。」

アサッテの人(*****)
「諏訪哲史の小説。面白かった。あまり読書量のない自分にとって、始めてのタイプの作品であり、そのことも手伝ってか、どこか一種、驚異さえ感じた。しかもこういうアサッテ的感覚というものが、特別な人種の特別な出来事というのではなく、自分自身にもあるように意識させられて...。最も気に入ったのは、チリパッハの発音を解説するくだりか。ただ、終盤にかけての、叔父の2・3冊目の日記の記述あたりから、ちょっと雑な読みになってしまったのは自分のせいだ。あーあ、あのくだらない会議の最中に言い放ってみたいもんだ、ポンパ!ってな。」

ぼくは落ち着きがない(***)
「長嶋有の小説。青春映画をはじめ青春物が好きなので面白かったのだが、うーん、なんだかスッキリしない。これが綿谷りさが書いたというのなら、もっと納得がいったかもしれないが.....長嶋有が、まさか高校生でもあるまいし。そこのところにどこか偽物作り物的切実な痛みを欠いたというか、高校生の汗の匂いみたいのものが感じられないというようなことが、個人的に不満なのかもしれない。」

犬はいつも足元にいて(*)
「大森兄弟の小説。面白くなかったこともないのだが....。」

亡命
「何故だかあまり集中して観ることができなかった。」

人間万事塞翁が丙午(*****)
「青島幸男の小説。恥ずかしながら始めて読んだが、随分面白かった。たしかに男目線で描かれた女像ではあるだろう。だが個性溢れる登場人物達の、いかんともしがたい時代に翻弄されつつも、逞しく生きて行こうとする人々の有様に勇気付けられる。ああ、こんな男にもっと長く知事をやらせりゃよかったものを、東京都民よ正気か?」

いつか王子駅で(?)
「堀江敏幸の小説。随分凝った作品で、やや作者の自己陶酔を感じた。」

飼育(?)
「大江健三郎の小説。ずいぶん昔に読んだことがあったのを思い出した。しかしこの人の文章って本当に読みにくい。本作はまだ読みやすいけれど、時々、新聞に書いている文章など読む気が失せる。ドストエフスキーなどの影響がきっと大きいのだろう(「書記」なんて人物[役人]を登場させるところにも、そういう側面が表れている)けれど、ドストエフスキーの方がもっと読みやすいというか熱中して読ませるよなあ、たとえ翻訳であっても。」

或る「小倉日記」伝(***)
「松本清張の小説。これも昔読んだことがあった気がする。整然とした文章が良い。」

アメリカン・スクール
「小島信夫の小説。戦後(占領中)の日本の屈辱...か。進駐軍の時代は、色んな人が色んな方法で表現している特別な時代だ。だが、60年経っても...あんまり変わってないじゃん。」

時が滲む朝(*)
「楊逸の小説。ジャ・ジャンクーの映画のような作品...か。」

苦役列車(*)
「西村賢太の小説。読みやすかったけれど、この古風な文体は必要だったのか?もっともっと怨念を!逆恨みを!呪詛を!」

ハイドラ(*****〜***)
「金原 ひとみの小説。面白かった。金原にしては珍しく?放送禁止用語が一切使用されていなかった。金原作品はいつも、いじらしい程懸命に生きるよすがを模索し空を掻きむしる、少なくとも今のところ若い女の、有様が描かれていて切ない。ただ本作に関して言えば、この終わり方はかえって平凡に感じてしまった。」

平成ジレンマ(***〜*****)
「なんと戸塚ヨットスクールは現存する。次から次へと問題を背負い込む戸塚校長。彼は彼なりに正面から教育に取組んでいたのだ。彼にも正しい部分がある。なぜなら教育に正解はないからだ。だが、彼もまたロマンチストに過ぎないのではないか。」

アッシュベイビー(*****〜***)
「金原 ひとみの小説。面白かったが、まだ、作為的に極端に表現して度肝抜いてやる、的下心が見え過ぎている側面も否定できない、特に終盤。」

アムリタ(***)
「吉本ばななの小説。ややスッ飛ばしながら読んだものの面白かった。オカルトじみた話を、できるだけそういう方向にもっていかずに表現しようとしている。」

アンチクライスト(☆☆☆☆☆)
「ラース・フォン・トリアー監督作品。もう、冒頭画面から100%大好きだ。あまりに美しくあまりに官能的ではないか。人間の弱さを、ただ弱さだけをほんの少しだけ描いているのだ。残念なのは愚かで悲しく恥ずべきボカシ。映画人だからこそシャルロットは◯○○○まで晒して演じているのだ。◯○○○が、表現していること、が、ちゃんとあるのだ。それをボカしてしまう行為こそが、シャルロットを穢していると気付け!我々は、しっかとこの目で◯○○○を直視すべきなのに...。ま、終盤にシャルロットがしごくモノは作り物だろうし、アップのシーンもシャルロットらのモノであるかどうかは分からないのだけれど、仮にモノ代役がいたとしてもだ。この年のパルムはミヒャエル・ハネケに与えられているが、自分的には断然コッチであるが、カンヌは気取るところがあるから嫌われたのかもしれない。ラース・フォン・トリアーはしかし息切れ・ネタ切れしないのだろうか、これからも悪意毒気をフルに発揮してもらいたいものだが彼にとって無用の心配だろう。」

死なない子供、荒川修作
「実は荒川の『養老〜』も『奈義町の〜』も行ったことがある。しかし荒川が話しているのを聞いたのは本作が初めてであったのだが、声を聞いてようやく少し理解できたような気がする。いや『養老〜』の意味などではなく、荒川という人がだ。つまり、やっぱり紙一重の位置に存在するのだろう。」

アブラクサスの祭

オートフィクション(☆☆☆☆☆)
「金原 ひとみの小説。面白かった。」

しあわせの雨傘(***)
「フランソワ・オゾン監督作品。カトリーヌ・ドヌーブが腕を上げた瞬間、脇の下の汗染みが見えてしまった.....さすがにこれはOKじゃないだろうフランソワ・オゾンよ...だってファンタジーから突然、現実(カトリーヌ・ドヌーブと言えども加齢臭から逃れられないというリアル)に引き戻されてしまったんだから。」

AMEBIC(☆☆☆☆☆)
「金原 ひとみの小説。面白かった。」

飢餓海峡

コタンの口笛
「どちらかというとアイヌ系の顔の自分としては捨て置けぬ問題だが.......。」

ホームレス中学生

チェ28歳の革命

チェ39歳別れの手紙

赤頭巾ちゃん気をつけて
「庄司薫の小説。最初は真面目に読んでいたのだが飽きてきて、以降すっ飛ばして読んだ(というより見た)ので、読んだうちに入らないが...。」

海炭市叙景(***)
「相変わらず美しい絵だし面白かったのだが、今回の群像劇がうまく有機的に相互に影響し合って、一つの表現へと昇華されているとは思えなかった。当初、造船に関わる人々の様々なその後悲喜交々を描いていると思っていたがそうでもないようで、あくまで海炭市という街に生きる人々...という括りのようだ...なるほどそういう題だ。...今、公式サイトを覗いてみたら...最初の二人は兄妹だった!...うーん、それは分からん。何しろ最初の造船の男とガス屋の社長を同一人物と思ってしまったもんなあ。だってそうでなかったら、あの長い長いタイトルが出るまでのイントロがあまりに思わせぶりだよ。造船所のニュース映像がしばしば流れているしなあ...。本作の欠点は、たぶん、時代性が表現されていないことだ。ここに描かれているのは、社会的にどのような動きがあった時代なのか?ということだ。本作が最終的に描かなければならないのは、その一点であるはずなのにそれが描けていないこと。たとえば舞台が少し前の中国だったら...たとえば1970年代だったら...等々で見え方は随分違ってきただろう。なお原作があるようだ。」

豚の報い(***)
「又吉栄喜の小説。」

家族シネマ(***)
「柳美里の小説。」

海峡の光(***)
「辻仁成の小説。」

この人の閾
「保坂和志の小説。」

たまの映画(***)
「イカ天デビューの頃からのたまファンなので楽しめた。しかしドキュメンタリーとしてどうだったのか、と問われると、どうしてもバイアスのかかった目で観てしまっているだろうから冷静な判断はできないなあ。」

玄牝(*****)
「河瀬直美監督作品。自然分娩を扱う産婦人科に取材したドキュメンタリー。」

サマーウォーズ(*****〜☆☆☆☆☆)
「細田守監督作品。大変に面白く、よく出来たアニメーション。前作「時をかける少女」の時からもそうだが、宮崎や押井とは違う方向性の表現スタイルが爽やかで、ある意味、宮崎や押井をやぼったく感じさせる程。フルアニメーションではない?が、しっかりよく動いて見えるし、その動き方も、宮崎とはどことなく違うがメリハリが効いている。よく言われることだが、かつて動画を間引いてカクカクとぎこちない動きや紙芝居の如き長時間(って秒単位の話だが)の静止画を揶揄して生まれた「ジャパニメーション」という言葉だが、その、資金や人材・時間の不足を補うため生まれた苦肉の策をも表現としてしまい、現在では賞賛の言葉として用いられているジャパニメーションの、まさに決定版と言っても過言ではないだろう。(注:手塚治虫の名誉のために言っておくならば、手塚以前にアメリカ製のほとんど動かないアニメーションはたくさん存在していた) 3Dアニメーションが台頭している昨今だが、きちんと動画が描かれたアニメーションはやはり魅力的だ。ニュルニュル動くことではなく、きちんと止めることなのだろう。韓国や中国からの追い上げ厳しい漫画アニメーション業界だが、まだまだ日本のアニメーションも捨てた モンじゃないことを示す作品。ただ、それでも☆☆☆☆☆をつけられないのは、脚本に若干の弱さを感じるからだ。特に後半のクライマックスにかけては、結局「みんなで力を合わせて戦おう」的な使い古されたオチ着き方がツマラナイ。ん...でも...なんでマツダなんだ?」

ニライカナイからの手紙(*)
「もう始めからネタがバレちゃうわけだけれど、そもそもそういう題なわけだし、そのことを薄々感じながら「涙」のタイミングを待ちつつ観るのが正しい鑑賞法だ。だから最後に愁嘆場「涙涙の〜」がたっぷり用意されている。とは言え、セリフを最小限に抑えて言葉少なに語る手法(そもそも主人公がほとんどしゃべらない)は好ましい。郵便局とのタイアップ臭には辟易するけれど。」

アワ・ブリーフ・エタニティ
「文字で説明しちゃダメだろう、やっぱり。」

犀の角
「井土紀州監督作品であると同時に日本映画学校俳優科の卒業制作。にしても...井土紀州って照明とかレフ板とか使わないのか?」

土竜の祭
「井土紀州監督作品。確かにそんな事件があったような気がするが...アマチュア映画だよなあ。冒頭、賭けについてのセリフも説明的だし...どうせなら競艇場や競輪場付近でオケラになったオッサン達に取材してドキュメンタリーでも作ればいいのに。あるいはそうでないならば、潔くピンク映画にしておくべきで、それなら案外面白かったかも。」

泥の惑星
「井土紀州監督作品。なんだけれど、どうしても井土紀州に対して変なレッテル(社会派?)を貼付けてしまっているため、こういうことをやってもなんだかガラじゃないじゃん...という偏見が拭えなくて...だってこれじゃあ岩井や園の下手な真似。もっとも本作は、日本映画学校俳優科の卒業制作(演技)のために作られた?ようで、そういう意味では井土の本意ではなかったのかもしれないが。」

ハーヴェイ・ミルク(***)

虎の尾を踏む男たち
「黒澤明作品。オールスタジオ撮影...か?森林風景がよく作ってある。そういや前に観たことあったか。」

号泣する準備はできていた
「江國香織の表題作含む短編集。だが、あまりに短か過ぎて...最初の2〜3編と表題作だけ読んで、あとは読む気がしなかった。」

白いリボン(☆☆☆☆☆)
「ミヒャエル・ハネケ作品を色々観てきたけれど、作品の調子からすれば『カフカの城』に近い作風に感じるのは、舞台が現代では(って20世紀の話だけれど)ないことと、モノクロ映像のせいだろう、さらに教師による昔語りにしている手法も見逃せない。もちろんわざとそうしているわけで、そのおかげで痛さや切迫感・切実さが幾分薄らいでおり、いわゆるミヒャエル・ハネケ節からすれば、少しソフト。未だ19世紀的文化風俗の残る20世紀初め、つまり現代の入口における、特に家長たる父性の様に重きを置いて描いているように感じた。いくつか身分の異なる家長が登場するが、いずれも大声で怒鳴り、妻や子供達に命令し否応無く従わせようとする。在りもしない権威にすがりつこうとするその有様は滑稽だが、与えられた場所で生きて行くために必要な人間らしい行為でもあったのだろう。しかし、うーん、面白かったから☆☆☆☆☆なのだが、その面白さって、ちょっと別種の気がする。本作では、昔語りによって淡々と出来事が描写されていく(いや、いつでもミヒャエル・ハネケは淡々としている)わけだが、何れの登場人物にも深入りせず距離を置いて描写している。それは勿論、大戦前夜の様子有様空気そのものを描いて行こうという意図なのかもしれないし、だからこそ物語にミステリーじみた側面があろうとも、まるでデヴッド・リンチのように謎解きなどしないわけだが、なんというか、自分の好みから言えば、やはり人間の掘り下げ人間表現・描写が、もっとなされていて欲しかった。と書いてしまうと人間描写が無いように聞こえてしまうが決してそうでもないのだが.....結局やっぱりミヒャエル・ハネケらしいのは、自分の意見を積極的に言わないことだ。その時の状態・様子を、できるだけその時らしく表現すること、が最大目的のような気がする。その時が、惨殺シーンであろうと大戦前夜であろうと。」

酔いがさめたら、うちに帰ろう。
「演出方法がずいぶん古臭く、表現として出来ておらず、ただストーリーを追いかけているだけ。」

優しいサヨクのための嬉遊曲
「島田雅彦の小説。何故だか面白く読むことができなかった。島田に、『とうに死に絶えた我国における熱病のような左翼の残滓みたいなものの怨念みたいなもの』が、どうしても描きたかったんだー、1980年代バブルの上り坂を駆け上がるジャパンにおける今!みたいな怨念みたいなものが、なんだか感じられなかった。まして、世界第二の経済大国にのし上がった共産国家を横目にしてはなおさら。ただし、本作は島田が学生時代に書いたものである。そういう意味ではやはり凄いと言わざるを得ないが、ならばなおさら、その若さ故のメッセージをぶつけて欲しかった...政治に、あるいは社会に、あるいは世界にだ。『カプセルの中の桃太郎』も同様。」

トマジーニ
Dsc01875
フレーム:Tommasini Sintesi 54 レモンイエロー
フォーク:Tommasini Air
エルゴレバー:Centaur10s
F&Rディレーラー:Centaur10s
クランク:Record 172.5mm/53-39 10s
BB:Chorus
F&Rブレーキ:Chorus
ハンドル:NITTO M190Euro80(420)
ステム:NITTO Pearl90
ヘッドセット:Record
シートピラー:NITTO S65(27.2)
サドル:selle ITALIA SLR GEL FLOW
ハブ:Centaur
リム:MAVIC OPEN PRO
スポーク:HOSHI
スプロケ:Centaur10s
タイヤ:MICHELIN LITHION 2
チューブ:Vittoria

2010年3月19日 (金)

未確認尾行物体(***)
「表題短編集で、表題作以外に『ビデオ・イコン』『エイズ友の会』『ウイルスの奇跡』が収録されているが、これらは連続した物語となっている島田雅彦の小説。面白かった。文体も(以前から)好きだ。終わり方は、もうちょっと他になかったのだろうか。」

待望の短編集は忘却の彼方に
「中原昌也の小説で、表題作と同名の短編集に収録されている。のだが、なんとなく、こういう方向性なら、やはり町田康が優れているなあ。他作品も読む気がしなかった。」

都市生活
「池澤夏樹の小説で、『きみのためのバラ』という短編集に収録されている一本。残りを全部読む気がなくなってしまった。」

はんなり
「京都の芸・舞妓の世界を描いたドキュメンタリー。プロジェクター上映のせいだけではないだろうどぎつい色の映像はアメリカ人好みか?音楽もギャンギャンうるさい。残念ながらテレビドキュメンタリーなみの出来。それに芸・舞妓の世界を、伝統文化とか芸術とか美という切り口だけで描いているのも×。必ずしも、喜んでその世界に入る者ばかりではないはずで、例えば溝口健二の祇園囃子などでも描かれているではないか。結局、京都流慇懃無礼なもてなしに、取材スタッフがまんまとしてやられたのだ。そう簡単に奥の奥まで見せしまへんで、というわけだ。」

バッド・ルーテナント
「ほんとにヴェルナー・ヘルツォーク?しかもリメイク?」

聖水(***)
「松浦寿輝の小説。町田とは真逆に、最も正統な真っ当な文学とでも言おうか、奇をてらうことなく表現に凝ることなく、言葉一語一語を磨き積み上げて重厚な人間ドラマを描いている。テーマも魅力的だし読んで面白い。なのに***としたのは、そのあまりに正統真面目完璧過ぎて癖とか個性とかどこか崩れた部分が見当たらないからかもしれない。磨かれた一語一句だが、それをじっくり鑑賞する気になれず、読み終わることを急ぐ読書になってしまった。この作品自体が、やや、直木賞あるいはアカデミー賞か?(メリル・ストリープあたりが奥さん役で)にも近いところに位置しているようにも感じたからだろう。」

きれぎれ(***〜*****)
「町田康の小説。町田の小説は初めて読んだが、それが原作となった映画は観ていたことを後から知ってなりほどと感じさせられた。確かに魅力的な素材だ。テリー・ギリアムでも、これなら撮りたいと感じるだろう。」

バード★シット(☆☆☆☆☆〜*****)
「1970年のロバートアルトマン監督作。途中、カーチェイスのシーンがさすがに長いなあとは感じたけれど、やっぱりオモロイなあ。もう少しお色気が濃くてもよかった。」

ヘヴン(☆☆☆☆☆)
「川上未映子の小説。中学校におけるその問題を、斜に構えることなく逃げることなく、また単なる状況描写に終わることなく、さらには『書く』ためのネタとするためだけではなく、正面からその問題を受け止め、川上なりに考察し結論を導き出し、コジマや百瀬というキャラクターに語らせることによって、その問題を表現している。日本人にとって(いや外国でも似たような問題があるのかどうか知らないが、日本人『の特に小中高校生』)にとって、その問題は、どうやって消し去ろうとしても不可能な、陰湿で根源的な問題だ。なぜ?という疑問は、ロンパリとあだ名される主人公が、精一杯力を振り絞って言う言葉と重なる。なぜ?こんな簡単なことが(つまりそんな問題が起きないようにするという本当に簡単な『はず』のことが)できないんだ?それは川上の叫びでもある、何故?と。その川上の問いに、川上自身が、百瀬という形を借りて答えている....解決不能と。いや、それは特段『問題』ですらないのだと。しかしさらに考えてみるのだ、何故?と...するとやはりコジマのように、宗教的な方向性しかないのだとも示唆している。中学生の微妙な問題という意味では、ちょっと岩井俊二っぽいか。」

青ほおずき(***)
「津村節子の自選短編集ということらしい。ちょっと古い感じの文体だが、きちんと描写されていて隙がない。ただ、なんとなく全部読まずに(図書館に)返却してしまった。7作中最初の2作しか読んでいないのだが、残りの作品をパラパラっと流し見してみて感じるのは、いずれも従属せざるを得ない立場としての『女』がテーマであり....。」

アヒルの子(*****)
「小野さやかという、まだ二十歳の女性監督第1回作品で、自らが主演しているドキュメンタリー。河瀬直美が自分の出生について家族親戚を巡りながらそれを解き明かしたように、あるいはまるで『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三よろしく、小野は5歳の自分を見つけ出すため、また小学生の頃の傷をえぐり出すため全てをさらけ出し感情のまま家族にぶつかっていく。河瀬がそうであるように、小野もまた、カメラの前で高ぶる感情を隠しもせず家族を責め詰問する。そのとき確かに『しめた、これで撮れる!』という打算も内心あるだろう、カメラの前で全裸になったり、両親の前で自分に刃物を突き付ける時もまた、ある面では『演じて』もいるだろう、なにより感情のまま泣きじゃくる有様を、別の(映画監督の)自分がきっと上空から客観的に眺めているに違いない(河瀬が自分の出産シーンの時カメラのアングルに注文を付けたように)だがそれでいい。そのたくましさが彼女を映画監督たらしめているのだ。実際しょっちゅう泣きじゃくる小野の粘着質グチャグチャさに反して作品は実に丁寧に、むしろアッサリ過ぎるくらいできちんと教科書的に構成されていてもの足らないくらいなのだ。作品そのものに、もっと粘着質ネバネバな感じが表現され、つまりもっと人間が表現されたならば☆☆☆☆☆だった。この作品を観てすぐ『これは面白い!』と感じつつも最高点でないのはそういうことだ。結局、作品を貫いている根幹が、どこか子供じみた、ある面では小野自身の性格に起因する部分、なかば我侭な感情でしかないところに底の浅さ、今ひとつお腹に『ドン!』と来ない原因があるんだろう。泣きじゃくる自分を撮ることで満足してしまい、つまり最後まで『子供』としての自分という立場から離れられなかったのだ。それにしても、エンドロールを見てああなるほど、製作総指揮原一男....にしても、楽しみな新人なのだ。」

バグズ・ワールド(***)
「白アリやその他のアリンコを撮ったいわゆるネイチャー物。まるでCGのように、実によく撮影しているが、効果音やりすぎだ。撮影のためにアリ塚に穴を開けたりしていることだろうけれど、どこまで人工的に演出をしないでいるのかは不明。女王アリには紫の照明を当てているし、落雷による火災も本当に偶然か?...邦題は『壮絶悶絶、白黒ショー』でもよかったんじゃ...。」

蛇にピアス
「映画化されたことで、原作の欠点みたいなものが見えたような気がする。」

ロバと女王
「ツッコミ所が多すぎて...。」

八月の路上に捨てる(***)
「伊藤たかみの小説。」

貝からみる風景(***)
「伊藤たかみの小説。」

乙女の密告
「赤染晶子の小説。自分の鑑賞力が足らないのか?とにかく何も感じることができなかった。現代の女子大生とアンネ・フランクを重ね合わせるなんて、どうひっくり返っても想像できへんねん。そりゃあ嫉妬や妬み恨み嫉みあるだろうけれど、女子大生が教授の研究室に入っただけで何が問題なのか?その上麗子様だのなんだのと、ああ、頭の中のお蝶夫人の金髪の巻き毛のイメージが消えない...さしずめヒロインは岡ひろみか。もちろんそういう戯画的描写と生死を賭けていた者達を意図的に対比させているのだろうけれど、戯画的描写にリアリティーがなければダメなんじゃないのか?せめて女子大生ではなく中学生くらいなら、もう少し真実味があったんじゃないのかと思う。アンネと同年代だし。」

ひとり日和(*****)
「青山七恵の小説。車窓からぼんやり風景を眺めていると、線路沿いには夥しい数の家があり時には家の窓から室内を伺うことさえでき「ああ、全ての家中ではそれぞれに人生があるのだろうな。」などと感じることがままある。きっと青山は、そういう感情をきっかけにこの作品を書いたのではないのか?。それぞれの家の中ではそれぞれに、決して思うようには運ばない人生を、否、こうでありたいという特別なイメージなど持たずただ流されるまま霊長類として生きている人類がいる。夢とか生き甲斐とか、そういうものを持って意欲的に意識的に生きなければならないのが人生ではなかったのだ。」

ここにおるんじゃけえ(*****)

介護入門(☆☆☆☆☆)
「モブ・ノリオの小説。この人の文体が好きだ。読んでいて、自然に大声(心の中で)になっている。まるで機動隊に制圧されることを承知で立ち向かい喉枯れるまで叫び続ける青春のシュプレヒコール。いや、そんな生易しいものではないけれど、現実を直視することを避けたがるマアマアナアナア日本人の現実を、中指立てて見せつけるYO ブラザー これがジャパンの プロブレムさ。」

ウルトラヘヴン(☆☆☆☆☆)
「小池桂一の漫画。とにかく誰かこれを英訳してテリー・ギリアムに送りつけなさい。」

あなたがすきですだいすきです
「大木裕之監督作品。実際に男性どうしでもそういう純な感情があるのだろう。しかしその切ない気持が伝わるような表現になっていないと思う。」

馬小屋の乙女
「阿部和重の小説。この人は、こういう終わり方が好きなんだろう。」

新宿ヨドバシカメラ
「阿部和重の小説。ある意味では一番好きかも。」

20世紀
「阿部和重の小説。」

グランドフィナーレ(***)
「阿部和重の小説。まあ面白かったが文体はあまり好きではない。なんとなく映画っぽい作品だなあと感じていたら、やはり元々そちら方面の人のようだ。しかしこの作品は、直木賞の方がふさわしいような気もする。阿部に、どうしてもこのテーマが描きたかった、このテーマでなければならない怨念のようなものが感じられないのだ。」

三百七十五年目の春風
「青原さとし監督作品。」

終の住処
「磯崎憲一郎の小説。定義がどうのと偉そうな事を書いてはみても、実はどんな小説でも定義付けできるほどの読書量を持たないのだ。特に現代文学はほとんど読んでいないため今慌てて読んでいる始末。従って.....本作もどれどれの類型に当てはまる表現だ、などと偉そうに断言できない。一人の男の後半生を描いてはいるのだがよく分からない。」

ペナント
「磯崎憲一郎の小説。スティーブン・キングなんか思い出したけれど的外れなんだろうな。」

ターチ・トリップ
「大木裕之監督作品。さすがに早送りしてしまった。」

蛇を踏む
「断っておくが、どんな小説でも映画でも、事前にそれがどんなタイプの作品・作風であるかを知ってから鑑賞することを好まない。予告篇やら何やらで、どうしても入ってくる情報があるから仕方がないけれど、できるだけ素の状態で体験したいではないか。そして自分で定義するのが面白いのだ。....というようなことを開口一番書いてしまうほどに、川上弘美には面食らった。最初は、これは芥川龍之介風か?と思い、次にカフカなどのシュールかと思った、さらにこれはテリー・ギリアムが映画化すればいいじゃん!と思い、最後にこれはそうか、諸星大二郎なんだと定義付けた。その思いは『消える』・『惜夜記』を、ちゃんと読まずに流し見していっそう強くなった。いずれにしても、読みながらその映像を『すごく頑張って』思い浮かべながら鑑賞しなければいけないタイプの作品で、テリー・ギリアムにしろ諸星大二郎にしろ、それをそれぞれのクリエイティビティによって映像化してくれたものを鑑賞するのと違いひどく疲れる。」

タンポポと流星(***)
「大道珠貴の小説。少なくともこの3編を読む限りにおいてであるが....この人の描く主人公は、自分よりも大きな力で支配・束縛され、自らの意思で進路を切り開いて(ある意味ではその状況を自ら望んで安住して)出て行こうとしない。人間は誰もが積極的で生き生きと前向きであるはずがないではないか。流されるまま、なすがままにしか生きていけない者もいるのだ。だからセックスさえ積極的になれず、自らはただの穴と化し、ただ相手が果てるのを待つだけなのだ。大道の小説はだから、ちょっと不愉快な側面もあるがどこか引っ掛かりがあって、ねちっこく後を引くのだ。例えばラース・フォン・トリアーのように。そう思って『しょっぱいドライブ』を思い出してみると案外悪くないのかも。」

富士額(**)
「大道珠貴の小説。」

しょっぱいドライブ(**)
「大道珠貴の小説。うーんさすがにその関係が想像を絶すると言うか...そういう関係を、主人公が受け入れるに到った心理が、とつとつと描かれてはいるものの、じゅうぶんではないように感じるのは想像力不足なんだろうか。」

たまあそび
「大木裕之監督作品。...早送りせず観た、ということは、それなりに面白かったということか。監督自身がそうなのかどうか知らないが、男どうしの同性愛を描いている。表現したいという熱い思いは伝わるものの、まだまだ稚拙である。表現が何もできていない、と言っても過言ではない。なぜならギュギュっと感じないから。」

心の中
「大木裕之監督作品。今ちょっと調べたら....イメージフォーラム系の人ですか、ああそうですか。だからちょっと波長が合ったのか...早送りせず観た。男どうしの同性愛を描いている。」

ミックマック(*****〜***)
「ジャン=ピエール・ジュネ作品。アメリカ映画とは違う陰あるけれど...面白過ぎるのが欠点。」

イッツ・オンリー・トーク(***)
「絲山秋子の小説。この人は、男女間の友情みたいなものを描きたいのかなあ。」

第七障害(**)
「絲山秋子の小説。」

佐川君からの手紙(?)
「唐十郎の小説。これは映画に例えればアラン・レネかなあ。唐十郎の芝居を観たことが無いので何とも言えないが、きっとこういう感じなんだろうか?(唐十郎のドキュメンタリーは観たことがあるけれど)。」

蛇にピアス(***〜*****)
「金原ひとみの小説。ショッキングな出来事を描いてはいるが、作文的な側面からはごくノーマル。ヒロインはじめ今の10台の先進国の若者達が、何に生き甲斐を求めてよいかわからず彷徨って、結局、セックスやドラッグや死などの刹那的状況しか、それを感じることができなくなってしまっているんだよ、というところまで金原が言おうとしているかどうかは分からないが、結果として例えばハーモニー・コリンなどに近い世界が描かれてはいるように感じた。明日食べる物が無いという時、明日生きていられるかどうか分からないという時、ピアスなんかしている暇はないのだから。だがその責任が、豊かさに甘えることしかできない現代の若者にあるということではない。生きるために生きる...という生命の本質を忘れ(物量的豊かさ・娯楽・快楽のために生きる)人類に与えられた、これが原罪(アダムのリンゴか?)なんだろう。」

沖で待つ(***〜*****)
「絲山秋子の小説。主人公が衛生設備機器の会社に勤務していてライバル会社のお膝元である福岡支社に転勤、とあることからイナックスであることがわかるが、絲山自身イナックスに勤めていたことがあるようだ。」

勤労感謝の日(*****)
「絲山秋子の小説。絲山が描く主人公って好きだ。」

風に舞いあがるビニールシート(***)
「森絵都の小説で表題作他短編集。本の帯に大きく書かれてあった『直木賞』という言葉にインプリントされなかったと言えば嘘になるかもしれない。もともと芥川賞と直木賞の区別が、本当にどの程度意味をなすものなのか、意図的に読み比べて調べたこともないのだから偉そうなことなど言えない。だが、本作を読んでやはりどこか依って立つ何かが違うことが感じられた。さすがに森絵都は抜群に文章がうまい。またしっかりとした調査・下準備に基づいて作文され勝手気侭な創作だけではないこともウムムとうならさせられる。人間のネガティブな側面を見せつけながらもラストにホッと暖かみを灯すやりかたも、ただ『ダメダメ』を言うだけではない懐の広さみたいなものも感じさせ嬉しくなる。だがそういった全てのことが、やはり直木賞作家。それが良い悪いではなくて好みの問題。加えてどうしても短編だからか、冒頭まずグッと客をつかむやりかたも、テレビ的と言えなくもない。」

不戦勝(**)
「1965年、自らも出演したイエジー・スコリモフスキ第二作。ゴダールをはじめとするいわゆるヌーヴェルヴァーグからの影響が少なくないことは言うもでもないことか。」

カフカの城(**)
「カフカの未完の作品をテレビ用に映画化したもののようで、なんと『ファニーゲーム』と同じ年に作られている。ミャヒャエル・ハネケがカフカを映像化したということが、ミャヒャエル・ハネケを理解するやはり一助となる。つまりミャヒャエル・ハネケはやっぱり、不条理な状況というものが好きなんだろう。何の罪も責任もない者が目に見えぬ大きな力(例えば絶対的な暴力)に翻弄される様、そのとき人は本音・本能をむき出しにする。その時の有様を描く事が、だから人間描写になるのだ、と。」

モダン・ライフ(**)
「しかし相当変わったモン好き・この手のモン好きの自分でも少々退屈を感じてしまったが、レイモン・ドゥパルドン監督とはフランスのドキュメンタリーの巨匠でマグナム・フォトに所属するジャーナリストでロバート・キャパ賞を受賞しているそうだ。そういう前提で観なければならないっていうのもアレだがしかし、この作品をよくも配給してくれたよ、イメージフォーラムか?その上この作品をよくも上映してくれたよ、しかもメインで、いつもの館よ。で、またそんな作品をよくものこのこと観にいったよなあ、オレも。たぶん写真で見た方がいいのだこの作品は。その方がなにかがもっと滲み出る。」

猛スピードで母は(*****〜☆☆☆☆☆)
「長嶋有の小説。小学6年生の慎が語る母の物語。時々アメリカ映画なんかで観る母子家庭での母の奮闘思うようにいかない生活悲喜交々(こもごも)。クライマックスにかけてぐっと来る巧みさ。」

サイドカーに犬(***)
「映画化されたものを先に観ていたら、これも長嶋有の小説だった。なるほど映画は原作に忠実に作ってあったようだ。」

身分証明書(**)
「1964年、自らも出演したイエジー・スコリモフスキのデビュー作らしい。」

ポトスライムの舟(☆☆☆☆☆)
「津村記久子の小説。これは『水』の小説だ、いやもちろん『水』をテーマに描いているわけではないが、『ローズ・イン・タイドランド』が『乾燥』の作品だとすれば、こっちは『水』ということで、あらゆる場面で水が重要な役割を果たしている。主人公ナガセはだからまるで金魚のように、パクパクと水中で何か拠り所を求め右往左往する。そして大切な『水』が途切れがちになった時、乾いた咳が出始める。『乳と卵』ではいささか気に障った関西弁も本作では優しい。ああ、小市民ナガセの小さな焦燥。ああ、日本人ナガセのささやかな暮らし。ああ、ナガセがクライマックスに自転車を駆ってゆるゆるとペダルを漕ぎ風を切る。ああ、ナガセが、アウトリガーカヌーに乗って大洋を漂う夢のシーンの清々しいこと。」

ベニーズ・ビデオ(***)
「ミヒャエル・ハネケの第2作。」

ノルウェイの森
「村上春樹の小説を初めて読んでしまった、が、なんだコレは?まるでハードボイルド小説を読んでいるような気分にさせられた...いや...ハードボイルド小説なんか読んだことないけどな(谷口ジローは好きだが)。あるいはなんだか高校生が自分を主人公に妄想しながら書いた小説のよう。あるいは、どこかで誰かが書いていたけれど、まるで外国文学を翻訳したような、うざったい文章。性器や自慰行為のことを英語(ドイツ語)で書くやりかたもわざとらしい。ビートルズナンバーを下敷きにするやり口もいやらしい。主人公が『僕』『僕』と言う度に村上春樹のツラが思い浮かんでこれまた....。それに、どこかバブルのトレンディードラマの匂いが感じられるなあと思っていたら、作者あとがきが1987年とあった、リゾート法が制定された年だ。いずれにしても、気取っていて飾っていて...自分の読みたい作品ではなかった。
何故ハードボイルド小説調ではダメなのか?繰り返すが谷口ジローは大好きだ。ハードボイルドとは、ハードボイルドという形式(様式と言ってもいい、あるいは美学と言ってもいい)に則ってヒロイズムに酔うことである。だからその世界では暴力団や暴力さえ美しく描かれるのだ(谷口ジローの黒崎のように)。ハードボイルド小説は、そのジャンルの中に安住し、そのスタイルに則った美学によって読者を酔わせ読者の期待に応えるべくして書かれた娯楽小説だ。しかるに本作は、そのスタイルに則りながら、ヘッセやサリンジャーを引き合いに出して純文学風を気取っていることに不愉快を感じるのだ。思い出を必要以上に美化し(性的行為や病気・死さえ美化している)その思い出に酔うために描かれている(ように感じる)から不愉快なのだ。そもそも冒頭、機内のシーンから『オエーッ!』自己憐憫に自己陶酔!なーにが『ダイジョウブ、ボク、少し悲しくなっただけ』じゃ!そんなモン、ただの感傷じゃ!」

ローズ・イン・タイドランド(☆☆☆☆☆)
「うーむ、一向に衰えを見せないテリー・ギリアム。だがこれはきっと原作があるな、それもバロウズとかケルアックとかギンズバーグとかあのあたり(ビートニク)の作家に違いない、と調べてみるとミッチ・カリンという比較的新しい作家の小説『タイドランド=干潟』が原作であった。アメリカ南部出身で日本の小説贔屓で来日したこともあるようだ。処女作が1999年の『ウォンピィジョード』ということだから、本当に最近の作家であることがわかる。さて、テリー・ギリアムはその原作を、スタイルで言えば『ラスベガスをやっつけろ』調の表現で、CGも控えめにしながら、いかんなくその表現力を発揮している。あらゆる物事が通常ではいられないような世界=タイドランドとは、一切の『情』の無い世界と言うことなんだろうか。『情の無い世界』とは現実の『世界』のことだ。グローバリズムによって世界はますます乾ききっている。穀物メジャーが小麦やトウモロコシを牛耳り、地球全体の財産である水を勝手にボトルに詰めて売り、ハゲタカファンドは他国の経済を破壊しながら利潤を上げて行く。勝者と敗者が明確に区別され、搾取する側とされる側という構図の中でアリンコのようにうごめく生身の人間は、だからもう、その現実から逃避するしか方法がないのだ。だからこそ本作には一度も雨が降らない。徹底的に乾かしてある。ディキンズの小便さえ、その黄色い液体は映されないし、したのかどうかも分からない。一度だけ、デルに振る舞われた食事でさえ、ローズは粉っぽいケーキのようなものにかじりつくだけではないか。本作に唯一の潤いは、スプーンの上でライターで熱せられて液状化しシリンダーに納められたヘロイン(と一滴のローズの血)だけなのだ。(ラストに小さなフルーツが出てくるが)上映コードの問題(あくまでファンタジーというカテゴリーに属しているため)からか原作がそうだからか分からないが、性からは切り離されていたことが、この乾ききった世界で唯一の『情』ではあったが、そこまでも土足で踏み込んでもらいたかった気持も心の奥底では、あるのだ。だって現実に、小児性愛の欲望を満たすため、札束の力で陵辱する奴らがいるだろう。」

夢を与える(***)
「綿谷りさの小説で、とても面白かった。特にラストにかけてのクライマックスはぐぐっと読ませ、ドラマとしてよく描けているのだ。だが、面白いと感じながらも、どこか腑に落ちない感じがして***。綿谷が描きたかったことは、この題に集約されている。小学生の頃のヒロインが言う『夢を与えるって言葉は変だ、夢を米に置き換えてみればそのことがよくわかる。とても傲慢な言い方なのだ』と。確かにその通りで、しかしそれ『夢を与えたり与えられたりすること』に躍起になっている我々は一体何なのだ?というようなことを、作品を通じて問い掛け、できれば答えを導き出したかったのではなかったのだろうか?ところが本作が、ドラマとしてよく描けてしまったがために、かえってその問い掛けから遠ざかってしまったような気がする。ヒロインの出生そのものが、彼女の母の『夢を見続けたい』がための策略からだったとしても。」

フランドル(***)
「あの、ブリュノ・デュモンの第4作をやっと観た。これは2005年作品だから描かれているのはイラク戦争と考えて間違いないだろう。ブリュノ・デュモンが戦争を描いたこと自体が驚きだが、当時、世界貿易センタービルの衝撃的テロから始まったブッシュのそしてアメリカの戦争が、やはり彼の表現に大きな影響を与えたのだ。だが例え戦争を描こうとも、さすがにブリュノ・デュモンの映画にきちんとなっている。なってはいるが、しかしどこかシンプルでなく、『ジーザスの日々』や『ユマニテ』で見せた、あくまで肉塊そのものとしての人間を見つめる(それのみに徹し、それを良いとも悪いとも言わない、ただ人間とはそうなんだよ、と提示する)眼差しは、確かにあるものの(フランドル地方での描写特に性交まさにセックスと言うより交尾と言った方が正確なシーン)、しかし戦争というテーマがのっかることによって、その構図が分かりやすくはなったものの、かえって彼の表現から遠ざかってしまったような感じがするのだ。『ユマニテ』が究極の結論を導き出してしまったために、それに戦争をのっけても蛇足にしか感じられないのだ。ブリュノ・デュモンが戦争を描くことに決して長けていないこともあり、戦場での行動が、まるで夢の中の出来事であるかのようにリアリティーに欠けてしまったことも問題だし、納得の行かない話の流れに御都合主義をも感じてしまった。例えば戦場での描写は、レイプシーンだけに特化してもよかったのではないだろうか。極限状態で非人間的行為に及ぶ男達と暴力によって弄ばれた現地女性の性器を、横に転がった焼けこげてバーベキュー肉となった遺体とともにまざまざと描写すべきではなかったか。下半身をむき出しにした兵士達のペニスから精液が滴り落ちるのを表現すべきではなかったか。兵士の恋人の性器とともにだ。なお、当時既にフランスには徴兵制度はなく、またイラク戦争にも多国籍軍として参加していないようだから、やはりちょっと設定に無理を感じてしまうことはブリュノ・デュモンは当然、承知の上のことではあるのだろうし目くじらを立てることでもないのだろうけれど。」

アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち(***)
「マエストロという言葉は直訳すれば芸術家ということなんだろうけれど、この言葉のニュアンスには、ただの芸術家と言うよりもう少し親しみや愛情が感じられるのだ。例えば歌舞伎で〜屋と掛け声を掛ける感覚に近いか?。芸術家と職人の中間的なイメージか?とにかくそれを表現できる日本語が見当たらない。タンゴやシャンソンなど、その国を代表する音楽が存在するということは幸福なことだ。日本にそれに相当する音楽があるかと問われれば、残念ながら無いと言わざるを得ない。ただ、それに近い存在として沖縄音楽があるように感じるが、それを日本代表ですと言うのはあまりにおこがましい。」

ベルンの奇跡

乳と卵(*****)
「長ったらしい、関西弁で書かれた文章が最初(いや最後まで)煩わしい(技巧的であるが故に)のだが、(悔しくも)よく描かれている。」

電信柱エレミの恋(***)
「パペットアニメーション。よく出来ている。ちょっと「こうかくきどうたい」に似てない?あ、似てないね。」

ヒロシマピョンヤン 棄てられた被爆者
「幼児に入市被爆した在日朝鮮人で現在は北朝鮮に帰国し平壌在住の女性に取材したドキュメンタリー。作ったのは、いわゆる櫻井よしこさんなんかが敵視する左側ジャーナリスト。なので美しい北の映像しか写されない。取材された女性は幼い頃から民族教育を受け、若い頃(10台半ばか?)に親兄弟を残し一人帰国する。帰国後も平壌の大学で学び、思想的にはもうゴリゴリの状態なんだろう。暮らしは相当に裕福と思われる。....などということもあるけれど、こういった一つの事実もあるのだ。」


愛のむきだし(***)

「思えば初期の園は本当にシンプルだった。もちろんそれは予算諸々の事情によって、そうせざるならざるを得なかった側面もあっただろう。しかしだよ、この4時間で一体何を伝えたいんだよ!いや、もちろん、決して嫌いじゃなかったし、なによりふんだんなパンチラシーンにも満足だ、だがなあ。かつて痛い程感じられた園の焦燥が、はちきれんばかりの、それこそモッコリエネルギーが、今ちっとも感じられないんだよ。盗撮の話だけに絞ればよかったじゃんか。」

非女子図鑑(*)
「ちょっと面白かった。」

キャタピラー
「寺島効果と言おうかマスコミ効果と言おうか、とにかく満員御礼状態の劇場だが、本来、そんなに客が入る作品では決してなくて、本当だったらいつものJR線路沿いのさびれた館で掛かったはずだ。しかしまあ、他の若松孝二作品を観ずに言うのもナンだが、残念ながらこの人に表現力はない...と思う。だってちっとも面白くないんだもん。最大の見せ場であるはずの、四肢を失った夫との性行為表現も、ぜんぜんエロくないじゃん。全体としての安っぽい昼メロタッチもどうにかしてほしいが、それしかできないのだろう。いやだからこそ、客が入るのか?」

腐女子彼女
「前半は割と楽しんで観ていたのだが、あーあ、結局アチラ側の作品は当然か、角川映画。腐女子でなくとも女の独り暮らしはそんなに清潔ではなく、結構汚れていたり酸えた匂いがしたりするものだ。また当然行われているだろう性行為も表現されていない。」

ダニエラという女(*)
「映画の演出テクの一つとしてお芝居風に見せるやりかたが好きではあるけれど、話がデタラメ過ぎないか?」

僕の彼女はサイボーグ

ザ・コーヴ(**)
「マイケル・ムーアを下品にした感じ?。アメリカ製ドキュメンタリーらしく、しっかりと楽しませようとする作りで、テレビっぽい。勧善懲悪スタイルで一方的に描写され、地元の人々が面白くないのは当然だろう。どうしても、東洋人に対する蔑視とGMを駆逐したジャパンに対する憎しみと世界の警察であろうとする傲慢さと見るからに可愛らしい生物に対する愛情などがこんがらがって作られているようだ。」

インストール(***)
「こっちの方が先に書かれた作品か...綿谷りさの小説。そのせいかどうか、特異なシチュエーションを意識的に作り出そうとする作為が煩わしい。下記作品の方が、セックスのセの字も出ないのにそんな感情を描き出しているのに対して、本作では性風俗産業(と小学生というコントラスト)や下着まで描いていてかえってそれが感じられない。」

蹴りたい背中(☆☆☆☆☆)
「綿谷りさの小説。本当に、18〜9の小娘が書いた女子高生の話なのに、本当にオッサンの自分が、なぜこんなに心揺さぶられるのだろう。表現とはこういうことなのだ。ラスト、にな川の部屋で絹代の好奇心からファンシーケースを守り、さらにオリチャンに嫉妬したことを絹代に指摘されたハツの描写のくだりでは、本当に涙が出そうになったくらいだ。正直言って、「女ざかり」は終盤ほとんど読み飛ばしてたもんね。意思を書いたか意味を書いたか、表現したか説明したか、の違いだ。」

女ざかり
「1993年の丸谷才一の小説。筒井康隆が新聞での連載エッセイで「ただごとでない面白さ」と絶賛していたので読んだ...のだが。結論から言えば、丸谷はその恐ろしく豊かな教養によって下支えされた彼の書くエッセイは確かに示唆に富み優れて魅力あるが、いざそれが小説となると、随所次々とマシンガンのように吐露されるそれが、かえって嫌みに感じられ不愉快でもあった。10年に一度しか小説を書かないと言うが、それは書かないのではなく、書く事がないのではないか。表現者として何か、書きたくて書きたくてたまらない題材が、結局丸谷にはないのだ。ただ有り余る教養を掌に転がしもてあそびながら一本小説形式で長編エッセイを書きました...という具合でしかない。文学として突き詰めたい何か、表現したい何か、があるわけではない知の巨人の手慰みに付き合わされた不愉快感...だろうか。だから1993年というごく最近書かれた作品なのに、旧仮名遣いなどという面倒なことをして、体裁だけを整えようとする。結局、この作品に人間の描写というようなものはあまりないのだ。例えば書道家の孫娘の描写のあまりな手抜きステレオタイプときたら...え?先生、コレ冗談でしょー?と涙が出そうになる程だ。教養の巨人さしもの丸谷も、映画の趣味ではきっとハリウッド好みなんではないだろうか...と、想像させられてちょっと安心...などと他に丸谷の小説を読みもせず言うのもナンだが。」

ビルマVJ 消された革命(*****)

桃色のジャンヌ・ダルク(***)
「現代美術作家?増山麗奈に取材したドキュメンタリー、ただし一部再現映像あり。増山自身の個性が魅力溢れるにもかかわらず、ドキュメンタリーとしての作りが今イチ。そもそも再現映像なんて必要ないだろう。どうも日本のドキュメンタリーは、アメリカのそれと比較しても見劣りするのは、プロではなくアマチュアに近い者が作っている所為もあるだろう。それにしても増山の主張とパフォーマンスは、安全保障とかグローバリズムという言葉の巨人によって、ますます一見幼稚なものに貶めさせられるだろう。だが本当に正しいのは増山でなければならないのではないのか?」

祝の島(ほうりのしま)(***)
「上関原発予定地の島に取材したドキュメンタリー。ただ、賛成反対・国家と地域の軋轢などの描写より、過疎化して老人ばかりになった島の生活のスケッチに終始している。」

ナージャの村(*****)
「チェルノブイリ原発事故で汚染された小さな村に取材したドキュメンタリー。ここが本当に、放射線に汚染された場所なのか?あまりに美しくあまりに豊かな自然に満ちているのに。この作品が、日本人によって作られたことに誇りを感じる。」

息もできない(***)
「結論から言えば、息もできない程ではなかった。後半にはもう、煙草のシーンや『クソ野郎』というセリフ、そして暴力シーンに飽きてしまったのだ。構成というか全体の作りも、どこかあか抜けない昔風だし、終盤にオチが読めちゃったのもマズかろう。最近、ある映画祭に出品される作品に字幕を入れるボランティアをしたのだが、その時の韓国映画(監督はまだ本当に若かったはずだ)は、短編ではあったが、もっと流麗で研ぎすまされた切れ味だったのに比べても...である。主演男優が良いし、冒頭の衝撃的シーンも魅力なのだが、後が続かなかったのが残念。

フローズン・リバー(***)
「アメリカとカナダ国境の中間に、そういった先住民居留地があることなど知らなかった。なおかつそこが、ある程度治外法権的な特殊な場所と認められて?いて、さらにそのため密入国に利用されている事実まであるとは。アメリカ映画だが、なかなかの良作で、そうした社会問題を、主な登場人物を母親に設定することで、うまく見せている。豊かな国に済んでいても貧しい家族と、そこへ憧れ密入国しようとする者達さらに元から住んでいた土地を奪われた先住民族。もう一癖一個性あれば。」

夕凪の街 桜の国

コミック雑誌なんかいらない

おろしや国酔夢譚

ユキとニナ(*)
「前半はよかったけれど...。やっぱり日本の景観って醜い。いや、まさかとは思ってたんだけど、ひょっとして、フランスロケの監督と日本ロケの監督が別々なんじゃ...。」

ブラインドネス(***)
「ちょっとラース・フォントリアーを思わせる、極限状態に置かれた人間の内面性の暴露。面白い設定だし、そうなった時その環境がどう変化していくのか?などがよく表現されている。ただ、そこで起きる人間の行動表現が、ありきたりステレオタイプであるのがちょっと残念で、そのため、どこか漫画っぽいのだ。いや、それ(そういう場で人間が起こすステレオタイプな行動)はしかたがないことだとしても、その描写がシテレオタイプだということ。 なるほど『シティ・オブ・ゴッド』の監督。他にもいくつか作品があるようだから是非観たいものだ。」

ウィリアム・ケントリッジのアニメーション作品(☆☆☆☆☆)
「美術館でなく、映画館で観たかった。」

A君のイラストレーションには、良い意味での若者らしい青臭さが満ちている。本人はいたっておだやかで優しい性格だが、決して妥協したくない強い意思もまた心の奥底に秘めているのだ。若者はいつでも刃物のようにとんがって反発する。それは大人社会に対する反骨であり、大人が築き上げたルールに簡単に組する事への限りなき拘泥なのだ。本当を言えば「妥協」を許さず「黒いものは黒」と言い切る若者の純粋の方が正しい。「まあまあまあ」でお茶を濁す身過ぎ世過ぎの方法は、生きて行くためとはいえ、その代償として意地や誇りやイデオロギーや哲学を曲げざるを得ない場合も少なくない。それが許せないことが青春であり若さだ。例えばある時代には「長髪」が、ある時代には「パンク」がその象徴となったのだろう。しかして青春もいつか終わる。「さらば青春の光」のエースもまたベスパを捨ててベルボーイに転身した。だが負けるな、どうか真っ直ぐな心を失わず美しいままでいて欲しいと無責任に願うのだ。

エディット・ピアフ〜愛の讃歌(***)
「対象つまりエディット・ピアフに、意識的に近寄り過ぎず距離を置いての描写がよい。これが邦画でみそらひばりか誰かを描いたならば決してこうはならなかっただろう。そもそも自分が、エディット・ピアフのことを何も知らなかったことも好奏して、伝記物によくあるエピソードの羅列感を感じることもなかった。音楽も、もっと聞かせてよ、と思うくらい控えめで、ラストにやっと満足させるのも上手い手だ。」

猫と庄造と二人のをんな (***)
「1956年、豊田四郎監督作品。途中までは、人物描写のユーモアに生き生きとした魅力を感じていた。だが終盤、やはり谷崎らしいというのだろうか、倒錯的なニュアンスを持たせた帰結がちょっと好きになれない。」

倫敦から来た男(*****)
「一応*****にしておくのは、タル・ベーラだから。しかしタル・ベーラ作品で観たのは(と言うよりも日本で観ることができるのが)他に「ヴェルクマイスター〜」のみ?なので?断言するのは早計だが、タル・ベーラ作品が、決して人間を深く掘り下げて表現しているものではないような気がする。あくまでもスタイル重視であって、確かに重苦しい雰囲気は、長回しの効果もあってズンと来るようには見えるけれど、少なくとも本作に関して言えば、案外底が浅いのだ。本作は脚本が悪いのだと思う。結局、ブリュノ・デュモンに見るような、人生に対する哲学や苦悩がないのではないか。主人公の男が、自らの境遇を逆恨みして天につばして、もっともっと人間や人生を呪わなければならないはずだ。唯一、カフェでダンスのシーンだけには☆☆☆☆☆。なぜだろう、映画の中でダンスするシーンが大好きなのだ。テオ・アンゲロプロスなんかでも、そう。IMDbによれば、タル・ベーラは1978年から2010年の最新作まで15本程撮っているようだ、ああタル・ベーラ特集やんないかな。あとブリュノ・デュモン特集も。」

ぼくはうみがみたくなりました
「自閉症を扱った、ドキュメンタリーではなくフィクション。どうやらハイビジョン撮影でブルーレイに焼いての上映。機材の特性か編集によるのか、シャドーを強調した映像は黒がつぶれ、その上原色が強調されて美しくなかったのは残念だがプロジェクターのせいかもしれない。」

金瓶梅
「おバカピンク映画と位置づけてよかろう。 どういういきさつか知らないが、出演女優陣のほとんどは日本人AV女優のようだ。さすがに彼女達はみな本当に『いい仕事』をしていて、なんだか妙に嬉しくなってしまった。職業に貴賎無しと言えどもAVに関わっているということは、彼女達にとって決して有利に働くことではないと思われる(案外本人達はあっけらかんとしているのかもしれないが)社会的にはなかなか公言しにくく面白くない思いをさせられる時もあるだろう。それだけに『AV』ではなく、まがりなりにも『映画』に出演できたことは、彼女達にとって誇らしい出来事であったのかもしれない。また今後、特に性表現に重きを置いた映画製作の場合(って日本じゃほとんどピンク映画しかないだろうけれど、フランス映画なんかに)彼女らの体当たり演技は、高く評価される可能性もあるのではないか。カトリーヌ・ブレイヤあたりが、日本でAV女優を使って撮ればいいのに。文化庁よ!」

とらばいゆ(*)
「真面目に作られた良作ではある。女性の社会的地位とか社会進出とか役割分担とか、まあジェンダーなテーマをゆっくり丁寧に掘り下げようとしているのだ。だからヒロインの瀬戸朝香は子供のようにわがままに振る舞い苛立ってみせる。映像も几帳面。調べてみたら『avec mon mari/アベックモンマリ』の監督だったのか。大谷健太郎という人はフランス語が好きなんでしょう。性(行為)表現が一切省略されていたことは、この場合どうなんだろう。これが本当にフランス映画だったらそれを省略したか?。あるいは舞台演劇調の味付けでいくならセリフをもっと魅力的にすべきだろう。しかし塚本晋也は(役柄とは言え)自身が作る作品と違い優しい芝居をするなあ。」

白い恐怖
「夢の表現のところが好きである。」

8 1/2〈完全修復ニュープリント版〉(☆☆☆☆☆)
「うむむむ、始まって直ぐ、もう背筋がゾクゾクする程の快感だ、ああ...観て良かった。実は学生の頃、大概の映画は観た『つもりになって』それじゃあ名作でも観ましょうか、とチョイスしたのが『8 1/2』や『Pierrot Le Fou』だった。もともとハリウッド系以外が好きな変わり者ではあったから自信満々で臨んだのが案の定『なんじゃコリャー』である。『ワケワカランヤンケ』である。『こんなモンのどこが名作じゃコラー』である。『フィルム逆に回っとるやんけー、繰り返しとるやんけー』である。しかし名作は名作、オレは変わったモン好きだ、オレに理解できんはずはない。きっと自分の鑑賞能力が不足しているのだろう、と以後も少しずつ色々とチャレンジしていったのだ。そしていまやフェリーニやゴダールは大好きな監督であることは間違いないし、なかでもフェリーニ作品の『人間』の魅力は今なら十分に理解できるのだ。だが、若い頃のトラウマからか、どうしても『8 1/2』だけは避けて通ってきた。ところがこれが劇場で上映されるとのこと。完全修復ニュープリント版なんてどうでもいいが『8 1/2』がスクリーンで観ることができるなんて、こんなチャンスは21世紀の今めったにないのだから観に行くしかあるまい。そして...観た...ああ...ようやくこれで、晴れてフェリニーニが大好きだと言えるのだ。いままで喉につっかえていた刺がきれいさっぱり抜け落ちた。ああ、あのフィナーレ、ああ、あの女達。フェリーニ作品って、画面に映ったどんな端役でも深い人間が表現されている。」

モニカ・ベルッチの恋愛マニュアル(*)
「4話オムニバス。イタリアらしい軽さ明るさが魅力ではある。性愛がテーマであるにもかかわらずセックスシーンや裸体を一切描かない(オッパイすら出ません、いやセックスシーンはある。しかしそれはまるでダンスのように様式化されて描かれているから無いのと同じだ)やり方も、むしろ好意的に受け止められた。しかしモニカ・ベルッチの〜なんてタイトルが、まだ神通力をもっているんだな。驚くなかれ彼女は1960年代生まれなのだ。むしろ第4話の主演エルサ・パタキの方が輝いてセクシーだったが彼女にしても1976年生まれだという。に、してもだよ、この作品、モニカ・ベルッチの〜と、名付けちゃダメだろ配給さんよ。」

ステイ(**)
「最初は『ケッ!』なんていう気持ちで観ていた。ま、そういう映画だ。だが最近はデジタル編集によってだろうか、例えばカットとカットの切り換えなども、一つの表現として見せる工夫がなされていたりして侮れない。」

動くな、死ね、甦れ!(☆☆☆☆☆〜*****)
「ヴィターリー・カネフスキー監督作1989年のソビエト映画。第二次大戦中のシベリアでの、ある(不良)少年を通じてその社会や世相を描き出してはいるのだろう。場所がら日本人捕虜収容所があり日本語の歌が時々挿入されるのは監督自身の体験に基づくのだろうか?。とにかくしょっちゅう小突く・突き飛ばす・殴る・蹴るなどの暴力と、がなり立てるようなセリフによって、また少年に対してせっかく優しく接してくれる少女に対して感謝せず反対にいじめたりする行為(それがよくある思春期少年の感情表現であったとしても)や、ツンドラに凍てつく大地はドロだらけで荒んだ風景であったり、権力者(校長など)は腐敗していたりと、やはり何かに対する怒りや怨念のようなようなものが根底に渦巻いているように感じる。真面目な者はバカを見るからせめてギャングのように暴力で威圧して生き抜くしか術がない社会。戦後の混乱期の日本にも似た状況か。とにかくそういった監督自身の表現欲求が、必ずしも技術的には十分でなかったりするからたどたどしく不器用で、説明不足だったりよくわからん部分や唐突に感じる部分もあったりするが、しかし全身全霊で表現されていて、少年はまさに監督の分身と言っていいのだろう。」

ひとりで生きる(*****)
「ヴィターリー・カネフスキー監督作1991年のフランス・ロシア合作映画で、『動くな、死ね、甦れ!』の続編と言ってよい作品。少年は少し成長し...。とにかくこの監督の『表現的でありたい』というスケベ心が嬉しくて堪らないのだ。」

ぼくら、20世紀の子供たち(***)
「ヴィターリー・カネフスキー監督作1993年のフランス・ロシア合作映画。おそらくカネフスキーが、パーヴェル・ナザーロフが、そういった状況に陥ってしまったことを知ったことが、本作(ドキュメンタリ)を撮る動機となったのではないか?。ソ連がロシアとなったのが1990年のエリツィンの時で、民主化後はシッチャカメッチャカの混乱状態だったのは記憶に新しい。」

斬る(**)
「1968年、岡本喜八監督作品。江戸の大目付に直訴すれば解決するなんて甘っちょろいが、なんというかこの作品には全てがあるから楽しい。黒澤の時代劇より少し後の時代に作られたこともあってか、全体のタッチもどこか現代的。今の若い漫画を目指している人なんかは、絶対観るべきだと思うな。」

ブルーゴールド 狙われた水の真実(**)
「言われてみれば『〜アルプス天然水』だって変な話だ、だって『水』は誰のものでもないとするなら、それをペットボトルに詰めて売るなんて、ほとんど『石を売る』の世界じゃないか。しかしそれは『水』や『空気』のように直接的な問題だからそう感じるのであって、農作物だって工業製品だって大量の共有財産である『水』を個人や私企業が利用して生産しているのだから同じことだ。飛行機だって大量の『空気』を勝手に消費して飛んでいる。石油だって産油国だけのものだなんておかしな話、だったら『土地』は...などと言い出すとこれはイデオロギーに関わってくる難しい問題だが、『水』は生命に直結するだけに深刻。近い将来、水戦争が勃発するかもしれない。」

フィリップ、きみを愛してる(*)
「ジム・キャリーって、昔からとても良い役者(コメディアン)だと思っていた。オーバーなアクションや表情がいかにもアメリカ的で臭いけれど良質なものを感じるし好きなのだ。で、本作を観たんだけれど...。観せ方の問題、かなあ。実話に基づいているということだから、やはり詐欺の部分が主眼になるのだと思うが、そこが十分表現されずに端折ってしまったから説得力がないんだよね。映画スタイルがアッチコッチするって言うのかなあ、プレビューでの意見を聞き過ぎなんじゃないの?。それと相方はユアン・マクレガーにすべきではなかったような気がする。」

ロボゲイシャ
「うーんツマンナイ。女の子がもっと可愛いかったらよかった。けど井口昇だからまあいいや。」

アニー
「」

抱擁のかけら(***)
「ペドロ・アルモドバル作品。いつも言うことだが、スペイン映画って、いい意味で泥臭い。誤解を恐れず言うならば、ペドロ・アルモドバル作品の多くが、人間を深く掘り下げているわけではなく案外表層的な描写に終わっているのもそうだし、結局スペイン映画(と言ってもそんなにたくさん観ているわけではないし、ヴィクトル・エリセなんかもいるわけだが)しかしまあ全体的に感じるのは、実はハリウッド的方向性を狙っているのだが生来の泥臭さが逆に功奏して、それとは違う魅力が生まれているということ。ペドロ・アルモドバルにしたって、きっと精一杯しゃれているつもりなんだろうけれど、ハリウッドともフランス映画とも違うセンスだからこそ楽しめる。」


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2010年1月12日 (火)

野ゆき山ゆき海べゆき
「大林宣彦作品。もう本当にこの人は変わらないなあ。」

パチャママの贈りもの(*****)
「南米ボリビアのインディオの生活を追いかけたドキュメンタリー調だが一応フィクションで、キアロスミとかマフマルバフのちょっとドキュ・ドラマあるいは『少年機関車に乗って』だったか?風の、つまり出演者はみなプロの役者ではなくそこに生きている素人。だからこそのリアリズムが、もうなんともやっぱり(さわやか)なんて言葉でしか表現できないもどかしさ。ああ人間は、なぜいつまでもこんな風に生きていけないのだろうか。世界のグローバリズムは、彼らの美しい暮らしを、みすぼらしいものに変えてしまうのだ。驚くべきは、本作が日本人監督作品であるということ。」

薔薇の名前(***)
「この作品が、それなりに本気なのはセックスシーンを観ればよくわかる。しかし図書館が「迷宮」のように描かれたり、主人公(しかもショーン・コネリー)とライバルの敵対関係、修道院の殺人事件の謎解きなど、面白がらせようという意図が一方にあるからスッキリしないし『尼僧ヨアンナ』のように突き抜けてもいない。」

ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢(☆☆☆☆☆)
「なんと16年ぶりの『コーラスライン』再演のため実施された実際のオーディションに取材したドキュメンタリーで、正に『コーラスライン』。いつも言うことだが、人が一つのことに懸命に取組んでいる姿、中でもその道を極めた者がその道に賭けていく姿が感動的なのであって、それはどんなに金や技術をかけてもかなわない。そもそも1年半もかけたオーディションだ。そこに3000人も集まったという。主催者は、その間、その人の人生を左右してしまう責任さえ負っている。最終選考まで残って落ちた者のショックは計り知れないだろう。だがそれが人生だ。例え落ちても、それが生きてきた証なのであり、そのことで訴訟を起こす者はいない。確かに『エトワール』に見るような、クラシックバレエダンサーと比べると肉体は必ずしもシェイプされていない人もいる。しかしそれがいかにもアメリカ的で、取組み方もストイックというよりエンジョイに近いのかもしれない。かなりぽっちゃり型のダンサーでも動きは軽かったり(さすがに選ばれてはいなかったが)と多様さが魅力でもある(『コーラスライン』がそういう話だからだが)。ともかく映画版『コーラスライン』が、本作のための事前学習用解説映画に見える程人間の息づかいに満ちている。」

マラドーナ(***)
「エミール・クストリッツァ作。本人も言っていたとおり、さすがに取材不足。ただ、エミールらしいエネルギッシュさは魅力で、こういう(ある意味偏った)部分は、日本のドキュメンタリー作家はもっと見習って欲しいな。」

(500)日のサマー(*****〜***)
「青春...と言うには歳を食い過ぎている二人の恋愛だが、ちょっとケヴィン・スミス調だと感じるのは1人称で語るせいか。しかしこれはユニバーサル映画だから公開上のコードには厳密で、だから肝心のセックスシーンは一切無し。ヒロインはちょっと加賀まり子小悪魔風。主演男優はなんだか昔の友達に似た奴がいたような...。ケヴィン...じゃない方のスミスは勿論大好きだったぞ」

カティンの森(**)
「アンジェイ・ワイダ作品を、あの、例のレンガ積みの話以外あまりあまり観ていないのだが、やっぱりその、レンガ積みの作品の方がうんと良い。ただ、本作はやはりポーランドで作られねばならなかったんだろう。」

テンダー・カズン妖しき従姉妹(*****)
「1980年、仏=西独映画とのこと。妙にソフトフォーカスのかかった映像はうっとおしいものの、なかなかどうしてエエ作品。中学生くらいの年齢の少年が美人従姉妹や使用人に囲まれて、最初は子供扱いなんだけどとうとう男になっちゃうお話だが、人間の掘り下げとか描写ということはほとんどない。おまけに1939年という微妙な時代設定であることも、少年の恋のライバルであるスケベ叔父が戦争に駆り出されるという設定を生むためだけに存在し、とにかく何分かおきに豊満な従姉妹や使用人のスケベシーンが拝める内容の無い映画で、言わばほとんどピンク映画である。で、あるにもかかわらず、と言うよりもそうであるからして、つまり戦争だのなんだのと言わないからこそ、どこか表現的であるのだが、それもそのはずデヴィッド・ハミルトン監督作であった。」

アバター
「観てしまった...が、自分にとってはその他大勢の類いの作品でしかなかった。なんだかサイレントからトーキーへの変革に匹敵する映画表現の革命であるかのように喧伝されていた(?)けれど、3D的視覚効果表現を実現するために、かえって質感(テクスチャー)・実在感が失われていたのは残念。そのことがちまたでは(透明感のある映像)という言葉で誤解されているが、あれは立体視の宿命ではないか。ホラ、あの、焦点を外してボヤーっと見ていると立体に見えるアレ(ステレオグラム)もそうだし、実は立体写真を撮れるカメラとビューワーも持っているのだが、これも透明感ある映像だ。ただ、それらに特徴的な、あたかも書き割り看板が前後に並んでいるように見える(平面的立体感)とは、確かに違う立体表現であったことは認めるが、度肝を抜かれる程でもなかった。もしも砂を触るようなザラつき触感が表現されたら凄いと思う。あとは匂いか?これはジョン・ウォーターズがバカバカしい方法で実験済みだが。」

忍者武芸帳
「大島渚。『ユンボギ〜』と同じような手法か。」

無防備(***)
「何か非凡さ・きらめきを感じさせる作品で、下手をすると和製ラース・フォン・トリアーになるかもしれない可能性さえ感じた。また画面の切り取り方(絵作り)が徹底されていて美しい。ただ、終わり方が、自分ならこうはしない、と感じさせられたことや、結局、話作りの背景にある作者の哲学・考え方みたいなものがあまり強く主張されていなかったことなどは残念。もっと良い機材や役者で撮らせてあげたい人だ。いや、主役も準主役(本当の妊婦で本当に出産している)も体当たり演技で精一杯頑張っているが、やはりアマチュア感は拭えない。ナール程、今、公式サイトを見てみたら、この作品、どこか熊切っぽいなあと感じていたらやっぱり...だった。なお準主役の妊婦は監督の妻。」

風のかたち〜小児がんと仲間たちの10年〜(***)
「聖路加病院医師と患者(子供達)に取材したドキュメンタリー。題にあるとおりの10年を、もう少し感じさせる編集であればよかった。」

コーラスライン(*****〜***)
「ミュージカルなりドキュメンタリーなりどっちかに徹していたら、もっと良かった。どうも個人的にマイケル・ダグラスって好きになれないこともあるかもしれんが、オーディションで個人的な事を喋らせる必然性を感じないことも×の要因か、また演出家と元カノダンサーのいきさつの描写をフラッシュバックさせる手法もどこか陳腐だったり...しかしそれも舞台で純ミュージカルとして観たならひっかかることもなかったんだろう。」

Dr.パルナサスの鏡(*****〜***)
「はぁー思えば遠くへ来たもんだなぁーテリー・ギリアム(深町丈太郎調で)。才気と毒気溢れる若者達だった。王室から軍隊までコケにしてきた。自分達の作る映像が世界の最先端ギャグだったのだ。しかし、あまりにタイミング悪いよ。鳴り物入りで登場してきた3Dは、どうやらそこそこ本物らしく、それこそパルナサス博士がウンウンうなりながら見せる脳内世界に繰り広げられる空間のように、まさしく手に取ることができそうな程に美しい映像新時代を切り開いたようなのだ。つまり本作のファンタジーの根幹たる部分が現実化しちゃったのだよ。そりゃーあんまりだ(深町丈太郎調で)。もう20世紀じゃねーんだよ(黒崎調で)。結局、最もテリー・ギリアムらしかったのは、エンドロールも全部終わって劇場の照明が点灯する寸前に、携帯の着信音を鳴らせたこと。」

ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション(*****)
「二つ?の短編ドキュメンタリーと、後半のライアンのアニメーション数作を組み合わせた上映。なるほど彼のアニメーションには、コカインや葉っぱでラリった感覚が表現されているようで、疑似ドラッグ体験とも言えるのではないか。」

楢山節考(*****〜***)
「身近な存在としての死と生。生きるということが生活や性(セックス)と直結している生活。確かに東北の山奥で孤立した村社会では、食いぶちに限り有りその上日照りや水不足などに起因する飢饉などあるだろう。しかし。世界にはもっともっと厳しい自然環境下で生活している人間がおり、彼らの生きる様こそもっともっと、生きるということが生活と直結しているように見えるのだ。一方映像に写された風景を見る限りにおいてこの場所は、十分豊かに見え木々は青々と秋にはたくさんの結実をもたらし茸類も豊富だろう。鹿や兎や猪だっているだろうし、ロングで写される茅葺き屋根は大きく、それは都会のツーバイフォー住宅などと比較しても十分立派で屋敷と言って差し支え無い。だから姥捨てや子供を売ったり殺したり(本作中には描かれないが娘を売ったりもあるだろう)することが、どうしてもそうしなければ生きて行けないギリギリの止むに止まれぬ苦渋の選択であるように見えないのだ。あるいは孤立した村社会故の愚かな因習とリンチと村人という構図も、必ずしも上手く表現できていない。などということを差し引いても魅力作であることに違いはないが、今村昌平作をあまり多く見ていないので断言できないが、どうしてもなんというかこの人に映画表現スタイルというようなものが欠如していることが残念でならない。それは同時に演出(芝居)のスタイル欠如を招き、それぞれの役者がそれぞれの流儀で芝居しているから、まるでバラエティーのように見えてしまう。しかしセックス描写は邦画の中では秀逸で、それを実現するためのキャスティングも農耕民族的で良い。」

水の中のつぼみ(***)
「15〜6の頃だろうか。主人公は美人でもなくグラマーでもないやせっぽちでほとんどブラジャー不要の幼児体型、ややシャルロット・ゲンズブールを意識してなくもないんだろう憂鬱な表情。思春期の性や友人関係をゆっくりと描いて魅力作だが脚本に筋が通っていないように感じるが、それもわざとはずしているんだろう。」

エイプリルの七面鳥(***)
「良作だが、遊びの要素や表現の要素・クセみたいなものが足らなくて、映画学校の卒業制作のようでもある。」

プラハ
「ミニスカートは可愛いけれど残念ながらツマンナイんだよね。ドブリーデン。アホーイ。」

コッポラの胡蝶の夢
「さすがコッポラらしい豪華な映像で、それなりに金もかかっていそうな作品なのだが、どこかB級臭漂うのは何故だろう。」

図鑑に載ってない虫
「面白くないこともないんだけどね。これはアレだろ、テリー・ギリアムの『ラスベガスをやっつけろ』を意識してるんだろ。んで、ジョニー・デップが松尾スズキだろ。」

大きな家
「上映中、しゃべり続けた老人達よ恥を知れ。さぞや愉快な時間だったろう。」

あらかじめ失われた恋人たちよ(***〜*****)
「その意味不明の題の意味も、観れば分かった。1971年あの田原総一郎などの監督作品。さすが加納典明、桃井かおりのおっぱいもみもみも、石橋蓮司より手つきがスケベだった。石橋蓮司の手先が遠慮がちで先端には決して触れないのと対照的に。ともかく失われたのは単に音声としての言葉だけではなかったのだな。」

絞死刑(***)
「今、若い映画監督で、大島渚みたいに腹くくった奴いないんだよね。みんな体制順応的、いや園子温がいたか?ところで以前から薄々感じていたんだけれど、医務官役の戸浦六宏?って、ジャック・ニコルソンに似てるよな、あとニャンちゅうにも。」

パンズラビリンス
「鳥とか虫とか、最近はほとんどが3DCG。それによって自然を意のままに操ることができるわけだ。しかし1944年のスペインという状況抜きに、ファンタジー部分だけでやった方が潔かったんじゃないのだろうか。最新技術を駆使しながらも表現に新味がなく、使い古された言語ばかりなのだ。アリスを思わせる少女の迷宮での彷徨いも拷問のシーンだとかも。また芝居(の演出)もどこかB級だし、主人公の少女に、今イチ魅力がない。」

2009年4月14日 (火)

ムーンウォーカー(***)
「MTVの申し子のように、映像と音楽とダンスを融合し、娯楽大衆向けでありながら、極めて表現的足り得ているマイケル・ジャクソンは、まるで能のように自己のダンスを洗練させたやはり希代の天才なんだろう。」

行旅死亡人
「いつもの館での井土紀州監督作。支配人が押している監督であるから観続けている。のだが、ええ?あっち方面に行きますか?...こういう話ならアメリカ人、いや最近なら韓国人にやらせた方が、うんとうまくやるだろなあ。DV撮影、ファイナルカットか何かで編集しているのだと思うが、紫っぽい映像も美しくなくカメラワークも.....。主演女優もB級だし、なにより素人芝居。」

羅生門(**)
「デジタル完全版とのこと。しかし結局この話(薮の中)は、それこそ短編小説か、落語や講談などの話芸など、とにかくあくまで文字や言葉だけによって表現され、映像は読む(聞く)者がそれぞれ自分の頭の中でぼんやりイメージするスタイルにこそふさわしい。なぜなら巫女が死人を呼ぶ様なんて、お笑いの対象でしかないからだ。セリフが多過ぎるのも×。それにやはり黒澤映画、人間性の描写とかそういうことよりも、エンタテイメントとして作られている。ヴェネチアで金獅子賞のようだが、それも例えば我々がイラン映画を観る目線に近いエキゾチシズム・バイアスがかかってしまっているのだろう。だって京マチ子...あんな眉毛なんだから。」

尼僧ヨアンナ(*****〜☆☆☆☆☆)
「1961年のポーランド映画。神も悪魔も、人間に都合の良い方便なのだな...ヴァチカンから怒られなかったのか?。」

全線[古きものと新しきもの](☆☆☆☆☆)
「1929年セルゲイ・エイゼンシュテインとグリゴーリ・アレクサンドロフ監督作。ぐわああああああっ!すん凄いものを観た。音楽さえ入っていない完全サイレント。なんだよ、この絵(映像)の美しさ!これは最早映画ではない、写真だ!動く写真なのだ。ショット(レンズ)によっては周囲にピントが合わず、それがまたかえって美しい。モンタージュ理論を確立した男の表現は、意味を伝える方法がまるっきりグラフィックなのである。その上ユーモアまであって...ああ、牛さんよ豚さんよ。映画草創期の作品が、なんでこんなに斬新で現代的なんだ!。確かに一つのシークエンスを描くのに、じっくり時間をかけ過ぎる嫌いはある。しかし90分の上映時間は、あっと言う間に過ぎちゃったぞ。」

母なる証明(*****〜***)
「母性というようなものを、ミステリーの形をとりながらも力強く表現している。韓国映画だし、どうやら娯楽映画系の監督のようだから敬遠しようかとも思ったのだが、いつもの館での上映とあらば騙されてもいい支配人を信じましょうということで観に行ったのであるが、始まってすぐの表現性にストライク。途中さすがに味付けがそっち系なのが残念ではあるがラストにかけて再びの絵も美しい。」

戦場でワルツを(*****〜☆☆☆☆☆)
「ゴールデンエッグスと押井とクラッチカーゴを足して3で割った感じ...違うか?」

GIRL(*****〜☆☆☆☆☆)
「日系カナダ人ジュリアン・タマキ作画、従姉妹のマリコ・タマキ原作による漫画。確かに漫画は日本のお家芸だし裾野も広いが、案外新しい表現というのは生まれてこない。つげや高野や大友などという希有な存在はほんのごく一部で、ほとんどが模倣・通俗履いて捨てる類いのものでしかないのだ。一方MANGAに触発された世界では、既成概念に縛られず、純粋に一つの表現方法として捉え取組む者達が生まれやすいのかもしれない。日本の漫画家の多くは、いわゆる絵画的意味においてのデッサンの基礎を学んだ者はほとんどいないだろう。もちろん漫画表現における、いわゆる絵画的意味においてのデッサンとは違う漫画的意味におけるデッサンが大事であることは否定しないが、いわゆる絵画的意味におけるデッサンに立脚した漫画があっていけないわけではないのだから。」

この道は母へとつづく(**)
「ロシア映画。」

たばこ屋の娘-松本正彦短編集-(*****)
「当初、辰巳ヨシヒロらと行動を共にしていたらしい松本正彦の劇画ならぬ駒画。それにしても1960〜70年代って、今より随分セックスのイメージが濃厚に感じる。ずっと性があけすけなのだ。四畳半でとうちゃんかあちゃんがおっぱじめ、子供らは押し入れに押し込まれたり、隣のお姉さんはパンツが見えそうなくらいのミニスカートで真っ赤な口紅ににハイヒールで平気に階段を上ったり、夏は空き地や公園で...と、つまり社会が未だ右肩上がりの普請中であることが、ソレが旺盛である所以なんだろう。3〜4頭身で描かれたキャラクター達(特に女子)は、いかにも漫画調なのだが、短足ガニマタ大根足の彼女らは、妙にエロチックなのだ。これは、そうだ、いしかわじゅんのキャラに近い感覚。本人は否定しているようだがこれは、間違いなく劇画。」

犬と猫と人間と(***)
「捨て犬猫の問題を扱ったドキュメンタリー。ま、面白くする性質のものでもないのだが、にしても固い。」

あんにょん由美香(*****)
「ドキュメンタリーとしても、構成とか観せ方とかが巧で、とても面白かった良作。ピンク映画などは、セックス関連産業の中で言えば随分上品な部類だが、それでもやはりそういう業界で生きる者達の有様は、心揺さぶられるのだ。しかし「坂道○○○ー」てキミィ!「スピルバーグ」てキミィ!せめてモフセン・マフマルバフくらい言えよ。」

つみきのいえ(***)
「ナレーション付を観た...のだが...ひょっとしてこのナレーション...後から付けやがったなコラー!...あーあ、ぶち壊しだあ...せっかくの旨い料理に味の素をぶっかけたようなモンじゃねえか!...だがな、そうでなけりゃあ世間様に受け入れられねえんだよなあ、もう。」

東京画(*****)
「なんでかなあ、不思議に面白い。それはきっと、あくまで小津を尊敬するヴィム・ヴェンダースの個人的視点に基づいているからだ。1983年の東京は、古くも新しくもなくただ団子鼻新幹線と自動車のフェンダーミラーだけが懐かしく目に映る。西洋から見た極東の不思議の国ニポンを興味本位に眺めるのではなく、あくまで小津の故郷として、それ自体(日本の風景)が全てあたかも映画であるかのごとく、まさしくヴィムのカメラのレンズ越しに映る風景は、今や21世紀に生きる日本人である自分の目からみても、何故か距離を感じ不思議にノスタルジーさえ感じない。クリス・マルケルの「サン・ソレイユ」だって?」

美代子阿佐ヶ谷気分(**)
「モノクロで観たかった。しかし阿部慎一が映画化されるなんて、世も末...じゃなかった、邦画の未来はバラ色だ。」

レスラー(*****)
「ミッキー・ロークも相手女優も良い。下にも書いたけれど、肉食人種と東洋人の違いなのか。ただ、構成というか物語る手法が単純で退屈。」

めぐりあう時間たち(*****)
「群像劇。こういった全く正統な人間ドラマが、何の小細工もなく正々堂々きちんと作られるということに、アメリカ映画の底力を感じさせられるのだ。一体今の日本で、このような真っ当なドラマが作られる文化的余裕があるものか。ともすればハリウッド的商業主義ばかりが目に付きもてはやされ、それがアメリカの全てであるかのごとく喧伝されるが、実はそうではない。欧米の、良質なドラマを観ていると、日本のそれと比較してみても、なんというか芝居の質が違うのだ。ただ、ある意味では、下記新藤的大袈裟な典型的描写の方が、むしろそれに近いとさえ感じる。」

スミス都へ行く(*)
「さすがに話が単純なんだよね、漫画みたいに。アメリカの、良い部分も悪い部分も表出している作り...いや話の中身じゃなくてな。」

潜水服と蝶-20万回の瞬きで綴られた真実-
「2007年の『潜水服〜』より10年前に作られたドキュメンタリー。監督がジャン=ジャック・ベネックスらしいが、そのために分かりにくくなってしまっている。」

女殺油地獄(*)
「1992年作五社英雄版。光やテカリを押さえた、まるで日本画のような絵が美しいことは美しい。しかし藤谷美和子に演技力もさることながら色気エロさが無いことが決定的に残念だし、少なくとも、脱ぐ覚悟がなければだめだよなあ。それをカバーすべき樋口可南子 ですら、足をちょろっと見せるだけなんだもん。これじゃあ丹念に作り込まれた絵が泣くってもんだよ。ラストシーンはあまり美しくない。」

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生(☆☆☆☆☆)
「優れた表現者のドキュメンタリーは、いつ観ても心揺さぶられる。加えて彼女が決してアートを名乗らない点。あくまで商業雑誌の中で評価される仕事として、それに携わりながら、しかし芸術性の高い作品を生み出していることだ。映画としてどうかと言えば、教科書的によくできたドキュメンタリーにすぎないかもしれないから、どうしてもバイアスがかかって観てしまっている。スマン。」

石内尋常高等小学校 花は散れども(***)
「ああ、ここにまだ風化しない新藤の愛がある、スピリットがある、反骨がある。柄本はそれをよく演じ体現している。大竹はもともと優れた役者だが、その新藤の意味をよく理解しやはり精一杯演じている。その他の役者もスタッフもみな、新藤スピリットの具現者なのだ。戦争や原爆も描かれるが、ここでは人が生きる上での拠り所・互いに支え合う様に焦点があてられている。」

夜と霧(*****)
「1955年作フランス映画。ナチスの行ったユダヤ人強制収容所での有様を、当時の映像や写真によって生々しく構成している。当然、その映像は、ドイツ人自身が撮ったものだろう。人は、何であろうと(例え遺体であろうと)それが夥しい数になると、それを何かに利用しようと考えるものなのだと知らされた。」

モダン・タイムス(***〜*****)
「赤旗のシーンには☆☆☆☆☆。一本の作品の中に、色々なアイデアが入り過ぎている嫌いがある。終わり方も、もっと他になかったのか、などと感じてしまった。」

輝ける女たち(*)
「悪くはないし、出演陣も豪華なのだが...どこか散漫でフランス映画らしい人間の影の部分の掘り下げが見られない、そういう話なのに。なんだかアメリカ映画風、花火のシーンなんかも。」

13/ザメッティ(*****)
「いや面白かったんだけどね、モノクロであることも語り口がなんだか今風ではないことも、フィルムノワール風味付けのためのようだ。主人公もさしずめアラン・ドロンってとこか。にしても、こんな漫画があったような...。」

私は猫ストーカー(***)
「悪くは無い。なんか撮影が下手だなあとか、それをデジタル処理で誤摩化してるなあとか、まあそんんなことは置いといても。ただ、図らずも(いや図ってか?)東京の下町を描写することになったり行方不明になったりしても、お手本にしたであろうフランス映画に及ばないのが残念。」

沈黙を破る(*****)

レンブラントの夜警(☆☆☆☆☆)
「実は観始めてからピーター・グリーナウェー作と知った。伝記物、中でも画家物に良作は少ないのだがこれはさすが。つまり完全にグリーナウェー節となっているわけで、伝記物にありがちな史実を順番に追いかけて行きます的、ああ、あのエピソードね的退屈さから完全に解放されているからだ。それにしても以前から感じていることに、どうして日本にはこの手の表現系の巨匠が存在しないのだろう、ということ。いや理由は分かっているけれど、こういう方向性を育む文化が無いということがいかにも残念。え?鈴木清順がいるじゃないかって?まあねえ。園子温も変節しつつあるようだし巨匠と呼ぶにはまだだしなあ、あ、寺山修司がいたか。まさか黒澤がいたなんて言うなよ。」

花と兵隊(***)
「第二次世界大戦後、ビルマなどの戦地から帰還せず、そのまま現地に残り現地で結婚し生きてきた人々に取材したドキュメンタリー。」

忘れられた子どもたち スカベンジャー(***〜*****)
「随分前に観た『神の子たち』より先に作られた、フィリピンのスモーキーマウンテンに取材したドキュメンタリー。四ノ宮監督作。」

めがね
「前作、なんだっけフィンランドかどっか北欧でロケした作品と同様のコンセプトで作られているようで、いわゆる●●系。ああ、この言葉が一生使えないじゃねーか、コノヤロー。本当にこの手の流行語って腹が立つ。流行語になっちまうと、その言葉が使えなくなっちまうんだよバカー。誰だよ全くこういうことをしかける奴は。 に、しても、本作に描かれている●●や豊かさは、まやかしだ。あの大きな伊勢エビは、どこの親切な人がくれるというのだ。あのビールはどうやって購入し、どうやって冷やしているのだ。あの南国の炎天下の海岸の氷屋の氷を溶けないようにするために、どれだけのエネルギーが消費されているというのだ。毎日ブラブラ生活ができるのは、それを支える経済力が無ければどうするのだ。自給自足はそんなに甘いものではないだろう。ここに描かれているのは金持ちの贅沢な遊びにすぎない。全く、電通やら博報堂的戦略商品的作品で、鼻に付く。

スッキリ!!クロラ
「スッキリしない。」

スカイ・クロラ(***)
「2008年押井作品。えーい、髪がうっとおしい!切りちゃくれ!と、感じるのは自分がオッサンだからだろう。だって彼らは意図的に成長を止めた(止められた)子供だから。しかしやっぱり3DCGのテカテカした感じと2Dアニメーション部分との違和感・不調和が気になるが、押井は気にならないのだろうか?せめて3D部分のテカテカを押さえればいいのに...。しかしこのままどんどんCGの性能が向上して、実写との区別が全くできなくなったら、どうなるのだろうか?それは最早アニメーションではないよな?アニメーションを含む絵画表現とは省略に意味があるのに...。写真だってそうだ、良い写真とは、良い省略がなされた写真なのだから。しかしアニメーションとは、本来的に耽美と無関係でいられないのだろう。イジー・トルンカだってそうだしカレル・ゼマンやクエイ兄弟も、ディズニーの最高傑作『白雪姫』にしてもそうだしウィンザー・マッケイだってそう。ともかく、ここをどう突き抜けていくか、押井の動向は今後も見逃せないのだ。」

GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0(*****)
「1995年作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の、押井本人による焼き直しで2008年作。今ちょっとユーチューブで旧版を見たけれど、アングルからカットからセリフから(ひょっとして、セリフは新しく録音しないで前のものを流用してるのか?)ほとんど同じに見える。確かに旧版を今見ると、背景も含む絵柄が、やはり古くさい。それが13年の月日の流れであり、パソコンの進化ということだ。だが、焼き直しは焼き直し、旧版を初めて観た時のような感動はない。しかし興味深い試みだし、押井の気持ちもよく分かる。それだけの名作だから。ただ、残念に思えるのは、そんな名作ではあっても『古くなってしまう』こと。例えばポール・グリモー作品やディズニーの初期長編は決して古くはならない、そこが残念なのだ。この焼き直し版もまた、10年後には陳腐に見えてしまうだろう。」

buy a suit スーツを買う(*)
「市川準作品。しかし何故こんな撮り方をしたのか?などという質問は野暮なのだろう。いずれにしても、このような野心に満ちた試みを、喜んで観るよ。」

陽気な連中(*)
「1934年のソ連映画。グレゴリー・アレクサンドルフ監督作。95分モノクロ。まだトーキーが生まれて間もない頃の作品で、だからこそのミュージカル仕立てで賑やか。あーっ、ロトチェン子のポスターそっくりのシーンが!。世界に、まだ長編は存在していないがディズニーやフライシャーも活躍していた時代らしくアニメーションもふんだんに使用されていて楽しさ倍増。やがてうむむむむドゥシャン・マカヴェイエフか?エミール・クストリッツアか?とでも言うような動物ブンカブンカの迫力だったのだがしかし結局、クレイジー・キャッツみたいになっちゃった。そう思い始めるとああもうだめだ、主人公が犬塚弘に見えて....。」

黄金狂時代[1942年版](*****)
「チャップリン自身がナレーションを入れたバージョン。1925年のオリジナル版を観たかどうだか記憶にないが、やはりあの美しいフォントによる字幕版の方が情緒がある。つまりその方が、よりイマジネーションの膨らむ余地があるということだ。にしても、大掛かりなセットや被り物・あのあまりに有名な靴を食べるシーンなど満載である。しかし個人的には『キッド』や『サーカス』なんかの方がシンプルに凝縮されていて好きだ。本作はなんだか豪華すぎてちょっと。それにいくつかのシーン(山小屋・酒場・留守番の家)が、もちろん関連しあっているわけだけど、なんだか今イチギクシャクして見える。......ギクシャクして見えるのは、多分、もともと字幕をはさむことを前提に構成されているものから字幕を取って連続的に観せているからではないだろうか。ジョージアとの関係も、彼女の心変わりがあまりに唐突というか理由がなさすぎるなど、場面の繋がりが悪いのだ。そういうことも、字幕で分断されていれば、気にならないどころか、むしろ適度な飛躍となって観る者に心地良い展開間(リズム)を与えていたのかもしれない。それにしても、チャップリン作品っていうのは、以外とハッピーエンドが多いのだ、曖昧な記憶のイメージだと、その逆が多いように思っていたけれど。」

精神(*****〜***)
「岡山にある、現代の赤髭的精神カウンセラー医のもとを訪れる患者に取材したドキュメンタリーだが、監督曰く、前作『選挙』に続く『観察映画』。鬼気迫る、患者達の有様には驚かされるが、人間性の暴露というような意味において『神様の愛い奴』に及ばなかった。人間の心=脳はガラス細工にように脆いのだ。にしても、上映中のオバサンがうるさかったなあ。もういちいちいちいち、登場人物に反応して『うんうん』、『ふーん』などと声に出すのだ。あのね、映画の中からアンタらに話し掛けてるわけじゃないんだよ!オバサン化するとは、自己を客観視できなくなることなんだなー。あのね、アンタらのお茶の間じゃないんだよ。電車内で化粧する若者の羞恥心を疑う前に自分だろ!デリカシーを失い周囲に目を配り思い遣りを持つことができなくなったら終わりだ。」

嗚呼 満蒙開拓団(**)
「この事実を某自衛隊を辞めさせられた〜に見せてやりたいが、奴らは必ずこう言うのだ『これが戦争だ、戦争には犠牲はつきもので、それでも護るべきが国家体制だ、それを護らなければ国が取られるから命を賭けて戦うのだ、こういうことは日本人だけがやったのではない、もっとひどい事をみんなやってる』ってな。しかし本当に、いざとなったら国家は国民を守らないのだ。何故なら国家などというものは幻想で、それを動かしているものは、しょせん人間だからである。それは時に一部の権力者のことであり、時に大衆のことなのだ。 しかし..............上映中のお年寄りのマナーが悪いよなあ、なんで静かに鑑賞できないんだろうなあ、自分も歳を取ったら周囲の迷惑なんか考えなくなるのだろうか。」

マニラ・光る爪(**)
「1975年のフィリピン映画。えーと、なんだっけ、新藤の作品で原田大二郎が出てるやつ。」

色即ぜねれいしょん(*****〜***)
「ガロとか、つげ義春とか、ボブ・ディランとか、奴はかなーりイケてる高校生じゃねーか。」

インスタント沼(***〜*)
「麻生久美子がなあ...いや、時と場合によっては、彼女はあの個性でもって素晴らしいのだが今回はなあ、やっぱりミスキャストじゃないのかなあ。いや、とても良く出来た作品ではある。脚本がしっかりしているし、徹底した描写タッチが魅力の作品ではある...のだが、どこか漫画っぽいなあ、と思ってエンドロールを睨んでいても漫画が原作ではなさそう、んじゃ三木聡という監督は?と見てみると、なるほどフジテレビか。とまれ麻生久美子は固いのである。故にその固さが生かされる作品の場合、とんでもなく魅力的なオーラを発揮するが...本作のタッチというかカラーにはなあ...。いや、融通の効かない学級委員長的・役所的くそ真面目さ、という点では外れていないのだが....もう後半は、彼女のヒステリックな声が不愉快にさえなってきた。それと、終わり方は、オレならああしない。」

四川のうた(*****)
「先に下記作品を観てしまったモンだから、どうにもこうにも作り物臭さが鼻に付く。一見、ドキュメンタリー風の作りだが、やはりフィクションか?あるいは事実・取材に基づきながら脚本が書かれているかもしれないが、各人が語る物語が、あまりに出来過ぎていて、ちょっとシラケル。とは言うものの、あまりにも美しい絵(これは、スクラップアンドビルドを繰り返す今の中国でなければ決して撮れない絵だ)を背景に描かれる、現代中国の有様から生み出されたあまりに『出来過ぎ』な物語ではあってもも、それがどうしても強い魅力であることが否定できないのだ。しかし中国人って、しゃべる時、ホントによく舌打ちするよな。そう言えば、うちの職場にも一人いたなあ。誰か教えてやれよ、みっともないから、チッ。」

長江にいきる 秉愛の物語(*****)
「山峡ダムに沈む場所で長く生活してきた、ある夫婦(特に妻の方、何で中国って女性があんなに強そうなんだろ)の、立ち退きにまつわるいきさつを描いたドキュメンタリー。なのだが、それこそフィクションのように、まるでお芝居であるかのごとく振る舞い魅力溢れる登場人物達よ。中国とは、失敗や周囲との小競り合いを繰り返しながら、しかし決して後退することを許されない巨大な実験なのだ。巨艦は小回りが効かないし、急停止もできない。そこに乗る人々も、その速度に振り落とされずしがみついていくしかないのだ。」

妻の貌(***〜*****)
「監督の川本昭人氏はアマチュアかセミプロか、ともかく克明に家族の姿を撮り続けてきたのだ。それこそ半世紀に渡ってだ。その写された時間に、何かが描かれていないはずはないのである。『土徳』の時にも書いたが、個人的な表現は、それが真摯に突き詰められたならば、個人を超えて、普遍性を持つ。ましてや4世代に渡る家族の有様が、赤裸々に語られるのだ。ここに描かれたことは、幾千万・幾億の家族の肖像でもあるのだ。人はこの作品を観ながら、自らの人生を振り返る。それが良い作品だということだ。生まれたての赤ん坊と老人のコントラスト。人間とはそういうことだ、人間とは生まれながらに死にゆく者だ。人間とは苦しみの合間のほんの小さな喜びを噛み締める者だ。かつて日本人が狂乱した元号の一文字を名に持つ監督が、自らも妻も被爆者でありながら生きて行くということだ。」

貴族の階段
「こういった時代の、特に裕福とされる人々の暮らしぶりが、鹿鳴館じゃないけれど、やっぱり猿真似で、それこそ書き割りみたいな安普請ってワケでもないんだろうけれど、根本的に木造とレンガや石で作られた建築の差異と、歴史が生み出した様式の、上っ面だけをなぞってみても、どこか滑稽な有様が、切なく悲しい。それに輪をかけて、まだ戦後と呼ばれる時代にせっせと作られた映画それ自体が、これまた欧米へのコンプレックスに立脚していて屈折しまくっていて、さらにさらに輪をかけて、描いている時代が戦前のきな臭い時であり、さらにさらにさらに輪をかけて、描かれている人々が○○な血筋の者達であって、それらが欧米に負けじと精一杯の提灯袖のドレス着て、まるで宝塚みたいでやんの。しかしさすがに新藤兼人だけあって、ちょっとソレいいんですか?な展開もあって恐るべし。」

マスコット(*****)
「スタレヴィッチのアニメーション。1933年作。うーん凄い、いや元々凄い奴だけど(虫でコマ撮りするんだぞ)この何とも言えないシュールな味わいは、やはり他に類を見ない。このセンスはきっと天然なんだろう。きっと、いや断言してもいいが、クエイ兄弟は、スタレヴィッチから大きく影響を受けていると思う。」

新婚旅行(*****〜***)
「スタレヴィッチのアニメーション。1934年作。」

二人のキューピッド(*****〜***)
「スタレヴィッチのアニメーション。1926年作。」

映画カメラマンの復讐(***)
「スタレヴィッチのアニメーション。1912年作。」

海と夕日と彼女の涙〜ストロベリーフィールズ〜
「漫画みたいだけど、ちょっとだけジュン...じゃなかったキュンとさせられた。」

千羽鶴
「川端康成原作、なので?どこか『美しい日本の私』的センスが鼻に付く。今で言うなら比較的セレブリティーな人とお妾さんや2号さんの話。しかし川端の台詞って、どうしてこんなに気取っているのか?それとも文字ではなく役者が実際に『ごめんあそばせ』などと言うから気になって、どうしても昼メロに堕してしまうのか、つまり映画化が悪かったのかなあ?。だが絵的には、実に慎重に描こうとしている。構図とか影とか、それに役者の表情が、実に印象的に変化していて、杉村春子の醜さや陰、乙羽信子も母親とは対照的な貞淑さが最後に大きく変化するなども素晴らしいのだ...が。しかし茶室で煙草吸ったら台無しでしょお茶や畳の香りとか、そういうことは、お師匠さんは気にしないのだな。川端も気にしないのだな、美しい日本の文化をぶち壊していないのか?。あ、缶ピー。」

USB(**)
「実は奥秀太郎作品はそれなりに面白いし、何か新しい表現に向かおうとする姿勢に大いに共感できるから、機会あるごと観るように心掛けている、つまり気になる監督の一人なのだ...が。そもそも設定がなあ、さすがに受け入れ難いと言うか漫画的だよなあ、いっそアニメーションなら...などと、もっともっと平凡に、ただ無為な浪人生の日常を描くだけで十分だったじゃないか。何故原発なのだ?何故臨床試験なのだ?なぜ覚せい剤なのだ?本当にそういう部分を描き告発したいなら取材に基づくドキュメンタリーでいくべきだろう。そうでないからまるでウルトラQみたいになるのだ。大体野田英樹じゃまだ。この手の若手監督作品に、この手の大御所が出てくると、絶対にバランスが悪くなる。」

遭難フリーター(*****)
「生きるために生きることが困難な社会に喘ぐ若者達なんだろう。彼らのことを、自分のせいだ、と責めるのは容易い。しかし、国民が生き生きと生きることができる社会を構築できなくて、なんの為政者か。禁断の知恵の実を食べてしまった人類は、もう石器時代に戻れない、ここに人類の不幸があるのだ。」

コンナオトナノオンナノコ(*****)
「30歳直前の二人の女子の焦燥。なかなかの魅力作で、ギュッと感じさせられるのだが、いつも言うことで邦画全体に言えることだが、性表現の未熟さがなんとも惜しまれる。いや、女優陣は、それなりに体当たり演技している。しかし例えば性行為があったであろう翌朝に、きちんと下着なんか付けているものか。そういうお行儀良さが、未熟に見えるのだ。」

チョコラ(*****)
「ケニアのストリートチルドレンに取材したドキュメンタリー。ソマリアに比べれば、きっとずっとマシかもしれないこの国だが、人類文明の歪みに置き去りにされた者達の有様が、やはり凄まじい。西洋の衣服は赤い大地に薄汚れてみすぼらしい。本当に美しい造形の彼らの肉体を包むにふさわしい誇り高き民族的衣装が、やっぱり彼らに本当に似合うはずなのに、航空機やインターネットなどによって強引に小さくされた地球では、最早それもかなわない。裸でいて恥ずかしくなかった彼らの文化を、先進国のエゴが破壊したのだ。彼らは貧しくはなかった。むしろ豊かな文化を持ち、誇り高く生きて来たのに、隣に超して来た西洋の金持ちによって、否応なく貧乏でみすぼらしい存在に、仕立てられてしまったのだ。以後彼らは、あくまで金持ちの優越を保つ為の存在として利用される。」

赤い雪〜勝又進作品集〜(*****)
「以前から読みたかった勝又進作品。やはりつげチルドレンなわけだが、つげや林静一の影響を受けつつも、ある面では、つげをしのぐ程の魅力を生み出して、確かに随所につげオマージュ的シーンが登場するも、単なる二番煎じに終わっていない。一種の点景としてのみ描き深入りせずストンと終わるつげに対して、しっかりとしたストーリーテリングでファンタジックに描く勝又もまた魅力なのだ。つげ無くして勝又は生まれなかっただろうけれど、最良のつげチルドレンの一人であることは間違いない。」

KAWADE夢ムック青木雄二〜一周忌追悼特集〜(*****〜☆☆☆☆☆)
「青木は最初から青木であった。」

子供の情景(☆☆☆☆☆)
「うむむむ、こりゃまたイイ。この子役、『ミツバチのささやき』のアナ・トレントに負けず劣らない、きっと本人は、演じているのか現実なのかごっちゃになった状態で、本気で怒って泣いて笑っているのだ。誰の手法だったか、ドキュ・ドラマは、まさにこういうこと。モフセンの娘?か、監督のハナ・マフマルバフ監督第1回作品とのこと。確かサミラ・マフマルバフってのもいたよな。サミラの作品が肩肘張って、ちょっと空回りしていたのに対し、ハナ作品は明快で強い。きっとまだ若かろうに驚くべき手練手管。子供達に演じさせることによって本質的にナショナリズムを言い当てることを、熟知した上で作られている。一つ気になったのが、レンズによってかどうか、画面の中央あたりがピンボケすること。それは被写界深度の問題ではなく、あきらかにレンズの問題であるように感じた。きっとレンズに傷がついているものと推察される。誰か機材を提供するか、文化庁が金出してやれ。」

エヴァンゲリオン考
「実は『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』一本しか観ていないので、それについて語れる資格なんかないのだが、竹熊健太郎氏のブログ『たけくまメモ』に、エヴァンゲリオンの新作に関して宮台真司などとラジオ出演した際の記事があり、その中に興味深くかつ象徴的にそれを表現する言葉を見つけたので...。それは『シニフィアンの過剰』という言葉。これは『物語に思わせぶりな伏線を一杯張っておきながら、どれもこれも実際にはほとんど意味を持たさない状態を作る事』のようで、例として『ツインピークス』が挙げられていた。この『シニフィアンの過剰』という言葉が、いままで自分がエヴァンゲリオン(意地でも略してやるもんか)に対して感じていた感情の部分を、確かにうまく言い当てている。自分がエヴァンゲリオンを嫌いなのが、なかなかうまく言葉に表すことができず、結局『オタクのために過剰に極められたオタクアニメーション』などと定義していたのだが、『シニフィアンの過剰』がその考えを補強する用語であると感じるのだ。そもそもエヴァンゲリオンに意味などないのである。あるのは、ひたすら『そういう、つまりオタクが好む萌えーな状況描写』の連続だけなのである。そのことが結局『シニフィアンの過剰』を生んでいるのだ。エヴァンゲリオンに、作者が描きたい物語や哲学・思想など端から存在しない。描きたいのは、ただ状況だけなのだ。それはアダルトビデオの、申し訳程度のストーリーと同じで、あってもなくてもいいのだが、セックスとセックスの間の刺身の妻みたいなモンなのだ。つまりアダルトビデオの抜けるシーンばかりをつないで観ているのと同じことだ。」

泥の河(***)
「これも前々から観たかった作品。期待が妄想のように膨らみ過ぎていたせいかちょっと残念賞。確かに蟹のシーンなどアイデアだが(いや原作がそうなっているのだろう)、いくらモノクロで頑張っても、なんというか『絵』があまり美しくなかったんだよね。それと子役が下手なこと。もちろん、小栗康平第1回監督作品なわけで、そんななにもかも最初からパーフェクトというわけにはいかないだろうから、欠点をことさら取り上げて批判するわけではないけれど、同じような路線なら、新藤の『どぶ』の方がはるかに鮮烈で攻撃的で表現的。S31年に生まれてはいないけれど、まあそれから10年後くらいのロケ地近くの風景を知っているが(後で調べたらロケ地は名古屋のようだ、だから知らん)、そういう時代考証的側面も、かなり頑張っていたけれど、橋の舗装がどうしてもきれいすぎるのは、どうしようもなかったのだろう。馬車のシーンにしたって、新藤なら『裸の島』のようにもっと重く描いただろう。全体として、監督の表現よりも、ドラマとして出来てしまった感あり。それにしても、ひさしぶりの映像文化ライブラリーの、高齢の方々の、相変わらずマナーの悪い事には閉口する。途中、トイレに行く事はしかたのないことだ、それは御自分が最初から分かっていることだろう。ならばなぜ出入り口に近い場所に座らないのだ。それから10個ほども鈴をつけた上品な御夫人も、それが視聴の迷惑になると想像できないのか。そういう者に限って、近頃の若い者は...と言うのだろう。」

チャップリンの消防夫
「1916年のチャップリン監督作。浮浪者スタイルではないチャップリン。まだまだドタバタを笑いのタネとしているのみ、なのでクドいし飽きてくる。未だ、コメディが、人間を描写するに優れた方法であることに行き着いていない時。しかもこのギャグ、笑えないでしょ。」

チャップリンの番頭(***)
「1916年のチャップリン監督作。やはり浮浪者ではなく、古道具屋(質屋)の店員という職を得ている。様々に小道具を使ったギャグの工夫が見て取れる。同じ事の繰り返しではなく、次々と笑いの方法(ギャグ)を試みていて楽しい。やがて『黄金狂時代』に通じるセンスをここに感じることができるのだ。単純なスラップスティック(殴る蹴るどつくのドタバタの繰り返しによって笑わせる、あまりにも単純な手法)からの脱却・前進の兆候。あ、しむらけんみたいだ。」

動物、動物たち
「剥製などの生物標本中心の自然史博物館新装開店の様子を取材したもの。しかしこういった剥製による博物館の存在意義って、一体どういうことなんだろう。確かに絶滅種(危惧種)などの保存など意義ある側面もあるだろう。しかしなんだか極めて19世紀的な、帝国主義的価値観に基づいているように感じてならない。結局、人間のエゴに過ぎなく、そっとしておけばいいじゃないか、と感じるのはただの感傷かもしれないけれど。下記同様ニコラ・フィリベール監督作品。」

行け、ラペビー!
「かつでツールドフランスで優勝経験のあるラペビーを追ったドキュメンタリー。下記同様ニコラ・フィリベール監督作品。」

クリストフ
「スイスアルプスを拠点に?活躍するクライマー、クリストフに取材したドキュメンタリーで、以後数本制作されている。ここではフリークライミングで淡々と山登る若い男の姿が、あくまで自然の点景として扱われている点が秀逸。下記同様ニコラ・フィリベールという人の監督作品で、彼のデビュー(に近い)作品か?。」

たった1人のトリロジー
「件のクリストフが、スイスアルプス3大北壁を、冬期に連続でやっつけるという。途中の移動は車やヘリだけどね。下記同様ニコラ・フィリベール監督作品。」

カマンベールの北壁
「パリ郊外にピカソのアリーナと呼ばれる集合住宅があってね、オレはそれを見に行ったけど、その建築が、まあカマンベールチーズを立てた状態に似てるワケだな。で、件のクリストフが、この有名建築でロケされた映画のスタントマンとなって、外壁をスルスルと登るという趣向。ちなみに、この建築は、ゴシックの教会の薔薇窓をモチーフにしているということを、当時オレは自力で発見したぞ。パリのノートルダムだね。下記同様ニコラ・フィリベール監督作品。」

バケのカムバック(***)
「この作品が、何も語らないんだけど饒舌なのは、主人公のバケの人柄によるのだろう。楽しい作品。下記同様ニコラ・フィリベール監督作品。クリストフはここでは脇役。」

成功争ひ
「1914年作品。チャップリンの映画初出演作品らしい。ただし監督はチャップリンではない。ここではまだ浮浪者スタイルではなく、ヒゲも服も靴も違うが、動きはすでにチャップリンだ!。」

ヴェニスにおける子供自動車競争
「1914年作品。チャップリン出演作品。ただし監督はチャップリンではない。浮浪者スタイルはここから始まった。チャップリン扮する浮浪者が、劇中の撮影班のカメラの前に立ちはだかって邪魔を繰り返すという単純なもので、さすがにクドいが、映画草創期には、こんなことで観客はゲラゲラ笑っていたのだろう。」

ノックアウト
「1914年作品。チャップリン出演作品。ただし監督はチャップリンではない。チャップリンは脇役で、ボクシングのレフリー役。だが、完全に主役を食ってる、と言うより、主役ソッチノケ。蹴ったり殴ったり転んだり笑ったり...まさにスラップスティックコメディーで、映画草創期の、それこそエジソンやリュミエール兄弟さらにはジョルジュ・メリエスなど、未だ19世紀の匂いの残る時代。なので?繰り返しがクドい。」

メーベルの結婚生活
「1914年作品。チャップリン出演作品。監督もチャップリン。やっぱり単純なスラップスティックコメディ。やっぱりクドい。」

笑ひのガス
「1914年作品。チャップリン出演作品。監督もチャップリン。クドいなあ。」

僕たちの舞台(☆☆☆☆☆)
「ニコラ・フィリベールという人の監督作品で、ここ最近この人の作品を、知らずに立て続けに観ていた。それ以外にも横川シネマで『ぼくの好きな先生』を観ていたし、自分の趣味が自然に選択したのであって意図的に選んだわけではない。だからしばしば以前観たことのある作品を重複してレンタルしてしまう場合があるのだ。さて、ストラスブールにあるらしい、演劇学校の、ある班の学生15人のチームが、地元ストラスブールをテーマに、自主(即興)劇を作っていく様子を映したドキュメンタリー。学生と言っても、日本の大学生に比べて年齢(精神年齢?)が若干高いようで、互いによく議論し、なんとか理解し合い、一つの作品を作り上げようと努力している様がなんともうらやましい。互いに主張しぶつかったり口論になったりするが、率直に意見を述べ合う彼らの文化が、日本人とは正反対なのだ。しかしこの作品、本当にドキュメンタリーなのか?と疑いたくなる程、良く出来ている。画面構図にしろ、シャッターチャンスにしろ、出演者の感情移入(っていうべきではないよな、演じているわけではないのだから)にしろ、セリフ(っていうべきではないよな、演じているわけではないのだから)じゃなく言葉にしろ、まるで作られたようにドラマチックで、本当にどっちなのか分からなくなるほどだ。ストラスブールはドイツとの国境近くであるから、歴史的いきさつもあり、テーマはおのずとそういう側面も持つが、短時間で劇を完成させなければならない焦りから、やがて『即興とか何か?』というところまで行き着き、それこそドキュメンタリーを撮り続けて来た同監督の思うつぼな展開を見せる。休憩時間には、さっきまで口論していた仲間と互いに体寄せ合い息づかいや体温を感じ、パンとワインとサラダで一晩中語り合い、ちょっとした驚きの報告まであって、ああ、かれらのような生き方が、やっぱり本当なんだろう。日本人なんて真っ平御免だ。原題は、『QUI SAIT?』で、『誰が知ってる?』というようなところか?にしちゃ邦題はガキっぽい。それにしても本当に『面白い』とは、こういうことなのになあ...。」

すべての些細な事柄(*****)
「同上監督作。フランスのどこか温暖な気候の場所にある、精神を病んだ人達のためのクリニックに取材したドキュメンタリー。入所者は、全体に年齢が高めに見えるが、その入所者達による、寄付など募る目的も兼ねた劇の稽古風景を軸に描かれている。陽光の中、それぞれの精神世界に生きる者達の有様を、あくまで対象に距離を置き、決して同情したり感情移入させない作りが、やはりフランス流。ニコラ・フィリベールって人が何歳くらいなのか知らないけれど、エリック・ロメールからの影響が大きいことは間違いないだろう。」

愛の奴隷(*****)
「ニキータ・ミハルコフ監督作。まだ革命前夜のロシアが舞台。だから革命組織は地下で活動し、見つけられれば弾圧されていた時代。つまりブルジョアが、まだぎりぎり持つ者の優位を、かろうじて保っていた時代で、当時の映画は、作る側も観る側も、ブルジョアだったようで、混乱ぎみのモスクワから遠く離れたロケ地では、まだブルジョアな空気に満ち足りていた時。太り気味の監督は、それを気にかけつつも飲み食いを止められず、フィルムが切れたことを言い訳に、撮影はストップし、のらりくらりと最後の時を過ごしていた。それにしてもニキータ・ミハルコフって、こういう群像を描かせたら、天下一品。やがてラストに、運転士も居なくなったまま走り続ける路面電車のシーンの美しいこと。それはまさにこの国の行く末を暗示して悲しい。」

第三の男(**)
「初めて観た...のかな?昔観たことがあるような気がしないでもないが...いや、観たことあったぞ思い出した、観覧車のシーンとか、大佐とのいきさつとか、下水道とかな。しかし古いモノクロ映画って、必ず『光と陰』の使い方が印象的なのだ。が、本作は、ちょっとコミック的。だって主人公は、いくらなんでも不用意に喋り過ぎだろ。」

僕のピアノコンチェルト(**)
「フレディー・M・ミュラーって確か『山の焚火』の監督だよなあ、ってことでレンタルしたのだが。もともと超佳作の人なんだろうか、前作『最後通告』も?だったが本作も?。そもそも『山の焚火』が異常に優れていて、後が続かなかったのか?。いや、確かに『山の焚火』の片鱗みたいなものは、感じないこともない。かなり感動的に演出できる話でありながら、決してそうせず、あくまでも静かに落ち着いた作り。だがなあ、それ以上の特別な作品にはなっていないよなあ残念ながら。」

ポチの告白(*)
「言ってもしかたのないことだけど、ドキュメンタリーで観たかった。裏金問題や、身内贔屓の話をね。そう言えば昨日、『領』ナンバーの車がバス専用レーンを横柄に走っていたなあ、警察とは関係ないが。」

CRAC!(***〜*****)
「フレデリック・バックのアニメーション。実は『木を植えた男』はあまり好きではないのだが、この作品は良かった。自然を破壊しながら生きて行く人間の有様を、肯定も否定もしないで淡々と描きジンとさせられる。」

ハリウッド監督学入門(*****)
「ハリウッドでは、作品の撮影・編集が終わり一応の完成後、試写を開き5段階のアンケート調査を行うそうだ。そしてその結果によっては結末さえ変更する。もちろん映画を産業としてとらえ投資している側にとって、それは命綱なわけだが、映画を表現として観ている者からすればずいぶん残念なことである。しかしそれはあくまで映画の話。もし、それと同じようなことが今、日本中の大学教育で実施されているとしたらどうだろう。大学だって客商売だ、お客(志願者)が集まらなければオマンマを食っていけない。したがってお客様に迎合するのも無理からぬ事とは言え、ファミレスじゃあないんだから、そんなことやってたら『教育の自殺行為』だ。あなたはそんな、客の顔色を伺いながら、三ツ星レストランのフリして味の素を平気で使うような店に行きたいか?。ああ愚かなり。誰も疑問を持たないなんて。なんでもかんでもアメリカの真似して本当に正しいと思ってんの?...金融工学が誤りだったことが証明されたばかりじゃんか。」

THIS IS ENGLAND(*****)
「なんで今更フォークランド紛争なんだ?という疑問も、最後『〜に捧ぐ』というクレジットが出るから、シェーン・メドウスと何か因縁があるのだろうか。ちょっと音楽を使い過ぎとも思うが、魅力作。国粋主義や民族主義は、真っ白な若者ほど極端にその色に染まってしまう。」

光る風(*****)
「これは映画ではなく山上たつひこの漫画で、長い間読みたい読みたいと恋い焦がれていた作品。信じられないことだが、なんと1970年に少年マガジンで連載されたのだ。枯れ葉剤(エージェント・オレンジなど)に含まれたダイオキシンの影響による奇形児の多発を暗示したり、防衛省を予見し、愛国心や愛国主義と大衆の有様の本質を看破している超問題作。含蓄に富んだ冒頭の言葉『過去・現在・未来、この言葉はどう並べかえても、その意味あいは変わらない』が重い。初めて気付いたが、山上たつひこって石ノ森章太郎や永島慎二からの影響が大きいのだ。なお、『ジョニーは戦場へ行った』は1971年作なので、本作より後(原作小説はもっと古いようだが)。」

この自由な世界で(***〜*)
「どこまでいってもケン・ローチ...なんだろうか、個人的にどうしても、ケン・ローチに期待し過ぎてしまうのに、これが真実の彼なのか?。似たような問題(と言っても、日本ではそれ[非正規雇用問題]が、主に若者[だけじゃなく日系人や中国からの研修制度と偽ったやりかたもあるようだが]に被害・影響を及ぼす形で表面化しているのに対して欧米特にヨーロッパでは、旧東側の国民によってその現実が支えられているようだ)を取り上げるにしても、例えば雨宮処凛のような人物の表現方法の方が、はるかに勝ってしまっている。ケン・ローチよ、今一度『映画』を捨てて『映画』を作れ!。」

ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて(*****〜***)
「原題のサブタイトルにTrip to ASIAとあるように、中国・韓国・台湾・日本ツアーの様子が縦軸になっている。どうしても西洋文化の目線でアジアを眺めるため、各地の珍しい風景風俗描写がからんでくるのだが、そんなものも一切無くして、演奏とそれに立ち向かう指揮者はじめ団員達の、生々しい対立や苦悩をもっと描写してほしかったが、きっとそこまで入り込むことができなかったんだろう。各都市を平等に扱う観せ方も、なんだかドイツらしくて堅苦しい。東京なんか端折ればいいのに。」

ドミノ(*****)
「いわゆるカッコイイ映像...。少し目まぐるしいし、展開が早すぎてよく飲み込めない側面もあるが、見掛けだけでなくよくできた話。ヒロインの魅力。」

フランシスコと二人の息子(***)

モダン・タイムス(*****)
「一つ気付いたぞ、チャップリンのチョビ髭はな、作品によって大きさが違うのだ。概ね、初期は大きく後期は小さい...のかな?。しかしオモロイなあ、やっぱり。望むと望まざるとに関わらず翻弄される男の姿。ああ、ヒロインのポーレット・ゴタートが美しい。」

キッド(☆☆☆☆☆〜*****)
「初期の、1秒16コマというフレームレートによるチョコマカした動きが、チャップリン作品の魅力を、際立たせていることは間違いない。この、日々食うにも困窮している貧しき男の、限りない愛情よ。その愛情が、エスカレートしてしまうことが決して無く、やはりハッピーエンドにしてしまうところがチャップリン流なのか?当時の映画文法からして致し方無いことなのかは分からない。」

街の灯(***)
「ドタバタも、『サーカス』などの方が好き。金持ちの男が、酔っぱらった時だけチャーリーに親切になる設定も、まあわからなくもないが、やや受け入れ難い面もある。ボクシングのシーンも、なんとか金を稼ぎたいという思いからだが、チャップリンの上半身裸体を見たくないというか、チャップリンに裸が、なんだか妙に不釣り合いというか違和感を覚えたのは、むしろチャップリンに対して幻想を抱いているからかもしれない。ボクシングという方法ではなく、例えば窃盗を働いてしまうなどの行為の方が、より一層、悲しみが増したのではないか?(それだとお涙頂戴通俗になってしまうか?)またチャップリン的美学から言えば、ラストは気付かれずにすれ違いさせた方が、より悲哀が滲んでよかったのではなかろうか?。との思いも、やはり幻想か通俗か?。」

ホテル・ワルツ(*****)
「なかなか見応えある作品。90分弱の作品が、一気にノーカット・ノー編集?で撮影されている?しかも物語は、単純に時系列に進行するのではなく、回想シーンをも織り交ぜて行くのだ。そんな離れ業を一発撮り?。役者がカメラから見切れた瞬間ハケて、急いで着替えて次のシーンの準備に追われ、カメラの移動とともにすぐ後から監督やスタッフが付いて回り陰には次のシーンの出演者が息を凝らして(いやイタリア人だからワイワイ雑談してて)隠れていて...とカメラの周囲で行われている有様を想像するのも楽しい。しかし、そんな面倒なことを、よくイタリア人がやったよな。」

音のない世界で(*****)
「ろう学校やろう者を取材したドキュメンタリー。だからとても静かな作品で、大袈裟な効果音も排除されている。生まれつき、ろうの子供達に言葉を発声させるための様々な工夫、例えばパソコンを使用し、ゲーム的な興味と組み合わせて、音を視覚的に認識させるやり方など、熱心な教育現場に感心させられる。ある、ろう者の言葉に「人生最大のショックは、初めて補聴器をつけた時、椅子を引きずる音などあらゆる雑音・騒音に混乱させられたこと」という。さもありなん、だいたい日本人はノイズに鈍感すぎるのだ。映画館でコンビニのビニール袋をパリパリ言わす奴、財布だかケータイだかに付けた鈴をチリンチリン言わせながら平気な奴、必要以上に声高に笑う奴、そういう奴らに限って上映開始後に遅れて平気でやってくるのだから。」

ジェリーフィッシュ(*****)
「ままならぬ人生。永遠に果てぬ苦悩を抱え続ける人々。無理にファンタジーに振らなくてもよかったのでは?とも思うのだが、なかなかの良作。ちょっと、どこかで観たことあるようなタッチ・作風ではあるけれど。ホロコーストには触れるがパレスチナには触れないイスラエル映画?。」

ビキニ航空
「観なきゃあよかった、ただのピンク映画。下記『4夜』はたとえ性器を映してもピンクではないのと対照的。違いは明白なのにボカすんだよな。」

2009年1月 5日 (月)

4夜(***〜*)
「大好きなカトリーヌ・ブレイヤ作品。だが、彼女の表現の根本とも言える、思春期の女性の強い性衝動・自らの女性器への嫌悪と底知れぬ欲望・快楽というテーマは、やはり登場人物がティーンエイジャーだからこそ意味を持ってくると思うのだ。だが今回のヒロインは、確かに美しいけれど20歳代であり、もうじゅうぶんに、性に対する様々な肉体の状態や行為を受け入れているはずの人物なのだから、敢えてこのような極端な性表現行為を為す必要は今更無いはずであり、だから彼女の特異な行動原理の説明がつかず、観ていて受け入れ難く不自然さを感じずにはおれないのだ。いや勿論だからこそ、今回は、特にティーンエイジャーなら最も羞恥の対象となるはずの女性の生理現象を、男性の目前に晒したり異常とも言えるような行為に平気で及ぶのだが、その行為の根底にある感情が理解できなかったし表現もできていなかったと思うのだ。だから性器を大映し・異物ホニャララするなどのお得意技も、単なる露出悪趣味エログロとの区別がつきにくくなってしまっている。これはカトリーヌ・ブレイヤの、ある面での限界と言えるのかもしれない。あるいは彼女の本職である文学表現によるならば、もう少し違った見方感じ方ができたのかもしれない。もしくはカトリーヌ・ブレイヤが、映画を美しく撮ろうとしてしまったことに間違いがあったのかもしれない。肉欲は決して汚れているわけではないが、性器描写に代表される彼女の信念と、美しい絵の映画を撮ろうとする行為に、相反するものを感じてしまう。いやそれは性器のことではない。そのような行為に至っているにもかかわらず、あくまでヒロインの態度・言葉が文学的で気取っているところが問題なのだ。それこそ映されていることを承知の上での行為のように。とまれ、ヒロインは美しいけれど筋肉質ではないタイプなので、透き通るような色白ではあっても、締まりのない体で、お腹も少し出っ張っているのが気に掛かり、肉体的には決して美人ではない。まあその分リアリティーがあるとも言えるが、しかしなあ、ボカシ過ぎなんだよね、何もかも。」

ファーストフード・ネイション(*****〜***)
「なかなか微妙な立ち位置の作品。下手すると、アメリカの国家反逆罪。ブラック・ユーモアと言うよりオチャラケ調だったのが、やがて屠殺された牛の有様をまざまざと見せつけるに至っては、ただでは済まさないぞ、という腰の据わった作者の姿勢に好感が持てた。」

鬼畜大宴会(*****)
「集団心理によって、エスカレートしていく暴力性。極限状態の人間の有様。紅衛兵旋風が吹き荒れた毛沢東の中国に世界中の若者が強く影響を受け、日本でもアチコチの大学で(大学生だからこそモロに影響を受けたワケだけど)粛正だの自己批判だの総括だの連合赤軍だのと青臭い故に赤く染まっていったのだ。大義の前には暴力も辞さず、と言うことで、仲間内でも「お前ヒヨッタな!歯を食いしばれ!」などというようなことが、あったのかもしれない(あった)。そういう時代背景を利用することで、暴力表現を正当化する根拠としようとしているところに、実はどうしても違和感を感じたのだ。何もわざわざ1970年にまで遡らなくても、人間のそういう状況・状態を表現することは、いくらでもできたはずなのだ。決して熊切に、当時の学生運動というホロ苦すぎる青春の燃焼・躓き・挫折・悲哀についてどうしてもそれを表現したいという思い入れがあったとは思えない。そもそも熊切はそんな年齢じゃないだろうし。だからどうしても、この時代設定が、暴力を描写したいがための、方便に見えてしまうのだ。先に暴力描写ありき、あくまで趣味としての70年代描写。そのことは、後の熊切作品に繰り返し現れる。まあ、クランクイン当時まだ20世ではあったがそれでも現代の若者が、70年代風長髪やファッションを纏うと、まるで誰でも南こうせつみたいになるのには笑ったけどね。」

花はどこへいった(*****)
「初監督作品とは思えない程しっかりとした構成のドキュメンタリー。神も仏も無いような残酷な現実は、世界一豊かな国の仕業。ハゲタカファンドもGMもさっさとつぶしてしまえ!と思わずにおれない惨劇を、せめて奴らのボーナスで購うべきではないか。などと興奮することもなく冷静な作者の眼差しは静かで、教養の高さを感じさせる。一つだけ確実に言えることは、必ず天国に行くのは彼らであってアメリカ人ではない、などと言ってみても、何の慰めにもならない、残念ながら、いつでも割を食うのは弱者なのだ。」

そして、私たちは愛に帰る(*****)
「これもしっかりとした構成の作品で、脚本がじゅうぶんに練られていることが伺い知れる。」

エヴァの匂い
「そもそもが、ですよ、ジャンヌ・モローがそういうタイプじゃないでしょ。え?好みの問題?いや、ジャンヌ・モローは好きだけどね。」

あしたの私のつくりかた(***)
「画面の中に小画面を入れて見せるやり方などあまり感心しないし、岩井俊二風かCM風か、とにかく美少女の扱いも鼻に付き今回はちょっと、と思いながら観ていたが、さすがというか、決して岩井俊二の二番煎じなどにはならず、ちゃんと市川映画になっている。」

小さな恋のメロディー(***)
「12〜3歳の頃だろうか。まだあどけなく、どうやって子供を作るかも、はっきりとは分かっていないだろう。だが、恋愛感情は芽生え、そのための肉体的機能も完成される頃だ。男女の性徴が目立ちはじめ、とくに女の子は胸の膨らみに一喜一憂し、体育の授業が苦手になったりする。だがまだマーク・レスターは、それこそ少女のように美しい。また女の子達は、まるで今時の日本の女子高生のように短いスカートから下着が見えても、まださほど気にしない無邪気さをも合わせ持つ。もうすこししたらニキビ面の、精神と肉体のアンバランスな不安定で醜い時期に変わっていくはずだが、まだもう少しだけ、完全に幸福な瞬間が神様から与えられる。」

大阪物語(***)
「1999年作ということだから、時は既にバブル崩壊し、日本全体が収縮していく時期か。しかしまるで日本ではないようなエキゾチックな風景。アジアかラテン系の独立独歩、ある意味首都に対するカウンターとして、良きにつけ悪しきにつけそれなりの存在意義を有していなくもない特殊な文化を持った別世界。しかしなあ、路上駐車や迷惑喫煙も、まあええやん、で許し許されてしまう文化は、好きになれない、例え大阪育ちであっても。」

デメキング
「いましろたかしである。まして怪作デメキングである。いましろファンにとって、決して心穏やかに鑑賞することなど到底不可能な作品なのである。....確かにロケハンをしっかり行っており雰囲気が出ている。ちょっと違うな、とは思うものの亀岡君も決して悪くない。だがなあ、この場合、こういうチープな作りは、かえって原作のイメージをスポイルしているように感じる。いや、勿論、原作は、あたかもこういうチープで退屈とも思えるな作品なのだ。なにしろ、間違いなくいましろ自身が迷走しつつ描いているから。そもそも、いましろ作品とは、すべからくそういうセンスを持っている。だからある意味投げやりな中途半端さは、とてもいましろらしいとも言えるのだ。しかし敢えて言いたい、だからこそ、つまりもっと徹底的に金をかけてエンタテインメントに徹すべきではなかったか。地方のさびれた遊園地の、その空虚な空間描写に、もっともっと徹底的に金を掛けて表現してほしかった。いましろの白い空間には、それだけの充実した怨念がこもっているはずだ。あるいは、さもなくば、あくまで変人蜂谷の奇行妄想に特化すべきだったかもしれない。それが子役にしろ亀岡君にしろなだぎにしろ、全部中途半端なんである。そもそも蜂谷はもっと社会に不満とか憎しみとか恐怖とか羨望を持った複雑な表情であるべき。だって蜂谷は、いましろ作品の登場人物のうち、最も魅力あるスターなのに。大体ガッツの種で本上まなみはできないだろ、あ、相手の連れ子か。」

フローズン・タイム(***)
「凝った映像で、なかなかいいじゃん、と思いながら観ていたのだが、最後にただのファンタジーになっちゃった。DVDだけかもしれないがボカシだらけだし、そういう意味でしょせんティーンズムービーなのか。」

かつで、ノルマンディーで
「そもそも元となった映画や本(実話だよね?)を観て、あらかじめ予備知識を持って観るべきなのだろう。豚が生まれ、やがて屠畜される有様をまざまざと見せつけるあたり魅力だけれど、本筋との関係性(もちろん、その事件を暗喩しているのだろうけれど)が、今イチ感じられないのだ。当時出演した村人へのインタビューも、なんだか退屈で、単なる昔話の域を出ていない。現代の農作業風景や工場の風景、デモ行進はては映画(当時のか?)の編集作業まで見せて立体的に組み立て表現しようと試みてはいるが、やっていることが表現の目的に合致せず、あまりに演繹的なのだ。」

プルミエール 私たちの出産
「この作品が決して悪いわけではなく、観る側の問題。」

ノン子36歳(家事手伝い)(**〜***)
「うーん、大好きな熊切作品なんだが、どうしたことか。実は最初、熊切作品と知らずに観ていて、このなんとも古くさいタッチとそれに輪をかけた古くさい音楽に、一体誰や監督はー?と、不満ばかりを感じていたのだ。せっかくのネタが、この古くさいタッチによって、随分スポイルされ安っぽく表現されてしまっている。それに熊切の絵ってもっと美しくなかったっけ。酒井のセックスシーンはとても良かった(なんだ、酒井脱げるんじゃん)もはや年増の緩んだボディが一層リアリズムを生んでいるからだ。しかしなあ、このラストはアリですか?確かに後から熊切と知ったならば、さもありなんな展開ではあるけれど、タイトルがあくまでヒネクレノン子の崖っぷちな有様の描写にあるならば、さすがにこの展開は唖然とさせられる。いや、あの、いかにも現代風若者一見真面目で礼儀正しく公共心も高そうだが案外自己中心的いそうろうの人格表現としては、じゅうぶん有りだが、この度の作品において、ここまで必要かってこと。酒井の影が薄くなっちゃうじゃん、せっかく脱いだのに。」

アリア(**)
「一生懸命作られている。ロケもしっかり敢行され、懸命に映画たらんとしている。しかしどうしてもアマチュア映画の域を出ていないのが残念。それでも多くのスタッフに支えられ、まがりなりにも配給され、超ミニシアターではあっても劇場で公開されるということは幸福なことだ。次回作に期待。しかし今の若い奴って、なんであんな目元眉毛にするんだろうね。」

ダージリン急行(*****)
「サブカル系というか一風変わった作品を作るウェス・アンダーソン。そういう意味では好きな部類なのだが、アメリカ人故か、どうしてもはじけ切れない中途半端さがいつも気に掛かる。もっと毒を、もっと嫌みを、もっと反骨を、もっとヒネクレて。」

PARIS パリ(***)
「待望のセドリック・クラピッシュ作品ではある。だが『猫が〜』がことさらパリを語らずに大いなるパリ讃歌たりえていたのに比べ、あえてそれを冠してこのザマなのは皮肉なものだ。そもそも彼の持ち味は、シニカルで複雑で青臭い、どこか真っ直ぐな視線だったのではないか。それがどうだ、前作『ロシアン〜』あたりから(『スナッチ〜』は観てないので)なんだか、切れ味が鈍ってきたような気がするのは気のせいか。ともかく、こんなに美しくないパリを観たのは初めてだ。」

ダウト(***)
「下に、まるで映画を観ている事を忘れさせるような作品、と書いたが、これはどこまでも映画を観ている事を意識させる作品。良作だが、どこか不満が残る。それは表現の方向性が今イチ明確ではない感じがするから。あくまでも、疑惑という妄想にとらわれた原理主義的潔癖カトリックのシスター校長の苦悩・暗黒面に陥り苛まれる姿を描く事を目的とするならば、3人の主人公を平等に扱いすぎて散漫になっているし、真実はどこだったのか?というミステリーじみた扱いもむしろ余計な事に思えるのだ。しかしそれもアメリカ映画らしいことではあるけれど。」

スエリーの青空(*****〜***)
「BRICsと呼ばれ、今後大きく経済的成長発展が見込まれ、先進国からも大きな市場として注目されている国では、やはり都会へ出てビジネスに成功し一攫千金を夢見る者達が溢れている。しかし成功する者はほんの一握りだ。憧れだけで若くして都会へ出ても、19かそこらで子供を作っちまったら、ニッチもサッチもいかなくなって、行き着く先はお定まり。弱肉強食の自由主義は、決して甘いものではないことを、身をもって知るほろ苦さ。せめて肉感的な身体を授かった事を神に感謝すべきなのか?この不公平な世界の中で。性表現にも手を抜かず良作だが、やや...」

ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン(*****)
「なんだろうなあ、まるで映画を観ているということを忘れさせ、あたかもある母子の、バタバタとした日常生活をただ見ているような錯覚を覚えさせるような作品。このアンニュイな、まったりとした、必ずしも幸福なできごとだけではない者達の、しかし幸福な時間。例え父親がそこにいなくても、間借人との間にトラブルがあろうとも、完璧な母親には決してなれなくとも、あくせく失敗しながらも精一杯生きている、これが人生なんだと。下記『赤い風船』リスペクト作品ではあるが、風船など出さなくてもよかったのに。」

ミスター・ロンリー(***〜*****)
「待望の、ハーモニー・コリン作品。だったのだが、なんかようわからん。ハーモニー・コリンらしいと言えばらしい...のか。自分らしく生きればいいんだよ、ってのが一番難しいだコノヤロー。自分らしくあるということは、他者との軋轢を生む。社会では(特に日本の社会では)出る杭は打たれ排斥されるから、言いたい事も言わずにただひたすら羊のように従順に押し黙っていることが美徳とされる。だからこその、キメラのネバーランドなのか?。」

地上5センチの恋心
「きっとアレなんかを意識しているんだろうけれど、2流。絵も美しくないんだよなあ。作中作家の書く作品通り、通俗作品だった。ユーモアもアメリカ映画みたい。ミニシアター系でござい、っていう売り方が、間違っていたのではないか配給会社さんよ。」

ヴィットリオ広場のオーケストラ(***)
「悪くないんだけれど、何故だか訴える力が弱い。」

シリアの花嫁(*****)
「作りそのものは、特筆すべきものは特に無い。だが、この地域の問題を、このように正面から典型的に描かれたならば、強く感じるものが、やはりある。これは、ごく特殊な地域の特殊な問題ではなく、人類に科せられた、まさに神の試練だ。それにしても姉の強さよ。案外、政治家や軍隊を、全員、女性にすれば、解決するのではないだろうか。」

エンジェル(***)
「懸念のフランソワ・オゾン作品。なぜ懸念しているかと言えば、オゾン作品が、ここ数年(いや8〜9年くらいか)、自分の好みとは違う方向へ変節してきているからだ。さて本作だが...勝ち気で自己中心的でヤな性格、常識に欠け教養も無いが文学的才能(ただし女性向けロマンス大衆文学だが)があるだけに始末に負えない女の物語。主人公の設定だけを見れば確かにオゾンらしいと言える。しかしセリフも英語で(って、19世紀末から20世紀初頭?のイギリスが舞台だから当然だが)アメリカ人にも理解できる言語で作られ、主人公の書くモンがベタベタの通俗女性向けロマンスであったり、あまりにお約束の事の成り行き(戦争で負傷して荒れる夫とか)にしても、セックス描写がちゃんとソフトであったり、タイトルバックのピンクピンクしい有様にしても、そもそもの題が超ベタだったり、まあ全てがそういう(通俗)方向に忠実に仕向けられているのだ。それはとても分かりやすい作為で、当然意図的なメッセージとも言えるが、そのメッセージは、シネフィルではなく、やっぱりオバチャンに向けられているのかなあ?。コッチに来てよオゾン。」

アクロス・ザ・ユニバース(*****〜☆☆☆☆☆)
「ビートルズファンの、幸福なお祭り。」

パラノイド・パーク(*****〜☆☆☆☆☆)
「アメリカの女子高生も、あんなアライグマみたいな化粧するんだな。女の子みたいな美形の少年の妙な非現実性と、あんまり可愛くないニキビ面の女子の妙なリアリズム。ガス・ヴァン・サント作品。」

タクシデルミア〜ある剥製師の遺言〜(☆☆☆☆☆)
「むうう...こりゃまた凄い。ハンガリーの監督パールフィ・ジョルジという才能だ。三部構成になっていて(明確に分けてあるわけではないが)3世代を描き分けている。それぞれ少しずつ表現のカラーが異なっている。個人的には前半の話と中盤の話が好き。いや後半のジャン=ピエール・ジュネ風も好きだけどね。しかしなあー、いくらでも才能が出てくるなあ。あ、食事中の人と食後すぐの人は観ないように。」

ハックル(☆☆☆☆☆)
「これもパールフィ・ジョルジ。悉く見せつけるヒトの営み。造形的な映像。これまた凄いのだ。小瓶の白い中身は何?。それはハンガリーに土着的なモノなの?。こんな凄い作品を観る幸福よ。」

彼女たちの舞台(☆☆☆☆☆)
「パリで芝居を学ぶ若い女性達の、練習風景と共同生活が、劇中劇風に交互に描写されていくスタイル。率直に話し合い、時に罵り合う者達の関係は、ややもするとギクシャク険悪になるが、うわべだけの友人関係にしがみつき、社会と隔絶した小さなグループ内の平和だけを維持することに腐心し、腫れ物に触るがごとく傷付け合うことを恐れながら、平気でいじめ合う現代の若者より、よほど正直で健康。本音で語るからこそ信頼し合える絆が生まれるのではないか。」

クラッシュ(*****)
「オー・イエス・イエス・芸術だ!...と言っております、やっぱり。さすがにオッサンどうしのソレにはついて行けませんが、デヴィッド・クローネンバーグさんよ。」

BLUE
「だから現代美術って嫌いだ。デレク・ジャーマン!。」

パティー・モンスター(*****)

いとこ同志(***)
「1959年作。ソルボンヌ大学に通うパリッ子(金持ちのボンボン)と田舎から出て来た同居人の、不愉快感に満ちた話。こんな終わり方ってあるかよおー...。」

人のセックスを笑うな(*****〜☆☆☆☆☆)
「なかなかの良作。永作もとても良い役者で大好きだ。しかし、原作がどうだか知らないが、やはり永作はきちんと脱ぐべきだし、みるめ役の彼はフリチンになるべきだ。だって客観的に見て、いかにも滑稽な(牛や馬の種付けを見りゃわかるでしょ、やっぱり笑えるワケよ)性行為を、だからこそ笑うな!ということではないのか。いや勿論、ここで言うセックスとは、英題にロマンスとある通り、決して性行為のみを指しているのではなく、目の前のピチピチギャルをソデにして、敢えて年増に入れ上げる男の純情、そういう恋愛行為そのものを指しているとはいえ、それでもこれだけ刺激的な題である以上、やはりそういう描写は欠かせないどころか、必要十分条件だと思うがなあ。そういうところがなあ、表現に対するスタンスというかなんと言うか、あたかも大人と子供の差みたいな意味合いで、フランス映画等に比べて見劣りするなあと感じる場合が少なくないのだ。永作の事務所との契約上の問題があるならば、他に脱げる役者を選ばんかい。」

自虐の詩(*****)
「中谷も、とても良い役者だが、やっぱり脱がねえな。彼女は自分のブスな部分を平気で露にすることも厭わない。後半、二人のなれそめ描写のあたりから、説明的になってしまって残念。徹底的にナンセンスで突っ走ってほしかった。」

嘆きの天使(*****)
「1930年、ドイツ作品。トーキーが始まって、まだ3年くらいしか経っていない時代の作品だ。堅物教授が籠絡され凋落していく様、過程の描写が甘いが、落ちぶれていきラストにかけては鬼気迫るものがある。」

大日本人(*****〜☆☆☆☆☆)
「ああ、やっぱり松本は新しいことを観せてくれた。いや勿論、やっていることは、以前から松本がやっていた笑い(とかげのオッサン等)の延長線上ではある。だがそれを、映画というメディアで映画という表現にブチ込んだことが新しいのだ。これはゴダールか村上隆なみにエポックメーキングな出来事だ。もうホント、エンドロールまでも笑わせてくれるんだもん。」

監督ばんざい!
「と、上に書いておいてなんだが、似たような作品なのに、どうしても好きな部分と嫌いな部分があるんだよなあ。だがそれは、北野武がそういうアマノジャクだからである。容易にシネフィルなんぞの気に入る映画なんか作ってたまるか!ってことなんだ。あるいは単に、自分がやっぱり関西の笑いの方が好きだからにすぎないのかもしれないが。オマケ作品の『素晴らしき休日』もダメ。」

スーパーマン(*****)
「1941年、フライシャースタジオ最末期の作品。おそらく数ある『スーパーマン』の中でも最善作。フライシャーが(最初からやっていた)お得意のロトスコープによる動画表現が、動物やデフォルメされたキャラクターではなく、アメコミである本作にこそ実に似合っているのだ。スピード感、重量感(重い物をググッと持ち上げる感じとか)など物理的リアリティーや、陰影の表現が泣かせる。フライシャー兄弟作品の魅力は、ディズニー的ではない部分(ベティーとか)にこそ発揮される。」

アルプスの少年 ぼくの願い事

それでも生きる子供たち

プルコギ

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(☆☆☆☆☆)
「不愉快感満載、なので久々に脳内に?物質が走り回って嬉しくて堪らない。のだが、残念ながら女優陣が一切、脱がないのである。一部背中のみ出していたが、そんなモン水着姿より露出が少ない。決して脱がさないという出演者への配慮は、脚本にさえ現れていて、この点さえクリアされて、より激しい性描写がなされていたならば、本当に完璧だったのに。だってこの作品において、それが省略されてしまっては、致命的じゃないか。随分前に「けものがれ〜」という作品があったが...。」

北の橋(***〜*)
「ゴダールからの影響が大きいんだろう、きっと。終わり方なんかも「PIERROT LE FOU」を意識しているのではなかろうか。最初は面白かったんだけどな...。あ、ラ・ヴィレットでロケしてる。」

フレッシュ・デリ(***)
「某県知事に似てますな。」

キング・オブ・ポルノ

サーカス(*****)
「1928年のチャップリン映画。誇り高き浮浪者チャーリーの、あくまでも紳士たろうとする有様。率直で素直な視線。本来的に人はそれを望んでいるにもかかわらず、そうでない現実社会が恨めしい。筋を通せば〜と、夏目漱石も言っているではないか。」

ワイルド・パーティー(*****)
「これもまた映画史に残るカルトムービーなわけである。一部、極めて優れた描写あり。今からすれば大人しいくらいの性描写。なぜか日本人好みの顔立ちのヒロイン。」

あなたになら言える秘密のこと(***)
「とてもきちんとした作品。日本人があまり知らないようなクロアチアにおける虐殺等の問題について取り上げながらも、必要以上にヒステリックにならず、情にも流されず、冷静に淡々とした語り口が、かえって印象に残るのだ。が、それにしてもやっぱり焦点がその問題にあるならば、少々回りくどいやり方であるようにも感じるのだ。確かに主演のサラ・ポリーは、その決して美しくない顔立ちを、正々堂々と晒して(笑うと歯茎がニョッキリはみ出す)までの好演で、とても好感が持てるし、観終わった後に余韻を残すけれど、個人的には、正面からの主張の方が好きだ。」

ローラーとバイオリン(*****)
「タルコフスキーの卒業制作とのこと。水に反射してゆらゆらきらめく陽光。バイオリンを学ぶいじめられッ子の少年と土木作業員の労働者。計画経済の下、破壊と建設が進む国土。ソ連社会を垣間みる思い。」

赤い風船
「浅田美代子じゃないです。ところでカンヌの記録に無いんだけど...本当に1956パルムか?...よく調べたら、短編部門のパルム。」

白い馬(***)
「少年も馬も風景も美しいけどね。ところでカンヌの記録に無いんだけど...本当に1953グランプリか?。」

市民ケーン(☆☆☆☆☆)
「あまりにも有名作なので今日まで避けてきたのだ。『風と共に去りぬ』を何度も観ようとして、我慢できずに早回しした挙げ句途中で観るのを止めてしまった経験も後押しして今日まで観ずにきた。おまけに三谷幸喜が好きな作品だなどと読んでしまうとなおさらで...。しかしアニメーション史を研究していると、映画史や写真史にもどうしても首を突っ込まざるを得ない状況下で、メディア王ハーストに触れ、俄然本作に興味が湧いてきたのだ.........。全く堅固に重厚に構築された構造はきっとグリフィス譲りか、未だ映画草創期に違いない時代に作られたとは、とても思えない完成された、まさにザナドゥー。そう、本作自身が巨城なのだ。『市民』とは『大衆』と翻訳することができる。メディア王として君臨し、世論を思うがまま左右した男は、しかし自身が『大いなる通俗=大衆』だったのである。しかしなあ、絵作りの確かさとか、構成とか、場面の転換や導入・時間経過の表現など、既に全てが完成された形でここにある。フェリーになんかも黒澤なんかも、きっと大いに影響を受けているに違いない。全く凄い奴。

ある日、突然。(*****)
「平凡で冴えない毎日を送る、自分に自信の持てない太った女性に、ある日突然降り掛かった災難?喜び?。人生の意味無意味・ゆっくり行くか急いで行くべきか、自由に生きなきゃ死んでも後悔するぞ。しかし焦燥にかられ行き急いでいる時には、老人のペースに合わせてみるのもいいようだ。重ねられたその無意味さの中に、なにかいじらしいものが見えてくる。確かにジム・ジャームッシュっぽい面もある、アルゼンチン(+オランダ)映画。」

迷子の警察音楽隊(***〜*****)
「途中、やや典型的に感じる面もあったが、丁寧な描写にひきつけられた。イスラエルで無力なエジプトの象徴か、翻弄される彼らが素敵。アキ・カウリスマキ風、エジプト映画かと思ったらイスラエル(+フランス)映画。イスラエルが自画自賛しないとは...驚き。」

薬指の標本(***〜*****)
「キレイな絵の作品。確かに耽美主義ではある、結局何も説明されないし、しばしばその『標本』の作り方に疑問を感じずにはおれない。例えば楽譜ではなく『音楽』を標本にしてほしい、という希望に対して、もっと工夫した方法が示されるべきだし、収蔵された『標本』にもっと驚きがあるべきだ、結局ムードだけを描いているにすぎず、中身が何も無いではないか...などと不満も多いのだが、それでも全体としてのキレイさに満足してしまった。ヒロインも魅力的。」

男と女(***)
「初めて観た。モノクロとカラーを交互に観せるやり方とか、行為行動をいちいち描写せず音楽に載せてムード的に表現するやり方とか、あまりにも時代性を感じさせる。つまり古くささを強く感じてしまった。スタントによる破壊的シーンやレースの爆音などによって、確かに一つの表現に繋げようという意図を感じないこともない。ギャロのアレを思い出したくらいだから。そういう意味での、表現に向かう意欲は買えるが、ひたすらムード優先なんだよね。それがこの時代の日本のテレビドラマ風(もちろんテレビが真似したんだろうけれど)に見えて安っぽくて残念。しょせん惚れた腫れたの話なんだから、もっと素直にラブロマンスとして描けなかったのか。

愛より強く
「この手のドイツ(+トルコ)映画って、ハチャメチャやっててもどこか固いんだよね。イスタンブールでアヤソフィアを背景に演奏する民族音楽をはさんで表現を凝って見せても、ミニシアター系一丁上がりでござい、って感じで雰囲気や表面だけ整えられ底が浅い。こういうことならいっそ、能天気なアメリカ映画の方がマシ。」

ベルエポック(***〜*****)
「再見。ベル・エポックとは、もともと第一次大戦前のパリを指し、古き良き時代というような意味。それを、フランコ独裁政権に突入する前のスペインに当てはめたいるのだろう...にしても、あんな4姉妹ならいいなあ。」

いのち耕す人々
「ちょっとうんざり。いわゆる教育文化映画そのまま、いや予想してたけど。そこまで大袈裟な音楽いらないでしょ。」

ロルナの祈り(***〜*****)
「ある意味予想通りの出来のダルデンヌ兄弟作品。ここで終わるんだろうな、ってとこで終わるし。これまで以上に物語の構成とか展開が、うまくできているが、なんだかそのぶん、シンプルさというか簡素さというか素朴さというか無防備さを失ってしまったようにも感じるのだ。やはり初期の2作品にこそ荒削りな、それこそささくれ立った手指のような輝きがあったように思う。」

プルートで朝食を(*****)
「IRAとゲイを組み合わせた新機軸、だが良作。」

俺たちに明日はないッス(*****)
「またぞろ漫画原作の映画化だが、タナダユキ作品中、最も面白かったのではないか。キャスティングのおかげか、何しろ高校生の暑苦しくてザーメン・・・じゃなかった汗臭い感じが実に表現できている。映像も悪くないのだが、手持ちカメラの揺れる映像は、あまり感心しなかった。セックス描写をもっと凝ってほしかった。しかし原作がそうなんだろうけれど、高三にもなって何も知らない女子高生なんているのだろうか。そこらへんの強引な設定がやはり漫画的。」

オリバー・ツイスト(***)
「19世紀のイギリスの作家チャールズ・ディケンズの小説で、何度も映画化されているようだ。光と陰のコントラストが印象的。なので、物語があらかじめ認知されている前提で観る必要があるかもしれない。つまり話の展開が御都合主義という批判は、あまり無用のことなのかもしれない。犬が実に良い演技をしている。」

女工哀歌 (☆☆☆☆☆〜*****)
「よく石原慎太郎なんかが、中華思想をやり玉に上げるけれど、結局、彼の国が、あまりにも大きいことが、そういう発想の根本なのだ。彼らにとって中国は、もはや国ではなく世界なのだ。一国の中に先進国と途上国が同居するという、全く歪んだ状況を、体制が無理矢理にねじふせているのだ。だからこの国の指導者や富裕層が最も恐れるのは、再革命勃発という事態である。近い将来、きっとネオ毛沢東が登場するだろう。中国が、あれほどダライラマを警戒するのは、そのためだ。やがて内戦状態に陥るか否か。中国は今、岐路に立たされている。」

ヴェロニカ・ゲリン(***)
「アイルランドやIRA物は、どうしても暴力や殺伐とした雰囲気になってしまうのは、悲しい事実である。あんなに美しい国なのに。」

バンビ(☆☆☆☆☆〜*****)
「ディズニーの1942年作品。必要以上に擬人化せず抑制されたタッチは、まさにネイチャー表現の精神に貫かれていて美しい。スクンクのフラワーの愛らしいこと。ただ、恋する場面だけが調子が違うのが残念。」

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